五輪帳簿焼却疑惑関連資料

1998年の2月に開催された長野での冬季オリンピック、そして3月に開催されたパラリンピック。
この2つのイベントにより、“長野”の名は全世界に知れ渡ることになった。しかし一方で、オリンピックの商業主義の弊害、更にはIOCと云う組織が問題視されるようになった。

長野でのオリンピック開催については、招致活動における不透明さが問題視されている。
志賀高原に拠点を持つ堤氏の暗躍、高速道路や新幹線の建設、そして何よりも問題視されたのが招致委員会の帳簿が紛失してしまったことであり、それが2000年秋の県知事選にまで尾を引くことになった。
オリンピックでの盛り上がりの後、2000年の知事選で論点となって以来、風化しかけていた帳簿問題は、田中知事の公式後援会である「しなやかな長野県をはぐくむ会」、通称「しなやか会」の会計担当が八十二銀行の篠原氏から長野アポロ社長の吉田氏に交代したことにより再燃する。その吉田社長こそは、招致委員会やNAOCの最高幹部であり、招致活動の実務担当であった“ミスター・ナガノ”に他ならない。

田中知事の公約でもあった五輪帳簿焼却疑惑の解明。しかし第1期の田中県政では全くの手つかずであった。
そして田中知事は再出馬にあたり、再びこれを公約に掲げた。
ここに簡単ではあるが、関連する資料を集めてみた。


田中県政以前からのもの

田中県政と五輪帳簿焼却疑惑との関わり

関連資料


『長野オリンピック騒動記』(相川俊英・著、草思社)

サンデープロジェクト出演や『週刊ダイヤモンド』記事でおなじみで、田中知事とも付き合いのある相川俊英氏というジャーナリストが、折しも長野オリンピック直前の1998年1月に、『長野オリンピック騒動記』なる書籍を出版している。
同書はIOCやNAOCなど運営面への批判が中心となっているものの、オリンピック開催前夜までの状況をほぼ全体的に押さえている。スピードスケートの清水選手が金メダルを取って日本中が大フィーバーになる前のことで、相川氏は「重苦しいムードが漂っている」とまえがきの中で述べている。

同書には1985年の信毎編集委員の提案から始まった誘致活動が記されており、帳簿が“消えた”ことについても7ページほど触れている。
その中でキーマンとして挙げられているのが五輪招致委員会の事務次長であった山口氏であり、帳簿焼却について以下のように述べている。

なお山口氏は、1991年11月、五輪招致委員会が解散した時に、新聞記事に「解散した団体の書類は処分することになるだろう」との談話を寄せていたとのことである。

また同書では、1985年に県議会で誘致が採決されたのとほぼ同時に長野市議会でも誘致活動が議題に上ったことが記されているが、その提案者が、治水利水ダム等検討委員会の発案者である社県連の竹内県議(当時は新人市議)であったと云うのが少々意外であった。
無論、竹内県議は帳簿焼却には関わっていないであろうが、ここにもまた招致活動の関係者がいる。

渦中の人物である“ミスター・ナガノ”こと吉田氏に関する記載もある。事務総長からいきなり声を掛けられ、家族は反対したものの熟慮の末に了解したという。吉田氏はソウルオリンピックが開催された1988年からロビー活動を開始し、猪谷千春氏を通じてIOC委員を個別訪問して切り崩していく土産持参戦術を取り、報酬こそなかったものの交通費・宿泊費・交際費などの諸経費は全て招致委員会持ちであったとされている。吉田氏は招致委員会が解散した後、山口氏と共にNAOCの「事務局参与」(事務総長に次ぐ事務方のNo.2)となっている。

相川氏は、西武の堤さんは五輪招致活動に上手に利用されたが、その見返りに得たものは軽井沢や志賀高原への交通の便の良さであったとしている。ならばそれと同じ事で、田中知事が云うところの五輪招致活動の“犠牲者”であった吉田氏もまた、その見返りにいろいろと得たものがあるのではないだろうか。“オリンピック御殿”に招待されながらも吉田氏を“犠牲者”だとして憚らない田中知事には、今度こそ公約通りに、是非とも徹底的な調査をしていただきたいものである。


写真週刊誌『FRIDAY』 2002年8月23・30日合併号記事(8月9日発売)

これは知事選が始まろうかと云う時に出された記事で、かなりのインパクトがあったにもかかわらず、知事選への影響が殆ど無かった。
なお当時の記事は見開きになっており、向かって右ページにはミニ集会での田中康夫候補(当時)がインタビューを受けている写真が掲載されていた。左ページには1991年に来日したサマランチ会長(当時)と吉田氏とのツーショット写真が掲載されており、「二人は”親友”とまでいわれた」とのコメントが付記されていた。

Yahoo!掲示板に載っていたものより転用。詳しくはこちらを参照のこと。(明らかな転写ミスは修正している。)

”帳簿焼き捨て”渦中の人物はなぜか後援会幹部に
田中康夫さん「長野五輪招致疑惑」追及はどうなった?

