軍隊のない国 コスタ・リカの国づくり (前編)
 
 日時  2003年3月24日 18:30〜20:30
 場所  伊藤塾東京校5号館 551法廷実習室
 講師 カルロス・マヌエル・エチェベリア・エスキベル氏
     (コスタリカ外務省国際協力局長)
 主催 伊藤塾憲法問題プロジェクト

 講演に先立ち、戸塚 悦朗氏(神戸大学大学院 国際協力研究科助教授)から挨拶
 
  神戸大の国際協力研究科で地域比較政策論を教えているが、外務省からやってきた猪俣教授と一緒になったが、彼は昨年外務省に復帰するとコスタリカの大使になった。先頃一時帰国して我々のもとを訪れた時、コスタリカ外務省の高官がくるという話を聞いた。これはいいチャンスなのでこのような企画をやったらどうだという提案をしたのがきっかけで、今日の講演会が実現した。だからきっかけを作ったのは在コスタリカ大使の猪俣氏である。
 カルロス・マヌエルが名前で、エチェベリア・エスキベルが名字だ。エスキベルというのは、母方の名字だそうだが、普通はエチェベリアと呼べばい いそうだ。
 1976年にアメリカの学校で経営学修士を習得、1978〜1982年にコスタリカの経済企画大臣をやった。それ以前はコカ・コーラに勤務していたそうだ。 ビジネス学校を出て実業の世界に入ったのだが、コスタリカ政府に入って考えが発展したそうだ。
 ’83〜’87年に国連大学の学長補佐に就任したが、これは国連が「国連平和大学」をつくるというので、そのお手伝いをするためだ。1982年〜1987年にコスタリカ大学で政治学を教えていた。サンディエゴ国立大学でも教えていたから、若い方に授業をするのは慣れている。だがコスタリカの学生はあまり質問をしないらしいので、皆さんには、あとで沢山質問をしていただきたいと思う。’99年〜’01年まで外務省政務局長を務め、2002年8月から外務省の国際協力局長になった。彼はビジネス・政治・国際協力の分野でエネルギッシュに実践している。
 個人的にコスタリカの政府にはありがたいと思っていることがいくつかある。私は日本友和会のメンバーだが、そこのジュネーブ代表で3年ほど活動している。その間非暴力というのは日常生活でも非常に重要だ、ということを学んだ。皆さんは法律を勉強しれいるけれど、法の支配を確立するのは非暴力の世界には大事なことだ。コスタリカは国を挙げて実践しているから、その実際を学びたい。もう一つは拷問条約の全体議定書、これは拘禁されている場所を訪問して歩く制度だが、日本ではほとんど知られていない。昨年12月、国連総会で採択されたが、日本政府はこの条約にほとんど貢献できなかったが、コスタリカ政府はNGOと一緒に、人権擁護のためのリーダーとして国連人権委員会で活躍され、見事議定書を通過させた実績を持っている。
 長くなりそうなので、この辺で紹介を終わらせていただきたい。
 
