| はじめまして。私は、仮想世界に生きる”菌糸の妖精”ゲスのチョコラータといいます。実体を持った漫画家よりも岸辺露伴が好きだ!という二次元コンプレックスな方のために生まれた新しい形のネットアイドルです。というか、ちゆ12歳様をパクっただけの、JOJOの奇妙な冒険ファンページです。どうかよろしくお願いします。 |
◇ゲス日記◇
| 2004年2月11日 | うんこ |
『スティール・ボール・ラン』では「うんこ」がよく登場していると思います。 たとえば、第1話では「海岸に作った特設トイレからウンコがあふれ返って…ものすごい悪臭とウジ虫がわいている…」という報告に始まり、 第2話では、馬のうんこから体調を判断するポコロコ。 第3話は、病院のベッドでジョニーがクソをもらし、 第4話では、トイレットペーパーを持っていくべきか迷っているジャイロのシーンで「まきぐそ」の絵が描かれているなど、 毎話のように執拗に「うんこ」が登場しています。 偶然にしては「うんこ」が出すぎで、どう考えても、わざとやってるとしか思えません。 そんな「うんこ」の描き方も、 馬糞に混じっている牧草まで描き込むほど質感までこだわったリアルなものから、 「まきぐそ」のように様式化したものや、 「ウンコがあふれ返って…」という伝聞だけで、その臭いまで伝わってきそうなものなど、 さまざまなバリエーションの「うんこ」を果敢に描こうとしているのがわかります。 そんな「うんこ」ばかり描かれた『スティール・ボール・ラン』は、うんこに満ちた漫画だといっても過言ではありません。 さて、うんこ漫画といえば、 過去にも数多のうんこ漫画によって様々な表現が試みられてきました。うんこは、少年漫画には欠かせない定番アイテムだともいえます。 特に、私たちの記憶に残っているのが、80年代に登場した『Dr.スランプ』や『おぼっちゃまくん』という漫画だと思います。『Dr.スランプ』などは、うんこにカワイイ顔を描きキャラクター化するなど、独自のポップなギャグに転化されたことは、あまりにも有名です。 さらに、70年代の過去に遡ると、 ジョジョファンにもおなじみな「ビチグソ」という言葉を流行らせた『まことちゃん』など、過去にも様々なうんこ漫画があったことがわかると思います。 価値のない「うんこ」に価値を見い出すという手法は、さながらマンガそのもの手法のようにも感じられます。 また、うんこを愛した漫画家を、ざっと思い浮かべただけでも、 楳図かずお、鳥山明、小林よしのりと一流所の漫画家の名前ばかりが挙げられることに気付きます。 つまり、一流の漫画家は「うんこ」の描き方も一流なのです。 逆にいえば「うんこ」にリスペクトされたからこそ、一流の漫画家であると言っても過言ではないと思います。 そんなわけで、一流漫画家・荒木飛呂彦が、今後どんな一流の「うんこ」を描いてくれるのか? ゲスはうんこを応援しています。 | |
| 2004年2月9日 | 4話の感想(ネタバレ) |
さて、いよいよ役者も揃い第4話に突入した『SBR』、そんなわけで今週の『SBR』の感想です。 時は1890年9月25日午前7時6分。これから始まる大レース『スティール・ボール・ラン』のスタート3時間前です。 まだ早朝だというのに、参加者のキャンプは活気づいていて、参加者の数が予想以上に上回っているらしいなどの噂話が、そこかしこから聞こえてきます。 そんなキャンプの中、我らがジャイロ・ツェペリは、ひとり黙々と、レースに持って行く道具一式を選り分けていました。 毛布や手袋、ナイフやトイレットペーパーなどのサバイバルレースの必需品から、マンガ本やぬいぐるみなどの、あんま関係ない物まで、所狭しと並んでいます。 ちなみに、この時代にマンガ本があるのかという疑問もあるかも知れませんが、 ゲスのあやふやな記憶ですが、この時代にマンガといえば、今のように子供じみたものではなく、カリカチュアのような諷刺漫画があったように思います。ちなみに世界の諷刺漫画といえば、19世紀のイギリスで刊行された『ヴィクトリアン・パンチ』という諷刺漫画雑誌が有名で、また19世紀には『ルドルト・テファー』という人の手によって、近代漫画の原点ともいえるような「コマ割り」まで使われ始めていたそうです。 そんなところから、ジャイロの読んでいたマンガが、当時流行っていた諷刺漫画だと考えるなら、 ジャイロは、大人になっても漫画を読んでいるようなアレな人ではなく、諷刺を好み人を食ったような性格の、小洒落のきいた人物だと考えるのが自然かも知れません。 