産経新聞が2月から新聞業界に様々な波紋を投げかけている。最初は休刊日の撤廃というものだったが、これは読売などが産経つぶしにかかって逆に読売などが休刊日に発行し産経は発行しないという変な事態に展開した。休刊日制度は新聞配達制度と密接に関わっており、宅配への依存度が最も弱い産経ならではのアクションだったともいえる。また関東圏での夕刊廃止や月決め2950円という価格も嵐の目となりそうである。
そんな中で産経新聞の遮断機及び論点というコーナーが最終回となった。遮断機の最終回は田中知事ともなじみの深い日垣隆氏が担当し、天声人語への批判と双方向性のある遮断機コラムへの賛辞が綴られている。
双方向性といえば、論点というコーナーも同様である。最終回となった3月31日の論点コーナーには、東京都幹部職員が登場し、2月に新空港建設に関して石原都知事に対して中村哲氏が述べた内容に対する反論を載せている。
長野県にはホットラインというものがあり、田中知事に関してはSPA!という雑誌で田中知事個人の意見に触れることができるが、両者とも現実には一方通行である。新聞紙面がこういった使われ方をすることは面白いと思うが、終了してしまうというのが残念である。
あとついでに云わせて貰えば、長野欄の田中知事ダイアリーの遅れはどうにかならないものか。信濃毎日新聞のほうは内容こそ薄いものの、きちんきちんと次の日に掲載できている。まあそれも、4月以降は長野欄も増強・増ページされるとのこと、おいおい解消されるものと期待しよう。
3月31日をもって長野電鉄木島線が廃線となる。長野県での鉄道廃線と云えば、97年9月の信越線碓氷峠以来であろう。信濃毎日新聞などでは特集記事を組んでおり、また現地では様々なイベントが催されているようである。
また廃線区間の一部は、県道のバイパス計画に盛り込まれるようである。
木島線は長野県北部の拠点の一つである中野市と木島平村とを結ぶ鉄道で、スキーなどでにぎわったが、乗客が減少の一途を辿り、現在では通勤通学と買い物客のみ、しかも国道292号線が改良されてからは通勤も減っているとのこと、廃線は経営上やむを得ないところ。小生は生憎と木島線を利用したことがないので淡々と述べることができるが、もしこれが利用者とあらば、きっと思い入れもあるに相違ない。
木島線の廃止は、田中知事が長野電鉄への補助を見送ったことにより事実上決まった。その後に沿線の中野市長らが田中知事に陳情に行くも事態は変わらなかった。一方でしなの鉄道に対しては県費を補助している。このあたりで説明責任が問われるかとも思ったが、すんなり決まってしまった。
そしていつも思うのだが、廃線が決まったとたんにどこからか沸いてくる、路線を懐かしむ乗客。碓氷峠のように経営方針で廃線になったと云うわけでなく、木島線の場合は単純に赤字だから廃線になったのであるから、廃線にしてほしくないのならば、地元で自分たちで何とかしようと云う気はないのだろうか。彼らがいつも使っていれば、廃線の憂き目に遭わずに済んだ筈であるのに。
辻元議員が陰の部分を残しながら国会の場を去った。クリーンが売り物であった筈なのに、去るときにはYKKならぬMKK(宗男・紘一・清美)だなどと云われていたくらいに悪評が定着してしまっていた。しかも今週の週刊新潮では、辻元氏と日本赤軍との関係まで取りざたされている。
鈴木宗男議員追求の姿によるものやもしれぬが、問題発覚直前に辻元氏は週刊ポストやダカーポなどあちこちのメディアに顔を出している。
辻元騒動で改めて明らかになったことが幾つかある。
1つには、クリーンさを打ち出している社民党が、やはり旧来同様ダーティーな部分を少なからず内包しているということである。マドンナ旋風で一時代を作り、現在も土井党首、福島幹事長、辻元氏や田嶋氏といった切り込み隊と女性が目立つ政党であるが、辻元騒動では「指南役」の存在や土井党首秘書の関わりなど、辻元氏個人だけでなく社民党全体の問題であることが浮き彫りにされつつある。
2つには、てのひらを返すように辻元氏が見捨てられたことの背景である。日本人特有の“ムラの論理”が働いたのは云うまでもないのだろうが、やはり最大の理由は“欺いた”ことに尽きるのではなかろうか。
彼女は20日の記者会見の席で嘘をついた。それが明らかになった段階で彼女は見捨てられ、これ以上庇うと本丸まで切り込まれると判断した社民党にまで見捨てられたのだ。これが自民党のように、選挙には金がかかるとして批判を浴びながらも企業献金をたくさん集めているところならば、これほどのバッシングは浴びなかったであろう。クリーンを打ち出している社民党が党を揚げてやっていたのではないかということから強いバッシングになったのである。
要するに羊頭狗肉に対する、騙された側の怒りである。賢い消費者たれと云われるご時世、あの程度の肉の識別ができなかった側にそれを責め立てる資格があるかどうかも疑わしいところだが、ともかく、店頭の看板娘の威勢の良いかけ声につられ、ラム肉だと思って購入して食べていたら後になって実は犬の肉だったと発覚し、食べた人たちが騙されたと怒っているという図ですな。羊でなく牛、それも松阪牛にしてみたほうが、時節柄、喩えとしてわかりやすいやもしれぬが。
それにしても、社民党だけでなく田中知事や河内家氏、佐高氏などの“お仲間”にまで見捨てられようとはね。庇っているのが田原総一朗氏くらいしか見あたらない。
そして3つめが、マスメディアの力の強さである。この騒動は、3月20日に発売された週刊新潮でスクープ記事として掲載されたのが発端であったが、それが大手新聞各紙やテレビで報道されたことにより大騒動に発展、その間の辻元氏側の稚拙な対応も相まって一週間のうちに辞職にまで事が進んでしまった。
週刊新潮は大衆雑誌だが売り上げは100万冊に届くかどうかというところで、しかも読者層がある程度固定している。しかし、同じく固定しているとはいえ桁違いの読者数を持つ新聞や不特定多数への情報配信を行うテレビで取り上げれば一気に国中へ広まってしまう。それは、辻元氏の騒動と時同じくして発覚したヤマタク不倫騒動や、同じ辻元氏でも日本赤軍疑惑が大手メディアに取り上げられておらず、全く騒がれていないことからしても云えるのではないだろうか。
