高崎競馬場

大正13年10月1日開設
コース:右回り1周1200m・直線300m
平成16年12月31日限り廃止

 大正末期の創設と由緒ある競馬場であったが、平成2年度の245億円の売り上げをピークに、バブル崩壊期の平成4年度から赤字に転落、あとは坂道を転げ落ちるようにして、昨・平成15年度はピーク時の5分の1である47億円まで落ち込んだ。この間の累積赤字は51億円にのぼり、私たちが訪れた直後の平成16年9月28日の県議会で「経費節減などの努力は限界」とした上で、平成16年12月31日限りで廃止された。最終日は折からの降雪のため9Rで打ち切り。メーンの高崎大賞典の発走を待たずに81年の歴史にピリオドを打つこととなった。小寺弘之群馬県知事は、「競馬関係者の生活再建を出来る限り支援する」と表明した。廃止が避けられないのなら、せめて「中津の悲劇」だけは繰り返して欲しくないと願うのみである。PHOTO

 高崎競馬場に初めて訪れたのは、平成12年5月5日、ダート統一重賞・群馬記念の当日であった。朝早くから入場ゲートには長蛇の列が出来、指定席を求めたものの、4コーナー入り口付近がやっと。「今日はお祭りだからねえ」という新聞売りのおばちゃんの言葉が印象的であった。この前日にハイセイコーが死亡したということで、ハイセイコーをブルードメアサイアーに持つミヤシロブルボンの馬券が異常に売れていたのを思い出す。この日、この地を踏みしめた記録は右の馬券1枚。廃止になるとは思いも寄らなかったためで、だから、廃止報道から間もない平成16年9月12日、改めて「取材」をした次第である。

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 廃止報道の直後に来訪したため、入り口付近では競馬関係者とその家族が署名活動に尽力していた。最後の最後まであきらめないという懸命の姿勢である。私たち一行も駅前の送迎バス乗り場で署名に協力した。
 だが、立ちはだかる現実は余りにも厳しい。廃業し、店内に残務品が無造作に積み上げられた場内の飲食店(写真下左)。出入り口右手の「新メニュー ソースカツ丼始めました」の張り紙(写真下右)が痛々しい。

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カメラ目線の茂呂菊次郎騎手(左)と、女性ジョッキー赤見千尋騎手(右)


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 地方競馬としては長い300mの直線を持つだけに最後まで目が離せません。この日も結構、差しが決まっていました。
 この広い敷地を利用して、競馬場跡地をサッカースタジアムに改装し、Jリーグチームを誘致する話が早くものぼっているとか(群馬県は強豪・前橋育英高を擁し、ジュニア育成も盛んなサッカー王国の1つなのである)。もちろん現時点では噂の域を出ない話ですけど、気の早い話ですね。

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 平成16年9月12日、12歳馬のサンエムキング号が、この日の第7レースに出走。この馬に暮れの中山で万馬券をプレゼントしてもらったのは、もう8年も前、平成8年の師走Sのことでした。
 返し馬で足慣らしをする老雄と大木義一騎手。見事3着に入線し、元気なところを見せてくれました。

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記念に単勝馬券を購入


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 上の例にもあるように、上級クラスのレースは高齢馬というより老齢馬が当たり前。若くて活きのいい馬は賞金削減のあおりで勝っても勝っても昇級できず、景気のいい頃に稼いだ高額賞金で胡座をかいている高齢馬と対決するチャンスすらない。他方、2歳馬の入厩は激減し、だから、将来を憂いて馬主も入厩に二の足を踏むという悪循環。ここ高崎には、今全国が抱えている公営競馬の問題点が凝縮されていると言えます。高崎に限らず、「グループ化」などの視点を変えた対策を講じないと、おざなりの対策では抜本的な解決にはなり得ないでしょう。

 最終レースが終わって・・・西日を浴びたマスコットキャラクター「タッキーくん」が入場ゲートでお見送りをしてくれました。

  「どう?楽しかった?! バイバ〜イ!」

 タッキーくんは思い出の世界へと旅立ちました。。。