Area One Music Festival 2001 in Los Angeles

part 1

出演あーちすとの前紹介のぺーじだよん!  
Written
Translated By アクア 

毎年アメリカ各地で行われるArea One Music FestivalLA85日(土)。アクアは今回のArea Oneが初めての参加。プラス、ごあぱんさんのHPに海外れぽーと「初載せ」させていただく!っていうことで、はりきって出演アーテイスト達の前紹介をアクアが勝手にここで紹介。アクア流日本語訳、ちょーっとわけわかんないトコもあるとおもうんだけど、そこはゆるしてねんっ。(訳しすぎて、いまどきそんな言い方しね〜よとか、やっぱりいっぱいあるかも、かもぉ〜。)それじゃー、アクアが今回お目当ての5人、Juan Atkins, Timo Maas, Paul Oakenfold, The OrbそれからMobyのこばなしを紹介していくよー。それから、れぽーと、たのしみにまっててねぇぇぇぇ〜。
JUAN ATKINS
彼のその音楽的才能を敬して名付けられたのは、Godfather of Technoまたは
MagicJuan Atkins はまさに21世紀を代表するその他各ジャンルのトップミュージシャン達と共にその名を連ねることだろう。彼の天才的音楽的な資質は、テクノ、エレクトロ音楽を真に愛する者達にとっては、彼らの人生をも変えてしまうほどの、強いインスピレーションを持っている。北米において、圧倒的支持を受けているその他大勢のユーロ系サウンドを売りにするDJ達が幅をきかせてはいても、Juan Atkinsの存在はいまだ、テクノ界におけるMiles Davisのような巨匠として認識されている。彼は、The Funky Buddhaであり続けるのだ。
TIMO MAAS
先秋にKinetic Records/ Hope Recordingsよりリリースされたファーストアルバム The Maases では、彼のその独自の音楽スタイルである Percussive Wet Funkを特長としておしだし、さらにこの夏リリースされたニューアルバムConnected。昨年は特にメジャーな世界でもてはやされたTimo Maasの活躍は、一部のうわさとしては彼の人気も一時的なものではないのかとささやかれはしたものの、当の本人としてみれば今までの100近い作品の数々、また5年をこえるスタジオでの経験があり、それらは彼の人気が一時的なものではないことを証明し、また裏づけるものであるにちがいない。デビューシングル Der Scheber(ちまたではPusherと呼ばれている)はUKにおいてトップ50に入り、今年にはいってはシングルUbik があらたにトップ40入りを果たした。また大成功をおさめたコンピThe Maasesと共にDoom’s Night By Azzidoda Bassも トップ10入りを果たした。彼はまたあのMadonnaより彼女の最新のシングル曲 Don’t Tell MeをちょっとだけFunkなテイストに仕上げてほしいとの依頼があったとのこと。また今はHope Recording, 現在所属であるPerfectoより、Hooj Choons, FFRR, Bushらのためにレコーデイングを終えたところである。Timo Maasはこれらの作品をここ何年か手がけている。
PAUL OAKENFOLD (以下 オーキーと略)
北米のダンスシーンにおいて、もうオーキーの名を知らない者なんていないであろう。つねに時代のカッテイングエッジともいわれる彼のレーベル、彼の作品に対する信頼性、エピック&ユーフォリックなDJスタイル、どれをとっても世界中のクラブシーンから歓迎をうけるものである。ロンドンに生まれ育ったオーキーだが、アメリカとはもうずいぶん長い関係にある。20年前、当時まだ10代だった彼は、生活の為に時代遅れのかなりやばめのクラブで働きながら、なんとか自分の好きなダンスシーンで生きていきたいと模索していた。その当時時代の最先端をいくクラブシーンといえば、今のようにロンドンではなく、ニューヨークであった。「そんな夢見がちな年頃だったから、何事もおそれなければ、自分が世界を動かせるんだ!!!、なんて本気で思っていたんだよ。」オーキーはこう当時をふりかえる。そしてニューヨークの地下鉄に乗って、ウォークマン(あ〜そんなんあったね、なつかしっ)でBLS, KTU, KISSなんかを聞きながら、Courierとして働いていた。(あらゆるものを配達する、いわばデリバーボーイ)夜はParadise Garage, The Loft, Bonds,そしてStudio 54(今となってはNY伝説になっているクラブ。近年映画化された)にひたすら通っていた若かりし頃のオーキーであった。
THE ORB
The Orbの司令塔というべき存在のDr. Alex PatersonはクラブHeavenのダンスシーンにおいて、(89年にオーキーがAcid House Club Nightというイベントをやっていた所でもある)人々が「テクノはアートである」と言わしめるにいたった先駆者でもある。Patersonはオーキーと同じく70年代アンビエント、スペース系音楽の熱心なファンであり、彼のスタイルにはデトロイトテクノ、シカゴハウスの影響はもとより、環境音楽、はてはPink Floyd, Steve Hillage, Manuel Gottsching, Mike Oldfieldなどの影響も色濃くでている。実験的なテクノプロデューサーと言われることに屈することもなく、彼はただひたすら彼の追求したいところの音作りにはげんでいる。The Orbはエレクトロミュージック界という名の乾ききった砂漠に、その美しい音楽でもってあたらしい生命をもたらしている。

