田中知事不信任について思うこと

長野県政などを考える−トップページ 不信任〜県知事選にまつわる「妙な話」


辞職、そして議員構成の再編へ(H14.9.6)

かねてからの宣言どおり、県民クラブの小田切県議と政信会の浜県議とが辞意を表明した。上伊那郡選出の小田切県議は、同選挙区から3人選出されているため辞職は簡単であったが、1人区である諏訪郡選出の浜県議は地区代表がいなくなると云うこともあり、手続き上簡単には辞職できないらしい。
小田切県議は既に9期目で88歳、全国でも2番目の高齢議員だと云う。それも形だけの議員でなく、考えも喋りもしっかりしている。県議会議員になる前には宮田村長を務め、元々は教職員であったとのこと。噂によれば、伊那市の出身である共産党県議団団長の石坂県議の恩師に当たるとか。だとするならば石坂県議の心境如何であろうか。
浜県議は今後の去就を明確にしていないが、このまま埋めてしまうには惜しい人材である。一時期噂にあった下諏訪町長選には出馬しなかったが、まだまだ若いし、今後、国会議員選挙や知事選などに参加していただきたいものだ。

6日の昼に、県政会が解散するとのニュースが伝わった。これもまた時代の流れであろう。この会派の今後は分からぬが、恐らく大半の県議は一つの新会派に合流するであろうし、或いは政信会などに合流する議員も出るやもしれぬ。

毎日新聞には、県民クラブの柳田県議と政信会の西沢県議とが脱ダムを検討するとの特集的な記事が掲載されていたが、あの記事には疑問がある。知事選の結果を受けて脱ダムを検討することが“裏切り”であるとしているが、それならば知事選に入る前から行われている検討委員会での議論も、上川部会で浜県議が押し進めていることも共に「ダムによらない代替案をまず検討」と云う立派な“裏切り”である。そもそも柳田県議は今年の3月、砥川部会の開催中に、現実的な治水代替案としてトンネル放水路を提案した当人でもある。
あの記事が2県議の云ったままを伝えているのならば、それこそ県議の考えには一貫性が無いことになる。


県知事選を終えて(H14.9.2)

2002年9月1日、全国的なニュースとなった長野県知事選の投票が行われ、結果は前々からの予想通り、前職の田中康夫氏が当選を果たした。

どのマスメディアも早く当確を出したかったのだろうが、地元の信濃毎日新聞とSBCに至っては投票締め切りと同時、同日20時には早々と当確を出し、他のマスメディアでも5分から10分以内のうちに相次いで当確を出した。更には本日発売の『週刊現代』でも「田中康夫勝利!」とでかでかと打ち出している。
最終の票数や市町村ごとの分布などは新聞等に掲載されているので省略し、ここでは県知事選の要点だけをまとめておく。

知事選の経緯、そして論点

これほど、注目を浴びつつも論点がぼけていた選挙も珍しいのではないか。
論点がぼけた一番の原因は、不信任を出した側の戦略の拙さにある。

最初は田中氏の知事としての資質を問うとして始まったものが、少しずつ話がずれ始めた。そのきっかけは、宮沢議長の祝賀会でレオタード姿の女性が踊っている写真が朝日新聞に掲載されたことであろう。レオタード姿の女性が祝賀会にいたことは実はスキャンダルでも何でもなく、その女性らは地元の人たちであったことが明らかにされているが、県議会としてみればタイミングが非常にまずかった。否、時期が時期だけに、関係者は「他人にどう見られているか」との感覚を働かせ、誤解を与えかねないことについてもっと神経質になるべきであった。
県政会などはちょうどその頃、田中氏への攻撃材料を、知事としての資質から県の財政問題へと変える。しかしこれがマイナスであった。財政問題は田中県政のみの責任ではないと共産党などに反論されてしまい、強い説得力を欠いてしまう。
何のことはない。“知事としての資質”をそのまま責めていればよかったのだ。レオタード写真のものは、写真週刊誌に掲載された田中氏の中島嬢ダッコ写真と違い、いくらでも弁明が通る。この“方針転換”が、結局最後まで尾を引くことになる。

田中氏への批判とは別に、田中氏の対立候補がなかなか出てこない。
地方自治体における首長と議会との関係から、議会が首長を擁立する義務は全くない。「不信任を出したのに、議会がなぜ候補者を擁立しないのか」との意見が少なからず出ていたが、何度も述べるようにそれは筋違いの言い掛かりである。そういった主張をする者は逆に、議会が候補者を擁立した場合には「傀儡」呼ばわりするのであろう。実際、県議会が支援した長谷川候補は、県議会が擁立した訳でもないにもかかわらず、散々「傀儡」呼ばわりされた。
多くの名前が取りざたされたが、いずれも「悪名」を恐れて及び腰になる。中には杉原氏のようにその気になった者もいたが、脅迫電話などにより出馬の芽が潰された。県議会議員や候補者として名の挙がった人への嫌がらせや脅迫行為は、これまでの田中県政を見ていれば充分に予想されていたにも拘わらず、後手後手に回るどころか、ろくな対応ができなかった県警は責められて然るべきであろう

最初は対立候補がいないのではとされていたが、7月末には立候補表明者が4〜5人に達する。その前に金子県議を知事選に擁立する動きがあるものの金子県議は辞退し、伊那市長や駒ヶ根市長らが推す弁護士の長谷川氏がクローズアップされる。幾人か当たって全てダメだった県議会側も、長谷川氏に相乗りする格好になる。しかし不思議なもので、県議会が当たって断られたはずの花岡氏や市川氏が出馬宣言をして知事選に名乗りをあげる。
結局、県議会が「悪役」の汚名返上を果たせないまま、前哨戦に入る。

不信任の直接のきっかけになったのは「脱ダム」であったが、県民の関心はダムよりも経済対策であるとの調査結果が出され、不信任を出した議員らもダムそのものではなく現実的な代替案を求める声が多かったことから、「脱ダム」そのものは主要な論点から外れてしまう。当時出馬表明をしていた長谷川氏、花岡氏、市川氏の3人はいずれも「脱ダム」の“方向性”を認め、更に田中氏の功績をある程度認めた上で、田中氏の役割は終わったとの主張を始める。
ここからまたまた論点ぼけが加速する。この論点ぼけによって、田中県政の失政の部分を攻撃するのでなく、目覚まし時計としてその存在を認めると云う部分だけが一人歩きする。こうなればますます前職が有利になる。しかも任期を残しての失職であったため、「おかしいところはあったけど、もう少し任せてみては」との意見も強くなる。

8月に入ってから、中川氏と羽柴氏が県外から名乗りを上げる。そして前回出馬をした草間氏も出馬の姿勢を見せるが、結局は出馬表明を見送る。そして知事選突入の直前に、花岡氏が突然の不出馬を表明し、入れ替わるように締め切りギリギリに福井氏が出馬を発表する。
長谷川氏には市長や県議会がついている関係もあり、「対話」を前面に打ち出す。

長谷川陣営の失態

田中前知事の対抗馬として出てきた長谷川氏であるが、長谷川氏陣営はこれで勝てるほうがおかしいと云うくらい、次々と自殺行為を重ねていた。
失態の最大の原因は、選挙参謀の不在、戦略の不在である。県民に対して「なるほど、長谷川候補に投票しよう」と思わせるものが最後まではっきりと打ち出せなかった

具体的には、政策面での論点を明確に打ち出せなかったところにある。自己アピールができなくて選挙に勝てる筈がない。
8月4日のサンデープロジェクトの生出演で長谷川氏が失態を晒したが、あれは長谷川氏の中で、立候補するに当たっての基本的な考え方、芯が固まっていないことを図らずも露呈させた。たしかにあの番組構成は偏向的であったが、それとは別にして、政治家としての芯の弱さが県民に見抜かれてしまったことは間違いない。芯が弱いと云うことはつまり、押しに弱いと云うことであり、そこからは「傀儡」の言葉が容易く連想できる。
政治家として芯が固まっていないことと傀儡になることとは勿論別である。長谷川氏については、実際はかなり強気であることが伝えられており、簡単に他人の傀儡になるような人物ではないようだ。ここで云いたいことは、長谷川氏の気質が本当に「傀儡」になってしまうような人物か否かではなく、あの番組出演が一つのきっかけとなり、長谷川氏がそういうイメージで捉えられてしまったと云うことである。

そうなってくれば、長谷川氏が「対話」を唱えたのもまた、マイナスイメージで捉えられてしまう。
田中知事の誕生から現在まで、県政のテーマは「社会が硬直化した吉村県政からの脱却」であった。そのため、とりたてておかしなところのない長谷川氏の「対話」の主張は誤解され、そして「傀儡」像と相まって、長谷川氏の主張は吉村県政時代への回帰ではないかとの幻覚を醸し出した。もちろんそれを煽ったのは田中氏の陣営であるが、長谷川陣営はその幻覚を払拭させることが出来なかった。

終盤に来て、応援に駆けつけた県議らによる「田中康夫=共産党県政」のアピールもまた功を奏さなかった。いやむしろ逆効果であったかもしれない。これまた二項対立論である。

戦略の不在が響いたのは自己アピールだけではない。長谷川陣営では候補者本人のみならず、周囲が騒動を起こした。一番大きかったのは、花岡氏への出馬辞退の働きかけであろう。これについては別項に述べる。
サンデープロジェクトでは、田原総一朗氏が市川氏に対して出馬辞退の働きかけについて探りを入れるような質問をしている。
出馬辞退の働きかけについては、名の挙がった長野市長だけでなく、自分たちの都合だけで「反田中で一本化すべき」と考えた県議会議員各位は揃って同罪である。そもそも、この逆風は県議らが不信任に関して説明不足であったことに端を発しているのである。己の感覚の頑迷さと努力不足とが招いた結末であり、誰でもなく自分らを恨むしかない

県民に薄く広まっていた、「吉村県政からの脱却は望んでいたし、県議会も体質が古いのは分かっているが、かといって田中さんではなあ」という思いを、受け止められるに足る実力のある候補者が出てこなかったのが今回の選挙結果になっている。結果的に県民は、田中前知事と県議会側との両方から提示された二項対立論による「究極の選択」を迫られたのである

受けて立つ田中陣営

田中氏の陣営は、田中氏の個人的コネをフルに活用したマスメディア戦術と、共産党及びその関係団体による組織的な選挙対策を普通にしたと云うだけで、特段述べることはない。選挙活動における失点もさほどなく、共産党が事実上組織的に応援したことを除き、強いて失点を挙げればオリンピック帳簿焼却問題に関する発言くらいであろう。
田中氏にとって追い風となった要素は3つあり、1つはマスメディア戦術が功を奏したこと、2つに対立候補が自滅に近い失態を繰り返したこと、そして3つ目が知名度の高さである。この3つは独立するものではなく、むしろ互いにリンクしている。

1のマスメディア戦術については2ともリンクするところがあるが、8月15日までの間、直接もしくは間接に、ワイドショーや雑誌などマスメディアへの露出が群を抜いて見られたことはどうしても大きく響く。もっとも、露出していてもそこでボロを出すのでは逆効果であるが、そこでマスメディアへの露出に慣れている者と慣れていない者との差がくっきりと出る。選挙候補者のマスメディアへの露出に関するルールについては、今後の課題になるやもしれぬ。