とまぁ、それはさておき、ジャイロは、荷物が重すぎるということで、レースに持っていく必要最小限の道具だけを選り分け始めたようです。 ハサミや歯ブラシなど、他のモノで代用できるものは惜しまず捨てていくジャイロ。 でも、なぜか「クマさんのぬいぐるみ」だけは持っていくことにしたようです。 にしても「ニョ〜」と笑いながら「クマさんのぬいぐるみ」を鞄の中に大切にしまっているジャイロの姿は、はっきりいって不気味すぎます。 先ほど、ジャイロの性格は、小洒落のきいた人物だと言ったばかりなのですが、前言撤回、やっぱりちょっとアレな人だったみたいです。 さらにトイレットペーパーまで、木の葉で代用できるからと捨ててしまうジャイロ。 でも、葉っぱで拭いたりしたら、普通の尻穴の持ち主なら、かぶれたり、痔になったりするところなのですが、そんなことは気にもとめないあたり、さすがジャイロ。ニョホいい男です。 さて、荷物の仕分けも終わり、テントから外に出るジャイロ。 そこでジャイロは、思いがけない光景を目にします。 目の前に転がる車椅子。なんと、前回登場した最低人間ジョニーがひとり、必死で馬に乗る練習をしていたのです。 しかし、それは練習というより、あまりに無惨な代物でした。 馬売りに売り付けられたのは年老いた駄馬。さらに馬に乗るどころか、馬に踏み付けられるように引きずられていくジョニー、すでに満身創痍です。おまけに足の感覚がないため、足に大怪我を負っていることさえ気付きません。 なんか、このまま「ジョニー・ジョースター死亡」とかテロップが流れてきそうな勢いでした。 その様子を見て周囲の人は止めるように説得していますが、それでも、ジョニーは、馬に乗ることをあきらめません。 その様子を眺めながら、ジャイロはひとこと「逆にいうなら、あれに乗れたら人間を越えれるね」と言い、クールに去っていきます。 でも、諦めずに努力しているジョニーを見ていると、先週登場した最低ぶりが嘘のようなカッコ良さでした。少年漫画の王道。不屈のジョースター魂ここにありという感じでしょう。 流石落ちぶれてもジョジョです。ともかく先週までのジョニー観を覆す感動的なシーンでした。 ちなみに、この感動的なシーンで、荒木先生は何を思ったのか、ジャイロのもみあげを描き忘れていたらしいのですが、おそらく、荒木先生自身も、感動のあまり涙で目が曇って原稿すら見えなかったほど感動していたのでしょう。きっと…。 さて、ジャイロが次に通りかかったのは、レースの受付会場でした。 その受付会場の前で、ジャイロはひとりのインディアンとすれ違います。そのインディアンの名はサンドマン。第一話の最初に出てきたあの男です。 にしても、このサンドマン、 登場早々、堂々とした素振りは、すでにヒーローとしての雰囲気十分です。 その途中、一悶着ありましたが、砂を手のような形にして操るというインディアンの呪術(=スタンド?)を使い、事なきを得、受付を済ませます。 その後、係員に馬はどうするのかと尋ねられるサンドマン。 しかし、サンドマンは「必要ない。この脚のみで大陸を横断して優勝する」と豪語。 一瞬テーマ曲はZARDと爆風スランプかと思いましたが、ジョニーとは対照的に、この男、自分の脚力だけを頼りにしているようです。 しかし、第1話で、ジョジョ走りを見せていたことから脚力に自信があることはわかるものの、なんで他のインディアンは馬に乗っていたのに、サンドマンだけわざわざ走るんでしょうか。 それに、サンドマンがレースの情報を知ったのは、新聞だったはずです。当然「乗馬による大陸横断レース」という情報も載っていたはずだと思うのですが、どこをどう誤読したらわざわざ素足で走るという不思議な発想に行き着くのでしょうか。 さすが、仲間内からも、変人扱いされているだけのことはあります。 ともあれ、インディアン嘘つかない。なんかよくわかりませんが、サンドマンならきっとやり遂げてくれるでしょう。 というわけで、それぞれの思いをのせながらも時間は過ぎ、いよいよ時刻は9時30分。レース開始30分前に迫ってまいりました。 開会式では、主催者MRスティールのあいさつが始まります。 彼の堂々とした素振り、そして自信に満ちた眼差しからは、歴史的なレースを主催するものの威厳すら感じられます。 