上山競馬場

昭和33年4月開設
コース:右回り1周1050m・直線200m
平成15年11月11日限り廃止

 昭和31年の豪雨により被害総額3億2千万円という大水害を受けた上山市が、災害救助法の適用を受け、復興事業の一環として市営競馬の開催指定を受けた。昭和33年のスタート以降、市財政を支えたが、来場者の減少などから平成3年度の293億円をピークに減少をはじめた。そして、長い不況の中で劇的に世の中が変わってく中、上山市の姿勢は、旧態然とした経営を続け、ファン掘り起こしを怠ったまま、平成12年度からは赤字に転落。平成15年、いったんは年度末までの開催が決定されたが、11月11日、涙雨の降りしきる中、「第31回山形記念樹氷賞」を最後に無念の廃止となった。競馬場の存続には、合併相手であった山形市、山辺町、中山町の猛烈な反対があったという。この間、平成15年5月、時の山形市長・吉村和夫氏は「競馬の赤字問題は連帯責任で考える必要がある。自分だけがいいという考えではいけない。山形市も責任の一端は負うつもりだ。県はどうするのか」と、廃止の意志を翻意する発言をしている。ちょうど年度末までの開催が決定した頃である。ところが吉村市長が8月、現職中に急逝、あとを受けた市長の「上山競馬場の借金は結局山形市が負わなければならなくなる」という「脅迫」に当たらずとも遠からずの廃止の意志を突きつけられ、合併しなければやっていけない小さな市は断腸の思いで廃止を決断した。そして、その合併協議会も幾多の議論と彷徨を重ねた末、平成17年2月28日限りで解散。「競馬場廃止」という現実だけがあとに残ってしまった。総額200億円もの利潤で市財政を支え続けながら、15億円の赤字が出たところで突然の廃止決定に、競馬場従事者は「花は桜木なのか」と自らを納得させ、振り上げた拳を収めざるを得なかった。いつの世も泣きを見るのは末端の弱者なのである。

 私にとっては、実家が近いということもあって、お盆の帰省時の参戦が「年中行事」であった。いつも同じようなメンバーで戦っているせいか馬券は堅く、一度もプラス収支になることはなかった。「灼熱の太陽と堅くて歯が立たない馬券」という、かけがえのなかった夏の風物詩には、もう永遠に巡り会うことはできない。

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 平成13年8月13日、お盆で帰省中の参戦。パドックにて。こののどかな雰囲気が僕は好きでした。昼っから赤い顔をして、馬券が当たらないとなるや、ジョッキーを大声で罵倒するおじいさんもいたりして、ローカル色満点でした。でも、この「斜陽の賭博場」丸出しの雰囲気が、結局はみんなに受け入れられなかったわけだし・・・。

 写真の「マムシ」こと関本秀幸騎手は、現在浦和競馬(埼玉県)で活躍中。騎乗するタイキディスカバー号は、この年の暮れに荒尾に転入。9歳の今も細々と走り続けています。

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 あくまでも青い空の下、激しい直線の攻防。まだ、上山でアラブのレースが健在だった頃。
 平成13年の暮れ、淘汰の決まったこの地のアラブの多くが益田競馬へと新天地を求めていった。だが、その益田競馬も翌平成14年8月限りで廃止。その後の馬たちの運命はどうなってしまったのか…。
 そしてジョッキー達も生活を求めて全国各地へ…。大外(8番)の小国博行騎手はホッカイドウ競馬、その後ろの関本淳騎手(1番)は岩手県競馬、前野幸一騎手(9番)は佐賀競馬(平成16年引退)へと、それぞれ活躍の場を移した。このレースの勝ち馬は5番のウイングライト(騎手は板垣吉則)。この馬は今も福山で細々と走っています。人も馬もみんなちりぢりになっちゃったんだなぁ。。。

 平成15年8月26日には、冠レース「縁之下大賞典」を開催していただきました。上の写真は表彰式の模様です。友人二人が東京から遠路はるばる駆けつけてくれました。持つべきものは友です!(個人情報保護のため画像処理を施しております。)
 勝利ジョッキーの板垣吉則騎手は、現在、岩手県競馬で活躍しています。また、勝ち馬のニシノチナ号は、上山競馬廃止ののち名古屋競馬へ移籍し、2004年6月から岩手県競馬に転入。ふたたび、板垣騎手と同じ釜の飯を食うことになりました。

PHOTO  「縁之下大賞典」当日の競馬新聞。ご覧のように「B1イ」というハイクラスのレース。それも何とメーンレース。しかも驚くことに全国発売!
 たかが一個人の冠レースに、この破格の扱いは一体どういうことなのだろうかかと首をかしげてしまった。
 だが後日、口取り写真(上の2枚)が手元に届いたときに1つの結論を得た。レース名に拙名を冠したのだが、私の氏名は、関西放送で阪神戦の実況をやらせたら右に出る者はいないという、言わずと知れた有名人と漢字1つの違い(しかも偏は同じでつくりだけが微妙に違う・・・笑)。届いた封筒の宛先には、その有名アナの名が・・・私は光栄にも彼と間違えられていたに違いない。それにしても、有名人が来ると思っていた競馬場はがっかりしたんじゃないかなぁ。。。


 上は平成7年7月31日に参戦時の馬券。シンボルマークの「かかし」が描かれていた。
 下は「縁之下大賞典」の馬券。これが最後の参戦となってしまった。このとき単勝馬券を買ったツーショット号は、上山競馬の廃止後大井競馬(東京都)に移籍。平成16年1月に12番人気を覆す快勝で三連単60万馬券の立役者となりました。

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 場内には飲食店が建ち並び、それは華やかで、あと書店と薬局があれば商店街と見まがうほどの盛り上がりでした(というのは、地元民の贔屓目かも知れませんが…)。写真の丹野食堂の蕎麦は絶品でした。何と言っても山形県の「売り」は「蕎麦街道」ですからね。ちなみに、スタンド1階の食堂のカレーは食べられたもんじゃなかったです。多分、馬糞が混入されていたに違いありません。(というのはもちろん冗談ですが、それにしても、そう思わずにはいられないくらいまずかった。。。)

 パドックの伝馬表は、廃止の日まで黒板に白墨の手書きでした。雨が降ると消えてしまいます(笑)。
 左はエスティーブレーヴ 、平成7年に中央でデビューし、8歳でここ上山に転入、平成16年に高崎で引退するまで12歳まで走り続けたタフガイです。そして、右はユキノクエーサー。平成16年に荒尾で引退するまで走り続けました。鞍上は前述の"ジェイソン"前野騎手です。