辻元騒動が急に火の手が上がって燃え広がった裏に、自民党の陰謀があったのではないかという説がある。恐らくその通りであろう。しかし、それにより辻元氏(及び社民党)の犯した行為が赦されるわけではない。社民党も、自らの政策を掲げるよりも先にワイドショー的にマスメディアで自民党の悪口を並べていた。共にマスメディアを利用したというだけ、おあいこでしかない。
事が金銭だけでなく、日本赤軍絡みのスキャンダルまで出てきたとあっては、いくら人気が高いとはいえ彼女もこれでおしまいですな。そしてMKKの陰で忘れられている鹿野氏の疑惑はどうなっているのだろうか。
3月29日産経新聞の長野欄で、松本の山火事の際に自衛隊が松本空港の使用を求めたところ県の危機管理室が拒否したという記事が大きく取り上げられていた。他の4紙や信毎では報じていなかったので、産経のスクープなのか、他紙が遠慮もしくは躊躇したのかのいずれかであろう。
厳密には明確な拒否ではなく、「駐屯地で間に合うのでは」ということでの門前払いのような格好であったらしい。
同記事にあるように、自衛隊に対しては“いろいろな考えの人がいる”ため、これまで松本空港の自衛隊使用は見送られてきた。しかし地域防災計画で大規模地震を想定するという中で、緊急時における松本空港使用という位置づけについて、昨年末に県の交通政策課が「軍事目的に当たらず空港を使用できる」と公式見解を示しているという。
先日、長野市で犀川河川敷を自衛隊と米軍の訓練で使用するということが信濃毎日新聞で取り上げられた。結局河川敷は使用しなかったが、この時にも地元の市民団体が反対運動を起こした。
自衛隊の松本空港使用ということで、県当局がデリケートな扱いをしていると云うのはわかる。田中知事がこれを聞いて「知らなかった」としつつも、三者の確認作業を急ぐよう交通政策課に指示するに止めたのも、自衛隊というものの存在の微妙さによるものであろうことは予想できる。またこれを追求しても、現在関係者の間で確認作業をしている最中だという弁明を用意しているであろう。しかしそれでは、阪神淡路大震災の二の舞になってしまうのではないか。
必要なヘリの数を確認もせずに誤認したまま危機管理室が空港使用を拒否したと云う。自衛隊の出動は県の要請によるもので、火災の広がりに応じて増強をすることになったとはいえ、現場に飛んでくるヘリの機種や数の確認などという初歩的な作業も怠っていたのだろうか。自衛隊に対応を要請すればあとは知らないという訳にもいくまい。あくまで自衛隊は応援の特殊部隊であり、災害本部は県である。緊急時にはスピードと連携とが必要不可欠であると云うのに、ずいぶんと当事者意識の乏しい部門である。それとも山火事は緊急時ではないとでも云うのだろうか。
また今までならば「駐屯地で間に合うのでは」というのんびりした答えで通用したやもしれぬ。しかし地域防災計画を打ち出した直後にしてはお粗末な手際。
ところで、砥川部会で地震によりダムが壊れると云って物議をかもしたのはこの部門のトップである高橋室長であった。聞けば消防庁からわざわざお越し頂いた人材とか。消防庁の人間ならば、消火時に何が必要であるかは基本中の基本だと思うのだが、どうやらこの元消防官は火を消すよりも火を煽るほうがお得意のようだ。
田中知事はどうして、今回の危機管理室の対応を調査すると言明しなかったのだろうか。これは危機管理室の判断と田中知事の感覚がズレていないからに他ならず、田中知事の危機管理意識もまた、高橋室長と五十歩百歩のレベルであることを如実に示している。
パフォーマンスに終始した議員時代の幕引きもやはりパフォーマンスで終わった。記者会見の席で議員バッチを外すパフォーマンスを演じてみたものの、肝心の疑惑については言葉を濁し、マスコミからは不評の嵐。落ち目になると何をやっても裏目に出るとはいえ、このパフォーマンスじみた記者会見が彼女の議員時代を如実に物語っていると云ってしまえばそれまで。
今回のスキャンダルをスクープした週刊新潮は、以前に辻元氏が主宰していた市民団体「ピースボード」のスキャンダルを暴露しており、辻元氏にとっては天敵のような存在でもある。しかしそれを「嘘をついたのは週刊新潮に腹が立ったから」と疑惑のさなか、テレビ番組の中で、自ら口に出してしまうとは、政治家として未成熟という以前に、社会人として未成熟。
「他にも辞任したほうがいい人たちがいる」とか「なぜ自分だけ」とかは、まさにスピード違反で捕まった人の言い訳のレベル。いずれにせよ、受け身がこんなに弱い人、すぐばれる嘘を平気でつく人には政治家は務まらない。早めに不適格なことが明らかになっただけ、本人にとっても日本にとっても良かったと云うところ。
言い訳の中で「ワークシェア」という言葉を用いたのは、ワークシェアを雇用不安解消の特効薬に見立てる風潮への揶揄であろうか。
社会人として未成熟というところでは、田中知事や田中前外相などと共通項で括られるところでもある。同じポピュリズムでも、どこか芝居かかっている小泉首相や、質の是非は別にして芯が通っている石原都知事との違いがそこにある。成熟した政治家がこれまで起こしてきた不祥事に辟易とは云え、このような未成熟人間が人気政治家としてもてはやされる現代日本に危惧を感じているのは小生だけではあるまい。
3月26日に東京地裁は東京都の大手銀行に対する外形標準課税に関して銀行の言い分をほぼ認める判決を出した。東京都では石原都知事が控訴する意思を既に明確にしている。判決の内容自体は、銀行側が有能な弁護士を雇ったことなどもあり事前に予想されていたのだが、銀行側がほぼ全面勝訴、東京都側がほぼ全面敗訴としているくらいの明らかな判決となった。
