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紅衛兵たちの行く道わたしは、数年前、中国朝鮮族のことをホームページに書くために、吉林省の延吉に降り立った。地元協力者とともに、延吉周辺を取材に歩き回った。 おおむね、好意的で、おおよその取材については、答えてくれたものの、ある一つの事件については、口を閉ざした。特に、紅衛兵世代の人々についての口は堅かった。 ある朝鮮族に話を聞いたときのことだった。 「そろそろあの当時のことを話して頂けませんかね。延辺朝鮮族自治区が、文化大革命では、かなり活発に行われたことも聞いています。あの事件を風化させないためにも、是非」 手を変え品を変え、その男に問いただしたが、男は、「あの時は、若かったゆえに、間違いもあった。それで十分だろう」 男はその言葉を繰り返すだけであった。 延辺は、当時、中国と北朝鮮の関係悪化の中、豆満川を挟み、同じ朝鮮民族でありながら、罵倒しあう事態になり、多くの朝鮮族が苦境に立たされた。そのことを説明すると、「さあ、そんなこともあったかも知れんな」と呟くだけであった。 文化大革命が激化し、都市部の混乱を招いた紅衛兵たちの処遇を巡って、毛沢東は、彼らを地方に事実上、追放した。上海や北京の人間は、吉林や黒龍江省の農村へ行き、表向きは、知識青年は農村に学ぼうとのキャッチフレーズだったが、本当は、やっかい払いであった。 その時、私は、中山服を着て、紅衛兵の腕章を持った彼らが、どのような気持ちで、延辺にたどり着き、どのような生活をしたかを想像した。 温暖な土地からどこまでも氷の大地が続く場所に移動した彼らを待っていたのは、痩せた土地、そして絶望の中で彼らを生き長らえさせたのは、いつかは、都市へ戻れるという望郷の念であったかも知れない。 その紅衛兵の生活はどうでしたか? 彼は、気まずそうに覚えていないと繰り返すだけであった。 |
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