  エチェベリア・エスキベル氏の講演
 
 冒頭日本語で「コンニチハ」。
 今日はきてくれてどうもありがとう。沢山の人がお集まりいただいて、若い方、いろいろな方が来られていることに感謝している。どうもありがとう。
 一番最初に、元大統領ホセ・フィゲレスのことについて少し話したい。
 フィゲレス元大統領は’49年、憲法で軍隊を持たないことを宣言した。彼が80歳の時、飛行機の中で「あなたの職業は何ですかと」聞かれて、「私は生徒です」と答えた。今夜こうして、ここでプレゼンテーションできることについて、多くの方に感謝している。皆様は旅行されるときにその目的を考えると思うが、私の中の目的は、コスタリカを理解してもらうことによって皆様の課外活動が広がっていくことを願っている。さらに私が伝えたいことは、コスタリカの価値・外交政策について伝えたい。それはきっとこれからの日本人にも役に立つことだろう。
 私の国は小さい国で、人口は400万人だ。日本は1億人以上の方々がいると思うが、コスタリカは全てパーフェクトではないが、それなりのすばらしさを持っている。コスタリカは発展状況などのUNDP(国連開発計画の調査による平均余命・教育達成度・収入の総合評価)において、世界ランキングで43位以上を保っている。学生の皆さんやこれを聞いている方々、これを聞いてピンとくるか、皆さんわかりますか?このUNDPというのは、各方面での世界の中での基準というのを判断し、決めていくものだ。収入というのはあまり関係がなく、社会的・民主的・人権的・政治的な尺度から国をランク付けするが、コスタリカはそのランキングで43位に位置する。コスタリカは年間は4,000ドル程の収入をもらっている。日本人だったら年間30,000ドルもらっているだろう。よってコスタリカは、それほどの収入をもらっているとはいえない。収入が少ない割にうまくいっている。というのは識字率は97%に達している。平均年齢は70歳を超えている。女性の方が長生きなのは、どこの国でも一緒だ。乳児死亡率は1000人に対して10人、これは非常に低い数値だと思う。私たちは軍隊を持っていない。多数の政党制で安定的な政治体制が築かれている。私たちは文化的なるつぼというのを築いていて、ダイナミックな国を形成していると思う。
 アメリカが若い国であるのと同様に、コスタリカも200年ほどの歴史しか持ってない国だ。1821年に独立し、今でも貧しい国だが、スペインの影響を受けている。コスタリカはスペイン人や先住民とミックスした人が住んでいる。人々は大変尊敬している。貧しい国だが、スペインの影響を受けている。コスタリカは土や水などの環境も恵まれている。
 コスタリカの人たちは紛争を平和的に交渉で解決するという目的を持って生活していた。交渉の中でも自分が全部勝とうということをしないで、その一つにイエス哲学がある。イエス哲学はコスタリカ土着の考えではなく、スペインのサラマンカ大学が発祥の地だが、これがコスタリカに導入された。これは他の国にはない特徴だ。他の国では争いを好むという特徴がある。相互的平和解決のためには大変役に立つ考えではないかと思っている。しかし私たちが持っているもっとも重要なことは、独立以来リーダーシップにおいて戦略的にも有効な考え方を発揮しているということだ。その例をいくつか話す。
 発展途上国が発展していくなかにおいて、初期の指導者は軍事政権を作って、発展途上国のリーダーになる。彼らは階級社会を作りため、啓蒙活動をするのは一部の階層だけで、他の階層からは搾取するだけになる。コスタリカの最初
の大統領モウラ氏は1823年にコスタリカの憲法に思想・表現の自由を定めた。誰に自分の思想のために監獄に入れられることがおこってはならないと考えていた。1870年、ヒメルス大統領は財政困窮状態になりながらも、議会と協力して憲法に小学校を無料で必修の義務教育にすることを定めた。人々はカネがないのにタダで小学校教育をしてもいいのかといったが、ヒメネス大統領は「カネはあるんだ」と言って政策を断行した。別の大統領は軍隊の将軍でありながら死刑を廃止した。19世紀のさらにまた別の大統領は、労働裁判所を作った。これは非常によくできたものだったが、労働権と男女平等の権利が保証された。それらの権利を定期的に発展させ続けている。人々は「カネはない」というが、カネはいつもあるのだ。
 1949年、フィゲレス大統領は選挙権の自由の純粋さを確保するために軍隊を廃止した。コスタリカはアフリカやヨーロッパなどから多くの人を受け入れている。コスタリカの経済発展で大きな収入源になったのはコーヒーだ。貿易の面で考えると、コスタリカは1845年、コーヒー輸出で大きな収入を得た。