今回の判決では、行政サービスに応じての応益課税か、所得に応じての応能課税かというのが一つの争点になった。現代では応益課税原則という考え方が主流になっており、東京都の外形標準課税もまた応益課税の観点に立つものであったが、裁判では応能課税原則という前提で判決が行われたため、石原都知事は「歴史の流れを斟酌できない情念的判決」と述べたと云う。しばしば裁判官は世間知らずだと揶揄されるが、ここでもそれが露呈されたというところ。
外形標準課税について、銀行という業種に対しての狙い打ちであったというのは事実であろうし、石原都知事もそれを匂わせる発言を何度もしている。しかし銀行には狙い打ちされるだけの理由というものもある。都議会で党派の別を越えてほぼ満場一致で可決され、未だ都民の大多数が支持しているのにはそれなりの心情的理由がある。
社会全体が変革を求められ厳しい情勢の中で、銀行をはじめとする金融業界だけが旧態依然のままである。相変わらずの破格的な給与体系はどう変わったのか、官公庁ですら給与をウェブ上で明示するようになったというのに、銀行からは何も見えてこない。合併により組織は変わっていても体質は変わらない。お金を預けても殆ど利子がつかない。不良債権問題に代表される運営の失敗をほおかぶりしていながら国から資金援助を受けている。だからいつまでたっても業界全体に危機感が浸透せず、変革が起こらない。変革は組織の問題ではなく体質の問題である。
応益・応能という論争もあるのだが、一つ忘れてはならないのは、税金は国民が支払うものであると云うことである。そして不公平感をできるだけ少なくしなければならない。これは情緒的正義感によるものではなく、そうしないと真面目に税金を納める側が馬鹿らしくなって、税金を納めようとしなくなるためである。低額所得者への課税も当然のことであり、フリーターやバイトにも何らかの課税があってしかるべきである。
権利と義務は表裏一体のものである。公益サービスを受けるものは、相応の税を支払うのは当然のことであり、シチズンとしての最低の義務でもある。
和歌山県の毒入りカレー殺人事件でTV放送のインタビュー映像が裁判の証拠として放映されたことに対し、マスコミ側が非難をしている。しかし小生から見れば、それらは取材がしにくくなるというマスコミ側の身勝手な言い分でしかない。取材に応じてTVカメラの前で問答をした段階で、電波に乗って地上の一定地域で放映されるってえのは取材する側もされる側も常識として持っている筈であり、TVの宿命ともいえる。これが編集カットでTV画面に映されなかった部分などを出せというのなら話は別であるが、今回はTVで映ったままのものを流すだけのことである。商売等に用いる訳でもないので、恐らく著作権の侵害にも当たらないだろう。
まあ今後、裁判の証拠として使われるのがどうしても嫌だってんのなら、映像つきの取材をしないことですな。商売あがったりだと云われるかもしれないが、身勝手なことばかり云っているからそういう結論になるのであり、商売あがったりになろうともそんなこと知ったこっちゃない。
気を付けなければいけないのは、取材の生資料がそのまま放映されるのではないということ、つまり放映するTV側の都合で編集という作業が行われている可能性があるってえこと。また、時々噂になるように、ヤラセというものも念頭に置いておかないといけない。
ところで3月23日の信濃毎日新聞朝刊の「斜面」というコラムで、以下のような記載があった。
ちょっと想像すれば、見当がつく。新聞やテレビの取材を受けたとき、答えた内容が報道にかかわる目的以外に使われる。ということになると、おのずと警戒心が働く。それが普通の人情だろう。
結果として報道自体が制約を生じかねない。いま受け答えしていることが、いずれ警察の捜査や裁判の過程で、火の粉となって自分に降りかかる。そんな危険があるからには第一、取材そのものを拒否したくなる。拒否はしなくても、当たり障り無く済まそうとするかもしれない。
マスコミと呼ばれる方々は、警察の捜査に使われるのではないかということに不安を感じるよりも前に、云ったとおりのことを報道してくれないのではないか、勝手に都合のいいように編集されるのではないか、ヤラセで勝手に記事にされるのではないかという不安を取材される側に抱かせない努力を先ですべきである。有名どころではサッカーの中田選手はマスコミ嫌いで知られているが、その理由は云った通りのことを報道してくれないからという至極当然の不信感によるものであった。
そもそも、TVに映ることで自分に火の粉が降りかかるのではとまで頭が回る人は、端っからカメラ付き取材に応じっこない。逮捕される前はマスコミに多弁だったのも、自分が関わっていないという主張にマスコミを利用しようとしただけのこと、マスコミを悪用した取材者でなく悪用したことを咎める側を責めるのは筋違いである。
ところで、これまで信濃毎日新聞がキャンペーンで取り組んでいた落札価格問題が、ここ数日紙上に出てこなくなった。3月15日朝刊で上田建設事務所でもパソコン流用があったと報じ、今度は長野建設事務所での入札に関して例の如く匿名を使っての「ペットボトルロケットで月に当てるようなもの」発言などの焚き付ける記事を流したまま、プッツリと音沙汰が無くなった。ちょうど県政会分裂騒動があったのをこれ幸いとかダンマリを決め込んでいる。
ちょうどYahoo!掲示板に記事ねつ造疑惑の投稿があり、更に追加でコンサルタント会社が信濃毎日新聞社を提訴という投稿があったのとタイミングが重なっている。パソコン流用については信毎がスクープしても他紙が追っかけで記事を出したのに、この件では他紙は黙視している。
となると、あれら一連のキャンペーン記事はやはり信濃毎日新聞側の作文であったということか。「作文」が事実であるならば、信濃毎日新聞社にはビデオ証拠採用に関してあれこれ云うよりも先に読者に対してやるべき事がある筈であり、3月23日朝刊の「斜面」記事の身勝手な文面がより一層虚しく見える。
「疑惑のデパート」「疑惑の総合商社」と鈴木議員を非難したあの辻元議員は、実は「疑惑の100円ショップ」であった!?
