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朝鮮族の回想
東京に住む朝鮮族がおじいさんの話として、文化大革命時代の時の思い出話を語ってくれた。 今、中国朝鮮族は、移民ラッシュであり日本や韓国に勉強や出稼ぎに出ており、日本にも約三万人の朝鮮族がおります。だから居酒屋なんかでも、明らかに中国人という方に話し掛けてみると実は、朝鮮族という人が多い。彼らの多くは、誠実であり、また実直な性格を併せ持ち、ダンスを好み、率直にものを言う。 ある日、夜を徹して知り合いの朝鮮族と靖国神社問題、古朝鮮非実在説などを話し、討論をしていたのだが、彼が、重々しく彼の祖父のことを話し出した。 私の祖父は建材会社に勤務していたのだが、日本に渡航歴があったため、反革命の烙印を押され、頭もすべて切られて丸坊主にされてしまった。彼の一族は、元々慶尚北道に住んでおり、その関係で日本にも韓国にも行き来をしていたのだ。 当時、外国に渡航した中国人は珍しく、それがスパイ扱いされた原因でもあった。 朝鮮族は、言語としては二言語併用教育を行うほか、中学生のときからは日本語教育を受けるため、非常に語学水準が高い。そしてそのことは、漢民族よりも他の外国人と知り合いを得るチャンスが多いということにもなる。 そのため、延辺の文化大革命は、実に熾烈であった。 元々、文化大革命は、政治的な思惑を超えて単に嫌いな人を打倒する道具としても使われた側面がある。あいつは、嫌いだからなんとか失脚させてやろう、そう思った人々が、嫌いな相手について徹底的に調べ上げ、打倒するきっかけを周囲に吹聴するのだ。 よく、「紅衛兵たちが、××を打倒せよ」という言葉を叫んでいるシーンが報じられていたが、紅衛兵たちもそのことについて分かっているわけではなかった。叫ばなければ自分に火の粉が降りかかるため、それを防ぐために叫んでいただけなのだ。 彼らの祖父は一年半、思想改造学校に閉じ込められ、許されたときは、身も心もぼろぼろであったという。幸い、彼の母は、反革命の疑いをかけられただけで、実際に弾圧されたわけではなかったため、それほど酷い目には合わなかった。
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