盛岡競馬場オーロパーク

平成8年3月18日開設
コース:ダート左回り1周1600m・直線400m、芝左回り1周1400m・直線400m

2006年正月、園田競馬で「日本の競馬場全場踏破」を達成した私にとって、どうしても足を踏み入れねばならない競馬場が1つだけ残っていた。その名は「盛岡競馬場オーロパーク」。オーロとはスペイン語で「金」を意味する。帰省の折りに何度か訪れていた「なじみ」の競馬場だが、それだけにふらりと寄るという感じで、カメラ持参で訪れたことは今まで一度もなかったのであった。どうせ行くならゴールデンウィークにしようと思う。東北地方はこの時期がちょうど桜の季節なのである。「黄金週間」に「黄金競馬場」とはおつなものではないか。

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高速バスにて花輪SAで休憩。秋田名物といえば「きりたんぽ」。
そんなわけで、秋田新幹線「こまち」に乗り、いったん盛岡を素通りして角館で降りた。言わずと知れた武家屋敷の「しだれ桜」の名所である。駅から徒歩10分くらいの武家屋敷は早くも多くの人出で賑わっていた。桜はジャスト満開!。帰りは桧内(ひのきない)川の「桜のトンネル」。もちろんこちらも満開で、土手はびっしりと宴会の人、人、人・・・。この日は鉄道を乗り継いで、新生・つがる市となったばかりの稲垣温泉で宿泊。一軒宿の温泉で、湯は私が今まで訪れた温泉の中でも最高の部類であると思った。この翌日の芦野公園はつぼみもふくらんでいない状態だった。そういえば、15年前の夏にここを訪れたときも、雨にたたられ、冷えて下痢をしたことを思い出した。よくよく相性が悪いようだ。そして、その翌日は弘前城へ。お約束の天守閣バックの桜もそれは美しいものであった。そして、いよいよ高速バスで盛岡へ。目当てのバスが満員で、私のすぐ前の列で乗車打ち切りとなってしまった。どうなるのかと一瞬心配になったが、ほどなく「2号車」なるものがやってきて事なきを得た。こちらは僅か12人でゆったり。積み残されてよかったことになる。(観桜の模様はこちらをご覧下さい

何だか、桜と温泉のついでに競馬にやってきたような満足感に浸ってしまった。もう新幹線で帰途についてもよい気分になってきたが、予定通り、本来の目的地である「オーロパーク」に満を持してやってきた。ところが、どんよりと曇った空の下、メーンレースまでを全敗。天気さながらの心持ちで迎えた最終レース。沢田盛夫利騎手の追い込みがゴール前ハナ差で決まって見事盛岡初万馬券!どこまでもついていたゴールデンウイークなのであった。

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トウケイニセイ像が出迎える正面入口。

トウケイニセイは、昭和62年生まれの牡馬で、平成元年9月のデビュー戦以来、そのデビュー戦以後、屈腱炎による1年半のブランクを挟んで18連勝を飾る偉業を成し遂げました。これは当時の日本新記録でありました。
その後も重賞を総ナメする活躍で、引退するまでの43戦で2着が僅かに3回、ダート統一グレードレースの南部杯で3着に敗れたのが連対をはずした唯一のレースという、名実ともに岩手が全国に誇る大サラブレッドなのです。モリユウプリンスとの名勝負の数々は、今でも語り草となっています。



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ここオーロパークの特徴は3つ。

1つはダートコースの内側に芝コースを有していること。芝のスピード競馬が楽しめるのは、ここオーロパークが公営競馬唯一の存在です。

2つ目は2コーナー奥の長い引き込み線をスタート地点としたダートのマイルコース。この引き込み線により、コーナー2つのダイナミックなマイルレースを実現。

そしてもう1つは、3コーナーから直線入口にかけての高低差4.4mの坂。後述する高松公園にあった旧競馬場を彷彿とさせる坂が織りなす、直線入口でのスリリングな攻防は必見です。ご覧のようにバックストレッチが「土手」、最後の直線が「河原」といった趣です。



【左】エース・菅原勲騎手。メイセイオペラ号でフェブラリーSを制し、地方所属馬中央GI初制覇の偉業を成し遂げたのは平成11年のことです。勝負服をスタンドに投げ入れたシーンは印象的でした。
【右】平成15年に廃止となった上山競馬場から移籍の関本淳騎手。浦和競馬で活躍する関本秀幸騎手は実弟です。



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オーロパークに来たならば、「ジャンボ焼き鳥」が絶対オススメだと教えてくださったのは、予想大会でもおなじみの雪国の貴さんです。
本来は2本で500円ですが、この日は1本サービスしてくれました。ゴールデンウィークだったからなのかも・・・。



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「オーロパーク}と呼ばれる盛岡競馬の歴史は古く、明治4年の菜園競馬に遡り、この時から楕円形の馬場で開催されていたそうです。この競馬場のそばにあった湧き水が「黄金清水」と呼ばれていたことにちなんで、「黄金競馬場」との愛称で親しまれていました。その後、昭和7年に、向正面の高低差8.8mの日本最大の坂を有する新競馬場が高松公園に竣工。昭和13年の「軍馬資源保護法」による休止を経て、昭和21年に復活。平成8年に現在地に移転したという経緯を持ちます。この間、昭和41年には、我が国における女性騎手第1号・高橋クニ騎手が繋駕競走(かつては中央競馬でも行われたレースで、トロッターに馬車を牽かせる速歩競走のこと。ここ岩手は昭和46年まで行われ、国内最後の砦となっていた。)でデビューし注目を集めたそうです。また、娘の高橋優子騎手は、昭和44年のデビューから昭和49年に23歳の若さで病気で夭折するまでの間に209勝を挙げた、我が国初の女性平地騎手です。



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見事最終レースで3連単万馬券を的中。実にこれが、水沢・上山・三条も含め、およそ20年かかって、初めて東北競馬で手にした万馬券なのでした。(過去に90倍台は2度あったけど)
満開の桜・温泉・そして万馬券。言うことなかった今年のゴールデンウィークの締めくくりは「わんこそば」。やはり盛岡といえばこれをおいて他にないですよね。この日は「きりたんぽ」、「ジャンボ焼き鳥」のため奮いませんでしたが、3年前の参戦は何と91杯を記録!「いやしいからだ」なんて言わないでくださいよ。私は無類のそば好きなんですから。。。(セイロガンのお世話にはなっておりません)