佐賀競馬場

昭和47年7月1日開設
コース:右回り1周1100m・直線200m

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ロミオラブリンから総流しも願いは届かず…
 なぜ、早春の佐賀競馬場なのか。目的のひとつに1ヶ月前に開業した福岡市営地下鉄七隈線の初乗りが目的としてあった。だが、それなら何もわざわざこの時期でなくとも地下鉄は逃げていくわけではないし、佐賀競馬にしても廃止の噂が聞こえているわけでもない。
 実は、平成17年3月13日、前年のPOGで指名した馬が出走する。父・サマーサスピションは御存知・サンデーサイレンスの産駒で、母父もサクラユタカオーだから、決して悪い血統ではない。母のルトロワマルスが私のお気に入りだと言うことが指名の一番の理由である。その馬の名はロミオラブリン。「POGの目にとまるのなら相当強い馬なのか?」・・・いや、かなり競馬に精通された方でも、この馬名に心当たりはないと思う。無理もない、この馬、中央在籍7戦全着外の後、荒尾を経て佐賀に転入。この日まで、23戦してたったの1勝なのだから。しかも、近3走で先着した馬がたったの1頭、つまりビリ2回にブービー1回。これ以上負けが込んだら、「桜」という運命もあながち冗談ではなくなるだろう。機を逸して後悔してしまっては、それこそ一番の心残りである。
 そんなわけで、Jリーグ「サガン鳥栖」の本拠地・鳥栖スタジアムが威容を誇る、JR鳥栖駅に降り立った。駅前から路線バスに乗り継ぎ、季節外れの粉雪が舞い散る佐賀競馬場の地を踏みしめた。1Rから参戦するという熱の入れようだったが、3Rでお目当てのロミオラブリンが最下位に敗れると雲行きが怪しくなってきた。果たせるかな、最終11Rまでひとつも目が出ず11戦全敗、歴史的大敗を喫してしまった。前年GWでの荒尾の仇をここ佐賀で討たれてしまった。

 ところで、ロミオラブリンが唯一の1勝を挙げたときの2着馬があのミツイシフラワーである。良血馬の面目躍如ではないか。

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 『ドブと化した水路を埋め立てる都市計画が実施されそうになった時、役所の一係長が、水路の歴史的な役割などを調べ上げ、浄化して生活に役立てることを提案。そして、柳川の水が甦った』・・・宮崎駿の名を世に知らしめた出世作のひとつ、「柳川掘割物語」の舞台となった地を競馬参戦の前日に「船下り」。沿線に咲き誇る花を愛でながら、船頭さんの漕ぐペースに時の経つのも忘れてしまうほど(写真中)。昼食は贅沢に、船上で「鰻のせいろ蒸し」(写真右)です。(肝吸いも付いています)
 そして、この時期の柳川と言えば、雛壇の真上に所狭しと吊り下げられた「さげもん」と呼ばれるこの地域伝統の雛飾りでしょう(写真左)。数十種類にも及ぶ「さげもん」は、蝶は美しさの象徴、蝉は土の中に何年もいるから辛抱の象徴、海老は腰が曲がっても元気だから長生きの象徴と、吊り下げられた物ひとつひとつに願いが込められているのだそうです。(旧立川藩主別邸・御花にて)
 この心のゆとりが「負けても悔しくない」という気持ちを生み出してしまったかどうかは定かではありません…。

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 佐賀競馬は、昭和26年12月に佐賀市営競馬としてスタート。当初、佐賀市内にあった競馬場は現在は住宅地となっています。その後、昭和41年に県営競馬に発展、同47年に鳥栖市にある現在地に移転したという経緯を持ちます。海砂を使用している佐賀競馬場は、「黄色い競馬場」という異名を持ち、砂の目が細かくパワーが要求されます。

 この日のメーンは今年から創設された3歳重賞の「第1回飛燕賞」。4コーナーを回って最後の直線に向かう。栄えある「初代チャンピオン」は、ダンシングスキー号(桃帽)と真島騎手。2000mを堂々の一人旅でした。  

7Rには2000年の京成杯勝ち馬、マイネルビンテージ(8歳)も元気な姿を見せてくれました。



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 この日は平成16年度の優秀騎手表彰式が行われました。向かって右側から、リーディングジョッキーの鮫島克也騎手、同2位の山口勲騎手、3位の真島正徳騎手、そして一番左が新人賞の田中純騎手です。みなさんの今後のますますの活躍を願いたいと思います。

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 九州で「天ぷら」と言えば、いわゆる「さつま揚げ」のこと。売店にバラエティー豊かに並ぶさまは、見ているだけで食欲をそそります。佐賀競馬に行ったなら、是非食べてみてください。私は、プレーンタイプの「まる天」(写真下左)とげそ天(同右)にしました。

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 第3レースには、私が参加しているPOGゲームでの前年の指名馬・ロミオラブリン号が出走しました。中央で7戦全着外のあと、荒尾を経てこの佐賀に転入。この日が実に24戦目となるタフガイ(?)なのです。残念ながらこの日は最下位に終わりました。