 外交政策について話をしたい。コスタリカは持続可能な発展に力を入れている。世界の中でも全ての国が協力して、持続可能な発展を目指していきたいと思う。コスタリカは人権問題にも力を入れている。社会や政治面において、基本的な人権は重要な位置を占めている。拷問禁止条約も重要だ。国際刑事裁判所の裁判官にコスタリカ人が選ばれたことはその証明だ。平和というのは大変ダイナミックな概念だ。戦争を行わないだけでなく、人間の発達に対してそれを助ける役目を果たす。それは平和のもとで犠牲になるようなことがあってはならない。今住んでいる人の生活を向上させるだけでなく、未来の人の生活も向上させなくていくのが平和だと思う。だから、未来の人の生活を破壊させてはいけない。
 軍事紛争を和解に持っていくのが消極的な平和であると仮定すると、もっとみんなのいい人生を積極的に作り出すのを積極的な平和だと考えていきたいと思う。日本人はこのことをわかってくれると思うでしょう。なぜならこの数十年、日本はとても世界に尊敬される、積極的な平和を推進している国だと思われるからだ。この積極的は平和は多様な民主主義を意味し、信頼できる司法制度を作る上で重要だ。また環境管理にも力を入れたい。環境を破壊すると生きていけない、これは当たり前のことだ。普通国は、緊急時に必要性があれば軍隊を使うことがある。ただ我々は非武装を主張し、平和的国家として国際的合意を尊重したい。それは国家主権を守るためのものだ。この集団的防衛権、国際的合意が役に立つという事例がある。1979年、私たちの北に隣接するニカラグアで紛争が起こった。独裁者ソモサ一族がが47年間権力を保持していたが、私たちは国際的合意に訴えて紛争を解決した。
 ここで持続可能な発展とというものについて考えてみよう。持続可能な発展というのはいうのは環境だけの概念だけでなく、総合的な概念だと思う。その起源はアジアにあると思っている。コスタリカの持続可能な発展の5つの原則は、政治・経済・社会・文化・民主主義の5つを柱に発展を目指している。外交政策でも5つの柱を持って当たっている。
 1978年、国連に対して「平和への国連大学」の設立を提案した。これはレベルが大変高く、大学レベルのものを目指している。全ての大学に対しても同じように、平和の科目を導入したいという考えたいからだ。平和教育というものを、人生にも反映してもらうというのを目的にしている。国連大学というのは、全体的なアプローチの一つで、将来的なコスタリカの発展にも大きな影響を与えた。当時の大統領は20年以上前、21世紀は平和で豊かな国になるよう願っていた。
 1980年、コスタリカは国連平和大学設立を許可された。実際に開校したのは’83年だが、残念ながらその後の発展は今ひとつ。金銭的な面を考えると、戦車を1台買うだけのカネがあれば、国連大学をどんどん発展させていくだけの価値があると思う。
 コスタリカはとても小さな国だが、日本との関係は大きなものがある。哲学的にも、同じような考え方を持っている。なぜなら、日本は(平和に対して)全体的なアプローチをしている、コスタリカも同じだ。日本には国連大学が、コスタリカには国連平和大学がある。その両者は争うことはない。私たちが一緒に働いていけば、これからの持続可能な発展に対して大きな影響を与える。コスタリカは他の国から影響を受けている。国連もその一つだ。多くの経験を他国にも伝えていきたいし、日本からの経験も伝えていただきたい。企業や研究所が協力し合ったら、私たちの発展にも大きな影響がある。 レジュメにも書いているが、これからの課題について説明したい。
 ・間違った紛争解決と紛争拡大の防止
 ・人権否定の克服
 ・否定と紛争を産むだけの、頑固として存在する不均衡の十分な解決
 ・今ある機会、そして将来の機会をうまく利用できるような状況
がコスタリカの課題だ。
 将来に関して、あなた方が責任を持っている。この課題を認識し、これからの世の中をがんばっていってもらいたい。今ある、全てのできることを最大限努力して皆さんでがんばっていきましょう。それは影響の強い日本という国に住んでいる皆さんたちに特にやっていただきたいことであり、皆さんの義務であり責任でもあるのだ。
 コスタリカの課題と機会はレジュメにまとめてあるので、そちらをご覧いただきたい(以下、レジュメの内容)。
 ・民主主義をもっと機能だったダイナミックなものにし、これまで得た経験と教訓を生かしていく
 ・貧困や異存といった頑固とした問題を解決していく
 ・近隣国とよい関係を保つ
 ・全ての国の発展につながるように、S&Tの進歩を促進する
 ・人間の必要性と、欲望の満足と、環境の限界の間の矛盾を解決する