という冗談はさておき、以前に民主党の山本氏が逮捕されたのと同じ内容の疑惑が辻元氏にかけられている。そして歯切れの良さで知られる辻元氏が、自分への疑惑となると一転して「事実でない」の一点張りでしどろもどろ、しかもその主張と関係者証言とに大きな矛盾がいくつも出ているとあっては、いくらアンチ・鈴木宗男の急先鋒で茶の間の人気者とはいえ、株急落はほぼ必至。
ユリアス・シーザーの「ブルータスよ、お前もか」ならぬ、「辻元よ、お前もか」ってところか。
今週発売の「週刊新潮」で秘書給与の不正受給疑惑が突如飛び出した辻元氏に、さらに3人の秘書から計1100万円以上の寄付或いは借り入れを受けていたという新事実が明らかになった。しかも山本氏の事件を受けて寄付から借り入れに変更したのではという疑惑も出ている。
リクルート疑惑やパチンコ業界との癒着疑惑など例を出すまでもなく、旧社会党も決してクリーンな政党ではなかった。というよりむしろ、現在の金がかかる政治家制度においては、独自の集金・集票マシーンを持つ公明党と日本共産党以外はどこも似たようなものであろう。云ってしまえば、うまくやっているか、ボロを出したかの違いでしかない。ここにもやはり、“ムラの論理”がかいま見える。
社民党の対応も迷走し、最初は辻元氏を庇うようすを見せたものの、22日になってから態度を変えた。現在の主要政党7党のうち、社民党と保守党は特にレゾンデートルが問われている政党だが、こんな対応ばかりしてるのでは次回選挙の後には有名な女性議員数人以外は危ないんじゃないのかな?
辻元氏には国会での証人喚問が自民党らから求められており、つい先日まで鈴木氏を厳しく追及していた当人でもあるため、国会喚問は避けられないであろう。いずれにせよ、これでまた国政でやるべきことが遅くなる。くれぐれも辻元氏には、鈴木氏を大ウソツキ呼ばわりした以上、本当のことをさっさと喋っていただきたいものですな。
辻元氏絡みでは、田中知事の畏友である河内家菊水丸とかいうタレントが、辻元氏に弟子入りして社民党から出馬するという話があるらしい。弟子入りして秘書の給与をピンハネする方法でも伝授してもらおうってのかね?
辻元氏をこれまでヒロイン扱いしていた週刊ポストや週刊現代などの来週号の扱いが非常に楽しみである。マスメディアによって醸成されるポピュリズムの本質がかいま見えるやもしれぬ。
ウワシンこと「噂の真相」の岡留編集長と編集員が東京地裁から有罪判決を下された。作家の和久峻三氏とマルチプランナーの西川りゅうじん氏がウワシンを名誉毀損で訴えていたもので、「記事の内容は一部に公共の利益に関するものが含まれているが、記述が私生活に及んでおり、公共の利害とは無関係な事柄も同じ記事の中に含まれ、不可分の形で名誉毀損行為を形成している」「取材の対象者が限られているうえ、真実性が確かめられない他人のうわさについても裏付けを取らずに記事にしている部分もある。取材もずさん」と裁判長が指摘している。
対するウワシン側は即日控訴し、編集長が記者会見して判決を批判、弁護団長はメディア規制が強まる中で言論活動に対して懲役刑とはどう認識していいのか、暗澹たるものだと非難した。また故人の名誉を傷つける場合でも、公共の利益を図る目的がある場合や、真実と証明されるか真実でなくても真実であると信じるに足りる理由がある場合には、報道がなされる場合は免責されて罪が成立しないとしている。
云いっぱなしで自らの言論の責任を取らないから、そういう羽目になるんだ。一作家の「酒の席での様子」を暴露することのいったいどこに公共の利益がある?そこで反政府活動でも行われていたというのならともかく、ただの宴席の痴態と云うだけなら、単なる覗き見趣味でしかない。しかも和久氏は人気作家ではあるが公人ではなく、例えば今週の「週刊文春」に掲載された自民党山崎幹事長の愛人騒動のようなものとは違い、プライベートを暴くことに「公共性」というお題目の説得力が弱い。いつまでもウワシンがゴシップ誌扱いされている理由が分かってないのかね?
で、それに連載している田中知事の見解が聞こえてこないのも不思議。それ以上に、ウワシンが「言論活動」で括っていることに対して他のメディアが反発しないのも非常に不思議。新聞や週刊誌の報道も、ウワシンの覗き見趣味も、同じレベルの「言論活動」ってことかい。
本当のところそうかもしれない。上記アンダーライン部分は、信濃毎日新聞の同額落札報道のねつ造疑惑などを見ていると、どこも似たようなものかと思ってしまう。ってえことは、例の測量会社が信濃毎日新聞を訴えたとすると、同じような判決が下る可能性が高いってえことだな。
まったく暗澹たるものだよ、こんなのが一人前のマスコミ面して、身内に対して言論の自由を声高に主張するとは。
ヤクザが盛んに法をふりかざすのと同じでないかい?
県政会の議員9人が19日に県政会を離脱し、新会派を結成した。9人が9人とも、県政会の田中知事への対応に不満を感じていたとのこと。現段階ではお手並み拝見と云ったところですな。
このメンバーの中に、最初に取りざたされた例のSPA!成人図書発言の太田議員や、ヤジ将軍の垣内議員が入っていないところに意外さを感じたが、県政会が大所帯すぎて動きが鈍く、親分格の石田議員が議長だったため団結力が鈍っていたというところから“過激派”の抑えが効かなかったというところか。
県政会は旧自民党系、国会勢力図で云うところの自民党系と民主党系の寄り合い世帯である。長野県には自民党に宮下、民主党に羽田と両党に大物国会議員がいる。田中知事が民主党と微妙な関係を維持していることから、県政会も表面上は対立姿勢を取っていながら思い切った行動が取れていない。ただここへ来て、大橋氏の民主党離党などがあり田中知事が民主党と距離を置きつつある。
上田市長選では県政会出身の母袋氏が当選し、羽田党健在を改めて県下に見せつけた。
県議たちも来年には選挙がある。知事の資質を問うのは当然として、離合集散の政治ゴッコに勤しんでいるようならば、遠くない将来に県民に見放されるという危機感をもっと抱いてもらいたいものだ。
