
| 1945年6月18日、部下の激励を兼ね、前線を視察中だった、米国陸軍第10軍司令官、サイモン・B・バックナー中将は、糸満市真栄里で日本軍の銃弾に倒れ、殉職されました。 故バックナー中将を称え、以前の在琉米軍司令部は、フォート・バックナー(Fort Buckner : バックナー砦)と呼ばれていました。(現在は、キャンプ・バトラー)。今、フォート・バックナーは米国陸軍通信部隊の名称に引き継がれています。 また、中城湾の事を米軍は、バックナー・ベイ(Buckner bay)と名付け、故人の栄誉を称えています。 なお、このバックナー司令官、沖縄の民間人を一人でも助けようと、在米沖縄県人から、特に沖縄の言葉が上手な人を集め、マイクとスピーカーを持たせて投降する様説得させたり、日本軍司令官に、再三に渡り、丁寧な文章で降伏を促すなど、戦争早期終結に努力をされた方だと言われています。 |
| ハイウェイ1の時代 |