7月9日、長崎市での幼児殺害事件の容疑者として12歳の少年が補導されました。報道によるならば、捜査の決め手となったのは商店街に新設されたばかりの街頭監視カメラの映像といわれています。報道機関の一部は、凶悪犯罪防止のために監視カメラの有効性と必要性を声高に唱えはじめています。”監視カメラなど警察を中軸とした監視網の強化こそが、私たち市民の安全を守る唯一の方法である”――このような錯覚が、わずかですが国民のなかに染み込みつつあるかのようです。
住基ネットと監視社会に反対してきた私たちは、このことに強い危惧を持つものです。この事件を利用して、警察による市民の監視網が強化されることがあってはなりません。
捜査の1つとして、街頭監視カメラに残された映像が利用され容疑者の特定に役立ったのは事実かもしれません。しかしながら、このことからただちに、監視カメラ網の強化こそが凶悪事件の再発防止の道であるという結論を導き出すことは危険であり誤りなのではないでしょうか。それは社会全体を誤った方向に導くものといわざるをえません。
この衝撃的な事件はなぜ引き起こされたのでしょうか?私たちに何が問われており、再びくりかえさないためには何が必要なのでしょうか?それは、警察がすべての市民を犯罪者と見立て監視のもとにおくことではありません。また少年への罰則強化でもないはずです。”子供の親は市中引き回しのうえ打ち首にせよ”――この鴻池防災担当大臣の言は、おそるべき暴論です。それは、戦前の暗黒の時代の隣組制度――「誰かが誰かにいつも見張られている」相互監視の社会――へと引きもどすものです。鴻池大臣を含む悪質政治家たちの本心をあらわしたものであり、許すことはできません。
「被害者も加害者も子どもである」この長崎の事件が私たちにつきつけていることは、深刻で根の深いものです。少年の心の病は、現在の日本社会の腐敗と歪みを映しだしているのではないでしょうか? 小泉政権の進める教育政策の歪みによるものではないでしょうか。小泉政権は、一方で早期からの子どもの能力の選り分けとエリート教育を進め、他方で「心の教育」を合言葉にして子どもに愛国心を植え付けようとしてきました。教師と子どもの監視・管理を徹底的に強化しながら。小泉政権を支えている政治家たちこそ、自分自身の罪を胸に手をあてて省みるべきではないでしょうか。
こうしたことを不問にして、警察を中軸にした監視網を強化したとしても犯罪を防ぐことにはなりません。むしろ監視の目をかいくぐり、生み出される犯罪はより巧妙となり凶悪になるにちがいありません。
Nシステム、コンビニ・街頭・公共交通機関などの監視カメラ、スーパー防犯灯。これらを警察機構が直接的・間接的に活用するシステムは、すでにつくられています。住基ネットが運用されすべての国民に共通番号がつけられ、さらに8月25日にはIC付き住基カードが発行されようとしています。いまや”IT型高度監視社会”とでも言うべき状態がつくりだされ、個人情報と市民生活は国の監視の下におかれつつあります。そのことを、私たち市民が”安全な生活”のために喜んで受け入れることほど恐ろしいことはありません。
長崎の事件を悪用した監視強化のキャンペーンを許すことなく、国民の一挙一投足を監視し管理する「超監視国家」にNOの声をあげましょう。
2003年7月13日
住基ネット差し止め裁判を進める会・九州
TOP APPEAL-TOP RAPPEAL-TOP