文化大革命時代の工人たち

広東省のある工人は、当時を反芻していた。

 もし、現在、毛沢東が目の前にいたらという私の質問に対して考え込んでいたからだ。
「俺の八年間の人生を返してほしい」

それが男の率直な意見であった。男は、親族が国民党の特務であるという疑惑を持たれたため、広東省から船で海南島へ教化労働を余儀なくされた。当時、海南島は、今のようなリゾート地ではなく、開発もほとんどされていない地域であった。

男たちは数人のグループをつくり開墾を行ったのだが、この時の労働は厳しかったという。主な業務は、農地の開墾、ゴムの木の植林などであり、だいたい8時間から12時間の労働し、そのうえで、毛沢東主義や反修正主義についての学習の時間も設定された。

この反修正主義を解説すると、当時、社会主義を修正する人々や国としては、ソ連がそうであったし、中国のフルフチョフと言われた劉少奇主席がいた。これに対する批判も強められた。

食事は、朝は、塩粥で、あとは野菜と肉をおかずにしたもので、東北部と比較するとそれほど、悪くなかったというが、故郷である広東に戻れないことに対していらだちを感じていた。

「俺だけじゃない。俺らの仲間は二度と広東に戻れないと思っていた」

「仲間たちは、何人もペストやマラリアで倒れていったが、俺もいつこうなるか、分からなかった。俺だって、マラリアに罹って倒れたこともあったぜ」

 処分を受けた人々に話を聞いてみると彼らは、決して不満分子だけではない。むしろ、中国に対して人一倍愛国心を持った人のように思える。だが、当時は、親族に一人でも疑わしいものがいれば辺境の開発に飛ばされたりしていたが、これは本人たちにとって相当な悔しさであったであろう。俺たちが一体、どんな反動的な行為をしたのか、そういった怨嗟の声がうかぶのだ。


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