どうにか、旅行は順調になりつつあり、少しばかりほっとしています。いやー、一時はどうなることかと……
【チサルピーノの旅】イタリアからスイスへの移動は、以前のような危ない橋を渡ることもなく、しっかりと予約済みの電車によってである。チサルピーノ……イタリア、スイス、ドイツを結ぶ電車で、ユーロスターと同列くらいのものらしい。私は、このチサルピーノのシュトゥットガルト行きに乗り、チューリヒめざしてミラノ中央駅を出発したのであった。
(注意・右の旅程図は地図製作ソフトPtolemyで製作しました。)
チサルピーノは、座席を倒すのではなく、座席毎回転する、という一種登山電車めいた座席の形態をとる。いや、別に登山電車のように自然に傾斜に対して重心を保つ、というのではく、ただ単に背もたれを倒したいな、というときに、座席ごと前後に回転する、という仕組みだっただけなのだが(振子型というそうだ)。
ミラノからコモを経て、1時間もしないうちにスイス国境を越す。スイス国境を越すときも、実はイタリア入りと同様、何らの旅券審査めいたものがなかった。いいのだろうか……いいのだろう。
コモを越えて入ったところが、ティチーノ地方と呼ばれるスイスにおけるイタリア語圏で、これまた風景がイタリアと変わらない。なので、実際にイタリアを抜けたのかどうかは、いまひとつわかりにくいぐらいなのだが、ルガーノという町はこのティチーノの中心的なところであったので、なんとかスイスに入っていることがわかった。イタリアのコモあたりから、ずっと行く先には中央アルプスのどっしりとした質感に溢れた山々が見える。そして、湖がそこここにある。コモ(Como)の湖も有名だし、ルガーノ(Lugano)のもまた然り。それらを除いても、まだまだ沢山の湖がある。
中央アルプスへと入って行くと(おそらく、ゴッダルド峠(St. Goothard)を越したのだと思われるが、よくはわからない)もう一面は真っ白である。銀世界、というよりももう、白世界という感じである。銀の冷たい感覚ではなく、綿雪(に見えた)のほわほわとした感じである。これが一面に広がり、あまり人の通ることもないところは、まさに汚れない雪雪雪、であった。
よく見ると、かなり上のほうにまで登ってきているようだが、それでもまだまだ登って行くようだ。ただ、この電車、あまり登っているという感じはさせない。そのかわり、若干ジェットコースターのように斜めになったりはするのだが(笑)
一面の白と湖の世界(中央アルプスに入っても、湖が多いのは変わらなかった)がいつまで続くのだろうか……と思っていると、ツーク(Zug)という町へ到着。次が、チューリヒである。このあたりから、雪も減ってきたが、面白いのは、スイスなんて雪国なんだろうし雪なんてさして愉しくもないだろうか、と思いきや、子どもたちは存外、雪だるまなんかを作って遊んでいたりする。雪が多い少ない、珍しい珍しくないに関係ないのか……とも思う。
【チューリヒ散策】チューリヒに到着し、宿のホテル・ブリストルへ赴く。車中、ずっと考えていたのだが、こうして4時間近く費やしてイタリアへと再び戻るのは実に面倒だし、どうせ1月1日なんて何もやっていないだろうから、動くだけ無駄だから、いっそのことチューリヒで延泊しよう……そこで、窓口で4晩OK?と聞くと、OKだったそうだ。結局、予約は何だったのかなーと思いつつも、サン・モリッツのようなところではないからOKだったのだろうか、とも思う。204号室。シングル部屋にふさわしく、小さな部屋だが、清潔感はある。
とりあえずは、リラを全てスイスフランに換金する。スイスフランは、かなりアートな感じのするお札だ。
100フランがジャコメッティ(彫刻家)、50フランがタウバー・アルプ(註)という知らない婦人、20フランがオネゲル(作曲家)、そして10フランがル・コルビュジェ(建築家)となっている。デュナンとかはなっていないのか……
註タウバー・アルプ…スイスに関するとても詳しいサイト「スイス雑学講座」を運営されているモリアーチー教授から教えていただいたのだが、女流画家トーバー・アルプ(Taeuber-Arp, Sophie)のことで、夫はダダイストとして有名な画家ジャン・アルプ(Jean/Hans Arp. 1887-1966)だそうだ。
チューリヒの真ん中を流れるリマト川沿いに、新市街を散策する。チューリヒ歌劇場へ行こうというのだ。リマト川にはカモメたちだけではなく、ハクチョウの姿も見られた。ひいやりとした空気の中で、カモメたちは人が来ると向い岸へ、そして向い岸に人が通るとこちら岸へと彼岸と此岸とを往復している。そうしてぽつぽつと歩いてゆくと、聖職者然とした人物の銅像が見える。
チューリヒで宗教改革を始めた人物、大聖堂の第一説教師だったウルリヒ・ツヴィングリである。ツヴィングリの銅像は、抜き身の剣をもった厳しいもので、この人物がカッペルの戦闘で亡くなったことを彷彿とさせる。(ただ、この銅像自体は、大聖堂より通りに近い別の教会の前にあった。)