3月20日の産経新聞に、「中国7%成長はウソ」という記事があった。中国経済の成長のからくりについて「共産党政権が掲げる成長神話を支えるための操作だった可能性が高い」とするピッツバーグ大学の経済学者の論文が発表された。
理屈は簡単で、1997年から2000年にかけて中国のGDPが24.7%も成長したことになっているのにエネルギー消費が12.8%減少していること、20世紀最大級の洪水に見舞われながらも農業生産が増加していること、個人消費が6.8%伸びているのに衣料品購入が都市部・山間部ともに10%近く減少しているなどの統計上の矛盾を突いたものである。
同教授は、江沢民政権が成長神話の崩壊を恐れて1998年に8%成長を掲げるようになった頃から粉飾にはしるようになったのではと見ている。
ここまでおかしいと、矛盾と云うよりも子供だましと云ったほうが適切かもしれぬ。「矛盾」という言葉を作った2200年ほど前の韓非に聴かせたら呆れかえるのではないか。
そして同様に、これまでどうして日本でこれを指摘する声が出なかったのかが非常に疑問に感じる。日本の経済学者の質はそんなに低いのか。中国経済の成長は日本にとっても決して他人事ではなかった筈であり、田中角栄の疑惑を指摘した立花隆氏の記事に対して記者達が云ったという「そんなことは知っていたよ」との迷セリフを、まさかここでも云うつもりなのか。
信濃毎日新聞で賑わしている談合の問題だが、東京都の多摩でも大規模な談合疑惑が持ち上がっているようだ。
談合そのものの是非を本気で掘り下げて論じると、恐らく日本人論にまで及ぶことになるであろうし、ここでは省略する。社会通念上の建前として談合は良くないこととされており、談合の事実が発覚した段階で官公庁は指名停止という処罰を関係者に下すという現実を前提に、以下話を進める。
新聞記事などによると、官公庁の発注に関する談合情報が発注元に寄せられると、発注者は入札業務を一時停止して関係者から事情聴取を行うことになっているらしい。そして中には本当に談合の疑いのある情報もあるのだが、大半は全くのガセネタである。こういった談合情報は誰が寄せてくるのだろうか。関係会社の内部もしくはグループの関係者からのリークというのが想像されるが、中には仲間はずれにされた同業者による単なる嫌がらせ、或いはリストラに遭った元社員からの嫌がらせなどというケースも考えられる。
昨今、談合情報が新聞紙上を賑わすことは珍しくなくなった。情報が開示され、談合情報が寄せやすくなっていることは事実であるが、調査の結果事実関係が明らかにならないことの方がはるかに多く、そのうちのかなりのものが寄せられた談合情報と違った落札結果となっている。
建設業等ではこれから、社員の人員整理や業界内の生き残り戦争が激しくなるであろう。嫌がらせによる偽談合情報というものも増加してくることが予想される。
そこで小生からの提案だが、これからは談合情報の調査を発注者以外の第三者機関が行うものとし、情報発信者が明らかでない談合情報、もしくは悪意が明らかな偽情報を発信したことのある発信者からの情報については調査しなくてもよいとするのも手かもしれない。県庁へのホットラインに関しても身許を明らかにしない質問者に対しては知事も答えていないようであるし。
「北朝鮮に補償していないのに「返せ」ばかりフェアじゃない」との見出しで今日の産経新聞の二面に載っていたこの記事だが、この女史なら云いかねない。何しろ北朝鮮は日本よりも優れていると手放しで北朝鮮礼賛を恥も外聞もなく繰り広げている人。
北朝鮮シンパの政治家というのは、かつては自民党や社会党に少なからずいた。社会主義実現を唱える社会党に北朝鮮シンパがいることはおかしくもないが、山梨県出身の故人となった大物議員のほか、自民党にシンパがいることは正直訳が分からない。ともかく、よど号事件の話題がホットになっている現在、「ソーリソーリ!」で名をとどろかせた辻元議員も改めて見解が問われることは間違いなさそう。
20世紀前半の朝鮮半島の問題は、「欧米列強がアジア・アフリカを植民地にして食い物にしたのと同様に、日本が朝鮮半島を植民地にした」というような単純な話ではない。それ以前に、過去の経緯をネタにして北朝鮮が日本人を拉致することを容認するのは筋違いである。
以前には、原とかいう社民党の若手女性議員がアメリカの同時テロに際して「ざまーみろ」発言をネット上で繰り広げて大顰蹙を買ったばかり。この社民党という党の女性議員は、ネット上で過激な本音を云うのがお好きなようだが、自分たちの政治的センスが疑われているってことにどうして気付かないのだろうか?
そしてつくづく不思議なのが、北朝鮮びいきで知られる辻元議員と「北朝鮮発言」で知られる田中知事が何かとスクラムを組んでいること。まさに無節操の極み。
東京都杉並区の区議会は15日にレジ袋税を可決した。実態を見て1枚5円の税金がかけられることになる。この税金は以前から話題になっており、テレビでも数回取り上げられていた。
レジ袋の問題は最終的には環境問題に帰結する。このような強い毒性のない環境問題などは、罰則規定にするよりはむしろ、こういった課税方式にして“やってもいいけど高くつく”という意識を持たせるほうが現実的であり、発想には賛成である。
杉並区としては、税収入に期待してというよりはレジ袋を使用しないようにという働きかけという意向であったとも報じられていた。その一方で、隣接区と接している生鮮業の人からは、隣接する区では同様の税がかからないため客が対岸に流れてしまい、商売あがったりになってしまうとして反発する意見も出されていた。
生鮮業だけではなく、豆腐屋などの比較的単価が安くかつレジ袋をほぼ必須とする商売でも死活問題になるかもしれない。これらは理由もたつのだから、除外規定を設ければ済むことなのだろうが、例外を安易に設けると法定機関の自殺行為ともなりかねない。無責任な言いぐさではあるが、今後どう対処していくのか見所でもある。
やっぱりこうなったかというところ。「トカゲのしっぽ切り」と云われているが、最もうまい喩えであろう。“田中真紀子ヒロイン伝説”も影が薄くなってしまい、外務省に対してすら鈴木氏に振り回されたとして同情論が出ている始末である。今回の騒ぎで一番得をしたのは外務省と官邸というのはあながち穿った見方でもあるまい。