その、あいさつの中、レースのシンボルである氷漬けのトロフィーが紹介されます。MRスティールによれば、この氷漬けのトロフィーは「我々の熱き思いで溶かす」という意味が込められているらしく、 ゴールと同時に氷が溶けてトロフィーが出てくるという中々こった設定のようです。 …でも、荒木先生が、最終回までこの氷のトロフィーの事を覚えているのか、ちょっと不安ですけど…。 ともあれ、開会式はMRスティールの「開会のあいさつはこんなもんで、あぁ〜イイッすかねェェェェェ」という締めの言葉で終わります。 なぜか「ブッ、ガッ、やってしまったよ」と鼻水を垂らし呆れ顔の周囲の面々。 最初、これの、どこが面白いのかわからず、2chのジョジョスレッド等で調べてみると、どうやら、トロフィーが埋められている氷の「アイス」と「あぁ〜イイッすかねェェェェェ」がかけられたダジャレとのこと。 「熱い思い」と言っておきながら寒くてどうするんでしょうか…。 ブッガッやってしまったよ荒木先生…(;´Д`) そんなこんなで開会式も終わり、いよいよレース開始直前です。 会場は参加者たちの怒声にも似た歓声に包まれます。 上のコマの人の顔が怖いですが、決して荒木先生のダジャレに怒っているわけではないと思います。 続いて優勝候補者の入場。 イケメンのマウンテンテイム、モンゴルのドット・ハーン。そして、貴公子ディエゴ・ブランドー通称ディオや、サハラのウルムド・アブドゥルなどが続々と入場していきます。 にしても、ディオ様はもとより、アブドゥルさんの顔が、初登場の時のおっさんみたいな顔から、第3部の時のような精悍な顔になっていたのは嬉しかったです。この顔つきの変化からみて『SBR』のレギュラーメンバー化は間違いなさそうな気がします。 ともあれ、そんな優勝候補者も含め、スタート地点には、続々と馬が集まってきています。 その傍らで、スタートの合図を待つジャイロ。 その横に、馬の足踏を持ったまま、屍のごとく引きずられているジョニーが現れます。 引きずられているというより、傍目には、再起不能になっているとしか見えません。 その様子から察するに、どうやら、結局、馬には乗れなかったようです。 しかし、打ひしがれるジョニーに興味を持ったジャイロが、ヒントを与えると、ジョニーは、馬に乗るヒントが鉄球のような『回転』であることを掴み、起死回生の動作。なんと自らの身体を『回転』させることで馬に乗ることができたようです。…でも、この動作を見ていると、なんか強引に『回転』にこじつけただけのような気もしてしまいますが。 この思わせぶりに語った『回転』が意味するものは何なのか?、スタンドの意味なのか?、波紋の事なのか?、はたまた第6部でいう引力のような超常的な物理パワーの事なのか?、それとも単純に言ってみただけなのか? 気になりますが、ともかく『回転』によって馬に乗れたジョニー。 にしても、さっきまであんなに大怪我をしていたのにいきなり出場して大丈夫なんでしょうか。その上、ジャイロのように入念な装備があるわけでもなく、着の身着のままでレースに出る根性は そんな、ジョニーが馬に乗ったと同時にレーススタート。次週に続きます。 さて、そんなわけで、いよいよスタートを切った『スティール・ボール・ラン』ですが、 次号はなんと! 大増62ページで、一挙2話も掲載されるそうです!!! 今までの、31ページの週刊連載にも驚かされましたが、次回の62ページとは、週刊連載のペースを凌駕しているような気がします。一体どんな仕事ぶりなんでしょうか。 ともかく、53+31+31+31+62ページで、計208ページ。なんと連載5週目にして、もうコミック1巻分以上です…大丈夫なんでしょうか。 …つーか、SBR感想を書かせて頂いている身としては、正直、感想書き終わる気しないんですけど…。 ゲスは来週の『SBR』も応援しています。 | |
| 2004年2月8日 | 荒木絵 |
