入門・太平洋戦争 戦争に強くなる本
    −どの本を読み、どんな知識を身につけるべきか−

 林 信吾著
 経済界 刊

 戦争について正しい知識を持ってもらいたい−はじめに
 第1章 何はともあれ基礎知識
 第2章 なぜ戦わねばならなかったのか
 第3章 軍国主義とは何だろう
 第4章 なぜ「軍部独裁」になったのか
 第5章 戦争は避けられただろうか
 第6章 これでは勝てるわけがない−戦略・国力編
 第7章 これでは勝てるわけがない−兵器・技術編
 第8章 「国のため」なら許されるのか
 第9章 「戦争責任」はどう裁かれたか
 第10章 「買ってはいけない」

 2001年8月23日 初版発行
 255p 1,400円(税抜) 
 
 昨年(2001年)、日本国内は一冊の教科書をめぐって、国内を二分する大騒動になった。
 新しい歴史教科書をつくる会(以下「つくる会」)の作成した「新しい歴史(公民)教科書教科書の採用の是非をめぐり、採択派・反採択派入り乱れての大論争を引き起こしたのみならず、中国や韓国などのアジア諸国もこの教科書にあからさまな不快感を示した。激烈を極めた採択・不採択運動の結果、大多数の公立学校では不採択になったが、一部の私立学校や養護学校では採択が決まった。さらに今年になり、愛媛県では来春開校する県立中学校(実際には既存の県立高校に付属する中学校)にこの教科書を使うことが決まった。この教科書は間違いが多く、また「受験には役に立たない」とまでいわれているほどひどい教科書といわれている。この教科書で学んだ生徒がその思想にどう反映されるのか、注意してみる必要があると思う。
 この本は、「つくる会」の教科書採択騒動が落ち着いた頃に出版された。田原総一郎が「’90年代以前の歴史書は左派の視点で書かれたのが多かったが、それ以降の歴史書は保守・反動の視点で書かれたものが目立つ」と去年のシンポで指摘していたそうだが、昨今出版された歴史学の傾向は、私みたいな歴史学に素人(それなりに関心はあるが)の人間から見ても、復古調が強いなと感じていた。私は著者のことをよく知らなかったために、この本もその視点で書かれたものであるという先入観を持っていたのだが、最終章を読んで「この著者は信用できる」と確信し、我が家の書庫に収まった。ちなみに初版のオビには「日本はなぜ戦い、なぜ敗れたのか。『事実』に近づくためのガイドブック」、「『新しい歴史教科書』よりも正しい戦史を読もう」と書かれている。
 実際、この本はもっと広く読まれるべき本であり、これだけ読めば日本近代史の最低限の知識が身に付くようになっている。この本を日本近代史の入門書として位置づけ、この本で推薦されている本を片っ端から読み進めれば、あなたの日本近代史の知識はかなりのものになっているだろう。
 この本では、昨年出版されてベストセラーになった自称「ゴーマニスト」漫画家・小林よしのりの書いた戦争論を、最終章の「買ってはいけない」の「話にならない」の項目で扱っている。彼の「戦争論」は、絵は迫力はあるがヘタクソ、一時の感情にまかせて書かれた文章はまるで筋が通っておらず、そこここに間違い(それも歴史的な間違い)が多すぎる。読み通すのにはかなり根気がいるだろう。
 同じ事は著者も感じていたようで、のっけから「このマンガ、見るたびに疲れる」とぼやいている。何しろこの「戦争論」、小林自身にもともと専門的な軍事知識がなかったところにある偏向した思想の持ち主から薦められた本を片っ端から読みふけり、その結果としてできたものらしい。内容があまりにひどいために、水木しげる、石坂啓らが中心になって「反・戦争論」なる本が出版されほどで、反戦主義者からは完全に「トンでも」本扱いされている。懸念されるのは、本もろくすっぽ読まずに目を通すのはマンガだけ、という人間がそんな本を読んで、多少は戦史を勉強したつもりになっているとしたら困ったものだと嘆いているが、その通りだと思う。