さらに進むと移動遊園地めいたものが近くに見える、19世紀頃を感じさせる建物、それがチューリヒ歌劇場であった。チケットオフィスにおそるおそる入り、「予約をした者ですが……」と尋ねてみると、奥に行って探すもののない、、、ああ、ダメか、と思いきや「お金先払いでしたか?」と聞かれ、「いえ、まだ」というともう一度名前を聞かれてコンピューターで検索された。そして、しっかりとチケットは手に入った。どうにか、ツキは戻ってきたようだ。
ホテルへの帰路、雪が降り始めたが、いかにも冬らしく清清しい。
この段はオペラ鑑賞記です。興味がない方は、[こちらへ]
【セヴィリアの理髪師】8時開演なので、それまでに夕食を済ませておこう、と考え、再びホテルを出たのが6時過ぎ。最初の晩は「地球の歩き方」に載っているところにしよう、と思い見てみるが、晩飯に3000円以上も使うことになるなあ、とどうも足が向かない。チューリヒのレストランの中には、かつてのギルド会館(ツンフト会館)をそのままレストランにしたものもあり、こういった店に一度くらいは入ってみたい、とも思う一方で、一人で入ってもねえ……という気もある。結局、カフェに入って簡単にラザニアとワインを頼むが、これで結局1600円くらいはしてしまうのだから、もはやスイスの物価高し、と諦めるより他にはあるまい。
歌劇場に着いたのは7時半だが、今回の旅では残念ながらまともな服装というのはもってきていない。うーん……やはりちゃんとした歌劇場には、皆きめてくるものである。皆々様がしっかりときめてこられた中で、一人普通の格好である。もう、ここは変な芸術家風の路線ということで誤魔化そう(誰に?)と思い、そのまま客席へ。平土間の真ん中、ステージの中央に面しているあたりである。
8時になり、「セヴィリアの理髪師」(註)が始まった。オペラ公演自体を見に行くのは、思えば2年振りくらいかも知れない。序曲からして、うきうきとさせるロッシーニの歌劇だが、なかなか歌手たちも合唱団員も小技を披露してくれて、大笑いに笑わせてもらった。
註「セヴィリアの理髪師」…イタリアのロマン派作曲家ロッシーニ(Gioacchino Antonio Rossini. 1792-1868)の作曲したオペラ・ブッファ。原作は「フィガロの結婚」と同様にボーマルシェ(Pierre Augustin Caron de Beaumarchais. 1732-1799)。ストーリーを簡単に紹介すると、吝嗇家の男(ドン・バルトロ)の養女ロジーナにお忍びの大貴族(アルマヴィーヴァ伯爵)が恋をしている。ところが、バルトロもロジーナとの結婚を目論んでおり、「悪い虫」を寄せ付けまいと余念がない。懊悩する伯爵が偶然でくわした理髪師(フィガロ)は町の何でも屋だが、たまたま伯爵とは旧縁の仲で、伯爵の恋の橋渡し役を引き受ける。そしてフィガロとロジーナの機知によって、バルトロの用心も空しく、伯爵は晴れてロジーナと結婚することに成功する、というもの。ちなみに、バジリオはバルトロに雇われている音楽教師。
のっけから、「静かに静かに音も立てずに(Piano, pianissimo)」のあたりで突如見まわりの衛兵がやってきて、楽師たちとフィオレッロが石のようになる、とか。
バジリオの「悪口はそよ風のように(La calunnia è un venticello)」でも、なぜかバジリオが激するとバルトロが消したはずのランプが魔法のようについてゆき、バジリオの姿が壁に大きく影として映る、とか(中傷の効果はこれほどに大きくなる、ということなのだろうか……よく「セヴィリアの理髪師」の公演で見かけるアイテムである<傘>は使わなかった)。でも、バルトロの「わしのような医者に(A un dottor della mia sorte)」で同様にバルトロがバジリオのマネをするが、当然灯は点らない、とか、かなり観客は受けていた。
歌自体は、全体としてよかったのではないかと思います。伯爵はいかにもという感じのリリコの声でしたし、フィガロもなかなかいい声でした(登場の歌では、あまりコメディーセンスのない人かな、とも思ったが、第一場終りの二重唱(All'idea di quel metallo)あたりではなかなか笑わせてくれました)。バルトロ、バジリオはどちらも声は言わずもがな、なかなか外見的にも面白い人たちで、登場するなり笑える感じだった。ロジーナもなかなかきれいそうだった。眼鏡をかけていても、顔までは見えなかったので……
全体的に衣裳も演出もオーソドックスで安心感のあるもので、ひさしぶりに愉しいオペラを見ることができたな、と思う。確かに、チューリヒ歌劇場はこじんまりとしていて、声量うんぬんが気にならない歌劇場だった。しかも、かなり舞台装置も充実しているようでもあった。