 これでプレゼンテーションを終わりにしたい。皆さんには沢山の質問をしていただきたい。全然質問がないと私はあちらの窓から飛び降りしたり、ハラキリしたりということになってしまう(一同爆笑)。是非質問をお願いしたい。
 平和とは戦争や暴力がないことではない。心の持ち方で人々の心の平和が生まれ、全ての人間は権利として平和理解が与えられるべきであり、平和に生きる権利が与えられるべきである。日本とコスタリカの人々は異なる状況にありながら、それを学んでいるはずだ。共に協力することで、観念的でなく実際の行動に移すことができるでしょう。
 
 ここから質疑応答
 ――去年2回コスタリカに行った。コスタリカの法学部学生とも話をした。それをきっかけに日本とコスタリカの若い人たちで交流したいと思っているが、日本人はコスタリカから先ほど話された平和的紛争解決についてコスタリカでどんな取り組みをされているのかを学ぶというのが有効だと思うが、コスタリカの若い世代の人たちは日本から何を学びたいと思っているか?

 エチェベリア・エスキベル(以下E)
 2回もコスタリカに行ってありがとう。3回目もお願いします。ちなみに私は日本は3回目です。
 日本とコスタリカの学生交流に興味があるようだが、ご質問の趣旨はコスタリカの学生がどういうことに興味を持っているかですね?
 日本はとても印象的な国です。日本は1940年代後半の厳しい状況からはい上がり、現代的で大変豊かになり、社会的に発展した国の一つになった。にもかかわらず日本は武器を生産しなかった。
 コスタリカ人は日本の文化全般にとても興味を持っている。コスタリカの青年は日本の女性に興味を持ち、若い女性は日本の男性に興味を持っている(一同笑う)。文化の他に政治・司法の分野でどのような組織が作られているのかにもとても興味を持っている。日本はサッカーも大変発展した国になった。コスタリカもサッカーが盛んだから、そちらでも交流できる。彼らは都会の生活にも、美しい田舎の生活にも興味を持つ。法律的な知識・考え方を交換するために司法分野でも交流が進むだろう。日本にあるコスタリカ大使館を通じて学生や組織の交流アレンジが可能だろう。

 ――コスタリカはスペインの影響を受けたとあったが、イラク・アメリカ問題についてスペインは米英と共に平和的査察で問題を解決することを避け、武力行使で解決するという道を、米英と共にかなり積極的に動いているが、スペインのアスナールがあえてこういうことをしているのか政治的な背景を知りたかったが、スペインの多くの国民は反戦・平和についてがんばっているが、スペイン政府がこういう政策をとらざるを得ない状況は、どういうことなのか教えていただけますか?

 E:スペインがなぜ攻撃をする同盟に加わったかということについて、私の意見を聞きたいということでよろしいか?(そのことに関しては) あなたほどよくわからない。スペインの影響を受けたというのは、コスタリカがスペインから外交面で影響を受けたという意味ではない。1821年にコスタリカはスペインから独立し、言語もスペイン語だし、文化的な根元ではスペインに根元がある。私の祖先は16世紀にスペインからやってきた。だから身体にはスペインの血が混ざっているが、その程度のことだ。だからコスタリカとスペインと政治的にリンクして動いているわけではない。だからコスタリカ外務省の立場からは語れるが、国の外交について答弁できるわけではない。申し訳ない。

 ――2点質問したい。選挙権の自由を確保するために軍隊を廃止したが、そのつながりについて詳しく教えてほしい。またニカラグア紛争を解決するとき、国際的な合意に基づいて解決されたということだが、具体的にどのようなことが行われたのか教えて欲しい。

 E:軍隊を廃止したのは1949年だが、その前年にコスタリカの大統領選挙があった。政府公認の大統領候補者が、選挙で大差で落選した。そのため政府が選挙結果を操作して当選させた。その政府は軍隊を持っていた。そのため反対派は、フィゲレスさんをリーダーにして対抗した。大規模な内戦は6週間にわたり、その結果反対派が勝った。そしてフィゲレスが大統領になり、新しい憲法が制定された。このような内紛が起こった場合、独裁者は軍を頼りに実権を握るが、フィゲレスは逆に憲法で軍を廃止し、力を握った。
 ニカラグア紛争は和解や合意を持って解決したわけではない。ソモサは紛争を国際的規模に広げようとし、コスタリカからゲリラが来ているから、その復讐だといって内戦を国際的な規模に広げようとした。コスタリカは米州機構の中で共通的な防衛協定を作り、それで解決しようとした。


 前半はここまで
 後半に続く。









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