その他の候補者

市川氏や中川氏は自身の長所をアピールできないまま選挙戦を終えた感があった。
木曽出身の市川氏であるが、出馬を噂されていた頃から感じられたある種の“軽薄さ”が、最後の最後まで拭えなかった。石原都知事との付き合いを持ち出してみたものの結局は相手にされず、終盤に開かれた論争では田中氏を持ち上げる。それが魅力だと云う人もいるだろうが、田中康夫氏の持つ軽薄さとは質の異なる、お調子者的な軽薄さは長野県人の気質に合わない。市川氏が票を伸ばさなかったことはやむを得ないであろう。
中川氏は自己アピールが足らなかった。中川氏は「お金をかけない」を謳い文句にしていたこともあり、自己アピール不足はある意味やむを得ないところもある。立候補の後は、花岡氏が担っていた「反田中・反長谷川」的なところも見せたが、結局はアピール不足であった。

中川氏と対照的だったのが羽柴秀吉氏である。
大金を使ってポスター貼りを果たし、候補者の中では最も派手に活動をしていた。一方で候補者本人は地道に歩き続け、通りゆく人々に支持を呼びかけた。東京都知事選や大阪府知事選では色物扱いのままであったが、今回の知事選では知名度があったこともあり、「羽柴秀吉」の名前、鎧甲姿のポスター、水資源ビジネスのためにダム建設を主張するなど、幾つもの話題を提供した。人間的にも魅力のあることが長野県人にも広く知られ、得票そのものは低かったが、恐らく「二番目に投票したい候補者」をアンケートで取れば、ダントツでトップになるやもしれぬ。ちょうどビートルズにおけリンゴ・スターのような存在と云うところか。
羽柴氏は長野県知事選が最後と述べていたが、再度挑戦すると思い直した時のために一つアドバイスしておく。地元に拠点を持つべし。特に長野のような広大な県においては、少なくとも4つ以上の拠点が無いと選挙で戦えない。
羽柴候補に関しては以前にも述べたが、毎日新聞及び読売新聞の不当な扱いが最後まで気に掛かった。羽柴氏はあくまで、「羽柴秀吉候補」であって、「三上誠三候補」ではない。羽柴氏はこの候補者名の件に関して、両新聞社に対して抗議すべきである。

そしてギリギリで立候補をした福井氏。
あまり知られていなかったが、福井氏は日本の弁護士界では大物であるとか。その割りには最後の最後まで泡沫候補扱いで、テレビでも自転車に乗って長野市内を動き回る姿しか映されなかった。また、福井氏の唱える「吊りダム」については結局わからずじまいであった。

花岡氏不出馬の影響

出馬を表明した者のうち、花岡氏は8月に入る頃までは最も意気軒昂であった。本人は「反田中・反長谷川」を打ち出して、共産党らが支援する田中前知事でもない、県議会や市長らが支援する長谷川氏でもない、いわゆる第三勢力を形成していた。長谷川氏が自滅したテレビ出演の場でも着実に得点を稼いだ。しかし「反田中」で一本にまとまるべきだとする意見が県議会や市長らに少なくなく、花岡氏は家庭の事情もあって、最終的には出馬を断念して長谷川氏と政策協定を結ぶ。
出馬断念の経緯が不透明でありながら、そこに長野市長が関わっていたことだけがクローズアップされ、結局は花岡氏と長谷川陣営にとってマイナスにこそなれプラスにはならなかった。前回の知事選の池田氏の獲得票数と今回の長谷川氏の獲得票数とを単純に比べてみると、花岡氏を支援していた人がそのまま長谷川氏支援に回ったとは考えにくく、むしろ分散してしまったとみるのが自然であり、花岡氏出馬断念のマイナスイメージにより逆に長谷川氏への支援が大きく減った可能性もある。
花岡氏の“家庭の事情”は選挙戦終盤になって一部マスメディアにより明らかにされたが、もはや大勢に影響がなくなっていた。

出馬したその他の4候補と異なり、花岡氏には草の根的な組織が県内各地にできつつあった。しかもアサヒビールの会長など、地元の有力者がそれに加わっていた。花岡氏が「反田中・反長谷川」を掲げたまま出馬に至っていれば、情勢は大きく変わっていたであろう。逆に云えば、花岡氏が不出馬を決めて長谷川氏と政策協定を結んだ段階で、この知事選ははっきりと結果が見えてしまったのである。

田中前知事やその支援者に二項対立的な短絡的主張がしばしば見られたが、それは県議会などでも同様であったことが明らかになった。
難しいことではない。新しい下諏訪町長のように、脱ダムに賛成であっても田中康夫に好意的でない者もいれば、中野市長のように、田中康夫に好意的であってもダムが必要だとする者もいる。県議会を非とする者は必ずしも田中康夫を是とするわけではなく、田中康夫を非とする者は必ずしも県議会を是とするわけではない。ただそれだけである。「知事選では田中康夫氏を、県議は今までの人を」と云う人は未だ少なくないし、逆にもうどちらも結構だと云う人もいる。
一般論的な理屈としては分かっているのかもしれぬが、「反田中康夫」に関してもそれは適用されると云うことが、県議会議員各位や市長らには見抜けなかったようだ

そしてこれから

結果的に長谷川氏にダブルスコアで大勝した田中氏だが、支持率60%と云うものがそのまま投票に反映された格好になった。しかし一方で、読売新聞などは田中氏への積極支持は全体の10%程度に過ぎなかったとの調査結果を示している。
田中康夫という選択肢は絶対のものではなく、消去法によるものであったと云っても良さそうである。

新・田中県政の当面の課題は5つある。1つはこじれきった県議会や市町村との関係の改善、2つは選挙で支援してくれた共産党との付き合い方である。3つには差し迫った県の財政危機をどうやって乗り越えるかである。4つ目は理念の提示から実践へのシフトである。そして5つ目は、公約をどこまで守れるかである。

事態は、あくまで“なんとなく”であるが、田中氏に有利に展開している。これまで発言権の強かった長野市長も、選挙時の花岡氏への働きかけのことがあり、今までのように強い主張ばかりはできなくなるであろう。
ここで「勝って兜の緒を締めよ」の語の如く、これまでおざなりにしていた自らの言動に関する説明責任を果たしていくこと、無用の対立構造を煽らないこと、他者に対して聞く耳を持つこと、最低限でもその3つを地道に行えば地位が盤石になるであろう。
今回の選挙で田中氏は得票数では圧勝したものの、かつての仲間の多くが離反した。連合長野や杉原氏と云ったところだけではなく、田中氏にとっては最大の武器であるマスメディアとのコネにおいても、『Friday』など幾つかが田中氏を見限るような態度をとった。好意的に扱うところも、その大半は支持率が高いと云うだけのことを以て見ているだけであり、「親・田中康夫」と呼べるところは数えるほどしかない。柳沢京子氏や茅野実氏なども嘗ての積極的支持だった頃に比べれば距離を置いている。

いずれにせよ、再選された田中氏にとってはピンチでもありチャンスでもある。本人のこれからの行動如何で、色物知事から本当の改革派知事になるか、メッキが剥がれ落ちて“石持て長野を追われる”か、懸案を棚上げしたまま目先のことだけに対処するだけの県政になるか、外的要素が生じない限り遅くとも4年後にはいずれになるかが明らかになる。

知事不信任に賛成した県議会議員、及びその支持者へのアドバイス

あまりにも不甲斐ないので一応ここに簡単なアドバイスを記しておく。とは云え、このページを見ている県議及び関係者は殆ど居ないであろうが。

最も基本的な事項としては、まずは自分(自分たち)がどう見られているかと云う意識を強く持つべきである。田中知事はこの意識が強すぎるのだが、県議会議員各位は逆にこの意識が無さ過ぎる。この意識が少しでもあれば、例えば宮沢議長の祝賀会でのレオタード写真騒動などは起こらなかったであろう。

具体的には、自己PR、もしくはアピールを強く行うことである。具体的には、議員一人一人がホームページを開設し、地区ごとに意見を聴くための集会を催し、自らの活動状況や思うところなどを報告し公開すると共に意見交換を行い、地元の声を汲み上げることが、これからの時代に最低限必須である。
既にホームページを開設して好評なのが、社県連の竹内県議、県民クラブの柳田県議、県政会の平野県議、政信会の浜県議、西沢県議などである。分からなければ、彼らからノウハウを学べば良い。共産党の石坂県議のサイトは知事選期間中、県議会関係のなかではもっとも来訪客で賑わったところである。何を載せたら良いか分からないのなら、業務日誌でもよい。
ホームページを開くことそのものに抵抗感のあるような方には、今後の立候補を諦めることを勧める。なにもご本人が作成・運営をする必要はなく、自らの意見を代弁できる家族・友人・知人・支援者・後援会などに作成・運営を任せても良いのである。
小泉首相や鷲沢市長などのようにメールマガジンを発行するという方法もある。

知事選の間、ちょうど鈴木宗男騒動が起こったこともあり、県議会議員各位は、「利権屋」と云う謂われ無きレッテルを貼られた。しかし一般の者にしてみれば、貼られた側がそれを払拭しようと努力したようには見えない。それはつまり、事実だから反論できないのだと見なされてしまう。これもまた自己PRが不足したことに原因がある。

知事選に関連したことでは、有田芳生氏など、謂われのない誹謗中傷を行った者に対する抗議などをすべきである。状況によっては告訴を検討してもよい。これもまた自己PRの一環であり、云われたまま放置しておくことは、それを認めたものだと見なされる。

そして何よりも、分からない時にはプロであろうとも素直に教えを請うことである。
例えばダムや公共事業論のことならば長尚氏などの良識的な学識経験者に尋ねれば良い。田中県政との付き合い方と云うことならば、大石英司氏でも、杉原氏でも、小林照幸氏でも、吉田司氏でも、青木照夫氏でもよい。場合によっては、柳沢京子氏でもよい。とにかく多角的な物の見方をすることである。
議員各位は当然接しているので知識を有しているであろうが、距離を置いてみている者だからこそ見える部分もある。また日垣隆氏や田原総一朗氏や有田氏など、田中知事シンパの文化人への対応は、それこそ慣れている大石英司氏などのほうが一日の長がある。

更にもう一つ。
議員各位には、2ちゃんねる掲示板やYahoo!掲示板などの既存の匿名掲示板で、長野県政を議論しているところに参加することを勧める。自ら掲示板を開設することをあまり勧めないのは、そちらにばかり労力を割くわけにいかないためである。2ちゃんねる掲示板の地方自治板には、実名を名乗って参加している市議会議員もいた。匿名掲示板であるのでなにも本名を名乗る必要はないし、県議として意見を述べる必要もない。一人の県民として意見や反論を述べればよいし、立場や意見の異なる者を説伏する義務もない。

インターネット掲示板に参加することを勧める理由は3つある。
一つは、様々な考え方の人、特に自分とは意見の異なる人と容易に触れることができることにある。市井の声を聴こうとの趣旨で集会を開いても、支持者の声しか寄せられず、視野が偏狭になってしまいがちである。これでは田中知事と五十歩百歩である。
2つには、人間の洞察力が身に付くことにある。
そしてもう一つは、意見交換をすることがそのままディベート力の訓練になり、結果として様々な思考パターンやシミュレーションや煽りに慣れることになる。口先だけ達者な者を相手にする時に、ディベート力は欠かすことが出来ない。
議員各位は既に痛感しているであろうが、田中知事は挑発の達人でもある。挑発や煽りを巧みにかわす技術も身につけるべきである。

ここに述べたのはほんの僅かであるが、結局は自らの使命を知ること、その原点に立ち返り、そのために必要な技術を自ら磨くことである。


選挙に当たっての長野県民へのメッセージ(H14.8.16)