11時の閉演後、いそいそと帰る人びとにまぎれて帰途につく。チューリヒの夜は、存外遅いようで、まだまだカフェなどもやっている。アイルランドとは比べ物にならないなあ、と思いつつ宿へ足を踏み入れた。
そういえば、これで旅行をはじめて1週間が経ったのであった。
【ハプスブルク家の発祥地】さて、チューリヒ二日目。今年も残すところあと二日となりました。流石に今朝は9時頃に起き、ゆっくりと動き出して活動開始が11時過ぎです。うーん、半日は無為にしていますね。そんな中で、本日の観光の目玉はハプスブルク城、と絞りました。チューリヒの郊外にある小さな古城ハビヒツブルク(鷹の城)、これが後にヨーロッパの半分近くを支配することとなったあのハプスブルク家の発祥の地である、ということで、これは是非見てこなければ、と思うわけなのだ。現在は、レストランとなっている、と読むと、これは食べてこなければ、とも思い、ちょうど折しも昼近く。1時間程度で行けるようなので、いざいざいざ!というふうに出発したのだった。
チューリヒ中央駅からブルックという近くの駅まで、まず近郊電車で行く。途中、バーデンという街を通り越す。このバーデンは温泉街、というか湯治場として名高いところである。意外とチューリヒから近い。およそ20分。ブルックからは、「地球の歩き方」によるとバスで約9分……歩いて行けそうだ、とたかをくくって、ハプスブルクの標識を追って歩く。しかし、何度も堂々巡りを繰返す羽目になる。
うーん、ここは通った。通ったし、駅に戻ってしまう……ああ、やっぱり戻った。ふりだしからまた始めて……という具合で時間はどんどんと経ってゆき、空腹はいやましに増してゆく。仕方なしに、バスを待つことに。
何度も惑わされた「ハプスブルク通(Habsburg Strasse)」のバス停留所で待っていたのだが、そのそばで看板に何やらやっていたおじさんが、「今はそこが封鎖されているから、ここには停まらないよ」と教えてくれた。どおりで、堂々巡りするわけである。封鎖されているのだから。で、教えられたとおり、もう一つ手前のバス停で待つ。待つことかなりの時間……流石にこのあたりは雪も残っていたりして、チューリヒよりも若干寒いようだ。ひゅ〜〜っ。
ようやっと現れたのがポストバスである。このポストバスは、郵便局が経営するバスで、もともとは郵便馬車などからなのだろうか、、、現在も郵便物も運びつつ人びとの足ともなっているらしい。
確かにそれほど遠くはないが、まず知らなければゆかないようなあたりに、ハプスブルク城はあった。雪の積もる真っ白な平原の中に小高い丘があり、そこに小さくがっちりとした古めかしい城が見える。それが、鷹の城だった。まるで小高い丘が巣で、それを守るようにうずくまっている鷹、と見えなくもない……そんな城である。まあ、外見から鷹の城、というのかは知らないが。
ポストバスのおじさんは親切に、ハプスブルク城への坂道の入口まで行って降ろしてくれた。「ほんとはここでは降ろさないんだけどね」と言って。雪道をてくてくてくてくと登ってゆくと、古色蒼然たる建物が見える。現在もレストランとしているだけあって、保存は随分とよいようだ。そこここをちらちらと見た後で、レストランに入る。
存外観光客は多くないのか、それとも観光客はみなドイツ語が話せるのか、メニューはドイツ語だけだった(このあたり一帯はドイツ語圏)。なんとか聞いたりして、食事を頼むが、同時に頼んだワインは、私のあやしい語学力と注意散漫のせいで、本当かどうかはわからないが、この城でとれる葡萄酒だと説明されたような気がする(苦笑)
まあ、こうして、ハプスブルク家の発祥の地を訪問したわけだが、当初1時間くらいでつくだろう、ということで往復2時間程度を見込んでいたのは大きく外れ、ホテルに帰りついたのは5時頃であった。幸いと、チューリヒの街は晩くまでOKだ。美術館を訪れてみよう。
【チューリヒの夜】7時頃にチューリヒの街へと再び出発。暗くなったチューリヒの街は、しかしまだこれからである。まだレストランは店を始めたばかりで客の姿も少なく、道々は人であふれている。チューリヒのレストランやバーは、おおよそ11時や2時くらいまでやっていることが多いようで、そのあたりはアイルランドの片田舎とはちょっと違うところだろうか。
丘を上にあがってゆくと、いかにも現代美術風の金属製オブジェが置かれた建物がある。建物自体は、グレコ・ローマン風であるが。これが、チューリヒの美術館である。常設展示には、確かにさまざまな作品が置かれていた。
レンブラント、ティエポロ、ハルス、ブリューゲル、ロイスダール一族、ファン・デ・フェルデ一族、、、こうして数え上げるとフランドル画家が多いようだが……そして印象派のフランス画家、セガンティーニ、ジャコメッティ、タウバー・アルプ(50CHFの人)など。あと、不思議とムンクの部屋もあった。ムンクはこの国に長居したのか?
