
| 旧陸軍病院第3外科壕。当時の沖縄師範学校女子部と第一高等女学校の生徒で構成された「ひめゆり学徒隊」終焉の地です。 日本軍から解散命令が出た後、学生達は戦闘の激しい南部を逃げまどい、有る者は銃弾に倒れ、又ある者は崖から飛び降りるなどして自決し、当初219名いた学徒隊の内、最終的に123名が死亡又は行方不明になっているそうです。 なお、ひめゆり部隊のひめゆりとは、植物の花のひめゆりとは関係なく、沖縄県女子師範学校の校友会誌「白百合」と、沖縄県立第一高等女学校の校友会誌「乙姫」を合わせて「姫百合」とした所からきているそうです。 |

| ひめゆりの塔は、白い大きな四角いモニュメントではなく、壕の手前にあるこの小さな碑の事です。 昭和21年4月、地元の方々が、この地に散らばっている遺骨を収集し、ここに集めてこの碑を作り、慰霊をしたのが始まりだそうです。手前の歌碑には、当時の引率教師の詩がこの様に書かれています。 「いわまくら かたくもあらん やすらかに ねむれとぞいのる まなびの友は 昭和21年4月15日 真和志村民一同」 |

| 塔の横にある洞穴は、第3外科壕跡です。 軍の解散命令を受け、ひめゆり学徒隊が集合している所に、米軍のガス弾が直撃し、ここで40名の命が失われました。 |
| ハイウェイ1の時代 |