高知競馬場

昭和8年開設、昭和60年4月1日新築移転
コース:右回り1周1100m・直線200m

 社会現象にもなったハルウララ号の活躍(?)で、すっかり全国区となった高知競馬場だが、私がこの地を訪れたのは2002年7月14日、高知優駿の当日のことであった。「この年のダービー馬誕生の瞬間に立ち会った」と言えば聞こえはいいが、実は主たる目的は別のところにあった。それは、この年開業した、土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり線」に乗ることであった。前々日の12日に高知入りした私は、この新路線を全線踏破し室戸岬で1泊した。季節柄、台風が迫っており、室戸は台風の通り道だから少々心配になったが、幸いにもこのときの台風は進路を逸れてくれた。翌日高知に泊まり、さらにその翌日の14日、いよいよ高知競馬初参戦の日を迎えた。高知駅前から無料送迎バスに乗りこみ、バスに揺られること30分、桂浜の近くの競馬場は小雨模様だった。馬券収支は、8Rで2千円台の穴馬券を的中し、何とかプラスになった。

 「競走馬再生工場」という異名を取り、全国各地からやってきた故障馬や高齢馬がここで蘇り、もう一旗揚げる姿がファンの感動を呼んでいる。ユニークな点では、クラスを過去2年間の獲得賞金により分けることで、「力の衰えた往年の名馬」に活躍の場を与え、希望と感動を提供したことは、大いに評価に値することだと思う。
 今、全国で地方競馬の廃止が社会問題となり始めているが、それよりずっと以前から何度か廃止問題が取り沙汰されている。そのたびにアイディアと経営努力で危機を乗り越え、その姿はしばしばメディアに取り上げられた。今回の施策は、過去の累積赤字を住民の税金で補填し、ホリエモン率いるライブドアとの馬券発売の業務提携、変則的な「上下分離方式」と言える。今後も決して楽な道程ではないとは思うが、是非、四国唯一の競馬場の灯を守り続けてもらいたいと思う。


 まずは室戸岬に宿泊して参戦のために息を整えます。夕食は名物の皿鉢(さわち)料理。チャンバラ貝に鰹のたたき、大皿をこれでもかとばかりに覆い尽くす海の幸は、どれもこれも本当に美味しかった。中でもカマスの姿寿司は絶品!



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 指定席エリアからパドックを撮影。右手奥には馬頭観音も見えます。

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 パドックを周回する中西達也騎手。ここ高知のエースジョッキーの一人です。見事、この日(2002年7月14日)の高知優駿をミドリノオトメ号で制覇。(写真は1Rで騎乗したトップミサイル号)

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見事にハズレ!中西を買えばよかった…


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 コースの背中がもう山です。桂浜の近くにあるこの競馬場は、昭和60年に改築された新しい競馬場です。
 高知県に競馬が発祥したのは明治19年のこと。その後、幾多の変遷を経て、昭和8年に現在地に移転、昭和13年施行の「軍馬資源保護法」により廃止を余儀なくされるが、昭和23年に「戦災市町村」の指定を受け復活を果たす。昭和25年に市街地に移転し廃止、昭和60年に現在の競馬場が竣工という目まぐるしい変遷を持つ。

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写真提供・Gambling Chemist様
 デビュー以来113連敗(平成16年8月3日現在)、社会現象にもなったハルウララ号のフィーバーぶりは、平成16年3月22日、中央騎手招待競走「YSダービージョッキー特別」での武豊騎手の騎乗にとどめをさす。写真のように場内は長蛇の列、駐車場は超満員。このレースは全国発売され、この日の売り上げが大きく物を言って、年間の赤字をすべて精算し、黒字までもたらしたというから凄いものだ。
 それにしても、この馬は父親がニッポーテイオー、母父がラッキーソブリンという超良血だったんですね。これでどうして走らないのかなぁ。。。

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ハルウララの単勝馬券。「当たらない」ということで交通安全のお守りとして人気を博す。
(馬券提供・うま太郎様)