町幕府

室町幕府跡
室町幕府について 計画中。
足利氏について 清和源氏。源義国の子孫。鎌倉幕府の有力御家人であったが、建武の新政で後醍醐天皇と対立した尊氏は自ら京都に幕府を開く。3代将軍・義満の時絶頂をむかえたが、基盤が弱くその後は将軍の権力は家臣や守護大名に握られた。15代将軍・義昭は織田信長に追放され名実共に足利幕府は滅亡し、豊臣秀吉の庇護の元で義昭は死亡して将軍家は絶えた。鎌倉公方家は幕府とたびたび対立したが、その後古河公方、江戸時代は喜連川氏を称して大名各として明治に至った。
足利氏家系図 計画中。

2002/10/14

征夷大将軍

征夷大将軍とは

征夷大将軍 生涯 在職期間 備考
初代 足利 尊氏 1305年〜1358年 1338年〜1358年 足利(室町)幕府を開く。
2代 足利 義詮 1330年〜1367年 1358年〜1367年 南朝と戦う。
3代 足利 義満 1358年〜1408年 1368年〜1394年 守護大名討伐、南北朝を統一し幕府の最盛期へ。
4代 足利 義持 1386年〜1428年 1394年〜1423年 勘合貿易中止。
5代 足利 義量 1407年〜1425年 1423年〜1425年 短命。
6代 足利 義教 1394年〜1441年 1429年〜1441年 専制政治の末、赤松満祐に殺される。
7代 足利 義勝 1434年〜1443年 1442年〜1443年 幼くして亡くなる。
8代 足利 義政 1436年〜1490年 1449年〜1473年 応仁の乱が勃発する。
9代 足利 義尚 1465年〜1489年 1473年〜1489年 六角氏討伐中に陣没。
10代 足利 義稙 1466年〜1523年 1490年〜1494年 日野富子らに追放された放浪将軍。
11代 足利 義澄 1479年〜1511年 1494年〜1508年 富子、細川政元らの傀儡将軍で後放浪。
10代再任 足利 義稙 1466年〜1523年 1508年〜1521年 大内義興、細川高国らの傀儡。
12代 足利 義晴 1511年〜1550年 1521年〜1546年 近江に何度か放浪する。
13代 足利 義輝 1536年〜1565年 1546年〜1565年 松永久秀・三好三人衆に殺される。
14代 足利 義栄 1540年〜1568年 1568年 三好氏の傀儡将軍。
15代 足利 義昭 1537年〜1597年 1568年〜1573年 織田信長に追放されて足利幕府滅亡。

