ニュートラックかみのやま(上山競馬場跡) その1

 「みちのくの 兄の命をひと目見ん ひと目見んとぞ ただにいそげる」
 平成17年3月18日、かねてより病の床に伏していた兄が容態急変との報せを受け、会議の席を中座した私は、山形新幹線「つばさ」号の車中にいた。福島を過ぎると途端に山深くなり窓の外は雪景色になった。このあたりを「奥羽本線」と呼んだ頃は4駅連続でスイッチバックを強いられた板谷峠と言われる難所であった。冒頭の歌はもちろんパロディー、元歌は周知のとおり、「兄の命」ではなく「母の命」で、山形が世界に誇る斎藤茂吉が大正2年に詠んだものだ。92年の時を越え、茂吉が急いだ同じ鉄路を私も急いだ。茂吉の時代と違って、文明の利器は、かつての遺構を横目で見ながら直進し、何の苦もなく雪を蹴散らせ快走した。もちろん茂吉を乗せた列車は律儀にスイッチバックを繰り返しながら山形を目指したはずだが、所要時間の違いこそあれ、はやる思いというものは昔も今も変わらないと思った。新幹線を赤湯で降り、「スウィングガールズ」で一躍有名になった山形鉄道フラワー長井線に乗り継ぎ、終点のひと駅手前の鮎貝という無人駅で降りた。そこから大雨の中、タクシーを飛ばした……。間に合わなかった……。ただひとつ救いだったことは、40度を超す熱にうなされながら逝ったため、兄の身体に触れたら、まだ暖かかったことだ。

 そして1年が過ぎ、兄の一周忌法要のために、ふたたびこの地を踏んでいる。せっかくなので、平成15年に廃止となった旧・上山競馬場跡に足を記してみようと思う。ここは現在では「ニュートラックかみのやま」と呼び名が代わり、岩手県競馬、南関東競馬の場外馬券場となっている。幸いこの日は浦和競馬の開催日である。まずは、その前に温泉場として知られる上山の市内見学といってみたいと思う。

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 駅に降り立ち、まずは徒歩10分程度の上山城へ立ち寄りました。上山城は千四百年前後に、羽州探題で最上氏の祖である斯波兼頼の曾孫里見満長が虚空蔵山に築いたのが始まりで、その後、里見満長の子孫である武永(ぶえい)義忠が奪還した際、「高峻すぎる」という理由 で、天文4年(1535年)に現在地に移転されたという経緯を持ちます。写真の天守閣は昭和57年に再建されたもので、往時の二の丸の位置にあたるそうです。内部は上山市の資料館になっており、郷土の生んだ名関脇・出羽ヶ嶽文治郎の等身大像が威容を誇ります。

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 城の裏手を抜けると武家屋敷が建ち並ぶ通りに出ます。屋敷の庭は見学可能ですが、もちろん今でも人が住んでいるので、騒いだり、あまつさえポイ捨てなどはもってのほかです。

 マニア垂涎モノのレアな看板に思わずシャッターを切ってしまいました。(笑)



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 「鶴脛(つるはぎ)の 出湯にうつる影みれば 片輪もなおる 七日七日に」
沢庵禅師に詠まれる上山温泉は、岩に降り立った一羽の鶴が傷ついた足を浸し、数日後元気になって飛び立ったのを見て、発見されたもので、「鶴脛温泉」との異名を持ちます。件の「鶴の休石」(左写真)は源泉なのだそうです。
市内には至る所に足湯があり、観光客のみならず、地元の方々もやってまいります(下写真)。なかなか絵になっていると思いませんか。
(個人情報保護法により後ろ姿のみの紹介となります。)

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 ふたたび武家屋敷通りをもどり、沢庵像が鎮座する春雨庵(左写真)と栗川稲荷(右写真)まで足を伸ばしてみました。お稲荷様は商売の神様だから必勝祈願ですね。上山は小さな街なのでこれだけ回っても1時間強の道のりです。

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 JR茂吉記念館前駅に降り、ほとんど駅構内に位置する「茂吉記念館」(タイトルの写真)を表敬訪問し、いざ、「ニュートラックかみのやま」に出撃です。入口は現役時代とほとんど変わりありませんが、あたりまえのことながら、看板は様変わりしていました。
 それではさっそく中に入ってみましょう。