MOBY

996月にV2 Recordsよりリリースされたデビュー作 Playは、Alan Lomaxによるアフリカンアメリカンのフォークソングをエレクトリックに味付けし、近代音楽に仕上げたものである。そして結果、10カ国以上でゴールドまたはプラチナデイスクとなり、(アメリカ、イギリス、カナダを含む)アメリカではグラミー賞2つにノミネート、イギリスではBrit Awardにノミネートされた。そして数多くのメデイア、米雑誌Rolling Stones, Spin, USA, PeopleそしてLAタイムス、NYタイムスなどがこぞって今年もっとも活躍したアーテイストとしてMobyを取り上げた。

Mobyはニューヨークに生まれ、コネチカット州で育った。本名Richard Hall。あのMoby Dickの著者、Herman Melvilleの直系の子孫でもある。(おそらくここから彼のアーテイスト名がきているのだろう)彼の父親は彼がまだ二歳のときに亡くなってしまったが、とても心の広い母親(彼の最大の理解者、また支持者でもある)のもとで育てられた。彼が自分の創作概念を音で追求していきたいと決めたときも、母親はいつも彼を勇気づけ、はげました。そんな自由な環境が、彼をもっといろいろ音楽を表現していこうとその音楽スタイルを養った場所でもある。
80年代後半、Mobyはハウスミュージックシーンにはまっていた。彼のファーストシングル Goはそんな彼のいたレイブシーンから発信され、イギリスにおいてはトップ10入りし、ついにはミリオンセールスを達成した。米音楽雑誌Rolling Stonesでは、トップ200レコードのなかにカウントされた。これらデビュー初期からの成功の数々は、彼をエレクトロミュージック界における革命児と言わしめるにいたった。
95年のEverything Is Wrongのリリースはそれまでの彼の音楽スタイルであるハウスとジャングルにくわえ、ロックテイストも取り入れた多面性をもつ作品に仕上げた。彼の参加したThe Lollapallooza Tourはツアー終了後に発表されたAnimal Rights(96年リリース)をよりアグレッシブなサウンドにした。またMobyVoodoo Childという別のアーテイスト名で、The End Of Everythingをリリース。
97年のアルバム
I Like To Scoreではあの007ジェームスボンドのテーマ曲をブレイクビーツにアレンジ。またたく間にイギリスでトップ10にのぼりつめた。ファーストアルバムPlayMoby一人によって、彼のニューヨークにあるホームスタジオで一年以上もの時間をかけて制作されたものである。アルバム自体は3つの構成からなっており、はじめのパートは先に述べた20世紀初期のアフリカンアメリカンのフォークを取り入れたもの、それにひき続き、Moby自身の歌声をフューチャーしたもの、そして、インストゥルメンタルなトラックが続いていくという構成に仕上がった。多くの映画制作者たちも、Mobyのそのすぐれた音楽センスに注目しており、映画「Any Given Sunday」、「The Beach」(ごぞんじデイカプリオ主演の)、「Next Best Thing」などにもMobyの音楽が使われている。


<以上、Area One Music Festival 2001ホームページの出演予定のアーテイスト紹介からの抜粋です。勝手に日本語訳しちゃったけど、いーんだろーか。(汗)とりあえず、この文の著作権はArea One Home Page上にあるものとし、許可なく引用、転載を禁止します。>