ビスタサイズ(1:1.66 )で作ってます。ワイドテレビ対応です。だから何なんだといわれると困りますが。
the other side of love 邦語版「砂の果実」
7/12 いろいろあったけど完成です。途中で例によって飽きはじめてしまって…
ホントは7/7に上げたかったんだけど。
最後の羽ばたきの残像、処理が軽くならないかといろいろ試してみたんですが、
bitmapにするとジャギーがひどくてダメでした…
6/11 某団体から「お金払って消しなさい」って通告が来ました。
お金払っても公開しちゃダメなのね。ショボーン
音がないのはそういう理由。
4/22 1719 追記 アニメ「最終兵器彼女」全部見終わった。(その後漫画も読みました)
異論反論あるかと思いますが、私は人生の一時期こういう物語が必要なものでもあるという
作者の言葉に深く共感しました。以下読みたい場合は反転してください。
(これから見ようという人は見ないほうが楽しめるかも)
このFlashは単行本5巻まで・ビデオ4巻までを見た時点で作ってます。
これでもかってくらいに人が死にまくりますが、実はそういうのは多分重要なことではないようです。
むしろその中で、ちせとシュウジは死ねないということが後半恐ろしくなってきます。
「いっそ死なせてあげてくれー」と思うのですが、最後の大津波後の死体の敷き詰められたシーンで
死んで得られる救済なんかないんだと突きつけられます。(これは漫画版にしかないですね)
最後まで希望を捨てなかった友達や、笑って送り出してくれた両親も、はっきり死んでいると描かれます。
これは結構すごいことかも。「みんな死んでしまった」という描き方じゃないんですよ。
ちせ以外の大切なもの全部が壊れてしまったということをすごく具体的に描いています。
心中とか、最後のアダムとイブとか、そういった安易な救済は最後まで二人に訪れないのです。
青年期というミクロな視点での「風の谷のナウシカ」(漫画版)みたいな感じかなぁ。
まぁ今は幸い日本は平和で、自分の恋人が最終兵器に改造されてしまうこともないでしょうが、
それでも「最終兵器彼女」は青年期の普遍的なものをも表現してると思います。
とても好きな人がいて…でもこれからの自分について微かな迷いとか恐れとかを持っていて。
私は今24で、結婚して娘が一人います。私にとってのそういう時期っていうのは今から5年位前ですね。
その時期を脱しきれたかと言うと実はそうではなく、今もってフラフラしています。
でも「最終兵器彼女」を読むと、やっぱり私はもう「そこ」にはいないわけですよ。
岩井俊二は「打ち上げ花火、下から見るか横から見るか」を撮った時
「あぁ僕はもう教室とか制服とかには二度と関わらないんだな」とひどく切なくなったそうですが、
私もそういうのを感じました。
「そこ」にいたときっていうのは、自分はすごく大変だしアワアワしているのでとても「いい時代だった」とは思えないんだけど、
もうそこにはいないんだということを知ると、ひどく切なくなるもんですね。
そんなわけでBGMに「the other side of love」を選んで良かったと自画自賛。
the other side of love 邦語版「砂の果実」
あの頃の僕らが 嘲笑って軽蔑した
恥ずかしい大人に あの時なったんだね
少年くさい君の 誇りが鬱陶しくて
真心をからかったね 愛さえはぐらかして
生まれてこなければ 本当はよかったのに・・・・
あの日 君に投げた 声に復讐されてる
弱虫の偽善者は 僕の方だったよね
そこから笑えばいい 堕落してゆく僕を
あの頃の僕らが 嘲笑って軽蔑した
空っぽの大人に 気づけばなっていたよ
生まれてこなければ 本当はよかったの・・・・?
僕は砂の果実 氷点下の青空
僕のこと誇りにしてるって
つぶやいた声に 泣きたくなる 今でも
この胸が騒ぐ 悲しい懐かしさで君を想うたび
あらかじめ失われた 革命のように