8月15日、知事選に突入した。ということで、16日付で一通り整理したところで、このページの更新は9月1日に投票結果が出るまで行いません。

知人の○○さんが云っているから、△△という雑誌に書いてあるから、テレビで××さんが云っているからというのではなく、判断材料を自ら集めて自分で考えなさい。判断材料はその気になればいくらでも落ちている。その上で○○さんと同じ結論になるのなら、それはそれで構わない。思考停止状態のままでの判断は、後悔をもたらすだけである。


そして知事選へ(H14.8.16)

幾つかの紆余曲折があったものの、候補者が6人出揃った。
前職の田中氏、飯田の弁護士である長谷川氏、木曽出身の市川氏、信大院生の中川氏、観光会社経営の羽柴氏、そして滑り込みで立候補をした東京の弁護士の福井氏の6人で、2週間に亘る選挙戦が展開されることになる。

候補者と県議会との関わりを見ると、長谷川氏には共産党を除く各会派の大多数が支持に回り、共産党は独自候補を出さずに田中氏の支持に回っている。しかし県議会議員らは今回の選挙では表に立つことが殆ど無い。共産党の場合には知事選よりもむしろ、あと1議席を獲得することに主眼を置いているとの見方もある。選挙戦に突入した時点では、事実上その2候補の争いになるのではと見られている。

信濃毎日新聞の8月13日の記事で、インターネット上の誹謗中傷や嫌がらせも取り締まりの対象とするとの記事が掲載されていたが、インターネット上に限らず、誹謗中傷合戦も一時期盛んに行われた。
前職の田中氏に関しては、就任期間における知事としての態度や県政に対する批判の声が数多く出されている一方で、前の知事選の時に見られたような誹謗中傷はあまり見られなかった。2年近くの知事在任時の言動だけで批判の対象となりうるものが山のようにあるため、わざわざ事実と異なるものや過去のものを持ち出して誹謗中傷するまでのこともなかったのであろう。田中氏に対する誹謗中傷の類では、目立ったものの中で一番酷いと感じたのは麻生代議士の容貌に関する発言である。
長谷川氏に関しては、本人ではなく同業者である夫に絡んだ誹謗中傷が目立った。また県議会や市長らが応援していることへの批判もあったが、批判を通り越して“ダム婆”などと実態にそぐわない誹謗中傷をする投稿記事がインターネット掲示板で散見された。(長谷川氏はダム推進ではなく再検討の立場である。)ジャーナリストの有田芳生氏らは、長谷川氏夫妻がベンツを乗り回していることを盛んに取り上げて、市民派とは嘘だと書き立てていたが、ベンツに乗ることは決して特権階級の方々の専売特許ではないし、市民がベンツに乗ってはいけないという発想のほうがおかしい。有田氏に対しては大石英司氏が特集を組んで反論をしているので、そちらに譲る。
また、直前に降りてしまった花岡氏に関しても様々な話が出されている。降りた経過が不透明なこともあるが、それに関連して幾つかの憶測記事も流されている。県労連の関係者が地検へ告発したこともあり、こちらは静観するしかない。
市川氏に関しては、石原都知事との関係が立候補に名乗りをあげた頃に一時期話題になったものの、市川氏本人も石原都知事も共に今回の選挙に関しては石原都知事は関係ないとしている。週刊ポストが石原都知事絡みの記事を書いていたが、それに類する動きが全く見られない市川氏陣営に対して告示前の号で石原氏との関係をクローズアップした記事を出すのも変である。

告示までの間、候補者は色々なところでマスメディアに晒された。それらを見て感じたことは、選挙前の候補者に対しては、マスメディアで取り扱うにしてもルールが必要であると云うことである。
それも、きれい事を並べてあるもののその実は抜け穴だらけと云うのでは意味がない。

田中氏と長谷川氏は頻繁に取り上げられているが、経済政策を打ち出す市川氏、民間のノウハウの導入を提唱する中川氏など、候補者は多種多様である。
6人の候補者の中で、異様な脚光を浴びているのが羽柴秀吉氏である。
ダムの積極推進を候補者の中で唯一唱え、鎧姿のポスター、飛行機を使っての選挙活動など、観光会社を経営しているだけあって人目を引く術に長けていると感じさせる。派手さにおいては、田中氏のお株を奪ったような格好になっている。また意外にもと云ったら失礼かもしれぬが、長野での組織力もあるようで、ポスターは一通り貼り終えているようだ。しかしそれでも主要新聞各紙には泡沫候補扱いをされている。
長野は自然などを売り物にした観光立県の側面が少なからずあり、観光産業に強い羽柴氏がどこまで長野県人の心をつかむことが出来るのか、注目したいと思う。

羽柴秀吉氏は当然本名ではないが、扇大臣や前大阪府知事の横山氏の例もあり、本名でないことは問題は無いらしい。
しかし歴史上の人物名で登録されたことは総務省によるとこれまで前例が無いとのこと。大阪府知事選の時には本名「三上誠三」の「誠三」をミドルネーム的に挟み込んで「羽柴誠三秀吉」の名前で立候補した。大阪は太閤殿下のお膝元でもあるし当然の措置やもしれぬが、今回はすんなりと県選管が認めてしまった。もっとも、もともと前例のないことが多い選挙戦でもあり、前例にないことが今更一つ増えたところで特におかしくもあるまい。

幾つかのアンケートで、長野県民が求めるものとして大きなものに財政再建や景気浮揚や雇用の安定というものがあった。折しも富士通の工場閉鎖が長野県の社会問題になっている。これらは、候補者の中では市川氏が最も得意とする経済政策の分野であり、選挙戦の論戦の中で、市川氏がどこまで票を伸ばすことができるだろうか。

ところで田中氏は五輪帳簿焼却問題に取り組むと改めて云いだした。しかし最近になって、後援会の吉田総一郎氏のこともあり戦術的にまずいと思い直したのか、この問題については再び口を閉じている。田中氏以外の候補者で、五輪帳簿焼却問題に取り組むことを公約に掲げる者が出てきてもおかしくはないのだが。

最初から田中県政の審判との見方が強かったこともあり、ダムの是非や、田中か反田中かなどでの視点が先行しがちだが、一方で今度の選挙では、これからの長野県を誰に託すのかが問われている。
誰が長野県の未来を託すに相応しいのか。差し迫った財政危機を、誰ならば止めることができるのか。
良きにしろ悪しきにしろ、それを選ぶのは長野県民である。


長野県議会について(H14.8.15)

現時点における長野県議会の構成は、県政会が29人、政信会が9人、県民クラブが8人、社県連が7人、共産党が5人、無所属が2人となっている。政信会が県政会から分離独立するまでは、県政会は40人以上を誇る大所帯であった。

県政会が自民党系と民主党羽田氏系との寄り合い世帯であることは広く知られており、不信任劇の主役となった下崎県議も、不信任に反対して退出した島田県議も、共に羽田氏系の県政会議員であった。
長野県議会はちょうど、国政における55年体制をそのまま引きずっているかのようである。
小沢−羽田コンビにより自民党が分裂したのが9年ほど前のことだが、ちょうどバブル崩壊による経済の混乱が国政を混迷に陥れていた。それと同じことが、オリンピック特需でバブル崩壊が国平均よりも遅れてやってきた長野県に、いま訪れつつある。
55年体制当時の自民党に相当するのが今年3月までの県政会であり、社会党が社県連、公明・民社が県民クラブ、共産は共産と、ほぼ対応できる。
国政の55年体制を打破したのは自民党の幹事長であった小沢氏であり、県議会の「55年体制」を結果的に打破したのは田中県政であった。そこに、政策論をするまでもなく基本的な考え方が折り合う筈のない小沢党首と田中氏とが交友関係にある理由が垣間見えるように思える。小沢氏は田中氏のことを、旧体制打破に励んだ同志であると思っているのだろう。

かくのごとく、県議会は国会としばしば対比される。しかし一方で、単純に国会での構図を地方に持ち込むことは誤解を招きやすい。なぜならば、国政には国政しかないものが、地方自治体には地方にしかないものが存在し、それが党派の形成や離合集散に少なからず影響を及ぼしているからである。また国政と地方とでは質だけでなく扱うものの規模も異なる。云うまでもなく、それは国と地方とが上下関係にあると云うことではなく、ただ単に分担が異なるというだけだ。

長野県議会は6月県会での不信任劇に始まり、知事選での候補者擁立、そして告示に至るまで幾つもの失態を重ねてきた。しかしそれらの失態から映し出されるものは、彼らが単なる田舎議員であり駆け引きやパフォーマンスに疎いとの印象以上のものではない。
通常国会を混乱させた国会議員の致命的スキャンダルのようなものは県議会から出てきていない。これまでならば、田舎独特のお隣さん感覚もあって、誰が何をしたかが周囲に筒抜けになるため口をつぐむということもあったが、今は電子メール全盛の時代であり、そのような障壁も無くなっている。「週刊ポスト」には、田中前知事がCIAのような組織を作って県議会議員のあら探しをするとのマヌケな記事があったが、逆に云えばこれまでの調査では出てきていないということを自ら示したようなものである。

ならば県議会側に問題は無く、このままでいいかと云うと、そういうことではない。
3月に同志を募って県政会を割って出た望月県議は、県政会は組織が大きすぎて自分の意見が出しにくいとしている。割って出たのは結局9人であったが、他にも名前が取りざたされたことを見ても、県政会の内部で組織が大きすぎるとの意識があることは間違いなかろう。しかしその県政会も、今では29人と過半数を割ってしまっている。
彼らが県政会から抜けたことは、ちょうど1993年に小沢一郎氏らが自民党を離脱して新進党を旗揚げしたことを想起させる。小沢氏が自民党を割って出て有志を募った背景には、アメリカなどで見られる二大政党制を想定したことが指摘されている。
県知事は大統領制だと云われているが、二大政党制における大統領制とは異なっている。先行きは未だ不透明である。

議会や市町村との対話の問題がある。
小泉首相は抵抗勢力に妥協し、田中康夫は妥協しないとする意見も出されているが、それは片手落ちである。小泉首相は改革を実際に進めているからこそ、抵抗する者と話し合って少しずつ解決しているのであり、妥協は改革の進捗による副産物でもある。
議会や市町村との対話が欠けていたことは事実である。ではそれは、前知事に非があるのか、はたまた議会や市町村の側に非があるのか。常識的に考えれば、これまでにあったものを変えると云う時には、変える側がそれを積極的に伝え、相手の同意を必要とする場合には自ら相手のところへ出向くのが当然である。従って一般的な常識を有するならば、前知事サイドに非があったとみるのが自然である。

今回の知事選には直接関わってきていないが、献金の是非の問題もある。
例えば、知名度が全国区となった石田県議は、10万円前後の企業献金を数多く受けており、それらの多くは地元の土建業者である。石田氏の親族にも土建業に従事する者がいる。しかし、それをもって直ちに土建業界との癒着とするのは早計である。
石田県議らを土建屋だと中傷する者が支持する田中氏にしても、数多くの、中には100万円単位での高額な献金を受けており、献金者には地元最大手で全国的にも名が知られている建設業者も含まれている。県議会側が土建屋と癒着とするならば、知事であった田中氏もまた同様である。

