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    朝(7:30)に霧島キャッスルホテルを出て一路「開聞岳」を目指して走ります。
池田湖に着くと「開聞岳」が出迎えてくれました。
前日の「高千穂の峰」が堪えて三等筋、四等筋が
痛くなり途中の薬局でピップ内服薬とアリナミン錠剤を
買いました。
その薬局の人が私も先日「開聞岳」に登りコースタイムは
1°15’でした。と教えてくれました。
ここが「開聞岳」の登山口です。
ここはすでに二合目で山頂まで3.5Kmです。
登山口の手前に草スキーの駐車場がありここに駐車
させて頂きました。
この手前に山麓自然公園があるのでこちらにも駐車する
事も出来ます。(10:41)装備を着けて出発です。        
   
2.5合目のベンチ。
右は行き止まりで左は山麓自然公園に行き
下山出来ますが、駐車場には戻れません。
21分で三合目です。(11:02)
血圧の薬を忘れて飲んでいないので心臓がバックン
バックンと激しく打ち始めたので早くも四合目で
休憩です。
アッちゃん早くもお約束の鉢巻姿です。(11:20)
(11:42)やっと五合目に到着です。
この山はだいたい一合が20分間隔になっているようです。
            
(12:00)ここで昼になってしまいました。
12過ぎには山頂に到着する予定だったのですが
まだ1.6Kmもあります。
(12:27)前日の睡眠不足と6時間一人で運転し
 「高千穂の峰」に登った疲れが出て、この時ばかりは
もうやめようかと思いました。
7合目に着くと女性の方が一人で休憩されていました。
岡山の方で今から下山して明日「韓国岳」 「高千穂の峰」を登りその後「阿蘇」「久住」etcを登りながら岡山まで帰るとの事。タフな人もいるもんだと感心しました。      
(12:54)この手前に「仙人洞」という所があり
このあたりから大きい岩が現れます。
     (13:21)九合目到着。相当お疲れモードです。
     このあたりから太平洋の展望が開けますが
     登山道は更に岩だらけとなり厳しくなります。
     特に山頂直下の北側は、岩が濡れている為、
     注意が必要です。
(13:54)予定時間より大幅に遅れてやっと
到着しました。コースタイム 3°13’でした。
その分嬉しさも大きく途中で止めなくて良かった。
後ろは池田湖です。
「期待していた南の島々が、天候の加減で見えなかったことだけが残念であった。」と深田久弥も書いていますが私たちも同様に見えませんでした。
一人で登ってきた地元の女の子。
写真を撮っていただきました。   
              「皇太子殿下登山御立所」と刻まれたレリーフ。
さぞかし凄い登山(大名行列並)だったのでしょうね。
長崎鼻方面から撮った夕暮れの薩摩富士「開聞岳」です。 
深田久弥は書いています。
「帰りは、途中の分かれ道から東側の川尻部落に降りた。
この漁村の浪打ち際から仰いだ開聞岳こそ、
天下の名山に恥じなかった」と。
   こちらは国民宿舎「開聞荘」から撮った早朝の
「開聞岳」です。
山頂はガスっていました。

朝(07:30)に「開聞荘」を出て「知覧特攻平和会館」に
行きました。
「知覧特攻平和会館」の前にある特攻隊員と見送る母の銅像。
飛行機は自衛隊払い下げの「メンター練習機」です。
こちらは特攻の英霊を祭る護国神社です。

隊員達が出撃するまでの間寝泊りした粗末な造りの
三角兵舎です。敵に発見され難いよう屋根だけの兵舎です。 こんな所で彼らは遺書を書いていたんですね。     
陸軍戦闘機「隼」のスケールモデルです。
本物より1m短いそうです。
こちらは海軍戦闘機の「零式艦上戦闘機」通称「零戦」です。
尾翼から着水した為、操縦席以降が壊れてなくなっています。カウルの形から云って多分五二型の丙でしょう。     
 

                  
「知覧特攻平和会館」
詳細は日記の方から御覧下さい。
ここでは写真撮影は禁止されています。
知覧から鹿児島にやってまいりました。
「桜島」標高1117mです。
この山を見ると平野国臣(くにおみ)のこの詩を
思い出します。
「わが胸の 燃ゆる思いにくらぶれば 
                      煙はうすし桜島山」
「城山」に行く予定でしたが鹿児島市内で1.5Kmの
渋滞になったので予定を変更して「南州墓地」に
やって来ました。
ここの隣には西郷隆盛の遺品を展示する「顕彰館」が
あります。トイレ駐車場あり。
真ん中が西郷隆盛のお墓です。享年50歳。
岩崎谷で最後の夜を過ごした時のように皆で
西郷さんを囲んでいます。
タクシーの運転手さんの話だと、ここは夜になると
出るそうです。
「せごさー」(西郷隆盛)のお墓です。
ここの顕花は一年中絶える事が無いそうです。 

「白髪衰顔、意とする所に非ず
             壮心剣を横たえて勲無きを愧ず
 百千の窮鬼吾れなんぞ畏れん
             脱出す、人間虎豹の群れ」
私の好きな「せごさー」の最後の詩です。          

「はくはつすいがん いとするところにあらず                      そうしんけんをよこたえて いさおなきをはず
ひやくせんのきゅうき われなんぞおそれん
だっしゅつす じんかんこひょうのむれ」
   こちらは「せごさー」の懐刀の「桐野利秋」
旧姓「中村半次郎」通称「人切半次郎」のお墓です。
せごさーの弟子の中では一番興味を引かれる人物です。西南戦争では四番大隊長を務め最後まで抗戦し
自刃しました。 享年39歳。
「別府景長」となっていますが、「別府晋介」通称「しんどん」のお墓です。
「せごさー」切腹の折、介錯をした人物として有名です。
西南戦争では六番七番連合大隊長を務めました。
享年31歳でした。
この後、「南州墓地」を辞して徳山に帰りました。

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