「緑のダム」という言葉は比較的新しいが、そのような考え方は日本でも江戸時代からあったことが明らかになっている。では、「緑のダム」とは何なのであろうか。
1980年代以降になって唱えられている「緑のダム」とは、従来のコンクリートダムとの対比の中で用いられており、森林が持つとされる水源涵養機能や土砂流出防止機能を活用して、既存の治水・利水機能の代替えを図ろうというものである。森林にはそれなりの機能があることは誰しもが感覚的に認めるところであるが、現在まで繰り広げられている緑のダム議論では「緑のダムがあればダムは不要である」と云うような情緒的意見が先行し、緑のダムそのものに関する検証が置き去りにされているという感が否めない。
緑のダムに肯定的な見方をしているところではダム検討委員会委員である大熊教授や、大熊教授も関わっている民主党のウェブサイトなどがよく知られている。一方で緑のダムに対して期待過多だとするのが京都大の四手井教授などである。
森林の水源涵養機能については学者により評価が分かれている。江戸時代に水源涵養機能を提唱したとされるのが岡山藩主池田光政に仕えた熊沢蕃山だが、お膝元である岡山で水源涵養機能に対する批判的学説が出されていたという事実もある。
森林伐採により、水の貯留機能が減少し渇水時には河川流量が更に減ってしまうという見解と、樹木からの蒸発量が減るために渇水時の河川流量が逆に増えるという見解とがあり、未だ結論が出されていない。この相矛盾する両論は共に森林のもつ特性に基づくものであり、いちがいにどちらが正しくてどちらが間違っていると云いきれない。森林はそんなに単純なシロモノではないと云うことである。
| 利用形態 | 江戸期末 1850年 |
明治後期 1900年 |
昭和末期 1985年 |
| 農業的土地利用 | 14.9 | 16.75 | 17.46 |
| 森林 内訳: 広葉樹林 針葉樹林 混交樹林 竹林等 |
69.0 30.2 11.8 25.5 1.5 |
65.48 26.50 11.85 26.30 0.83 |
66.62 14.30 10.38 40.63 1.31 |
文部省科学研究費重点領域研究「近代化と環境変化」土地利用変化研究班(代表・氷見山幸夫氏)による、「日本の近代化と土地利用変化」(1992年)というレポートがある。そこでは、国土地理院発行の5万分の1地図をもとに国土利用の変遷を調査しており、江戸時代末の西暦1850年、明治後期の西暦1900年、昭和末期のバブル絶頂期である1985年の3時期の土地利用状況を比較している。
また同研究班は日本の森林の地域別の変遷を調査しているが、1900年当時よりも森林が大幅に減少しているのは群馬を除く関東6都県と大阪府であり、減少傾向にあるのは北海道・京都・奈良・広島・長崎・愛知・岐阜・山形と北陸の各県である。それ以外は横ばいか増加傾向にあり、特に四国・九州で増加が目立つ。
アトラスによる「日本列島の環境変化」に基づく土地利用変遷のグラフは国土交通省ウェブなどで掲載されており、ダム問題に関心のある人ならば一度は目にしているであろう。そのグラフと上の表を見比べてみても同じような数値となっている。全体として森林はほぼ横ばい、農地・都会が増え、荒れ地や湿地が減っているというのが近世以降の日本国土利用の実態である。常識的にみれば、森林のある土地の開発量はたかが知れており、開発は平地にある湿地や荒れ地で行われるのは当然のことである。それはそれで別の問題があるのだが、こと緑のダムということに限ってみれば、開発というのはキーワードとはなりにくい。
| 年代(西暦) | 旱魃 回数 |
年代(西暦) | 旱魃 回数 |
| 670〜700 | 5 | 1300〜1400 | 20 |
| 700〜800 | 32 | 1400〜1500 | 30 |
| 800〜900 | 38 | 1500〜1600 | 25 |
| 900〜1000 | 50 | 1600〜1700 | 63 |
| 1000〜1100 | 25 | 1700〜1800 | 72 |
| 1100〜1200 | 15 | 1800〜1900 | 72 |
| 1200〜1300 | 26 | 1900〜1970 | 18 |
日本では古代から旱魃による被害が記録されているが、土木研究所でそれらの文献調査を行っており、日本では特に江戸時代全般に旱魃被害が目立っている。土木研究所の文献資料は5年単位で整理してあるが、それをもとに作成したのが右表である。記録の充実ということについては、日本の貴族社会で9世紀以降日記をつける習慣があり、それらの多くが文献として現代に残っていることを付け加えておく。
当時の雨量観測資料は当然ながら残っていないが、江戸時代には大火事も少なからず起こっており、少雨期だったのやもしれぬ。これを戦国時代の森林乱伐と結びつけて論じる向きもあるが、江戸時代は幕府の意向で大規模な植林が進められており、江戸時代初期だけならともかく、江戸時代全般に旱魃が起こっていることの説明としては説得力に欠ける。
また、森林の整備率が高かった1850年代のほうが明治以降よりも旱魃が起こっている頻度が高いこと、明治以降植林が進んでいる四国や九州で平成6年代渇水の被害が甚だしかったことなどを見ても、森林整備率と旱魃との間に単純な相関性を求めるのは困難である。