これまでの長野県政における県議会議員は(市町村議会でも同じことだが)、田舎ゆえに、前述のように田舎のおじさん達でも間に合っていたのである。選挙の時以外には地元以外でスポットライトを浴びることもなく、ただひたすら地域の発展のために力を注ぐことができる人物が求められていた。しかしそのような社会構造も、バブル崩壊やオリンピック特需の終わりにより、構造そのものの金属疲労が顕著になり、変化を求められていた。その中で登場したのが田中康夫という知事であった。
田中康夫というマスメディアの寵児が県政に登場することにより、県議会もまた敵役として突如スポットライトを浴びるようになってしまい、自分たちが地域のために行ってきた業績とは別に、地域以外の人の目に晒されることに慣れていない県議会が醜態を晒すという光景が、半ば作為的に、テレビ画像として全国へ流された。ちょうど旧体制の閉塞感というものがあり、それらが相乗効果となって県議会への嫌悪感が一気に醸成され、相対的に知事の評価が高くなった。たとえ知事の言動がおかしくても、県議会がそれを批判をすることを許さないという風潮が生じ、昨年夏の北朝鮮発言や知事室シャンパン騒動で一時期下火になったものの、不信任劇の頃から盛り返した。
不信任に際して、特にスキャンダルを起こした訳でもないのにとの意見が出されていたが、それは前知事だけでなく県議会にしても同じことである。多くの県民は前知事を「改革をしようとした人」、県議会を「抵抗勢力」と認識しているが、なぜ前知事が善であり県議会が悪なのか、知事がどのような改革を打ち出し、県議会がなぜそれに抵抗したのか、どれだけの人がこれを明確に述べることができるのか。
これまでは、これらの質問をすると、「県議会=土建屋もしくは利権」という答えのみで終わってしまうかループしてしまうかのいずれかであったが、単なるレッテル貼りではなく説得力のある説明ができるのか。議論好きである筈の長野県民がそれを述べることができないとするならば、それはなぜなのか。
これが田中県政における知事と県議会の対立の構図である。これを不幸と呼ばずして何と云うのだろう。云うまでもなく不幸なのは長野県民である。

不信任劇の後に、県議会側が議会を解散せずに失職して再出馬するのはおかしいと主張したことや、一部議員が自主解散を試みたことに関連して、来年春の議会定数是正で定数が4つ減るのを先延ばしせんがための県議会側の策略だとする意見が少なからずあった。しかもそれらは全て、田中氏シンパの側から出され、ワイドショーでもあたかも隠された真相であるかのごとく全国に流された。
調べればすぐにわかることだが、これは実に馬鹿げた意見である。定数是正を提案し賛同したのは、前知事を不信任に追い込んだ人たちに他ならず、同案件に反対したのは共産党であった。ダム検討委員会の設立に関しても、同案件を提案し賛同したのは、やはり共産党を除く議員らであった。
これらのことについて、県議会主流会派の行動を党利党略と云う言葉で片づけることは事実上無理であり、むしろそれらに反対した側のほうにこそ党利党略が見え隠れしている。
自ら進んで提案したものを、どうして先延ばししようとするのだろうか。常識で考えればその主張がおかしいと云うことはすぐに判断できる。

小生は県議会に特別な同情を寄せる者ではないが、不信任劇以降の県議会バッシングには目に余るものが少なからずある。県議会側が甘んじて受けねばならぬ批判も数多くあるが、上記の定数是正問題などのようないいがかりに対しては、県議会側も断固として反論すべきである。
マスメディアで反論の場が与えられてないとするならば、ネット上でも反論文を掲載すべきである。
県議会議員各位に提言する。
県議会の名誉のため、有田氏など数人に対し、名誉毀損で訴えるべきである。もしくは厳重抗議をすべきである。


知事候補選びについて(H14.7.19)

16日の0時をもって田中知事は失職した。今後は「田中前知事」と呼ぶべきであろう。
田中前知事は失職という選択肢を取ったことにより、知事選が行われることになった。既に田中前知事の再出馬が確実視されており、逆に知事不信任を出した県会側が候補者選びにもたついている感がある。
知事候補には様々な名前が挙げられており、杉原氏などのように具体的に動き出している名前もあるが、ここでは敢えてそういった具体名には触れない。公示は8月15日であり、それまで名前は色々と出てくるであろう

議会側の“もたつき”にはある程度仕方のないところがある。
まずは多くの識者が指摘しているところだが、失職とは不信任に至った己の過失を認めたことになり、失職→再出馬と云う流れが道義上は有り得ないということである。当然県議会側はそう読んでいたと思われるし、それには充分な説得力がある。
また、調査結果では県民の多くが田中知事支持だとの結果が出されたが、同じ調査では田中知事を支持するとしたのとほぼ同じ割合で、県議会も解散してW選挙にすべきとの意見であった。
道義上の問題などを度外視して選挙戦術として使ったと云えば、おそらくその通りであろう。今度のことはこれまでにも無かったことであり、選挙法の盲点が明らかにされたと云うところか。これを機に失職→再出馬と云う流れを公職選挙法で規制すべきであろう。

また、県民クラブが示した見解にもあるが、知事を含めた地方自治体首長は議会が決めるものではない。その点、国における総理大臣と国会との関係とは違うのであり、「不信任を出した以上は県議会が対抗馬を出すべき」との意見は、形式論としては的はずれである。
むしろ、上田の主婦の方々のように、一般県民の有志が候補者擁立に動き回るほうが政治としては健全な姿であり、議会が関与すると云うのならば、そういった動きに乗ればいいだけではないのだろうか。

県政会及び自民党県連では知事選の候補を色々と物色し、逆に失笑を買っているらしい。
たしかに県政会が知事不信任の中心的役割を果たしたことに違いはないが、それを受けて「不信任を出した以上は出した者が知事候補を出さなければならない」と云うことにはならない。中には、「知事にはダムの代案を求めながら、自らは知事の代案を持っていないのか」などと云う言い掛かりまで聞こえてくる。
くどくなるが、国会から選ばれる総理大臣と、直接選挙で選ばれる知事とは異なるのだ。それにも拘わらず、県政会などの議会側が知事選の対抗馬を出すべきとの意見が強く、知らぬうちにマスメディアや県政会がそれに乗せられてしまったように感じる。議会側が対抗馬を出すべきだとの意見を煽ったのは田中前知事及びその関係者もしくは支持者に違いない。
そしてまた、県政会などが対立候補探しに躍起になり、それが逐一報道されていることに何かしらの疑問を感じる。相手を油断させようと云う趣旨の県議会側の策略ではないかとすら思えるほどである。

連合が、今度の知事選において田中前知事を推薦しないと表明した。
連合離脱は田中前知事にとっては自業自得でもあるのだが、これは少なからぬ影響を持つ。県内各地に活動を繰り広げるには、資金だけでなく人手も必要であるが、連合の離脱により人手不足がほぼ現実問題となった。代わりに共産党系の団体や八十二銀行が動くのやもしれぬが、市街地はともかくとして、田舎では共産党への抵抗感は未だ強い。田舎だけでなく、しなやか会などでも共産党への拒絶感は強いとされている。また八十二銀行は全県的な組織力こそあれど、市町村や中小企業の大半が田中知事への強い不満を持っている以上、一企業がどこまで動けるだろうか。


知事不信任に道理は無いのか?(H14.7.13)

日本共産党の関係者が、ご丁寧にも知事を擁護するビラを配布している。しかしそこに書かれていることに些かの異議を感じたので、ここへ書き綴っておく。

「数の暴挙」

アンケート結果の数値で自らが有利な時には「多数こそ民意である」と吹聴し、一方で自らが不利な時には「数の暴挙」と主張する。ものは云いようであるとつくづく思う。

「公約の実行がなぜいけないのか」

まずは脱ダムが選挙公約かどうかが疑わしい。
公共事業見直しに含まれると云うのなら、どうして他の公共事業は見直されないのか。特に必要性が疑わしい上に自然環境を破壊する木曽の右岸道路については田中知事は見直しをするどころか、積極的に推進している。そこに論理矛盾は無いのか。
田中知事の公約は公共事業の見直しだけではない。むしろ田中知事の大半の公約は実行されていないことがあちこちで検証されている。県政会なども論点はダムだけではないとしている。それなのに共産党はなぜダムにだけ拘るのか。
共産党が田中知事就任当時に何度も質問していたものに五輪帳簿焼却問題の解明があるが、共産党が脱ダム宣言以降それを追求していないのはなぜか。

「ダム建設中止はガラス張りの議論の結果」

ダム検討委員会の委員であった石坂県議がまじめにこれを云っているのならば失笑ものである。
議論はどちらとも結論が出せるものではなく、事実上の両論併記であり、どちらか1本に絞らねばということから結果的に多数決を取ったものである。
ダム議論の結果に当たる“答申の結論”作成作業が密室で行われて、委員からも非難を浴びたことは新聞記事にもなっている
部会の委員の選定方法についても結果が先にあり、ルールは後から公表されたことが問題視された。これのどこがガラス張りであろうか。
百歩譲って検討委員会が“ガラス張り”であったとしても、田中知事が公表した“枠組み案”は、“ガラス張りの議論の結果”である答申のどこに記されているのか。答申に沿っていないものを持ち出しているのに、“ガラス張りの議論の結果”だと臆面もなく主張して恥ずかしくないのか。
詳しいことを知らない人のアンケートで是非を決めることこそ「数の暴挙」では?

「代替案なしは言いがかり」

現在中止されているダムで代替案が出ないのは、ダムと云う手段を用いる必要性、つまり目的である治水や利水などが不要になったため、もしくは代替案が出されている場合には経済性で明らかに劣っていることが明らかになったためである。浅川と下諏訪の両ダムの場合、知事は共に治水の必要性、しかも従来レベルでの治水の必要性を認めており、提示する代替案はダム案よりも高額であるため、他の事例とは扱いが異なる。
具体的な代替案があるのなら示せばよい。ダム推進派の人に対してそれを示し、「こういう対策をとるからダムは造らなくても大丈夫だ」と説明すればよい。そうすれば解決することなのに、なぜ解決できないのか。「ある」としていながら、なぜ示すことが出来ないのか。示せるような代替案が本当にあるのか。
知事が示した“枠組み”が実用に足るものならば、なぜ検討委員会の場で出されなかったのか。石坂県議はまずそれを答えるべきである

「補助金返還の事例は無い」

ダムはあくまで手段であり、目的は一定レベルの治水や利水である。
事業中止に伴う補助金返還が免除されるのは、住民の総意もしくは社会の変化により治水・利水などの目的が変化したとき、もしくはより優れた手段たる代替案が示されたときである。浅川ダムや下諏訪ダムのような事例はそれらに該当しない
逆に云えば、浅川ダムや下諏訪ダムのような、目的は変わっていない、他に優れた具体的手段も示されていないという条件でダムという手段だけが技術的に否定されるという非常識かつ無責任な事例こそが今までに無いのであり、前例を引用することはナンセンスである。

「県政史に汚点を残した不信任議会」

議会には知事不信任を出す権利がある。議長には議事運営を仕切る権利がある。今回のことは、権利を有する者が権利を行使しただけに過ぎない
あの場で「脱ダム宣言」を読み上げることの客観的必然性があるわけではなく、時間が限られている質問者に対してあのような答弁は失礼であると取られてもやむを得ない。
議場には議場のルールがあり、田中知事が議事運営を無視したことに変わりはなく、その翌日正式に陳謝した。つまり知事自らが非を認めている。滅多に自らの過失を詫びないあの田中知事が陳謝せざるを得ないほど事実関係は明白なのに、それをなぜ知事が悪くないと主張するのだろうか。

