1945年4月、本島南部ではまだまだ戦闘が激しい頃、石川を中心とした住民収容所は、いち早く戦後を迎える事となる。
南部から次々と送られてくる収容者で、どの収容所も人口が急増。どの人たちも不安な中では有ったが、戦後復興のスタートとして5月に戦後初の学校が開設される。
6月、沖縄戦が終了し、収容所からでは有るが、住民自治組織を結成し、米軍主導で本格的な戦後復興を踏み出す事になっていく。