「あなたはなぜ、五輪の帳簿問題追及を公約に掲げないのですか。あなたも当時、五輪招致に関与していたでしょう」
 いまから約2年前の00年9月25日。3日後に告示される長野県知事選の立候補予定者を集めた公開討論会で、田中康夫氏(46)は対立候補の前副知事にこう噛みついて、聴衆から万雷の拍手を浴びた。
 五輪の「帳簿問題」とは、98年の冬季五輪を長野に招致する際、招致委員会が使ったとされる20億円もの費用の会計帳簿が行方不明になっている件だ。98年末に、ソルトレーク五輪招致をめぐるIOC(国際オリンピック委員会)委員買収事件が発覚、長野でも同様の”汚れた招致活動”があったのではないかという疑惑が持ちあがった。ところが、すでに招致費用の帳簿が焼き捨てられていたため、真相究明が困難になってしまったのだ。
 本誌でも、99年1月29日号から7回にわたってこの問題を追及した。そこで”疑惑のキーマン”として浮上したのが、招致委員会の元事務総長代行・吉田總一郎氏(56・写真左の右)だった。長野県内でガソリンスタンドなど複数の会社を経営する吉田氏は、海外でのIOC委員接待を一手に引き受けた。カナダ人の夫人とともに3年間で500日を海外で過ごし、「ミスターナガノ」ともいわれた人物だ。「渡航はファーストクラスにスイートルーム」「招致委名義のクレジットカードを使い放題」などと、報じられたこともある。
 田中氏は2年前の知事選で、帳簿問題の追及を公約の一つに掲げて当選した。ところが、知事就任後の2年間、この公約を実行に移そうとした形跡はない。それどころかなんと、件の吉田氏が、田中氏の後援会「しなやかな長野県をはぐくむ会」の会計担当役員になっているのだ。
 田中氏は月刊誌の連載『東京ペロクリ日記』に、地元で”オリンピック御殿”と呼ばれる吉田氏宅でのパーティに招かれたときのことをこう書いている。
(その開催は無謀であり長野県を疲弊させるとして最後まで懐疑的意見を述べていたにも拘らず、英語に長け、妻も又、外国籍であるとの理由を以て招致運動の先頭に立たされた彼は、或る意味では巨大な歯車の中で数奇な人生を不本意にも歩まされた”被害者”ではないか、と僕は捉える)
 疑惑解明の調書対象であるはずの人物を後援会幹部に迎える−なんとも理解しがたい話だ。しかも田中氏は、8月15日に告示される知事選でも、ふたたび帳簿問題を公約にあげているのだ。
 松本市内でのミニ集会を終えた田中氏を直撃した(写真右)。

− 五輪疑惑の渦中にある吉田氏がなぜ、後援会の幹部になったのでしょうか。
「うん?」
− 吉田氏を「巨大な歯車」の犠牲者としていますが、どういう意味でしょうか。
「私がそう思ったからです」
− 彼が何の役職だったか知ってますか。
「…………」
− 招致委員会の要職にあったわけで、犠牲者とはいえないのでは?
「ですから、それは第三者機関をつくって調査するといってるでしょう」

 何を聞いても「第三者機関が……」を繰り返すのみだ。調査の結果、吉田氏が「犠牲者」というならばわかるが、これでは話の順番が逆。吉田氏とは、五輪問題について話したことすらないというのだ。
 吉田氏にも話を聞くと、こう答えた。
「私は帳簿焼き捨てに関係ないし、犠牲者だとも思っていません。改革者としての田中さんを評価しているだけです」
 田中氏は今後も「しなやかな県政」を目指すならば、吉田氏との”不可解な関係”についても、彼の重視してきた「説明責任」をきちんとはたすべきだろう。