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13世紀末のスコットランド独立運動で英雄的活躍をしたウィリアム・ウォレスのドラマ、ブレイブハートのアメリカ版とも言うべき作品。 ロバート・ローダット Robert Rodat が脚本、監督はインデペンデンス・デイで有名なドイツ生まれのローランド・エメリッヒ Roland Emmerich 。音楽は、ジョーズ、スターウォーズ、E.T.ほか数々のヒット作品の音楽を担当しているジョン・ウィリアムズ John Williams 。 主役のベンジャミン・マーチンに、メル・ギブソン。マーチンの息子ガブリエルにオーストラリア生まれの新人ヒース・レジャー Heath Ledger。シャーロットは英国女優のジェリー・リチャードソン Joely Richardson。ジャン・ビルヌーブ少佐にリュック・ベッソンのニキータで有名なイスタンブール生まれのチェッキー・カリョ Tcheky Karyo。 ウィリアム・タビントン大佐は、アルマゲドンで有名な英国俳優のジェイソン・アイザックス Jason Isaacs。 フレンチ・インディアン戦争が1763年終焉した。かつて優れた戦士として活躍したベンジャミン・マーチン(メル・ギブソン)は、7人の子供たちを残し先立っていった妻への誓いを守って、争いから遠ざかり農夫としてサウスカロライナで静かに子供たちと暮らしていた。そんな父親の気も知らず長男のガブリエル(ヒース・レジャー)は、アメリカの独立のため本国イギリス軍との戦いに参戦してしまう。 いつしか家族の住む地域へも戦火はおよび、中立的な立場で両軍の兵士を看護したマーチン家にイギリス軍がたちよった。イギリス軍の残忍なウィリアム・ダビントン大佐(ジェイソン・アイザックス)は、負傷して家にもどっていたガブリエルをスパイ容疑で連行しようとする。兄ガブリエルの危機を救おうと弟トーマスがダビントンに射殺されてしまう。妻との誓いから押し眠らせていた彼の闘争本能が呼び起こされていった。突然の次男の死のショックから解き放たれたベンジャミンは、まだ少年の息子ふたりを連れ、ガブリエル救出のためイギリス兵士たちを奇襲し、無事ガブリエルは家族のもとにもどることができた。 この出来事のあと、参戦を決意したベンジャミンは、ガブリエルを除く子供たちを、妻エリザベスの妹シャーロット(ジョエリー・リチャードソン)に託し、戦線にむかう。ところが、ガブリエルが強奪されたことを知ったダビントン大佐は、シャーロットたちに迫る。 ... ブレイブハートは、妻がイギリス軍とスコットランド人の相克の犠牲になったことがきっかけで愛国戦士が登場した。パトリオットでは、息子がただ無残にイギリス軍大佐に殺されてしまうことで、アメリカの独立戦争で愛国の士として活躍することになる。どちらの場合も、愛するものを失わなければひっそり静かに暮らそうとしていた人物が第一線に立って戦闘を指揮していくことになった。愛する人や家族を危険にさらさないために争いから遠ざかっていたにもかからず、けっきょく危険のふりかかる確率は同じか高い結果となってしまった。そう気づくことで、危険から目をそむけ平和のみを願うだけでは平和は勝ち得ないと考えていった。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 (映画を観たあと気になった史実) フレンチ・インディアン戦争を扱った映画には、ラスト・オブ・モヒカンがある。北アメリカ大陸に進出・植民をすすめていたイギリスとフランスとの植民地争奪戦だが、フランス勢はインディアン諸部族と同盟を結んでいたことから、戦いに勝ったイギリス勢はこれをフレンチ・インディアン戦争という。1754年、アパラチア山脈を越えようとするイギリス植民地勢力と、ルイジアナやケベックを拠点におきセント・ローレンス川から五大湖、ミシシッピ川経由でニュー・オリンズに至る水路を確立し大陸縦断支配を目指すフランス勢力の武力衝突にはじまり、1763年のパリ和約で、両国の植民地領に線引きがなされた。ミシシッピー川以東の北米大陸、西インド諸島のドミニカ、トバゴなどの島がイギリスへ、ミシシッピー川下流流域のニューオーリンズと以西の地をスペインに、なおスペイン・ポルトガルはほぼ完全に中南米大陸の支配が再確認された。 この戦争は、イギリスに勝利をもたらしたものの、平行して旧大陸で進行していた7年戦争 (1756-1763) によって、また前後してインド、西インド諸島、アフリカなど世界の各方面で繰り広げられた植民地争奪戦はイギリス財政を極度に悪化させていた。そのため時のイギリス首相グレンヴィルは、砂糖法と貨幣法 (1764)、印紙法 (1765)をもって植民地からの税収増をはかろうと重商主義政策をすすめようとした。猛烈な反対運動が起こった印紙法は、1766年撤廃される。引き続いて翌1767年、次なる植民地課税にタウンゼンド関税をうちれるが、同じく撤廃に成功 (1770)する。状況を破局に導いたのは、茶税が残る一方で1773年の茶法によって植民地への茶の独占販売権が東インド会社に与えられ廉価な茶が植民地へ流入、ついにその年の12月、ボストン茶会事件が勃発する。植民地、イギリス議会ともに和解に至ることなく独立戦争へと発展していった。 1774年、13植民地の代表がフィラデルフィアに集い第1回大陸会議が開かれ、植民地住民の基本権利を本国に主張するが、本国はこれを無視したことから、翌1775年のマサチューセッツのコンコードで武力衝突。鎮圧のため本国から派遣されたイギリス軍と植民地軍がレキシントンでぶつかり、1783年まで続く独立戦争がはじめった。この直後ジョージ・ワシントンが大陸軍司令官に選出され、1776年7月4日フィラデルフィアでトーマス・ジェファーソンらを起草者とした独立宣言が公布される。大陸での戦線と平行して、国際世論をうごかすべくヨーロッパ各地を訪問していたベンジャミン・フラクリンの外交が功を奏し、フランス、スペインと各国の利害と一致した立場で植民地大陸軍を支持していった。1781年10月19日のイギリス軍降伏、1783年のパリ平和条約をもってアメリカ合衆国が誕生した。 |
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