鈴木氏の離党に関しては、日本人特有の「ムラの論理」が顔をのぞかせたように思える。ムラでは、構成員をある程度まで庇うものの、庇いきれなくなると一転して冷酷にも突き放し、ムラが絡む汚れをすべて追放した構成員に押しつけて、ムラは関係なかったかのような素振りをする。実は同様のことが長野県庁での公職選挙法違反騒動やパソコン騒動などで見られるのではないかと小生にらんでいるのだが、如何だろうか。
決してその構成員が悪くなかったと云っているのではない。ムラ全体がおかしかったのに、特定の構成員が全ての元凶であり他の構成員は関係ないとしてケリをつけようとする“政治的決着”が問題であると云っているのである。俗に“トカゲのしっぽ切り”と呼ばれるこの手法は、太平洋戦争におけるA級戦犯の事例などを出すまでもなく、日本人はこれまでにも数多く用いてきているのだが、逆にそれがために多くの日本人には本当の意味での反省意識が乏しく、これまで日韓関係などがこじれているという事実もある。ムラの中に閉じこもっているというのならともかく、グローバル化を目指すというのならば、いい加減そのような胡散臭い後始末の手法からは卒業すべきではなかろうか。
この「ムラの論理」に似たものは中国にもあり、“A級戦犯”が同じ理屈の通りやすい中国との外交で政治的利用されたことは周知の通りである。中国では犯罪の検挙率が悪く、たまに凶悪犯が捕まると、これまで未決の案件をすべてその凶悪犯に被せてさっさと死刑にしてしまうという話を聞いたことがある。事実ならば呆れた話だが、今の日本人にはそれを批判する資格はないであろう。
鈴木氏のほうが派手なぶん大騒ぎされているが、政治家の体質ということでは加藤氏のほうが根が深い。政治に金が必要だという悪弊がある限り、このようなスキャンダルは絶えることはないだろう。またこれは自民党に限ったことではなく、先には民主党の鹿野氏も同様の騒動を起こしているように、共産党や公明党などのように信仰心に基づく組織があるところを除き、多かれ少なかれどこも似たようなものではないのだろうか。
改めて思うに、加藤氏が総理にならなくて本当に良かった。いくら政策通で英語がペラペラでも、決断力に乏しく大局を見ることができない総理は、親分格の宮沢氏でコリゴリである。世紀末に起こった「加藤政局」の時に加藤氏は立つべきであったのに立たなかったと騒がれた。立たなかったのは「自民党」の金看板に固執していたためであろうが、自ら立たなかったばっかりに、逆に事実上追放される憂き目に遭うってんだから、皮肉なもんだ。いくら本人が直接関わっていないとはいえ(宮沢氏の場合と違い、加藤氏の場合は本当に直接関わってなさそうだが)、表裏一体であったことは紛れもない事実であり、親分の宮沢氏がリクルート疑惑の時に13回も使ったという「秘書が…」とか「○○名義」との言い訳が通用するほど甘くはない。これで加藤氏は事実上終わりだろう。
聞くところによると、野中氏らからは元秘書とは手を切るよう忠告されていたという。お坊ちゃまの加藤氏とは違い、百戦錬磨の野中氏らの目には元秘書の存在がただ単に加藤氏のみならず自民党にとって危険と映ったのだろう。そういった危険信号を感知できなかった、もしくは自らの目を塞いでしまっていた加藤氏は政治家として不適格であり、今回の離党はいわば自然の帰結であったとも云える。聖書には、目が惑わせているのなら目を取り除け、手が惑わせているのなら手を取り除けという名言があるが、まさに加藤氏にこの言葉の意味を再考してもらいたい。
信濃毎日新聞がここ数日、飯山建設事務所での業務委託の発注に関する特集記事を報道している。中には「同額落札は一回あるだけでも神業」など素人目に見てもバカじゃないの?と云いたくなることも目に付くが、これに関連して14日にYahoo!掲示板に書かれた投稿が物議をかもしている。
内容は、信濃毎日新聞の記事でコンサルタント関係者や県の関係者のコメントを引用しているが、当のコンサルタント関係者や県の関係者はそんな取材に応じていないというものだ。コンサルタントの名前をイニシャルながら出しているところを見ると、恐らくコンサルタントか県の関係者、もしくは信濃毎日新聞社内からのリークであり、本当のことであろう。電話帳で調べてみると、該当する会社はすぐに見つかった。
事実関係がはっきり分からないが、もし報道内容が事実に反することならば、土木部やそのコンサルタント会社は毅然たる対応を示すべきである。ちょうど長良川河口堰問題で建設省が朝日新聞に抗議してウェブ上で朝日新聞を正面から論破したように、事実関係を公表して正面から抗議をするってもんだろう。対応しないことは認めたも同然だと第三者は受け取る。それとも正面から抗議できない何らかの事情でもあるってのかな?
県議会の知事答弁の途中、垣内議員の予想外のヤジで知事の笑いが止まらなかったという記事が流れた。
垣内議員はヤジ将軍として知られているが、一方では前の辰野町長でもあり、県議会のなかでは若いながらも政策通・事情通の議員でもある。
ところで、県議会の知事への追求は全然なってない。本当はもっと云いたいこともあったんだろう。国会の証人喚問もそうだけど、議会って場はそんなにも形式的でいいのかね。原稿が用意されていた前知事の時の与党議会は飾り同然で突っ込んだ議論が不要だったが、そのときの悪弊を未だ引きずっているのかね。
太田議員の有害雑誌発言はピンぼけ。成人図書と有害図書とを混同している。しかも百歩譲って混同していたにしても、SPA!を18禁にするというのなら、週刊誌で18禁にならないものを探すほうが難しい。一般週刊誌にジャンル分けされる雑誌でアダルト系記事を定期的に扱っていないのは読売・朝日・毎日だけしかない。まさか中高生にニューズウィークやプレジデントしか読むなとでも云うわけじゃあるまいに、と云うよりも、そもそも中高生が週刊誌をそんなに読んでいるのかね?
それに一般週刊誌で入るアダルト情報程度のものなら、今ではインターネット上にいくらでもある。週刊誌を18禁にしたところで何の効果も期待できないと思うのだが、この議員さんは実態をどれだけご存じなのかね?
