書評

<原文> のママ引用)


『オリンピックは金まみれ』 江沢 正雄著

バカバカしき祭りの、バカバカしき裏側かな

 国際オリンピック委員会(IOC)の買収スキャンダルが世界中で噴出し、日本でも長野五輪の招致活動に疑惑の目が注がれている。五輪開催中に安っぽい「感動」記事を垂れ流していた日本の各メディアも、連日、長野での招致スキャンダルを取りあげ、スクープ合戦を繰り広げている。しかし、現在の五輪が抱える問題点は、何も招致をめぐるIOC委員の腐敗行為にとどまらない。むしろ、それらは五輪全体から見れば枝葉のものといってよい。

 ここで紹介する『オリンピックは金まみれ 長野五輪の裏側』は、現在の五輪が内包する病根の全貌を明らかにした注目の書である。一読すれば、誰もが華やかな五輪の裏に潜む闇の深さに驚愕するだろう。コマ切れの新聞記事などではとうてい迫りきれない五輪という「巨大な化け物」のもうひとつの姿が、くっきりとあぶり出されているからだ。

 それもそのはず。著者の江沢正雄氏は、長野五輪に反対した地元の市民団体「オリンピックいらない人たちネットワーク」の代表。環境保護の視点から長野五輪に異を唱え、「非国民」のレッテルを貼られながらも、地元で声をあげつづけた人物である。サマランチ会長に「ガツン!」とものをいった数少ない日本人のひとりなのだ。

 江沢氏の約10年におよぶ活動をもとにした本書は、第1部「金で買ったオリンピック」、第2部「オリンピックの自然破壊」、第3部「自治体の財政破綻」、第4部「オリンピック・ファシズム」、それに「オリンピックなんかいらない」の5部構成。長野の招致活動の実態から開催後の現状までをつづっているが、真正面から五輪に対峙した当事者の記述とあって、さすがに迫力がある。具体的な事実の積み重ねから浮かび上がるのは、金まみれの五輪の醜い姿。そして、五輪至上主義にどっぷりと浸かり、市民を翻弄した長野県や長野市の滑稽なまでの狂奔ぶりである。

 五輪はかつて世界最高のスポーツと平和の祭典であったが、今や巨大な国際スポーツ興行に変質してしまった。今回の一連のIOCスキャンダルで、美名に弱い日本人も五輪の実態が少しはわかったはずだ。五輪興行の主はサマランチ会長を中心としたIOCで、彼らは自分たちの金もうけを最大の目的にし、五輪を運営している。

 一方、五輪開催を希望する都市は、基盤整備推進の起爆剤に五輪を利用したいと考えるところが多く、招致活動の過熱化に陥りやすい。そして、招致に成功すれば、開催準備を強引にすすめ、財政や環境への負荷を一気に増大させがちだ。五輪をすべてに優先させる施策を採用するため、さまざまなゆがみが生じてしまうのである。

 もちろん、これらは開催都市に共通してみられる負の現象であり、長野に限定されることではない。しかし、本書が実証しているように、長野ではサマランチ五輪のマイナス面が極限にまですすんだといえる。会計帳簿の焼却に代表される活動費の不明瞭さ、五輪後に急速に悪化した長野県財政の逼迫、あと利用のすべのない巨大競技施設、大勢の動員ボランティアの存在、さらには自然破壊の数々……。江沢氏は「たった2週間の『感動』の値段は2兆円。『借金』かぶった長野市民はダシだった」と、断じている。

 では、なぜ、長野がそれほどまで五輪の負の遺産を抱えてしまったのか。要因のひとつとして考えられるのが、少数意見を徹底的に排除し、全体をひとつの方向に向けたがる日本の社会風土である。

 沢氏は本書の第4部「オリンピックファシズム」の中で、「県民の総意」という虚名のもとに五輪翼賛体制が作られていく様を冷静につづっている。まず地方議会が全会一致で五輪招致を決議し、無関心の市民たちも次々と五輪総動員体制に取り込まれていった。主体性が希薄で、官に弱く、長いものにすぐ巻かれてしまう日本人の気質が浮き彫りになる。その一方で、「オリンピックはいらない」との意見を公言した江沢氏ら少数派は「非国民」のレッテルを貼られ、ムラ八分に。そして、五輪期間中は公安刑事に尾行される事態となった。

 批判の声を封殺していった長野は五輪へのチェック機能をもたず、やみくもに猪突猛進していった。江沢氏はこう書いている。「ファシズム的な社会は一夜にしてできるわけではない。かつて国家権力によって人間としての権利を蹂躙され、家族や友人を大陸に追いやった苦い経験をもつ長野県民は、戦争に『ノー』と言えなかったが、たかがオリンピックにも一人称で『ノー』と言わなかった。この国にはいまだに民主主義がまったくないことを、長期オリンピックの12年間は見せた」

 本書はまた、メディアがオリンピック・ファシズムの確立に大きな役割を果たしたと指摘する。なかでも「地元の信濃毎日新聞社は県と一体になって五輪招致の旗を振り、都合の悪い情報を伏せて、県民の意識を五輪へ誘導した。御用新聞の責任は大きい」と、激しく批判している。もっとも、ほかのメディアも似たようなものだった。招致活動中はまだしも開催が決定してからは、どこの五輪報道もおよび腰。日本のメディアも五輪で商売しており、さらには自社主催のスポーツイベントで競技団体の世話になるところが多く、スポーツ界をタブー視しがちだ。IOCやJOC(日本オリンピック委員会)の顔色をうかがい、批判精神を発揮せずにいた。こうしたメディアの姿勢がオリンピック・ファシズムを助長し、開催中は感動の渦をつくり出したのである。戦前の大本営報道に酷似している。

 日本選手の予想外の活躍で「感動を呼んだ」とされる長野五輪だが、実際には報道されずに封印された出来事の方が多い。長野五輪に感動した方も本書を読み、祭りの後をじっくりと振り返ってみるべきだろう。

99/2/19 週間金曜日 (フリージャーナリスト 相川俊英)

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 昨年末の疑惑発覚から大ゆれのIOC。次々と明らかになる五輪招致の裏舞台と裏工作に世界が驚いた。しかし、この事態を「やっぱり」と受け止めた人々が長野には少なからずいる。

 著者もその一人で、長野五輪開催に10年前から反対運動を続けてきた。著者とその仲間は、今回あらためて取り上げられている「過剰接待」「会計帳簿破棄」の問題もずっと以前から追求してきていたのだ。「昼食はフランス料理の『鯛万』か、市長や知事のおなじみの料亭『巴庄』か『ます栄』、県庁に近いすき焼きの『すき亭』のいずれかで、市長・知事が同席する場合も……」と、IOC委員への接待を始めとして、具体的調査は、環境問題、報道の責任、破綻寸前の地方財政と多方面に及ぶ。

 オリンピックの裏はまさしく金まみれ。しかも、その金は市民からの借金だ。夏季五輪に立候補している大阪市民への「オリンピックなんか儲かりまへんで」という説得力のあるメッセージの意味は重い。

99/3/18 週間新潮