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毛王朝だった文革期文化大革命時代で我々が垣間見たのは、中国の伝統的なものの回帰であった。 彼らは、確かに旧社会に宣戦布告をし、ブルジュア社会の一掃を図るべく奮闘努力した。例えば、デパート「東安市場」が「東風市場」に改名されたり、宝石類はかたっぱしから投げ出され、骨董類は燃やされ、中には、交通信号では、「進め」が「赤」になり、止まれが青になっていたこともあった。 しかし、他方では、毛沢東の異様なまでの神格化、長寿を祝い祝詞を全国で行われていたし、毛沢東に対する一切の批判は削除された。そして、毛沢東を利用し、権力を我が物にしようとする「四人組」や「林彪」などの側近政治がしばしば展開された。 本来、社会主義というものは、資本主義を乗り越えはるかに進んだ社会と捉えられてきた。しかし、北朝鮮でも中国でもこのような封建制の遺物が大きく立ちはだかり、このことについて両国民とも誰も当時、異論を述べなかった事態に際しては、どのように解釈すべきであろうか。 後世になってから、中国は、資本主義社会を経ずして社会主義に移行した。だから、封建的なものを残してしまったのではという意見もある。それに対して異論はないが、もうひとつ付け加えるならば、人間というものは過去からの思想からは簡単に自由になれないということも付け加えるべきではないだろうか。 中国は歴代、帝国を築き、そして皇帝により専制政治が展開された。そして実務は、科挙を通過した一部のエリートたちが行っていた。そして周辺国家は、すべて蛮族とされ、朝鮮やベトナムなどから朝貢を受けた。 この漢民族の属性を極限まで推し進めたのが「文化大革命」における毛沢東の神格化だと思うのです。中国において、少数のエリートたちが一般人民を指導し、エリートは高い地位におかれ、共産党の独裁政治が行われたのは、決して偶然ではなく、かってそのような下地があったからこそ、毛沢東の神格化は究めて受け入れやすかったのです。 |
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