SPA!の知事のコラムも、産経新聞ウェブにリンクが貼ってある。見るなと云っても無駄でしょう。それを見せたくないというよりも、向こうを張ってどこかの週刊誌で連載でもしたほうがよほどましだと思うけどね。
むざむざいらぬ敵を作る不用意な発言がどのような結果をもたらすのか、1年以上知事を見ていたくせにこの議員は勉強していなかったのかね?だから県政会はバカにされているってことが分かってないのだろうか。
簡単に云って、県議会に戦術はあっても戦略が見られない。戦術もお粗末。都会でスレている知事と田舎者という対立のままじゃ、スットボケやのらりくらりされれば勝負にならないってことがまだ分かってないのかね。
他に知事を掣肘する機関が存在していないからそうせざるを得ないという事情は分からないでもないが、本質を外れたネタで知事にお付き合いしているから、いつまでたっても肝心の県政の議論がおざなりになっている。結局は自らの評判を貶めているだけ。最大会派の県政会も、知事のウンタラカンタラなんて組織を手前らだけで作って内にこもって自己満足しているのでなく、議会の場以外の全員協議会などを利用して知事の言動を検証し、県民に向けてどんどん発信する場を新たに設ければいいではないか。何よりも、県議会には一般県民から自分たちがどう見られているか、という意識が乏しすぎる。
3月8日の朝日新聞に、滋賀県が昨年11月から導入した取り組みの記事があった。正規職員の残業時間を減らし、浮いた予算で臨時職員を日給6550円で雇うというものだ。
北海道では高卒で20歳未満のアルバイトを雇い、報告書を出させたりして勤務評定をし、それを就職活動のお墨付きにしてもらおうという制度を導入しているという。
広告業界からも面白いデータが報告されている。全国求人情報誌協会は平成13年の求人広告掲載件数をまとめ、件数が前年比4.7%増で過去最多であったと発表した。その内訳はパートタイムやアルバイトが11.3%増と3年連続で増加している一方で、正社員は2.7%減とのこと。ここでも、不況で単価の安い人件費に乗り換えて合理化をするという構図が見られる。
詳しくは知らないが、県の臨時職員は、何らかの決まりで(恐らく守秘義務の関係だろうが)1年を越して同一職場での勤務ができないことになっているらしい。短期間という批判はあるようだが、取り組みとしては評価されうるものである。ただ長野県庁の場合は、まずは残業しなくても済むように行政の効率化を図るべきであり、組織改編よりも何よりも、まずはトップたる知事が職員の無用の残業を減らすよう努力すべきであろう。
人権擁護法案が事務次官会議で決定され、8日に国会に出された。これに対してマスコミ側が一斉に反発し、新聞協会などはこれを報道干渉だとして共同声明を発表した。
マスコミが第三の公権力となっているのは周知の事実であり、それゆえブレーキ役が必要である。しかしそれを政府など別の公権力が担うのだとするならば、公権力同士の争いの具にされてしまうのではないかという懸念は正直感じるところ。
ただ、共同声明文を読む限り、自分たちは努力をしているとマスコミ側は主張しているが、果たしてそうだろうか。例えば誤報の扱いはどうであろう。新聞や週刊誌がマッチポンプ的に記事を書いて流し、それによって人権被害が発生していたからこそ人権擁護法案というものが出てきたのだが、自分たちが発信した記事にどれだけの責任を負っているのだろうか。
人権擁護法案で問われているのは、そしてマスコミ側が自省すべきは、発信責任である。
2月定例県議会で、土木部長が砥川の河川改修案に関して国の認可が困難であるという見解を示したことが大きな話題になっている。田中知事は知事室へ戻った後に土木部長を呼んで注意し、翌日の議会の場で「土木部長の発言はあくまで一般論であり、国土交通省河川局に問い合わせたところ地域住民の同意が得られるなら認可は不可能ではない」と説明した。
ここで問題視されているのは2点。一つは技術的に認可されうるものなのかどうかである。土木部長の発言は困難、つまり認可される可能性が非常に低いよというものであり、知事が引用した河川局の見解は認可される可能性は0ではないよというものである。土木部長の発言が一般論であるというのなら、知事が引用した河川局の見解は建前論である。河川局には認可の採択基準が明文化されたものが無いらしい。むろん河川構造上問題のあるものや、治水計画上問題のあるものは門前払いされるだろうが、あとは及第点を取れるのかどうか、認可取得の枠があるのかどうかということのようだ。
もっと云えば、知事から問い合わせを受けた河川局は単純に建前論を述べただけであり、実態は土木部長の発言が当を得ているのではないか、知事はそれを薄々感づきながら敢えてそのまま引用したのではないかと思うのだが如何だろうか?
そしてこの建前論と本音との見分けは技術的交渉を重ねてきた土木部は恐らく知っているが、土木部以外の人は見分けることができない。それゆえに河川法の河川整備計画や検討委員会条例の住民参加の概念を持ちだしてきて土木部長を批判する人もいる。振り回されるのは、結局は流域の人たちである。
そして知事は、土木部長発言を一般論だからと片づけるのならば、砥川では一般論でないどんな特殊論があるのかを提示すべきである。
もう一つの問題点は、どうして県議会の場で土木部長発言という形でこの見解が出されたのかということである。
部会の経緯を改めて見てみると、これまでにも代替えの河川改修案で国の認可が取れるのかという議論はあったらしい。Yahoo!掲示板の投稿によると、発案者の高田委員は国庫補助がダメなら県単でやればいいし、県単でやってくれないのなら一揆を起こせばいいと発言をしたとか。
冗談はともかくとして、国の認可が取れるのかという議論をどうして部会でしっかり行わなかったのか。また検討委員会で行わないのか。これまでの検討委員会には全て河川課長をはじめ県の担当職員が参加している。代替え案が練られる段階で、どうして議論されなかったのか。そして検討委員会や部会において、これまで土木部による発言を必要以上に封じていたのではないのか。率直に感じる疑問はそこにある。
ダム反対派や知事から指摘のあったとおり、土木部長のこの発言内容が、提示された代替え改修案にとってマイナス要素となることは間違いないと云える。しかしそれは、土木部長が発言したからマイナスになったのではなく、元々マイナス要素だったものが土木部長によって改めて明らかにされただけのことであり、それをもって土木部長を責めるのは逆恨みというものである。少なくとも土木部長が虚言を弄したのではないことは、知事が「土木部長の発言は一般論である」と答弁したことにより、図らずも知事が認めている。むしろこれで責められるべきは、土木部にこれまで発言の場を与えなかった事務局トップの青山室長と検討委員会の宮地委員長である。