「借金を作ったのは誰か」

この手の「そもそも論」は話題そらしでしかない。県の借金は県民が知っていたことであり、それを承知の上で知事の要職に立候補をした以上は、その問題を解決できなかったことをまず恥じるべきである。
元の借金はいずれも先行投資によるものであり、先行投資でインフラが整備される代償として借金を作ったことを非とするのならば、それらの借金によって造られたインフラの恩恵を享受している者も責められなければならない。それらのインフラ整備に対して、共産党その他の人たちは全て否定的だったろうか。
ところで田中知事就任当時には借金は上がり止まっていた。そこから更に上げようとしていることは問題ではないのか。なぜ知事就任後に予算が組まれた平成13年度に借金が増えているのか。

(注:7/15に一部修正)


ダム問題に関する議論(H14.7.11)

田中知事の不信任劇の最大の理由はダム問題を巡る知事と議会との対立であるとあちこちで報じられている。
それはある意味で事実であり、ある意味で誤解もしくは認識不足である。

改めて云うまでもなく、多目的ダムは治水・利水を目的とした整備の一方法に過ぎない。これまでダムが多く造られてきたのは、目的達成のために効率的な方法であったがゆえである。治水ならば、下流へ延々と大規模な改修工事をしていくよりも、ダムというピンポイントで全体量を低く抑え、比較的中規模な改修で済ますことができる。
しかし高度成長期を過ぎて、効率よりも心の豊かさを、自然環境をというのが社会の流れになり、ダムについてもまた、「できるだけダムは造らない方が良い」というのが大多数の共通認識になりつつある。
そのような背景の中で、あの「脱ダム宣言」が出された。宣言主文の内容は多くの共感を得る。「できるだけダムは造らないほうが良い」はダム推進派と呼ばれる人も異論を挟んでいない。
しかし、田中知事の出した「脱ダム宣言」には、幾つかの問題もまたあった。

最も大きな問題としては、以前に指摘したとおり、下諏訪ダムの中止が明らかに謳われていたにもかかわらず、共同事業者などへの説明責任が果たされていないことである。これについては詳細を割愛する。

なお、これを記している11日夜、長野市長ら浅川流域の市町村長が田中知事に対して、「浅川ダム中止に関して地元市町村長への説明が一切なされていないのはどういうことか」との質問状を出したというニュースがあった。
まさに田中知事こそ“懲りない人物”である。

ダムという選択肢はあくまで手段であり、ダム建設の目的は治水や利水である。
「できるだけダムは造らない方が良い」というものには誰も反対していない。急先鋒とされる浜県議にしろ、ダム以外の方法で何とかなるのならそれでいいとしているし、他の議員にしても然りである。ダム検討委員会委員の大熊教授は「ダムは最後の手段」と述べているが、これも言葉として同じものであろう。
ではダム以外の具体的手法が田中知事により示されたのだろうか。田中知事はあると云っているが示そうとしない。もしそういった手法があるのならば示せばよい。それを示すことによりほかの手段があることを認めさせれば、その時点でダム計画でなくてもよいことになる。
田中知事が尊敬するという片山知事はそのようにしてダム中止を決め、議会全体の同意を取り付けたと云う。理屈が通っていれば、いかな議会とてむやみに反対は出来ない。なぜ同じことが田中知事にはできないのか。
田中知事はダム建設のもとになった治水の必要性については否定しておらず、むしろ議会の席では明確に、ダム計画規模の治水対策が必要であるとしている
くどいが、一評論家としての意見ではない。河川管理の責任者たる知事としての意見である。ならば知事は、ダム中止に伴う具体的な代替案を示すべきであり、それを議会が求めるのは当然のことである。

不信任劇の後に知事がマスメディアに露出するようになってから再度議論にのぼってきているのが、いわゆる「脱ダム」は田中知事の選挙公約だったのかと云うものである。当時の選挙公約では「公共事業の見直し」と云うものは挙げられていたが、特にダムについては明確にされていなかった。
なぜこのような話が再燃するのかというと、田中知事自らがある意図を持って「脱ダムは公約だった」とあちこちのマスメディアで吹聴して回っているためである。更に、それに合わせるかのごとく、田中知事と親しい文化人が一斉に田中知事擁護論を展開し、その中でやはり「田中知事は公約の脱ダムを推進して…」と吹聴し始めている。

田中知事に関する知事選当時の記録を片っ端から洗ってみても、取り立てて「ダムを中止する」との言葉を見たことがない。あるいは口頭では触れたのやもしれぬが、“公約”として記録には残されていない。
他の紛れもない“公約”の数々は大半を反故にしているのにそれらには敢えて触れず、“公約”かどうか疑わしいダム問題のみを取り上げて「公約を守っているのに…」との見解を示している知事本人、知事を擁護する人たち、マスメディア、文化人らの論説はナンセンスでしかない。公共事業の見直しは公約にあったが、公共事業はダムだけではない。
公約と云えば、なぜか不信任決議の頃に、信濃毎日新聞サイトにあった知事選の公約のページが削除されている。ただのリンク切れではなく、ファイルそのものがサイト上に存在していないが、何かの偶然であろうか。


田中知事不信任反対が60%を越える(H14.7.7)

この調査結果は驚くに値しない。充分に予想されていたものであり、不信任劇から2日が経ち、ちょうど県議会側への反発の感情が最高潮になる頃でもある。不信任反対と云う中には、田中知事には批判的だが社県連などのようにタイミングとして適切でないと云う意見もあるであろうし、知事選に突入すればこの数字は自然に消え去るものである。

これと同時に、田中知事の支持率も60%前後に上昇したと云うニュースが流れた。これもまた浮動票が知事への同情票となって膨れているいるだけであり、驚くに値しない。逆にこのお祭り騒ぎの中で、田中県政に既に醒め切っている県民が20%以上もいることのほうがむしろ予想外であった。
田中知事への支持も、不信任への反対も、膨れているのは共にバブルである。政策論争や田中知事の失政などを論じる場が出れば、田中知事への支持は下がることはあっても増えることはない。と云うよりも、これ以上上がる要素が無い。もっとも議会側などが失態を晒して自滅しない限りであるが。

感情のピークを越えて冷静になり、次の知事は誰が良いかと云う判断を迫られる場面になった時、田中知事でもなく、県議会の擁立でもない、いわゆる“第三の候補”が出てくる可能性がある。とはいえ、あくまで泡沫でない“第三の候補”と云う意味であり、ある程度の組織力を有していないとそのような候補は立てられない。知事の支持勢力でもなく、県議会でもないとなると、現在の長野県では白バラの青木氏の集団か共産党系くらいしか思いつかないが。
白バラ集団はともかくとして、共産党は今度の知事選への対応が不透明である。不信任案に反対した立場上、独自候補を立てるのには抵抗があり、恐らく自主投票ということにして、実質的に田中知事応援団となるであろう。

前の知事選もまた、田中知事は途中参加であり、池田vs小山の副知事経験者同士の争いが起こっていた時には共産党系の中野早苗候補と共に“第三の候補”的な存在であった。今回もまた、同様のことが起こるかもしれない。


羊頭狗肉であった田中県政(H14.7.6)

ついにと云うべきか、ようやくと云うべきか、いずれ来るべきものが来た。
これが不信任案可決に対する、小生の偽らざる感想である。

全国ニュースとなっており、あちらこちらの場で様々に論じられているが、小生なりに整理してみようと思う。

1.知事と議会との対立

田中知事に対しては県議会は元々オール野党であった。後に共産党は「脱ダム」で意気投合したのか、知らず知らずのうちに与党のような顔をしているが、むしろ知事との融和路線を最初に図ったのは県民クラブであった。また最大野党と目されている県政会の議員にも田中知事に接近する者がいた。県政会は早々に「是々非々で臨む」と意思表明をした。

特殊論としては田中知事就任の時からのものであると同時に、一般論としては日本社会における議会制民主主義の構造的問題でもある。首長も議員も民から選ばれており、共に民意を代表する立場にある中で、議会の存在価値は現在どう変わってきているのかということがここ数年問われてきており、今度の不信任劇が一つの象徴的出来事となっていると云うことは事実であろう。

ただ今度の長野県の場合、そういった本筋の構造的議論からは歪んだ形で発露していることも否めない。
ちょうど同じ頃にムネオ騒動が起こり、知事との対立色を深める県議会には「利権」「土建屋」というレッテルが貼られた。県議会側には旅行における公費支出の問題が起こっているが、あれは立ち消えになっているパソコン問題と同様で、支出が適切だったかどうかが問われているものであり、いわゆるスキャンダルと呼べるものではない。
知事の後援会の別働隊的な「県議会を監視するサイト」なども立ち上がっているが、そこでも県議の政治生命に関わるようなスキャンダルは出されていない。乱暴な云い方をすれば、粗探しをしている対立組織をもってしてもスキャンダルが出てこないということであり、それに対して「利権」なる語を当てはめるのは不適切である。

では議会には全く問題が無いかと云うと、そうとも云いきれない。議会制民主主義の構造的な問題については今後の見通しが不透明であり、こればかりは事態を見守るしかない。
それとは別に、60代、70代の矍鑠たる世代がいつまでも大きな顔をしているのは見ていて好ましいとも思えないし、議場で原稿棒読みと云うのもいただけない。念のため申し上げるが、70代の議員がいることがおかしいと云うのではない。

議会運営に対しても改善すべき点が少なくない。今回の不信任劇では議長の議事進行に多くの批判が集まったが、恣意的だと云うものはともかくとして、仕切り方の拙さは誰の目にも感じられたであろう。副議長を2人にし、副議長を2年以上務めた者を以て議長に推薦するなどの工夫をしてはどうか。
垣内議員に代表されるヤジの問題もある。しかし議員からのヤジを取り締まるのならば、意見開陳の方法もまた大きく改善すべきである。6月県会を見ている限りでは、議員らは意味もなくヤジを飛ばしてはおらず、ヤジと発表者の答弁内容とは連動している。
また不信任案の提出時などがそうであったが、賛否両論の意見陳述において、同一会派から3人が出るというのは悪平等であり形式的に過ぎる。会派は共通の政治目標を掲げる集団であり、同一会派から3人が出ても同じような意見が3回繰り返されるだけである。同一会派からは1人、多くて2人とし、その上でできるだけ数の差を付けないようにと改めるべきではなかろうか。
一人当たりの持ち時間を決めることは必要であるが、田中知事のように質問に明確に答えないような場合には、議長判断によりサッカーのロスタイムのような制度を取り入れても良いのではないだろうか。

2.政治手法

田中県政の政治手法は共通するところがある。自身の理念に基づくスローガンをまず掲げる。そしてマスメディアを利用して既成事実化させてから公表する。しかし往々にしてそれらは非現実的、もしくは困難が伴うものであり、様々な抵抗が生じる。それは単に既得権侵害への反発と云うものではなく、国の立場、県の立場、市町村の立場、そういったものを無視しての、いわば主権侵害による反発である。県の施策は県だけで出来るものではなく、だいたいは国や市町村と連動して行われている。ダム問題はその典型例であり、下諏訪ダム建設事業の共同事業者である下諏訪町や岡谷市は「脱ダム宣言」が出されるまで全く知らされていなかった。

田中知事の政治手法については、しばしば「根回しがない」と云うことが聞かれる。県議会側からもその発言があった。
これは厳密には違う。根回しと云う言葉には、それをしなければならないという法的もしくは道義的責任は無いものの、事を潤滑に進めるために関係者と行われる事前工作もしくは調整と云うようなニュアンスがある。
田中知事に足りないのは関係者への“根回し”などではない。“説明責任”を怠っていることが問題なのである。下諏訪ダムの問題を例にすれば、脱ダム宣言を出して下諏訪ダムの中止を唱えるのならば、発表に先立って、共同事業者たる岡谷市長や下諏訪町長に相談し説得する責任が田中知事にはある。共同事業者であるからには、当然そこに協定という契約が結ばれている筈であり、岡谷市長や下諏訪町長がその協定書を盾に裁判を起こしたら、田中知事は恐らく敗訴するであろう。