足利将軍についてもっと詳しく・その他足利家の人物

執事・管領

執事・管領とは

名前 生涯 在職期間 簡単な列伝 備考・墓所
高 師直 ?〜1351年 1335年〜1349年 高師重の子。足利尊氏の執事。南北朝の内乱で南朝、観応の擾乱で尊氏の弟・直義と対立した。幕府の安定を目指したが、直義軍に敗れて摂津武庫川で殺害された。
高 師世 1349年
高 師直 1349年〜1351年
仁木 頼章 1351年〜1358年
細川 清氏 ?〜1362年 1358年〜1361年 細川清氏の子。 元氏。弥八。
斯波 義将 1350年〜1410年 1362年〜1366年
細川 頼之 1362年〜1379年
斯波 義将 1379年〜1391年
細川 頼元 1391年〜1393年
斯波 義将 1393年〜1398年
畠山 基国 1398年〜1405年
斯波義重(義教) 1405年〜1409年
斯波 義将 1409年
斯波 義淳 1409年〜1410年
畠山 満家 1410年〜1412年
細川 満元 1412年〜1421年
畠山 満家 1421年〜1429年
斯波 義淳 1429年〜1432年
細川 持之 1432年〜1442年
畠山 持国 1442年〜1445年
細川 勝元 1430年〜1473年 1445年〜1449年 細川持之の子。家督を相続し、摂津など5カ国の守護となった。山名持豊と結んだが、後に対立した。嘉吉の乱後の没落した赤松氏を援助し、将軍家・畠山氏・斯波氏の家督争いに関与した。足利義視らを支援し、足利義尚らを擁する持豊と対立し東軍の総大将として応仁の乱をおこしたが、乱の最中に病死した。禅に帰依し、龍安寺、龍興寺を建立した。 聡明丸。六郎。右京大夫。武蔵守。妻は山名持豊の娘。
畠山 持国 1449年〜1452年
細川 勝元 1452年〜1464年
畠山 政長 1442年〜1493年 1464年〜1467年 畠山持富の子で持国の養子。しかし持国に実子・義就が生まれたため、追われたが細川勝元の援助で家督を継いだ。その後・義就と争う。河内・紀伊・越中の守護となって、管領職に就いた。義就は山名持豊と組んで、応仁の乱が発生すると東軍についた。その後、将軍・義材(義稙)を擁立して義就と戦ったが、義就の子・義豊が挙兵し勝元の子・政元に攻められて河内で敗死。 尾張守。弾正少弼。左衛門督。左衛門尉。号・勝仙院。
斯波 義廉 1467年〜1473年 西幕府
細川 勝元 1468年〜1473年 東幕府
畠山 政長 1473年 東幕府
畠山 政長 1477年〜1486年
細川 政元 1466年〜1507年 1486年 細川勝元の子。父の死後8才で家督を相続した。1493年畠山政長を滅ぼし、足利義稙を追放して義澄を将軍に擁して管領となった。子はなく、澄之と澄元さらに高国を養子に迎えたが彼らの家督争いに巻き込まれ、澄之派の香西元長らに謀殺された。 聡明丸。九郎。右京大夫。墓所・龍安寺。
畠山 政長 1486年〜1487年
細川 政元 1487年〜
細川 政元 1490年
細川 政元 1494年〜1507年
細川 澄之 1507年
細川 澄元 1508年
細川 高国 1484年〜1531年 1508年〜 細川政春の子で政元の養子。同じ養子の、澄之と澄元の家督争いでは澄元について澄之を滅ぼした。まもなく澄元と対立して大内義興と共に彼を近江に追い、足利義稙を再び将軍に擁立し管領となったが澄元と対立し続けた。その後、義稙を廃して義晴を擁立した。しかし、香西氏ほ殺したため謀反が起き、さらに三好元長が足利義維と澄元の子・晴元を擁した。天王寺で元長に敗れて、戦死した。 六郎。民部小輔・右京大夫・武蔵守。
細川 高国 1521年〜1531年 足利義晴方。
細川 稙国 1525年
畠山 義堯 1526年〜
細川 晴元 1514年〜1563年 1527年〜1532年 細川澄元の子。三好元長と挙兵し細川高国を追って、堺に拠った。1531年に高国を天王寺で滅ぼし、政権を確立したが翌年元長を滅ぼした。1543年に高国の養子・氏綱が挙兵し、5年後に元長の子・長慶がこれを擁立、翌年晴元は将軍・足利義晴親子を擁して近江に逃れた。その後、長慶と和解し隠棲した。 聡明丸。六郎。右京大夫。足利義維方。
細川 晴元 1533年〜1552年 足利義晴方。
六角 定頼 1546年 管領代。
細川 氏綱 ?〜1563年 1552年〜1563年 室町幕府最後の管領。細川高国の養子。1546年頃から畠山政国らと結び、細川晴元と戦った。晴元に背いた三好長慶に擁されて、晴元を近江に追って入京し管領に任じられた。淀城で死亡した。 二郎。右京大夫。

執事管領家

素性 移り変わり 備考・リンク
畠山氏
細川氏
斯波氏
高氏
仁木氏

参考文献や資料によって異なっていますし、儀式のみや実質管領だった人物も含みます。

参考 『新版 角川日本史事典』 朝尾直弘 宇野俊一 田中 琢 角川書店 
参考 『歴史探訪に便利な日本小典』 日正社
参考 『鎌倉・室町人名事典』 安田元久 新人物往来社
参考 『戦国人名事典 コンパクト版』 阿部猛 西村圭子 新人物往来社
参考 『室町』
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