 「歴史は繰り返す」 という言葉があるが、この本を見て感じることは、日本はいったい先の大戦から、いったい何を学んだのかということである。10年前のバブル絶頂期はマスコミも一緒になって浮かれ狂った。その体質は戦前からまったく変わっていない。「すすめ一億火の玉だ」「撃ちてし止まん」というのは、マスコミが作ったキャッチフレーズのはず。戦時中はこれらの勇ましい言葉でさんざん国民を煽っておきながら、いざ終わったら「一億総懺悔」の言葉とともに責任の所在を曖昧にしてしまった。
 大本営の参謀達はもっとひどい。インパール作戦では、本部の地図だけを頼りに作戦を計画するということをやっている。何しろ作戦遂行上の「イロハのイ」である補給(今でいう「後方支援」)をまったく無視していたのである。「現場はジャングルなのだから、仮に食料がなくなっても野草でしのげる」などと平気でいっていたらしい。ウソのような本当の話である。日清・日露戦争の頃に比べて、この頃の参謀は実戦経験に乏しいために現場の状況を掌握していないからこんな事になるのだが、高級参謀になる人間は「陸大(陸軍大学)、海大(海軍大学校)」において「ペーパーテスト」でいい点を取った人間に限られていた。また彼らの多くは士官学校時代「好成績をとれば教官に目をかけられ、一等国の駐在武官に赴任でき、中将や大将への昇進も開けてくる」ということしか考えていなかった。士官学校や各大学校で教えられる内容は日清、日露戦争での勝ち戦をマニュアル化されたもので、他には「戦時訓」に代表されるような、精神的なものが重視された。士官学校から大学校を経た軍幹部は一部の例外を除いて前線に出撃することはなかったし、仮に出撃しても上官の命令を無視して平然と安全な場所勝手に戻ってイスにふんぞり返り、自分たちの責任を回避することに汲々としていた。
「昔軍隊、今官僚」と皮肉った新聞があったが、この体質は今の官僚達にもしっかり受け継がれている。
 肝心の戦争遂行計画もメチャクチャの極み。何しろ、どのようにして戦争を終結させるかという、基本的なグランドデザインが何もなかった。借金で首が回らなくなり、一か八かの無謀な勝負に出たのと同じ事だ。
 兵器生産面に関しても、陸軍で使う鉄砲は職人芸が頼りで大量生産ができず、設計図は「あってなきがごとし」。インフラ整備も進んでなかったから、飛行機の部品は牛車(!)で運んでいたという。飛行場まで運ぶ道路が舗装されておらず、精密機械である飛行機が壊れないようにという配慮だったらしいが、この他にも「神の国」といわれた、第二次大戦中の大日本帝国の内情の呆れた実態があますことなく明らかにされている。戦闘機のパイロット育成も一部エリートだけを対象にした教育だから、戦争後半にはまともな空中戦ができるパイロットがいなくなった。さらに飛行機は海軍機と陸軍機では規格がまったく違っていた。これも海軍と陸軍でつまらない意地の張り合いをやった結果である。「昔は全国民が一致して国防に当たった」という意見が時たま出てくるが、これらの事実を知る限り、そんなのはウソッパチであるということがこれでわかるだろう。
 とにかく全編がこんな調子で、「目から鱗が落ちる」と言うよりは「茫然自失」のエピソードがポンポン出てくる。兵器生産システムも確立せず、教育も一部エリート育成だけに全勢力を注ぎ、「国体」という名の「天皇制」崩壊を怖れて(というか、国民の権利意識を怖れていたのかもしれない。だから共産党を徹底的に弾圧したのだろう)、一般庶民のレベルアップには何ら関心を持たなかったツケとなって回ったのである。つい最近も「凡才は、お上に逆らわない程度の知性があればよろしい」という高名な作家の意見を読んだが、この本を読み通せば、この意見は極めて危険であるということがこれでわかるだろう。日本国内の右傾化が叫ばれる今、是非とも読んで起きた一冊である。








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