川崎競馬場
昭和25年1月25日開設
コース:左回り1周1200m・直線300m川崎競馬場は、幼い日に祖父に連れて行ったもらった思い出深い競馬場である。だから、中央も含めて私が初めて足を踏み入れた競馬場ということになる。かれこれ30年以上も昔の話である。そのとき印象に残っているのが1台のリヤカーであった。観客らしき人の一人がやおら外套を脱ぐと、それをリヤカーの中に放り入れた。すると、リヤカーを引いたおじさんが、外套の持ち主に幾ばくかのお金を渡していた。見れば、いろいろなお客さんが次々と時計やら背広やら自分の持ち物をリヤカーに入れてはお金に替えていた。そう、リヤカー引きのおじさんの正体は質屋さんなのであった。「競馬で負けて身ぐるみ剥がされた」とは、平成時代の今日では単なる「もののたとえ」に過ぎないが、戦後復興から高度経済成長期にかけた「激動の昭和」の世界では、ギャンブルで負けるということは、本当に丸裸にされることを意味していたのであった。
川崎競馬は、戦災復興指定都市の開催権を得て昭和25年にスタート。昭和41年に、のちに「鉄人」と称えられる佐々木竹見騎手の年間勝利数世界記録樹立(505勝)に沸き、その後、オイルショック以降昭和50年代は、中野浩一を擁する競輪に人気を食われ、「競輪の利益を競馬とロッテ(オリオンズ=現・千葉ロッテマリーンズ)で食いつぶしている」と市財政的にもお荷物呼ばわりされる有様で、場内では、すさんだドブネズミ色のジャンパーに身を包んだおじさん達が身を持ち崩し、指定席は、その筋で買い占められ闇値が横行した。さらに、昭和62年には情報漏洩で3人の騎手が逮捕(容疑は収賄)されるなど暗い話題も相まって、すっかり市民の邪魔者と化していた。だが、中央競馬で彗星の如くデビューした武豊に端を発し、ギャル軍団が火付け役となった「競馬ブーム」は、笠松の怪物・オグリキャップの出現で、地方競馬にも波及し、その最中である平成元年に名牝ロジータが牡馬相手に4冠を達成したあたりから息を吹き返した。世はまさにバブルの絶頂期であった。そして、平成7年に大井、旭川に次いでナイター競馬を導入。「スパーキングナイター」として安定した人気を得て、現在に至っている。
※註 この取材をするにあたり、大会本部より撮影許可をいただいております。(撮影日…平成16年10月21日。許可番号…No.2)
(4段目のバルブ写真のみ、撮影日…平成17年5月4日。許可番号…No.16)
フルゲートを従来の12頭から16頭に拡大した際に、使用不能となったまま放置されていたトータライザー(枠連を表示するタイプで1〜4枠のゾロ目が掲示できない)を平成15年6月、「キングビジョン」に改装。496平方メートルで「世界一」の大きさを誇る。
バックストレッチの外側に建っているため、それほどの大きさは感じ取れないが、内馬場で観戦している人と比べていただければ、その巨大さがおわかりいただけると思います。
パドックを1号スタンド2階より見下ろす。カクテル光線に馬の毛並みが映えて美しい。下の写真は今野忠成騎手。頭蓋骨骨折という重傷から見事にカムバックし、平成14年に大井の東京2歳優駿牝馬で待望のG1初制覇し、この年川崎リーディングも獲得。今や押しも押されもしない川崎のエースである。
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パドックをご覧いただいたところで、パドック付近の名物を紹介しましょう。
左は「佐々木の予想」。歯切れのよい口上と長年培った信頼で根強い人気を誇り、彼の周りにはいつも黒山の人だかりができます。
右は1号スタンドを2階に登る階段下の「三角部屋」で営業している焼きそば。なにしろ「超大盛」なのが嬉しいです。他にもおでん、大判焼きも是非一度試してみたい味です。すぐ傍にある、入場門の並びの姉妹店のコロッケなど評判の品々がたくさん。
彼らは、リヤカーの時代からカクテル光線の現在まで、川崎競馬場を見守り続けてきた「生き証人」です。
たとえ「なんとかの一つ覚え」と言われようとも、「そこにナイターがある限り」バルブ撮影の魔力は私を捉えて離しません。この日は絞り6.7、シャッタースピード1/3秒です。力強いストライド、蹴散らされる砂・・・モノクロの世界も幻想的でいいでしょう?
当たり前の話ですけど、電車と違って馬には上下動があるので、その残像も波打った形になるわけです。
かつての「ドブネズミ色ジャンパー」のイメージは今いずこ。内馬場は一見すると、都心のデートスポットと見まがいそうです。下の写真は内馬場から見た2号スタンド。平成9年4月竣工、「汚いものほど粗末に扱う」日本人の気質に鑑みた「超デラックス」な内装でお客さんに大切に使ってもらう気持ちを促し、1500円と高額なのは買い占め対策。競馬場側が「日本一の指定席」と自負する自慢の施設です。
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馬頭観音はもちろん場内(4コーナー付近、かなりはずれの方)にもありますが、ここでは川崎市との県境にほど近い東京都稲城市にある馬頭観音群を紹介しましょう。
この馬頭観音群は、建立は古く1816年、市内に現存する最古の馬頭観音だそうです。南武線矢野口駅から稲田堤方向に5分ほど歩いた多摩川縁にあり、ここはかつての渡船場の跡だそうです。一般に馬頭観音といえば、「馬頭観世音」と石に文字を刻したものが多く、このように観音像を浮き彫りにしたものは大変貴重なのだそうです。川崎競馬場や府中競馬場へお出かけの際は、是非途中下車して、「オン アミリトードハンバ ウンハッタ」と唱えながら必勝祈願をしてみてはいかがでしようか。