陸軍病院糸数分室

玉城村糸数のアブチラガマ、又の糸数壕と呼ばれています。
全長270mの自然壕で、現在、ほぼ全域が公開されていますが、戦争時そのままの体験をして貰おうという趣旨で、照明は非常用以外は有りません。
近くの南部観光総合センターにて100円で懐中電灯を貸し出ししています。

洞内は湿気が凄いです。

入口の近くの立入禁止区域です。真っ暗なので何を撮っているのかもよくわからないのですが、奥へと続いている様です。
なお、天井や壁などに美しくきらきらと光る物は、洞内で爆弾が爆発したときに散乱した金属片という事です。

入口から手榴弾などを投げ込まれた場合の為の爆風よけの構造物らしいです。ここからまだまだ奥に続きます。

治療室だそうです。

通路に沿って奥へ進みます。右側は病室になります。沢山の負傷兵がここに収容されていたそうです。

火を使った跡も確認できます。ここは避難民の場所だった様です。

階段が見えてきたら、出口です。

出口側は、いかにも自然壕といった雰囲気です。

ここには、1948年に建てられた、「大東亜戦争沖縄戦戦没者の墓」が有ります。また、この向こう側にも壕が有るそうです。

アブチラガマの簡単な沿革
1944年7月に第32軍第9師団が測量調査したのが始まりで、第9師団が台湾に転出後、第62師団独立歩兵隊第15大隊がここに配置されたそうです。
1945年2月、配置換えにより、独立混成団第15連隊(美田部隊)が壕内を整備し、小屋や照明設備を設置し、この周辺を拠点にしたそうですが、米軍の中部上陸後、数名の監視兵を残して、首里防衛へと移動したとの事。
同年4月末から、沖縄陸軍病院(南風原陸軍病院)糸数分室として軍医3名、看護婦3名、衛生兵数名、ひめゆり学徒隊16名が南風原から移動し、負傷兵や病気の兵の治療、看護に当たったそうです。
壕内の照明は撤去され、灯りはロウソクや豚油を使用したランプが使われ、暗い洞内には、多いときで600〜1000人近い患者が収容されたそうです。
また、戦闘が激しくなってきて、近隣の住民もこの壕に避難してきており、大変な状況になっていたらしいです。
5月25日に撤退命令が出され、陸軍病院は糸満市伊原の第一外科壕へ移動し、残された患者には自決用に青酸カリが配布されたそうです。
6月以降、洞内は近隣避難民と美田部隊監視兵、負傷兵などが同居し、日に日に亡くなっていく負傷兵、監視兵と避難民とのトラブル、米軍による馬乗り攻撃など、数々の悲惨な出来事があったそうです。
終戦後、8月22日、大部分の住民や日本兵は壕を出るのですが、一部の日本兵や住民は9月中旬まで籠城していたそうです。

 
 
ハイウェイ1の時代