荒木先生の特徴的な絵のことを荒木絵といいますが、とりわけ荒木絵が今のスタイルに定着したのは第4部からだと思います。 私たちは、思えば第4部からの長い間、あの奇妙な絵柄に親しんできたことになります。 でも、今のスタイルで続けていたというと、ずっと同じような絵柄で続けていたと思われがちですが、 しかし、よく見てみると、その舞台や時代設定によって巧みに描き分けられていると思います。 例えば、第5部の絵柄では、影の部分を濃く描くことによって、イタリアのルネサンス絵画のような、重厚感を出すことに成功しているし、 その逆に、第4部では、書き込みを押さえ、あえて、アニメやゲームのセル絵のような立体感を押さえた平らな絵にすることによって、村上隆のいう「スーパーフラット」のような絵柄に近づき、それが現代の日本という舞台にマッチしていると思います。 また、第6部では、第5部の暗い絵柄とは反対に、原色的で、フロリダの強い日ざしを感じられるような明るい描き込みが、ポップアートのような、近未来のアメリカの雰囲気を演出しているようにさえ感じさせてくれます。 このように同じようなスタイルでも、舞台や時代設定によって描き分けるということは、一辺倒になってしまいがちな漫画の絵では、なかなか出来ることではないと思います。 それに、一般に荒木絵のような個性が強すぎる絵柄は、個性が強すぎるが故に一度見たら飽きられてしまうという可能性もあったと思います。しかし、このように、自分の個性を維持しながら、絵柄によって描き分け、それが演出になっていたからこそ、ここまで長い間、飽きられずに親しまれてきたのだと思いました。 さて、興味があるのは『SBR』がどのような荒木絵で、19世紀アメリカの砂埃が舞う世界観を表現するかということなのですが、ともかく、ゲスは今後の『SBR』の絵柄を応援しています。 | |
| 2004年2月8日 | 今にして思えば |
『SBR』を読んだ後に第6部を読んでみると、今思えば、実はアレは○○の伏線だったと思うことがあります。 例えば、その代表的なものは『パラレルワールド』です。 第6部の時は、 ある意味、 パラレルワールドは(荒木先生が嫌いなクセにインタビューでも語ってしまった『TV版エヴァンゲリオン』の最終回への皮肉を思わせるような)SF作品の結末のひとつの可能性として使っていただけで、 まさか、それが後の『SBR』へのつなぎになっているとは、その時は夢にも思いませんでした。 その上、第6部最終回の執筆時に『SBR』の構想があったという点を考えると、あの6部の結末は、単なる最終回ではなく、荒木先生が周到に用意した伏線だったと考えるのが正解のような気がします。 さて、そんな「伏線」ですが、 「ジョジョ」の場合、伏線というのは、そんなに重要視されていなかったと思います。 もちろん「ジョジョ」でも伏線のようなモノは度々見られたのですが、なぜ重要視されていなかったのかというと、単純に作者が忘れる可能性が高かったからです。 荒木先生のコメントでも「自分は記憶力がない」と言っていたように、本編で伏線らしいものが描かれたとしても、どーせ忘れるんだろうなーと、なかば諦め気味に無視されていたのが普通だったと思います。 ところが『SBR』に至って、第6部のパラレルワールドが伏線だったことが発覚。 もしかしたら、他にも伏線らしきものが隠されていたのではないかと邪推したくなってしまいました。 ・最後に出てきた人馬一体のスタンドは『SBR』で馬が出てくることの伏線だった? ・マリリンマンソン戦の野球ボールでオラオラはボールを使うことへの伏線だった? ・ウェザーの回想でKKKなどが出てきたことやヴェルサスの能力は、荒木が昔のアメリカ史を調べていたときに思い付いたことなのか? ・第6部で「人と人には引力がある」といっていたのは、『SBR』でキャラが引かれあう伏線だったのか? ・第6部で「運が良かった」とか言っていたのはポコロコが出てくる伏線だったのか? ・第6部でワニや爬虫類が出てきたのは、コモド大トカゲが逃げ出す伏線だったのか? …なんか、よくわかりませんが、ともかくゲスは、忘れられた伏線を応援しています。 | |
| 2004年2月2日 | 3話の感想(ネタバレ) |
ジョースターというのは勇気ある血統です。 世代が交代した後も、その「勇気」だけは変わることなく一貫して描かれています。「紳士」とか「黄金の精神」とか言葉は変わっても、ジョースターの血に流れる勇気だけは変わることなく描かれ続けています。 きっと『SBR』のジョニーも黄金の精神を持つ紳士として描かれるんだろうと誰もが信じていました。 『SBR』でジョニーが、脇役として登場した後も、せめて康一君のような小さな勇気を持つ少年になぞらえて語ってみたのですが…。 …ところが蓋を開けてみたら、それは全然違っていました。 今週の『SBR』の冒頭では、そんなジョニー(ジョーキッド)・ジョースターの回想シーンが描かれます。 