そうした作品たちは、ただいまひとつインパクトが薄いものが多かった。実際、レンブラントの作品「聖ペテロ」なども、見た瞬間、レンブラントだ!とは思うものの、しかしそれくらいである。ただ、そうした中でものすごかったものは二つある。
一つは印象派のおそらくは個人収蔵家からの寄贈コレクション。ゴッホの包帯をまいた自画像をはじめとしたいくつかの作品、モネの「睡蓮とセイレーン」???(題名がドイツ語でわからない)という大作2幅。これらは確かに、うーん、ものすごし!という感じであった。
もう一つは、ジャコメッティの彫刻作品。もちろん、普通な感じのものもあったが、ジャコメッティ!というと思い浮かぶ細い針金に汚れがついたような、そんな感じのあの像、あれはまじかに見るとなかなかすごかった。棒が突き出ている作品か?とよく見ると、次第にそれは人の形をとって見えてきたりするものもあったし。こんな形でも、いやこんな形だからこそ、逆にリアルに見える部分もあるのかも知れないな、と思った。
その他、現代絵画が得意な人は、愉しいかも知れない。チューリヒ美術館の3階はすべて現代絵画である。クレー、カンディンスキー、ピカソ、シャガール、ミロー、コシシュカとかシーレは現代か?ただ、私はこのあたりになると、あまり受けつけないうえ、やはり少し疲れていたのでどうも楽しむまでにはゆかなかった。
こうして美術館を見た後(美術館は月〜木は9時まで開いている!)、そろそろ夕食でも、と思うが、丁度時は8時頃、チューリヒ市民の夕食の時間である。年末であるせいか、異様に平日でも込み合っている。望みの店、Churchiというチーズ・フォンデュを出す店もこみこみで45分待ってくれ、といわれたので、その間に橋の対岸をちらほらと散策する。
ペスタロッツィ公園には、チューリヒから出た教育家、ペスタロッツィの銅像が立っている。このペスタロッツィ公園を含むあたり一帯は、路面電車と歩行者しか通らない、一種の歩行者天国状態になっている。
流石に8時を過ぎたので店は閉まっているが、もう少し前ならば、買い物客も多かったろう。ふらふらと歩いていると、市電の特別バージョンであるサンタ電車が通る。サンタ・クロース姿の運転手に手を振られ、こちらも振り返す。あれは、結構楽しいかも知れないなあ……ただまあ、もうクリスマスは終っているのに、という気もしないではなかった。
フォンデュの店を再び訪れると、ようやっとひと段落ついたようで、席に案内される。店内は、チーズ・フォンデュなどのチーズを溶かした料理が多いため、ものすごいチーズ臭さで充満している。私は、ここでチーズ・フォンデュは頼まず、フォンデュ・シノワーズというものを頼んだ。薄切りの肉をコンソメ・スープに浸して6種類のタレにお好みでつけて食べる、というしゃぶしゃぶめいた料理である。中国風のフォンデュ、とでも訳せばいいだろうか。これはなかなか美味で、結局肉皿をお替りまでして食べてしまった。うーん、小食な私にしては珍しい!ということで、かなり満腹し、チューリヒの夜をてくてくとホテルへと歩きかえったのであった。