県庁1階に設けられたガラス張りの知事室は、情報公開の象徴として広く伝えられた。一部にはパンダ小屋などとの揶揄も飛び交う中で、知事を見るために県庁へ来る人も増えた。
しかし知事は常に1階で政務を執っていたわけではない。厄介な事に当たる時には1階ではなく3階の旧知事室を用いていたと云う。情報公開を謳いつつも、肝心なことは常に密室で行われてきた。

しなの牛の問題も田中県政の特徴的なものである。「信州牛」と云う既存のブランドがあるにも拘わらず新ブランドを打ち出したが、各方面からの反発を受け、市長会の中で唯一知事に好意的だった中野市長にまで無理があると指摘され、結局はBSE騒動の中で立ち消えになってしまった。宣伝用ポスターに友人の河内屋菊水丸氏を登用したことについては、県民からホットラインで度重なる質問が出されるもまともな返答が返ってこなかった。
今年の4月に知事の肝いりで開催されたインフィオラータもまた、疑問符だらけの事業であった。24万人の出足が見込めたという結果報告も、この時期には従来から少なくなかった善光寺への参拝客の数との相関性は全く報告されておらず、事業費の精算額も当初額よりも2千万円以上、約40%オーバーになるなど不透明さが目立った。

スローガンを掲げ、アドバルーンをあげることは誰でもできるし、そこに甘言があれば甘味につられて多くの人が飛びつくであろう。その内容が魅力的であればあるほど、それに対して非現実的だと反対する者は、その指摘が合理的であろうともバッシングを受ける。そのため指摘や諫言をする者が次第にいなくなり、結局はスローガンを支える者がなくなって倒れてしまう。
平成に入ってからだけを見ても、日本人はバブル崩壊という痛い経験をしており、甘味につられて飛びつくことの危険さを知っている筈である。バブル期における土地や株などへの投資は、現在多くの不良債権を生み出しており、未だに社会問題となっている。日本人は、長野県民は、それから何を学んだのだろうか。

知事には一政治家として、また行政のトップとして、スローガンを掲げ、アドバルーンをあげる権利がある。しかし同時に、そのことに関する義務を遂行し、責任を果たさなければならない。それらのうちの最も初歩的な、関係機関との調整ということすら、田中知事は怠ってきていると云うのが田中県政の現実であり、市町村長や市町村議会を不必要に敵に回しているのもそのためである。
田中知事の「北朝鮮発言」が悪評なのは、「北朝鮮」と云う現実の国を誹謗するかのような表現もさることながら、自分の云うことを理解できない者は長野県から出て行けと云う姿勢が非難されているのである。はやりの言葉で云うところのアカウンタビリティ、説明責任と云う認識がこの知事の政治手法では殆ど見られない。下諏訪ダムの確約書騒動における地権者に対する知事の誠意無い対応は、まさに確約書の当事者でありながら説明責任を放棄した醜いものであった。
自分の行ったことの後始末もろくに出来ないことがいくつも露見している。それらが多くの悪評を生んでいることに、田中知事は未だ気付いていないのではなかろうか。

知事は数多くの公約を掲げて当選したが、公約を守らないということもあちこちで取りざたされている。社県連の竹内県議のように、知事の公約は守られているかを体系的に検証をしている人もいる。
知事選当時の主要な話題の一つに、オリンピック帳簿焼却問題というものがあった。田中知事はこれの解明を選挙戦で訴え、多くの県民の支持を得た。しかし知事就任後、何度か議会でも取り上げられたが、その問題は棚上げされた。そのうちに明るみになったことは、田中知事の公式な後援会である「しなやか会」の会計責任者である長野アポロの吉田社長がその問題に深く関わっていたと云うことであった。吉田氏への疑惑が徹底追求されたら、しなやか会そのものが解散してしまうのではとする声も聞こえてくる。
6月の知事会見で田中知事は、吉田氏について「犠牲者」であり「責任者が出てこない」と述べたが、出てこないのならば追求すればいいし、それを追求するというのが知事の県民に対する約束であった筈である。吉村県政時代へのシンパシーが全くない知事にとって、前代の不始末を追求することは得することはあれど損はしない。しかしそのことについて、知事が調査をした形跡すら見られないのが事実である。

改革を約束に掲げた以上は、改革を実際に汗をかいて断行していただきたい。1年8ヶ月が過ぎ、田中知事は自ら掲げた改革の目標に対して成果を出すことができないどころか、汗をかこうとする姿勢すら見せなかった。それでいて対外的には取り組んでいるかのような素振りをしている。同じように批判される小泉首相ですら、スピードこそ遅いものの、少しずつ成果を出している。
地方自治を推進し、県と市町村とは対等だと口では云いつつも、実際にとっている行動は、やることなすこと市町村の主権を蔑ろにすることばかり。県庁詣でを中止すると云いながら、実際には市町村長に挨拶に来るよう圧力をかける。
質問に対して答えていないのは県議会においてのみではない。売り物にしていた車座集会にしろ、県民のこえホットラインにしろ、特に批判的な意見には耳を傾けず、質問にもはぐらかして答えないということがあちこちから暴露されている。
現時点で云えること、それは、これまでの田中県政は羊頭狗肉だらけであったと云うことである。

3.ダム問題

政治手法の中から敢えてこの問題を別項に取り上げたのは、ダム問題が今回の不信任の象徴的出来事であったからである。

知事の支援者が口をそろえて云うように、知事は公共事業の見直しを公約に掲げて当選した。しかし一般に、見直しとは中止するということではない。個々の事業の必要性や妥当性などを再検証し、必要ならば続け、不要ならば中止すると云うことが「見直し」である。それとも田中知事やその支持者にとって、見直しとは即中止と云うことであったのだろうか。それならばダム以外の大型公共事業が継続になっていることの説明がつかない。
特に木曽右岸道路計画は、総事業費数千億円という事業費の規模や木曽山林を開発して造ることや国道19号がほとんど渋滞していないと云う現実に照らしての必要性という観点から見て、個人的にはダムよりも先に見直されるべき事業であると思うが(下記・注)、田中知事がそれを「見直し」した形跡が無いどころか、積極的に推進している。

「脱ダム宣言」では、自然環境への負荷と云うものを前面に出してコンクリートダムを造らないようにするとし、そこに何気なく下諏訪ダムの中止が述べられている。なぜ「下諏訪ダム」の中止だけが明文化されているのかと云うことについては議論が紛糾した。同時期、浅川ダムなども是非が揺れており、なぜ下諏訪ダムだけが名指しされているのかと云う疑問への答えは未だ示されていない。
なお、その問いへの答えと思しきものは知事ではなく報道がもたらした。下諏訪ダムのダム反対派の医師2人から、田中知事が多額の献金を受け取り、選挙活動の支援も受けていたことが発覚した。

「脱ダム宣言」が出された時、議会側から2つの反撃があった。
一つは代替案の提示を知事に求めたことである。それに対して知事は代替案の存在を明確に答えたものの、議会で示された代替案は、恐らくダム計画を肯定するための資料として用意されていたと思しき、おおよそ非現実的な河川改修の図であった。これには議会側も反発し、売り言葉に買い言葉で、知事は「どんなに高額であろうともダムではなく代替案で治水を行う」と明言した。
自然環境への負荷が出発点であったにも拘わらず、論点がずれていく。それでいて現実的な代替案を提示できない。
「綸言汗の如し」と云う言葉があるが、知事は皇帝ではない。一旦出した言葉を謝罪して引っ込めることは充分にできるし、せいぜい一時恥をかくだけで済む。しかし知事はそれをしようとはしなかった。「脱ダム宣言」も、「代替案がある」ことも、「どんなに高額であろうともダムではなく代替案で」と云う言葉も、知事は撤回しなかった。

議会からのもう一つの反撃は、「砂防ダムは脱ダムには含まれない」という知事の言質を取ったことである。
大型の砂防ダムと生活貯水池ダムとでは共に巨大コンクリート構造物であり、しかも構造物の規模に大きな差がない。しかし片方が自然環境への配慮を謳った脱ダムの対象であり、片方が対象外というのは説得力に乏しい。議会が突っ込んだ追求をしなかったこともあるが、これについてもまた、知事は明確な返答をしていない。
穂高町の市民団体は、「脱砂防ダム」という活動を始め、民主党の中村議員を招いて安曇村の砂防堰堤を視察した。安曇村は県ではなく国直轄の事業ではあるが、それを聞いて田中知事はどう思っただろうか。

脱ダム宣言が出されるまでの様子については、読売新聞がスクープし、後に光家部長が公式会見をして明らかになる。特別秘書や土木部長などにそれが知らされたのは議会での発表の1時間前であり、議会や関係市町村長には事前協議どころか連絡すら無く、関係市町村長にはマスメディアが大々的に報じた後になって、電話で連絡したと云う。繰り返すが、根回しの是非と云うレベルの問題ではない。

議会から提案された条例に基づき、始まった治水利水ダム等検討委員会。しかしこれもまた、委員の人選という入り口から騒動が続き、当初は総合治水と利水を検討することを主眼としていた筈であったのに、いつの間にかダムの有無の議論に終始し、学者委員による結論ありきの基本高水引き下げという曲学阿世なことまで起こり、結局は多数決で「基本高水引き下げによるダム無し案」が答申された。
なお、答申を出すに当たっては県議委員のうち4人が多数決に反対しており、答申に賛成した石坂県議もまた多数決という手法には疑問の声をあげている。

知事が答申を尊重すると発表したのを受け、地元首長らは基本高水引き下げに反発し、国土交通省もまた難色を示した。その間に知事周辺では棚上げ案が検討され、議会の開催と共に知事が発表したのは、それまで全く出されていなかった「河川改修+流域対策」案であった。これを知事は「枠組み」と称して発表し、具体策をこれから詰めるとしたところに、議会側は共産党を除き一斉に反発し、流域対策の具体案を示すように迫るも、知事ははぐらかしに終始した。

時に脱ダム宣言が出されておよそ1年4ヶ月。知事は一体何をしていたのだろうか。
今度の不信任はダム問題が直接の引き金になったのだが、その本質は「脱ダム宣言から1年4ヶ月経ち、当時からあると主張していたダムの具体的代案が未だ示せないとは、知事は一体何をやっていたのだ。そんな無責任な者にこれ以上知事の重責を任せることはできない」と云う、知事の行政責任を問う議会側からの疑問である。
検討委員会の1年にわたる検討は茶番とも云われていたが、そこでの各30ページ以上に亘る答申書の内容が殆ど生かされていないと云うのでは、田中知事にとって検討委員会が茶番どころか検討委員会の存在自体が不要であったことを自ら立証したようなものである。

余談だが、検討委員会で多数決に反対した県議が多数決で知事不信任を決めたのはおかしいと非難する人がいる。検討委員会と県議会とでは、議論の性質もルールも異なっており、それらを同一視しての非難は的はずれである。現実に、ダム検討委員会では最初に「多数決を採らない」と議長が明言したことは広く知られており、議員委員らが多数決に反発したのはそのルールに則ったためである。検討委員会はその性質上、両論併記として答申しても問題は無く、逆に議会では両論併記は許されない。

