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回想の多いパリのノエル 1999年12月25日 mail from Paris

ふう、ようやっと大陸に渡った。これで、なんとか交通手段でパニクることもなくなるでしょう。なんたって、陸続き。何とかなる、筈だし。

【調子の悪いヒースローからのフライト】クリスマス、あるいはここは今はパリなので、ノエル当日がやってきた。実は前日から、乾燥肌がひどくてあまり眠れていない。それもそうだ。雨で濡れた靴下が比較的すぐに乾いてしまうような、そんなスチームが入った部屋なんだから。その睡眠不足のためか、再び風邪の症状が頭を出してきた。少し熱っぽく、足腰が痛い。

まあ、なんとか9時までにチェックアウトを済ませて、来るはずのキャブを待つ。が、なかなか来ない。結局、15分くらい遅れて、キャブとは機能は一緒だけれども、見た感じ単なる車がやってくる。ちょっとがっかりだ。あの、ごっついキャブというものに乗ってみたかったのだ。とはいえ、実際のキャブならば料金はもっととられそうだし、まあ仕方ないことだろうか(実際、キャブがどれくらいするのかは知らない、寡聞にして)。

パディントン駅からヒースロー・エクスプレス(これだけは動いている)に乗り、ヒースロー空港へ、、、しかし、流石はクリスマス当日。免税店などの中には休みのものもある。うーん、恐るべし。でも、パディントンへ行く途中の道の一つには、ミレニアム・イヴはこの道路使えない、みたいな表示もあったし、まあミレニアムも大変かも知れない。

ヒースローでは、流石にだるいので、パラセタモル錠を買って機内で飲んだ。寒気は実際寒いのか、それとも熱のせいか……どーも体調不良だ。結局、飛行機は多少揺れながらも無事シャルル・ド・ゴール空港へ到着。パスポートコントロールでは私の前の奴がすり抜けてつかまったり、とまあちょっと変わったものを見たが、そんなものだ。

【パリのノエル、またはノエルのパリ】パリでの投宿先は、以前研修旅行の際に利用したホテルで、リヨン駅(註)のまっ隣。もー、至便といえば至便だ。かつ、ちょっと懐かしい。3月に来たのだから、まだ1年は経っていないが。

リヨン駅…パリから各地に延びる遠距離線の6つの国鉄駅(北駅、東駅、サン・ラザール駅、モンパルナス駅、オーステルリッツ駅、リヨン駅)の一つ。その名の通りリヨン方面、つまり南仏方面への出口である。

しばらくメールなど眺めてから、ぷらぷらと出かける。セーヌ河畔の風は冷たくて、帽子でも買わないと耳が凍る!と思いつつ、びゅーびゅー風を受ける。とりあえず、オーステルリッツ橋を渡り、オーステルリッツ駅の隣にある植物園をちらりと覗く。「進化論の祖」ラマルクの像がある。ラマルクは、用不用説を唱えた人だが……ちなみに、植物園というか、公園の奥には自然史博物館などがある。隣は動物園。ちらりと見えたのでは、鹿とダチョウがいた。寒そうだった。

夜のカフェ・ドゥ・マゴそのまま、セーヌ沿いに歩いて見えてくるのがサン・ジェルマン・デ・プレ界隈。ここはイルミネーションがついているが、リージェント・ストリートほどではない。ダブリンのグラフトン・ストリートよりも下か?と思うほど。きっと、シャン・ゼリゼは凄いんだろーか、と思いつつ歩く。

ロンドンのイヴはかなり寂しかったので、そんなもんかな……と思いつつ歩いていると、だんだんとサン・ジェルマンの通りは賑やかな感じになってくる。商店はやっていないものの、カフェやブラッセリーはやっている。そして、人びとがたくさん歩いている。

前回、研修旅行で来た際には残念ながら入れなかったカフェ、ドゥ・マゴ(註1)でお茶を飲むことに成功し、気をよくしたまま、近くにある古いゴシック式教会、サン・ジェルマン・デ・プレ教会(註2)に入る。丁度、ミサのさいちゅうだったようで、参列するが、スペイン語のようでわからない、、、ラテン語っていうより、多分スペイン語だったと思う。まあ、どちらも分からない言語ですけれどもね。ただまあ、うーんこれがカトリックのミサかあ……という雰囲気を味わえて、それなりに満足であった。