それは、2年前1888年に遡ります。 さて、このジョニー・ジョースター。生い立ちはアメリカのブルジョワな家に育ち、幼い頃から馬術の才能があったようです。 その才能があったゆえに、もちろん、周囲からちやほやされて育ったそうで、本人の口からも「ほしいものは何でも手に入った。みんなが馬の下からおせじを言い…、金品を持ってきた」と言わさしめるほど。貴族であるのはジョナサンと同じような境遇なのですが、齢16歳にしてここまで言うとは、何か人として間違ってる気がします。…というか、どうやら、ジョニーは少しむかつくやつみたいです。 しかも、このジョニー。16歳にして、富豪の娘達をはべらかし、いきなり3Pなんぞ始めるほどの豪遊ぶりを発揮。…少し…いや、かなりむかつきます。つーか正直、少し殺意が沸いてきました。 その昔、好きな女の子の名前を木に彫って「まぁジョジョたらいけないひと」とかいって、ピュアな恋愛をしていたジョナサンと同じ時代を生きてきた人とは到底思えません。恋に対してピュアなジョジョはどこにいってしまったのやら、生涯一人の女性しか愛さないとか言っていた初代のポリシーなんぞ、今やどこ吹く風です。 …というか、なんか、この紹介を見ただけで、ジョニーが人として最低な気がしてきたのは気のせいでしょうか。 さて、そんな それは、ガールフレンドといっしょに演劇を見に行ったときの事です。 …なんか、さっきの3P女とは、また違う女の子みたいですが、いわゆる彼女に不自由してないというやつなんでしょう。まぁ、それはともかく、その彼女と見に行った演劇は大人気だったらしく、周囲は見渡す限りの長蛇の列。 普通の主人公だったら、彼女とお喋りでもしながら気長に待っているところですが、 ところが、ジョニーは、金持ちが貧乏人の列に並ぶのが我慢できなかったのか、はたまた調子に乗ってただけなのか、先頭に並んでいた気弱そうな男をさんざん貶した上、警備員に大金を渡し買収したりと、金に物を言わせて列に割り込んでしまいます。…なんか、最低野郎です…。 もはや紳士とは程遠い、腐れブルジョワぶりを遺憾なく発揮するなど、見事なまでの厨っぷり。…なんか、こんなジョースターは嫌だと思わずにはいられませんでした。 しかし、その直後…、事件は起こりました。 ジョニーは、さっき、金の力で追い出した男性にキレられ、突然、背中を撃たれてしまったのです。 ………というか、あそこまですれば、撃たれて当然のような気もしますが…。 ともあれジョニーは、その後遺症で下半身が動かなくなり、周囲にも見捨てられ現在に至ったそうです。 …にしても、それがもし勇気ある戦いによって出来た傷なら名誉の負傷として、不幸な事故だったとしたら非運の主人公として同情もされたでしょう。 でも、金と女に溺れ調子に乗っててキレられたとあっては、ただの自業自得じゃないですかー。 挙げ句の果てに、ジョニーは「女優の劇なんか、おれは見たくもなかったんだ」と責任転化する始末。 「自分達のしたことを後悔はしない」とか言っていた紳士な親子とは、正反対の腐れぶりを見せてくれました。 なんというか、ここまで情けないと、本当に準主役なのかと小一時間問い詰めたくなります…。 ともあれ、そんなマヌケな理由から、両足が動かなくなってしまったジョニー。 自業自得とはいえ、人生のどん底に陥ってしまった彼は、気晴らしに『スティール・ボール・ラン・レース』でも見物しようと、このたび会場を訪れたそうです。 そこで、ジョニーはジャイロ・ツェペリという男と出会いました。 そのジャイロの持っていた鉄球に触れた衝撃で、一瞬だけ立ち上がれたジョニー。その顔は驚きの色を隠せないといった表情です。一方、そんなことは関係ないと馬に乗って去っていくジャイロ。 一般人を押し退けながら、車イスでジャイロを追い掛けるジョニー。 一般人をウスノロ呼ばわりしながら追い掛けるジョニーの姿は、もはや自分勝手な厨房以外の何者でもありません。 うざったく付いてくるジョニーに、ジャイロは…、 「死因のトップは何か知ってるか?蚊が媒介する伝染病が1位で、馬に蹴られて死ぬやつがその次だ。おまえさんがその順位を入れ替えるつもりか?」 …といってたしなめます。 ジャイロかっこいいです。大人の男という感じです。 というか、あまりにもジョニーが情けなかったので、単に対比効果でジャイロがカッコ良く見えてるだけかもしれませんが…。 