4.田中知事をめぐるスキャンダル&騒動

田中知事にはスキャンダルが数多いが、知事になる前のものを述べても意味がないので、ここでは省く。

知事就任後のスキャンダルとして真っ先に挙げられるのは、知事室で女性タレントを膝に乗せてシャンパンを飲んだと云う写真週刊誌の記事であろう。この記事を直接見た県民はあまりいなかったであろうが、信濃毎日新聞などがそれを転載したことにより、県内外の人がそれを知るようになった。
この記事が田中知事に与えたインパクトは決して小さくなく、ちょうど同時期にあった「北朝鮮発言」との相乗効果で、支持率が大幅に転落した。特に女性の支持者の多くが、この記事を見て田中知事に愛想をつかしたようである。
長野県は男女共同参画推進を唱えているが、その領袖たる田中知事の女性蔑視的な言動はまだ他にもある。最近では、公共事業評価監視委員会の人選で女性が入っていないことについて、「女性が入っていないことに何か問題があるのか」と答えたことが知られている。

人権に関連したものとしては、養護学校での「吉本発言」も挙げるべきであろう。養護学校の学生を吉本芸人に見立てた発言は、人権意識の欠如を改めて露呈させた。

大雪の時に田中知事が県外へ副業に出かけていて、災害が起こった時に陣頭指揮がとれなかったことを非難する声がある。災害発生時に余所にいて陣頭指揮が執れないことそのものについては、小生はあまり問題ではないと思う。ただしこれに関する田中知事への非難の背景には、公務ではなく副業で県を留守にすることがあまりにも多いことへの反感が根底にあることは云うまでもない。

田中知事の場合、国政や他都道府県の絡みで、いらぬ騒動を起こすことが少なくない。
知事就任から少しして起こったのが、インパクを巡る、当時経済企画庁長官だった堺屋太一氏との諍いであった。互いの言い合いとなったが、堺屋氏のほうが馬鹿らしくなって降りてしまった。同じ頃に起こったのが、「ペルーのフジモリ元大統領はペルーへ送還させるべき」との発言で、これに対しては作家の曾野綾子氏が反発したが、知らぬうちにうやむやになってしまった。
脱ダム宣言が出された後には、知事就任当時に最も尊敬する人としていた高知県の橋本知事のダム政策に触れて、「ダムをやろうとする奴はダメなんだ」と週刊誌上で暴言。その他に石原都知事を「カワード」(臆病者)と呼んだり、三重県の北川知事の推進する改革を「時代遅れの改革モデム」と批判したりと、暴言癖は止まらない。
特に小泉首相への批判は折に触れて出てくる。昨年のアメリカでのテロに日本が協力することになった時には、「いわゆる参戦宣言」だと発言し、最近では有事法制の会議に出席して「たたき台にもなっていない」と発言。
これらはすべて、批評家・田中康夫としてでなく、長野県知事としての発言である。県知事はまがりにも県の顔である。こういった一連の挑発的発言が長野県の品性を著しく傷つけたことは間違いない。どこが県民益なのだろうか。

物議をかもしたと云うのならば、昨年夏の甲子園でのヤッシー着ぐるみ騒動がある。これについては写真週刊誌で田中知事とも浅からぬ因縁のある『Friday』が報じていたが、その中で田中知事個人のマスコットである「かもしかヤッシー」について、三段論法まがいの頓珍漢な屁理屈を使ってそれを球場応援席へ持ち込むことを正当化していたことが非常に可笑しかった。
どんなに屁理屈を並べようとも、「かもしかヤッシー」は田中康夫個人のマスコットであり、長野県のマスコットではない。参加校の塚原青雲高校とも何ら関係がない。こういうのを公私混同と云う。あれを長野県のマスコットと決めた根拠があるのなら是非見せていただきたい。
また、「選挙に行こう勢」を長野ではなくなぜか東京で行ったことも疑問視された。

行政における常識の欠如から生じた親展騒動勧進帳への寄付による公職選挙法違反騒動などは、騒動そのものの規模は取るに足らない。きちんと事後に自らの認識不足を詫びて反省し、同じ過ちを繰り返さなければ済む話である。
むしろ、田中知事が係長級以上の全県職員に対して、知事選で誰に投票したかを書かせる調査をしたことのほうが重大事である。知事選で県職員が組織的に公職選挙法違反をしたことが発覚したが、この調査の一件で知事側の大義名分が消えてしまった。この調査のほうが大鹿村の勧進帳寄付騒動よりも公職選挙法の精神に抵触するのではないかとすら思うのだが。

常識に欠けたということでは、選挙時における献金の差出人もまた取りざたされた。有名なところでは下諏訪ダム反対派の医師2人があり、信濃毎日新聞や信越放送といったマスメディア、八十二銀行関係者、北野建設などの建設業界、そして後には暴力団関係者からの献金や選挙協力があったことまで発覚した。田中知事は暴力団関係者からの献金については自分の与り知らぬところだと釈明しているが、責任者が誰であったのかなどの事実関係を未だ公表していない。
どんなにきれい事を並べようとも、何百万もの金をポイと渡せるものではない。中央で企業献金を規制しようという動きが活発化しているが、献金は何らかの目的があってのことではないかと思うのが普通である。しかも上記のうち、暴力団関係者以外については、“見返り”となるものが現実についていると指摘されている。

そして色々な意味で田中県政の本質的な問題を露呈させたのが、前述の「北朝鮮発言」である。
北朝鮮発言には前段がある。多くの人が指摘をしているので細かくは載せないが、県内の高校で、高校生を相手にして出た「理念を共有できない者は他の惑星にでも」と知事が発言したのを産経新聞の田中知事ダイアリーに掲載されたのがきっかけで、「北朝鮮」という具体的な名詞それに関連して出てきたものである。
ちょうど安部副長官の早大での発言を受けて福田官房長官がオフレコで「非核三原則発言」をしてしまったのと状況は似ているが、本質は全く異なっている。
当時の詳細は産経新聞の田中知事ダイアリーに掲載されているのでここでは省く。
産経新聞の田中知事ダイアリーによると、高校生と対談したこの時、田中知事はもう一つ奇妙な言動をしている。女子高生に渡した人形を返してもらった時に田中知事は「汚れちゃったね」と人形に対して呼びかけたらしい。40過ぎの男が人形を持ち歩くということについては言及を避ける。しかしこの発言が少なくとも相手の女子高生に対して失礼極まりないものであることは云うまでもない。これがどういう意図でのものかが分からないが、まさか差別意識に基づくものではないだろうし、少なくとも知事として不適切な発言であったことに違いはない。

5.田中知事とマスメディアとの関係

田中知事は知事就任後、扶桑社の『週刊SPA!』と月刊誌の『噂の真相』で連載を続けてきた。その他にラジオやテレビ番組にレギュラーで出演した。マスコミへの露出そのものは非とするものではないが、物事には程度と云うものがある。そして、そういったマスメディアの場での発言や寄稿が何度も要らぬ物議をかもした。

知事就任の後、政治手法などで対立を深めた光家土木部長(当時)に対しては、『週刊SPA!』の連載で名指し批判をしたことが問題になり、逆に大人の対応を見せた光家部長の株を上げる羽目に相成った。脱ダム宣言を契機に深まった田中知事と杉原特別秘書(当時)との確執では、『週刊現代』が杉原特別秘書を一方的に誹謗中傷する記事を掲載した。杉原氏は黙って辞職したが、後に『AERA』で田中知事について「知事は富士山のような人だ。遠くから見る分には美しいが、近くに行けばゴミが…」と意趣返しとも思われる寄稿をしている。

週刊誌を中心に、田中知事に対しては礼賛記事が知事就任から約1年近くの間続いた。最もすごかったのは『週刊現代』であり、「田中知事を首相にしよう」と云う特集記事まで出す始末。あまりの礼賛ぶりがかえって悪評だったのか、はたまたネタ切れか、脱記者クラブ宣言の頃を境に、週刊誌の礼賛モード記事は下り坂になった。

脱記者クラブ宣言は、知事とマスメディアとの関係にある方向性を導き出した。脱ダム宣言に関するスクープ記事が端緒となり、田中知事は読売新聞への批判を繰り広げ、また脱ダム宣言の後に光家部長が配布した資料によりダムについての基礎的知識を学んだ新聞社が脱ダム宣言への批判を始めたところから、知事は新聞各紙へ冷淡になる。脱記者クラブ宣言を諸手をあげて悦んだのは週刊誌であったが、実際には彼らはほとんど長野には来ておらず、一部のお気に入り記者だけが優遇されるという情報面での癒着構造がこの時に起こった。
それからは、田中知事に関する記事で突っ込んだ批判をしたマスメディアは、読売新聞、『週刊大衆』、『AERA』程度であった。特に読売新聞は、下諏訪ダムの地権者確約書問題など田中知事に関する幾つかのスクープを報じて、それが田中知事による一層の読売バッシングを呼んだ。一方で信濃毎日新聞が、議会前ごとに必ず知事に利するスクープ記事を報じていることに対する疑問も生じた。

6.積み残し

田中県政では数多くの問題が提示されたが、ほとんどが未だ積み残しとなっている。以下に、主な積み残しを載せておく。

○ISO14001獲得
厳密にはこれは前代の功績。しかし県庁のみで現地機関は対象外。
○あぐり研究
田崎真也氏の名を県民に知らしめただけで何をしたのか不明。
○インフィオラータ
元はイタリアの花祭りで、日本では神戸などで既に実施。当初予算額4500万円に対して精算額6500万円となる。費用対効果や純粋な観光客動員数などは不明のまま。
○オリンピック帳簿焼却問題
田中知事はこれの解明を選挙中に唱えたものの、しなやか会の会計責任者である吉田氏が深く関わっていることもあってか、知事就任以降全く調査が行われていない。田中知事では永久に解決不可能。
○車座集会
知事が県民の生の声を聞こうと県内各地を漫遊するイベント。自分の気に入らない質問に対しては返答を避け、独演会モードに入ることしばしば。車座集会で指摘のあったこともすぐに対応するとは限らないことも露見している。
○県民のこえホットライン
県民の質問に県が答えるということで鳴り物入りで導入されるも、電子メールに住所氏名を記さないと返答しない可能性があることや、答えのテンプレートがあることや、知事宛の質問には答えがほとんど返ってこないことが間もなく露見し、下火になる。
○公職選挙法違反調査
係長級以上の全職員から、知事選で誰に投票したのかを聞き出そうとした調査。これもまた棚上げ状態。
○こども未来センター
ようやく検討委員の面々が決まって検討が始まる。
○産廃処理場問題
豊科町の住民の意見を二分するような大問題だった筈だが。
○しなの牛
信州牛とは別の新ブランド名を立ち上げる企画。BSE騒動が起こった時にいつの間にか立ち消え。
○脱ダム宣言
前述のとおり。宣言が出され、検討委員会が立ち上がるも、1年4ヶ月を経た今に至るまで代替案が提示されていない。なぜ砂防堰堤がこれの対象外なのかと云う説明もなされていない。
○脱記者クラブ宣言
表現道場として生まれ変わる予定であった筈が「道場」の言葉が反発に遭い、プレスセンターとして落ち着く。お気に入りの記者数人にだけは独自の情報が優先的に流されると云う現行システムの形成の端緒に。
○ダム検討委員会
議会側からの提案で出来た珍しい委員会だが、知事がすべてを仕切り、委員構成が脱ダムありきに偏向していることがすかさず報道されていた。学者委員が曲学阿世的なご都合主義に趨り、最後には公開を謳い文句にしていたのに密室で草案が作成され、多数決でダム無し案とすると決定。しかも知事はその答申書の内容をほとんど無視した独自の治水案を提示。
○男女共同参画推進
知事は数多くの検討委員会などを立ち上げるも、女性はほとんど参加していない。
○トイレ研究
県政の中で行うべきことだろうか。
○同額落札疑惑
スクープを報じた信毎のほうに逆に記事捏造疑惑が出てしまい、測量業者から抗議を受けたこともあって立ち消え状態。
○入札制度改革
光家氏が土木部長の時に企画立案したものだが間際に田中知事によって潰される。1年が過ぎて今年に入り制度の改革が行われ、、予定額の公開が一部で行われている。
○パソコン騒動
土木部などのパソコン等の購入に不正があり、徹底調査を言明するも、いわゆるスキャンダルではなさそうだと云うところまで分かった段階で立ち消え状態。
○保健所職員接待疑惑
出たはいいがすぐに消えてしまった。