これを発言者である浜議員と土木部長の八百長だとする見方もあるが、それは穿った見方というものであろう。浜議員はともかく、この発言により土木部長は県庁内での立場が悪くなることはあれ、良くなることはまず有り得ない(よくぞ云うべきことを云ってくれたという陰の声はあるやもしれぬが)。しかも土木部はパソコン騒動の渦中にあって、ただでさえ肩身が狭いときており、打算を働かせるというのなら、曖昧にごまかすことはいくらでも可能である。
また知事と土木部との調整を欠いていることを非難する声もある。調整があったのか無かったのかは知らぬが、調整を試みたとしても調整はできなかったに違いない。
2月以降になってダムの議論が激化しているが、これは当然の帰結である。これまでの検討委員会の作業は、いわば手続きでしかなく、ようやくダムの是非という核心に触れてきたから議論が激化しているのであり、これまでの作業でダム建設中止が決まるようならば、現在に至るよりも前にダム中止が決まっている。
陸上自衛隊第十二旅団とアメリカ海兵隊とが3月の関山演習場で訓練を行うに当たり、負傷者搬送の訓練の場所として犀川第二緑地のヘリポート使用を申請していたが、2月27日に、長野市は使用を正式に許可した。長野市の地名を知らない方のために簡単に解説すると、犀川第二緑地とは犀川の丹波島橋と長野大橋の間の左岸側(北側)に広がる河川内緑地のことである。
信濃毎日新聞は数日この記事を大きく扱っており、異例の自治体土地使用だとして、軍事評論家の意見や反対団体の動きなどを取り上げている。
信濃毎日新聞は共同系であり、自衛隊問題に関しては朝日新聞同様、否定的見解を示すのが一般的な反応である。数日の記事でも意図してか意図せずか分からないが、「懸念」という言葉が何度も出てきた。しかし「問題」に持ち上げたがっている信濃毎日新聞や市民団体の思惑とは裏腹に、いっぽうで市民の反応は淡々としていて、無関心のようである。
自治体が公共に解放している土地は、理由がたつならばどんな団体でも、それがたとえ麻原教祖のオウムであろうとも、自由に使えるものである。市当局が受理して許可をしたということは、その使用に問題がないと判断したためであろう。
負傷者搬送というのは戦場だけで行うものではなく、例えばPKO活動でも地雷撤去活動で負傷した人員の搬送などという場面が想定される。戦争の賛否とは別に、そういった訓練を行うことそのものは「平和主義」に反するものではないし、自衛隊とか軍事演習とかいう言葉に拒絶反応を起こすのも程々にしてもらいたいものですな。
1月末の外相更迭、更にその後の鈴木宗男議員の疑惑騒動のきっかけとなったのが、アフガン復興支援会議でのNGO参加拒否問題である。後の騒動のほうが大きく伝えられてしまい、元の問題がぼやけてしまったが、それはNGOのピース・ウィズ・ジャパンの傍聴を鈴木議員の圧力により外務省が拒絶したというものだった。
そこで外務省・鈴木議員vs田中前外相・NGO大西氏(&世論?)という対立構図が生じ、いったんは田中前外相と鈴木議員とで手打ちをして収まる筈だったのが、田中前外相が暴走して破談になり、最終的には堪忍袋の緒が切れた官邸による更迭劇へと至っている。
結果的に鈴木議員の外務省への圧力を告発した格好となったピース・ウィズ・ジャパン代表の大西氏だが、おいしいところを田中前外相に持って行かれてしまった。しかし鈴木議員の関与について証言するというこの人の存在はあまりクローズアップされていない。週刊誌でムネオ叩きが繰り広げられているというのに、一躍“正義の味方”となったこの人に出番が回ってこない。
テレビ画面で大西氏の横柄そうな態度を見てからずっと、大西氏に対しては不快感とある種の胡散臭さとを感じていたが、どうやらこの人物、マスコミにも好かれていないようですな。
NGOへの疑問は3月7日号の週刊新潮や「正論」4月号でも取り上げており、「正論」では曾野綾子・上坂冬子という女性論客2人がNGOの現状を一刀両断、「非政府組織(NGO)」ではなく「政府協力組織」や「政府依存組織」のほうが相応しい名前だと揶揄している。大西氏個人に関しては、週刊文春が「来てもらっても何の役にも立ってない」「パキスタンがどういう国か理解しないまま来てしまって、どうしたらいいか分からずにパニック状態なのです。だからホテルに閉じこもったまま、難民キャンプにもあまり行かない」「日本からの支援金の十分の一しか難民には届いていないのではないですか」などというパキスタンでの悪評ぶりを報じており、更にピース・ウィズ・ジャパンに関しては外務省への虚偽申請による不正経理が明るみになっている。
“大西氏の活動実態”にも正直呆れるが、これらの批判に共通することは2つ、NGOもしくはNPOというだけで正義・公益・清貧を代表している訳ではないということと、国から援助金を貰っていることに関連する疑問である。
NGOやNPOについては漠然とした定義だけであり、多くの日本人は「いいことをやっているいい人たちなんだ」という程度のイメージしか抱いていない。活動内容によっては莫大な資金を要するものがあることは理解できるが、それを政府で援助する正当な理由はあるのだろうか。
自分たちだけで活動する分にはまだしも、政府から資金援助を受けている以上、援助する側ははっきりとした線引きをしてもらいたいものである。これも明らかな公的資金投入である。
もっともピース・ウィズ・ジャパンなどの場合は不正経理が明らかになったくらいだから、外務省でもそれなりのチェックはしているのだろう。しかしそれらの団体が援助を受けている部門は外交だけではない。あらゆる分野で同様のことが起こりうるのである。国と地方には、そういった団体への資金援助や関連する税措置に関する基準作り・制度作りを急いでもらいたい。
大西氏のような“小悪党”程度ならまだしも、くれぐれもアングラ化しているマフィアや暴力団や特定思想団体、営利目的の似非宗教団体などの温床とならないうちに。
マスコミにも責任がある。傍聴拒否の騒動が起こった時に、アフガン復興会議への参加を拒否されたピース・ウィズ・ジャパン並びに「難民を助ける会」の両者が、共に外務省に対して虚偽報告を行ったことが発覚して多額の補助金を返還させられたことがあるということを、どのマスコミが報道しただろうか。外務省が両団体の傍聴を拒否したというのも、そういった過去の事実があれば鈴木議員の圧力の有無以前にむしろ当然のことである。外務省や鈴木議員に非がないとは云わないが、因果関係は明確にしておくべきである。
最後に大西氏に関していえば、鈴木議員の口利きの有無をとやかく偉そうに云う前に、果たして復興会議の場に参加する“資格”があったのかどうか、自らを改めて問い直してもらいたいものですな。