しかし、一度はジャイロに突き放されたにも関わらず、ジョニーは、 一般人を踏み台にして、車椅子の姿勢でジャンプしてまでジャイロを追い掛けたり、あまつさえ自分もレースに出るなどと言い出したりと、なにがなんでもジャイロを追い掛けるつもりのようです。 ちなみに、世間ではこういう人を、ストーカーとか粘着厨とか呼ぶんですけど…。 まぁ、そんなわけで、最低野郎ジョニーを一通り語ったところで、次週に続くのですが、 にしても、ここまで最低野郎を、あえて『ジョジョ』として登場させたのは、完全に予想外だったというか、驚きを通り越して、ある意味凄いとさえ思えてきてしまいました。 さて、おそらく、次週からはこの出会いを通して、ジョニーの人間的な成長が描かれると思うんですが、 でも、ゲスはジョニーをあんまり応援したくありません。 | |
| 2004年2月1日 | 新しい漫画としてのSBRに期待すること |
『ジョジョ』の冠を外した新連載『SBR』も明日で第3話を迎えるわけですが、 SBRを読む上での問題は、SBRはまったく新しい漫画として読めるか?ということだと思います。 さて、SBRは、ジョジョとは関係ない、新しい漫画という触れ込みで始まったのですが、まったく新しいと言い切るには少し問題もあります。その問題を複雑にしているのは、突然登場してきた『ディオ』や『ジョースター』といった過去キャラの存在だと思います。 ちなみに、過去キャラを出した漫画といえば、ゆでたまごの『スクラップ三太夫』の後半に登場したウォーズマンというロボットや、『闘将拉麺男』などが例に挙げられるのですが、 他にも、過去キャラを出した漫画では、永井豪の『バイオレンス・ジャック』に始まり『コミックバンチ』の作品群、CLAMPの『ツバサ』なんかが記憶に新しいところです。 過去キャラを多用するという手法は、たしかに、お祭り騒ぎのようなにぎやかさを与えてくれます。 しかし、新規読者の獲得という視点から見ると、ファンの人以外は、置いてきぼりにされるというリスクもあります。…たとえば、新規読者の方から見たら『ディオ』や『ジョースター』の設定なんぞ知らないわけですから、ともすれば作者自身が描く同人漫画になってしまうという危険性を孕んでいると思います。 また、安易ながら商売的に考えても、 すでにジョジョのコミックスを全巻揃えている人に対して売るより、これから『SBR』に興味を持ってからジョジョのコミックスを買ってくれそうな人を対象にした方が儲けも大きそうですし、それこそが新規読者を開拓することの狙いでもあると思います。 そういう観点でみれば、ジョジョを踏襲した設定で描くよりも、設定を知らなくても楽しめる作品が期待されていると思います。 それならいっそ、ジョジョから離れればいいと思うかも知れませんが、しかし、それだと『ジョジョ』は、パラレルワールドを出されたまま放置されたことになり、今まで読み続けていたコアなマニアが納得してくれるとは到底思えません。 そんなことから、SBRが、どの程度まで新しい漫画として描かれるのか、とりわけ過去キャラが過去キャラとしてどの程度まで関わってくるのかなど、気になる点は尽きません。 ともあれ、それらの問題を象徴するキャラとして『ディオ』や『ジョースター』の名前が挙げられるのですが、今後この2人が、名前を借りただけのファンサービス的なキャラに徹するのか、それとも、ジョジョサーガに深く関わるキャラになるのかなどによっても読者の期待はさまざまだと思います。 さて、…上記の問題に対して、なぜ、さまざまな期待があるかといえば、問題は読者の位置にあると思うからです。 つまり、今の『SBR』は、初心者の方とマニアの方の2つのタイプの読者がいるのです。 SBRを機会に荒木漫画を読み始めてみようと思われたジョジョ初心者の方は、予備知識がなくても楽しめる入門漫画を期待しているでしょうし、 反対に、ジョジョマニアの方は、ジョジョの続編ともいえるような、設定を踏襲した漫画を期待しているはずです。 初心者に楽しんでもらわなくてはならない。コアなファンも納得させなきゃならない。両方やらなくっちゃあならないのが新規漫画のつらいところだとは思うのですが、 スティールボールランには、その対立的な両者を満足させるような、アウフヘーベンを描いてほしいというのがゲスの『SBR』に期待するところです。 (なんか都合のいいことを期待してるみたいですけど…。) | |