笠松競馬場

昭和9年9月開設
コース:右回り1周1100m・直線201m

 「スポーツの世界ではどんなヤツが一番スゴイのか?」・・・連戦連勝の無敵の王者か、人々に感動を与え続けるカリスマか・・・私なら迷わず『ルールを変えたヤツ』だと答える。ノルディック複合の荻原健司の並外れた強さの前に、北欧人たちは見苦しいエゴを繰り返した。90年代のボクシング界を席巻した辰吉丈一郎は、網膜剥離が癒えたあと、自らの奔走で「網膜剥離に罹ったボクサーは即引退」というルールを覆し、見事、そのチャンスを活かして世界王座にカムバックした。身長不足を「頭頂部シリコン埋め込み手術」という奇抜さで切り抜けた長尾修平のその後の活躍に、相撲協会は「アマチュアで実績のある者に限り」という条件付きながら身長制限を撤廃した。この男こそ、のちに「技のデパート」と異名を取り、大相撲に一大センセーションを巻き起こした舞の海修平である。
 クラシック登録がなく、戦わずしてダービー馬への夢を断たれたオグリキャップは、笠松で破竹の連勝のあと中央に移籍。並み居るエリートを蹴散らして国民的スターの座に登りつめた。今に続く「クラシック追加登録制」はオグリキャップが作り出したものだ。

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名鉄名古屋駅では記念乗車券を発売。笠松町というより東海地方全体が「オグリキャップフィーバー」に沸き返っていた。
 笠松競馬場に初めて訪れたのは平成3年1月15日。前年暮れの有馬記念を感動的な勝利で有終の美を飾った、名馬・オグリキャップ号の引退式を見るためである。当時、川崎市に住んでいた私は、新横浜駅を新幹線の始発で発ち、名古屋駅で名鉄電車に乗り換えて朝イチで笠松競馬場に乗り込み、外ラチ前の「最前列」に陣取った。第1レースが始まる前には、すでに場内は満員札止め。私は最前列から身動きできなくなった(従って馬券を1枚も買っていない)。ふと向正面を見やると、木曽川土手には入場にあぶれた人々が群れをなしていた。遠目から見たそれは、さながら畳鰯の趣であった。
 そんな笠松競馬場が、今、絶体絶命の危機に瀕している。昨年をもってアラブ2歳馬が淘汰され、サラも高齢馬が多く、2歳馬の入厩は激減、苦しい台所事情に加え、世の中の情勢も地方競馬に厳しいものとなっている。リュウアラナスの奇蹟に狂喜し、オグリキャップの執念に涙し、ライデンリーダーの鬼脚に度肝を抜かれ、ミツアキサイレンスの健気さに胸を打たれた『名馬のふるさと』は、このままその使命を終えてしまうのだろうか。

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 疾風を切って・・・オグリキャップ感動のラストラン(平成3年1月15日)。去りゆく名馬に、超満員の観衆から拍手の代わりに「満場のシャッター音」が贈られた。(左写真)
 ご覧のように、場内は人・人・人・・・(下写真)



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 午前10時前には満員札止め。入場にあぶれた観衆は、木曽川土手から名馬の雄姿を見守る。この日、競馬場内外でオグリキャップを見守った人々は3万5千人。笠松町の人口を軽く超えていた・・・。

 鈴なりの「俄かカメラマン」を前に決めのポーズ。安藤勝己騎手、このとき弱冠29歳!


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写真提供「東海のおうまさん」様

 2つ目の思い出は、平成13年4月30日、ダート統一重賞・第10回オグリキャップ記念の檜舞台。
 断然の1番人気は当時無敵のファストフレンド(6番)。だが、すでに7歳を迎えたJRAの女傑に『不安説』をでっち上げてしまうところが僕の穴党たる所以だ(事実、このあとファストフレンドは1勝もできずにターフを去っている)。中心は安定度でミツアキサイレンス(3番)を取り、相手には南関のクラシックホース、ハカタビッグワン(1番)を抜擢した。結果はご存じのように、ドロドロの不良馬場を逃げた6番人気のハカタビッグワンがレコードで快勝。ミツアキサイレンスは2着。道中後方でもがいたファストフレンドは3着がやっと。単勝は6千円台、馬単は万馬券の大波乱となった。
 普段なら、「勝てない」とレッテルを貼ったファストフレンドをやはり買い目に入れてしまう、毎度おなじみ『汚いボックス』が自分のスタンス。当然1,3,6の馬単ボックス6点買いをするところだ。ところが、なぜかこの日は意地を張りたかった。しかもミツアキサイレンスが負ける姿を想像できなかった。下した決断は「馬単3→1」1点買い!・・・僕は、雨の笠松で失意の涙に暮れた。

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 そして平成16年10月11日・体育の日、普段着の笠松競馬場。激しい先行争いをご覧下さい。この笠松はコーナーがきつく直線が短いので、スタートでの位置取りがとても重要なのだそうです。こうした経験の積み重ねが、名馬や名手を数多く生み出す土壌になっているのです。
 この日の第7レース。先頭を競り合っているのは、内がこの時点でリーディング1位の川原正一騎手、外が仙道光男騎手(同7位)、その後ろ3番手が廃止になった新潟県営競馬からやってきた向山牧騎手(同8位)、4番手外から上がってくるのが安藤光彰騎手(同2位)、その直後には柴山雄一騎手(同4位=白地に袖青縞の勝負服)の姿も見えます。平成17年にJRA合格を果たした柴山騎手をはじめ、皆さん中央でもおなじみの面々、考えてみれば錚々たる顔ぶれですよね。

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 ここで、ユニークな施設を紹介しましょう。パドックはスタンド正面のホームストレートの並びにあるので、すぐに返し馬に入れる状態となります。「オーストラリアスタイル」と呼ばれ、実際に、この競馬場はオーストラリア人が設計したのだそうです。
 だから、直線の距離も正確に1furlong=201mなんですね。

 窓ガラスのラッピングにエリマキトカゲが姿を見せる「ちびっこひろば」。彼が自動車のコマーシャルで一世を風靡したのはかれこれ20年も前になるでしょうか。この日は「ハッピーマンデー」とあって、場内には家族連れの姿も多く見受けられました。もちろん、パパが競馬に夢中になっても、子供は「ちびっこひろば」で安心です。この「ひろば」、一体何年前からあるんだろう。(下写真)



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 入り口付近で行われていた署名活動。しかるに、高崎のように切迫感が伝わってくるでもなく、呼びかけひとつするわけでもなく、おまけに「競馬場存続」の横断幕はカレンダーの裏にマジックで書いただけの代物で端の方は破れかけています。どこか「訴えるもの」に欠け、投げやりな姿勢に映ったのは気のせいでしょうか。「現実」を一番痛切に理解しているのは、他ならぬ競馬場従事者の方々なのかも知れませんが、「天高く馬肥ゆる」この季節に、2歳戦が1レースもない日があるという状態に陥る前に、オグリキャップ像がくたびれるにまかせた姿に変わり果ててしまう前に、何か手立てはなかったのでしょうか。

競馬場が廃止になったら、場内で働く人たち、そしてオグリキャップ像はどこへ行ってしまうのか?