老教授の懊悩

 北京の知り合いを得た私は、数年前、北京の郊外のある元大学教授の家を訪問していた。
彼は、建築工学を専門に教えていたが、私も建築学には興味があるため、大変話しに花が咲いた。特に、北京の都市開発で保存派と非保存派が長年対立していた話は大変興味深く聴いた。

この家を訪問したとき、一瞬、この老教授には歓迎されていないのではという雰囲気を感じ取った。なぜならば、この老教授は、昔の中山服を着ていたからだ。これについて若干の補足をすると、日本嫌いの江沢民主席が、天皇陛下と謁見された時、なんと中山服を着て登場したのだ。後の週刊誌を見ると、江沢民主席がこの中山服を着たのは、一種、日本に対する抗議というメッセージであったという。

しかし、とはいえこの老教授との話は二時間にも及び、北京の建築事情に関する話も聞け、大変満足していた。

話は、文化大革命時代の建築様式に踏み込んだときのことだ。
あの時代の中国は、狂っていた、一言そうつぶやいた。そして続けた。

大学で熱心に教えていたが、その時の学生たちからは、修正主義とのレッテルを貼られ、三角帽子も被らされてしまった。

 確かに、私は、劉少奇主席の考え方にも共鳴し、その多くの著作も熟読していた。
 しかし、それが一体何の罪であったのか。
 本棚には、劉少奇著作集が並んでいる。
 そして教授は、慟哭をしていた。

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