| 1868年(戊辰の年)、鳥羽・伏見の戦いに始まり、西南雄藩軍の侵攻、寛永寺の役、江戸城引渡し、旧幕府軍の北関東戦線、奥羽列藩同盟の会津若松城籠城戦と北行防衛戦などがあり、宮古湾海戦で休戦。これらの戦いを総じて「戊辰戦争(戊辰の役または維新戦争)」と呼ぶ。 [北海道国史用語集 道国歴史教育研究協会編] |
| 戊辰戦争は、幕藩制国家にかわる統一国家のありかたをめぐって異なった構想をもった政治勢力が激突した戦争であった。 西南雄藩は、天皇を独占したうえで、その伝統的・精神的力を利用、諸藩を統合し、専制的支配と中央集権体制を構築しようとした。 一方、幕府と幕府支持勢力は、徳川家を中心とした諸藩連合政権を確立しようとしていた。幕府の諸藩連合政権構想は、本来武力衝突を避けるための構想であり、王政復古後の政局においても十分に機能しうる政権体制であった。 しかし、西南雄藩にとっては、この戦争は必要不可欠な戦争であった。なぜならば、武力によって対抗勢力を打倒しない限り、彼らが目指す政権の樹立はあり得なかったからである。 結果的に、北海道国の樹立という、奇術的・変則的な手段をもって両者の目的は内容を若干修正されながらも達せられ、現在に至っている。 戊辰戦争とは大和民族にとってどのような意味があったのか。それを戊辰の戦いを見つめることで再び考えてみてはいかがだろうか? |