註1ドゥ・マゴ…正しくはレ・ドゥー・マゴ(Les Deux Magots)。「二つの人形」という意味で、カフェになる前は中国の民芸品を売る店だったらしく、今も中国の2賢人の人形が飾られている。実存主義哲学者として知られるサルトル(Sartre, Jean Paul. 1905-1980)がボーヴォワール(Beauvoir, Simone de. 1908-1986)とプライヴェートに愉しんだカフェとして有名で、多くの文人が訪れている。

註2サン・ジェルマン・デ・プレ教会…パリでもっとも古い教会。哲学者デカルト(Descartes, René. 1596-1650)がストックホルムで亡くなった後、こちらに埋葬されたようで、内陣に墓がある。

帰りに魚料理屋で牡蠣を食べ、満悦して出ると、雨だ。幸い、地下鉄駅の最寄の料理屋だったため、すぐに逃げ込んで、地下鉄で帰着。思えば、研修旅行の二日目は、パリを夜中まで生徒を連れて歩いてしまったなあ……こことおろうとしても、閉まっていたっけ、、、とか、今回は回想モードが多いようだ。

リヨンと「ラ・ボエーム」 1999年12月26日 mail from Paris not Lyon

こんにちは、ふょーどる@リヨンです。の筈でしたが……だから件名も、「の筈だった」としといてください(苦笑)

【パリ出発の朝】パリ、大嵐です。びゅーびゅー風が吹いていて、で、時折電気が一瞬明滅する。大丈夫かねー……パリのホテル・メルキュール・パリ・リヨンは日本人客が多い。朝食に行って、思い出した。うーん、めちゃめちゃ多いなあ。しかも、添乗員さんが、「はい次はここで」というノリのあのパック旅行ツアーが結構多そうだ。今のご時世、大学生とかは個人旅行が主体だと思っていたが、それは大きな勘違いか、それともここのサンプルが特殊?……よくわからないまま、朝食を済ます。

11時のリヨン行きのTGVデュプレクス(2階建て)で出発だ。ちなみに、デュプレクス(註)は、インド総督だったあの人だろーか……

デュプレクス…フランスのインド総督デュプレクス(Dupleix, Joseph François. 1697-1763)のこと。この人は有能でインド中部・南部の覇権をイギリスと競って、どちらかというと優勢な状態であったのだが、本国に呼び戻されてしまう。その後、イギリスが1757年のプラッシーの戦いでベンガル地方を抑えてインド制覇の基盤を作ったのだが、うっかりして世界史の授業なんかを聞いていると、あたかもデュプレクスはプラッシーで負けた人みたいに思われてしまう可哀想な人。

【涙のリヨン行き】パリ、大嵐、書いた本人はなんとなく書いたのだが、思わぬ伏線だったみたいっすね……

10時30頃にチェックアウトして、パリ・リヨン駅に向うと、ものすごい数の人びとで溢れかえっている。うーん、ノエル当日を超すと、かくも人が旅立つのか、と勘違いしているが、しかし時刻表が8時台から変わっていない。

うーん、時刻表が壊れているのか?それともストか?と思いきや、天候不順のため延期してます、みたいなことが電光掲示板に書いてある。

そして1時間くらい、無為に待つ。というのも、駅の電車があるあたり、つまり構内には駅員らしき人がいないからだ。放送の大概はフランス語で流れ、時折拍手喝さいがあったりもするが、これまたよくわからない、、、うーん、なんなんだ。

結局無為に待っている途中で、チケット売り場には従業員がいるので、並んで並んで、そして聞いてみると「今日はプロヴァンス地方への一切の電車は動いていません。飛行機も飛んでいません。プロヴァンス地方へは行けません。」との無情な言葉だった。

仕方なく、一旦ホテルへと戻り、「でへ、プロヴァンス地方には一本も電車行かないって聞いたんだけど?」とかまをかけ、「こ、今晩も泊めてくれるかな」と聞いてまた投宿。早速リヨンのホテルをキャンセルした。くぅぅぅ、オペラ(註)を見たかった……

註オペラ…この日はリヨンのオペラ座で「ラ・ボエーム」が上演される予定だった。チケットも予約できていた、と思うので、かなりくやしい。

明日はそのままミラノへと直行ということになるので、チケットを変更しないと、とまた売り場へと行くが、窓口の数は減っている。さっき、変えておけばよかったのだが、ショックのでかさにそこまでの機転が回らなかったのだ……うーむ。

で、並ぶが、途中で一度は並んでいた窓口が突如閉まるし、もう一個並んだところは、「リザベーションしておくけど、混んでるから明日の朝六時ぐらいにもう一度国際線用の窓口に来て」と言われた。

モーサイテーである。

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