おわりに

ここでこれまでの田中県政1年8ヶ月の全てが網羅できたとは思っていない。
田中知事の誕生により、既存の枠が破られたことは事実であろうし、今後、知事選に入り別の人間が知事になろうとも、以前の吉村県政のようなスタイルには戻ることは無いであろう。田中県政になって、既存のものがある程度壊れ、新たなものが提示された。しかし田中知事には新たなものを提示することはできても、それを自ら具体的に推進していくこと、責任を取ることができない人材であることも同時に明らかになった。三つ子の魂は百までと云う。今から田中知事の人材を変化させることは無理であろうし、それを変えるよう求めることも一個たる大人に対して失礼である。

田中知事は長野県を変化させるきっかけを作るという功績があった。それは全県民が素直に認めるところである。しかし、長野県における田中知事の果たすべき役割は既に終えている。功績の報償として知事を続けさせることができるほど、今の長野県に余裕は無い。これ以上長野県知事に留まることは、誰にとっても幸せではない。いつまでも夢を見ているわけにはいかない。

夢は終わった。他に何が云えるだろうか。
夢は終わった。既に過去である。


“羊頭狗肉”という言葉は、古代中国、春秋時代の斉(せい)という国の宰相だった晏嬰(あん・えい)の逸話集であるとされている『晏子春秋』雑下第六編「霊公丈夫飾を禁ず」に由来するものである。
紀元前560年頃、斉の霊公(れいこう)という君主が、女性の男装を禁じるお触れを街に出したが、誰も守ろうとせず、力づくでも従わせようと役人を巡視させても一向に無くならない。その理由を問われた晏嬰は当時まだ20代くらいであったが、「宮中の女性には男装を認めて街の女性に禁じているのは牛首を掲げて馬肉を売るような行為であり、宮中での男装を止めさせれば街の女性は従うでしょう」と答えたという。
この故事から「牛首を掲げて馬肉を売る」という言葉が生まれ、やがてそれが「羊頭狗肉」に変わり、現在に至るまで「看板に偽りあり」と云う意味で用いられている。

3の注:
云うまでもないが「中止しろ」ではなく「計画規模の縮小や計画変更ができないのか」と云う意味である。木曽右岸道路計画のスタートは、国道19号の木曽谷での迂回路が無いというものであるが、細かい迂回路はあちこちにあり、主に迂回路が無いのは国道19号のトンネル部分だけで、それを以て大規模なバイパス的道路を造るという必然性には乏しいと感じる。交通量の大半は大型車などの通過車両で、その気になれば恵那市から塩尻市へは高速道路で迂回することができる。しかも木曽谷と伊那谷とのアクセス道路である国道361号バイパスが現在建設中である。


苦渋の選択であった不信任(H14.7.5)

今回の不信任劇は、いみじくも議員が語ったように苦渋の選択であろう。
ダム問題などにより、田中知事にこれ以上県政を任せておけないというのが、共産党を除く議員のほとんどの共通認識となっているが、マスメディアにコネを持つ田中知事にレッドカードを突きつけると云うことは、自らが激しいマスメディアの批判に晒されることを覚悟しないとできない。それ故に、基本的には田中知事反対の立場であるにも拘わらず、社県連が迷ったのだと思われる。

恐らく社県連が躊躇したのは、マスメディアを事実上の敵とする以上、誰の目にも田中知事の失政が明らかになるまで待つべきではないかという思いがあったためであろう。不信任を出すに至った経緯には大きな違いは無い。今までの失政を累積していけば、不信任と云う結論が出ることは全く不思議ではない。

故事を繙くと、『春秋左氏伝』隠公元年(紀元前722年)に鄭という国で内紛が起こっている。
鄭の君主である荘公に対し、弟の段が謀叛を起こし、兄弟の母である武姜が段に内通していたが、荘公はすかさず手を打ち、あっさりと反乱を鎮めた。段の謀叛は20年ほど前から兆候があり、荘公もまたそれを察知していたが、母が弟の段を偏愛していることを知っており、何よりも肉親でもあるため、段の罪が明らかになるまで意図的に放置しておいた。そのため段が反乱を起こした時には国人が誰も段に味方せず、荘公は容易に反乱を鎮めることができたのである。

社県連の主張は、9月頃に知事が示す代替案の具体案が出されるから、不信任はそれを待ってからでも遅くはないのではないかと云うものである。それは一理あるが、問題は鄭の国が当時富裕であったのに対して、今の長野県は猶予がほとんど無いということである。
現時点での解散は、恐らく県議会にとって逆風となるに相違ない。ちょうど、小泉首相が田中前外相を更迭したのと同じような状況である。同情論が田中知事を支えて支持率を伸ばし、その前には正論も霞むことが予想される。
田中前外相は更迭されて当然の人物であった。しかしそのタイミングがあまりにも田中前外相に有利な状況であった。過去の失政を批判して更迭を当然とする声はは全て同情の声にかき消された。

しばらくは田中知事への“同情”による支持の声が長野県内で吹き荒れるに違いない。とはいえ、既に幾つかの失政を目の当たりにしている以上、県議会への反発という感情的な軸でしかないから、当選直後のような90%近い支持率と云うような熱狂にまでは至らないであろう。既にインターネット掲示板ではその兆候が出ている。しかし救いは、選挙投票日まで2ヶ月近くの時間的余裕があると云うことである。日本人は熱しやすく醒めやすい。県議会側には県民の感情的反発があるにせよスキャンダル等の失点は今のところ無い。反発の感情はいつまでも燃え上がり続けるものではない。

そして議会の面々には可哀相だが、議会側が擁立する候補はよほどの人物でない限り、組織力を駆使しても田中知事へのにわか同情票の前には勝てない。羽田参院議員、北沢参院議員、小山前参院議員、アルピコ社長、塚田前長野市長などの名前が出ているが、少なくとも、現在取りざたされている面々では田中知事には勝てないであろう。座して第三の候補を待つというのも無責任との誹りを受けるであろうし、県議会側にとってはまさに苦渋の選択である。しかしそれを承知の上で不信任のカードは切られたのである。

田中県政において、県政会と社県連は是々非々を唱え、歩み寄るべきものは歩み寄る姿勢を示したが、基本的に一貫して野党であった。共産党は脱ダム宣言が出されるまでは野党であった。政信会は県政会の中でも急進派が揃っていると云われており、田中知事批判という基本姿勢は県政会と考え方が似ている。

そういったこともあり、今回の不信任案提出までの間、小生が密かに注目していたのは県民クラブの動きであった。県民クラブは政信会が発足するまでは議会内の第2会派であり、8人が所属している。国の政党で云えば公明党と民主党の寄り合いである。県政会が多数を誇ろうとも、不信任案を出すなどということになれば、県民クラブや社県連との提携は不可欠であり、田中知事との協調姿勢を見せることも少なくなかったこの政党が県政会主導の不信任案に賛同するのか、不信任の動きが出たときから関心があった。しかし蓋を開けてみれば、県民クラブはあっさりと知事不信任の動きに加わっていた。

県民クラブの考え方の揺れを示しているのが、同会派幹事長である宮沢県議のダム検討委員会での言動であると思う。脱ダム宣言が出された時に砂防ダムが該当するのかと尋ねたのは、土砂災害頻発地域を地盤にする宮沢県議であったと云われている。
宮沢県議はダム検討委員として委員会にも加わり、砥川の部会長も務めていたが、ダム検討委員会が委員レベルでなく委員会と云う組織レベルでおかしくなりだしたのは、終盤に入って、基本高水の数値がご都合主義でコロコロと変わるようになってからであった。当時の記録などを見ると、その頃から、検討委員会の席では青山・高橋の知事側近職員と宮沢県議との衝突が見られ、更に宮沢県議と宮地委員長・五十嵐教授とが対立する場面も多く出てきた。

小生は、答申及び知事が提示した代替案と県民クラブの動向の変化とには相関性があると思う。県民クラブが反知事色を鮮明にしたのは、答申の内容が固まりつつあった5月末〜6月頃ではないだろうか。県民クラブが賛同しなければ県政会や政信会が不信任案を出しても通らない。だから逆に云えば、これまでの議会で不信任案提出が噂されつつも実現しなかったのは、出すきっかけが無かったということもさることながら、県民クラブの内諾が得られなかったためではなかろうか。

ところで、県政会には知事寄りの議員が4人いることが前々から知られていたが、それに違わず、不信任案採決の直前になって県政会の議員3人が退席し、4人のうちの残り1人もまた退席しようとしたが間に合わず席に戻ると云うことがあった。議事に入る前、県政会では会派全員の同意を取り付けていたとしていたが、結果的に3人乃至4人の“裏切り者”を出したことになる。4人目については未遂だったこともあり、県政会でも大目に見るのやもしれぬが、退席した3人については除名という処分になりそうである。

石坂議員や地元の人は3人の退席を誉め称えていると云う。敵失であるため石坂県議が喜ぶのはおかしくないにしろ、地元の人がそれを喜ぶと云うのは気が知れない。彼らの地元民は、“嘘つき”を県会へ送り出したと云うことに他ならない。
彼らの退席するという考え方を批判しているのではない。政治家の玉虫色の選択としては有り得るものであるし、社県連の議員らは自らの考えを明確にした上でそれを堂々と行っている。同じことを4人も行おうと思えば出来た筈である。
そして恐らく、今回の不信任劇で一番株を下げたのは、退場しそびれて不信任案に対してしっかり白票(賛成票)を投じながらも、終わってからそれに批判をして恥じようとしない池田県議であろう。実に潔くない。自ら信じることと異なるのなら、堂々と青票(反対票)を投じれば良いではないか。白票を投じていながらそれを批判するのでは、自己の行動を自ら否定していることになるし、それを以て自分は反対したが如きの態度をとるのは卑怯としか云いようがない。自ら白票を投じたことの責任は自らが取るべきである。
3人乃至4人の県政会の委員は、採決直前になって退席しようとするくらいならば、社県連の7人のように最初から参加しないと意思表示をすべきであった。世の中には色々な考え方の人がいるし、様々な主義主張がある。しかし、主義主張以前の問題として、事の直前になって約束を破り仲間を欺くような人物を二度と県議会へ送り込まないでもらいたいできない約束をして結局は守らず、もしくは仲間を欺いて、しかもそれを恥じないような人物を県民の代表者とすることは長野県の恥であり、信義なき人間を信用することも信頼することもできない。今後どうなるかは今のところ何とも云えないが、恐らく彼らはずっと“裏切り者”“嘘つき”呼ばわりされるであろうし、それは自業自得でもある。


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