旧海軍司令部壕

沖縄戦最後の旧日本海軍司令部が有った所です。
当時の司令官は、大田少将。
言ったそうですが、大田司令官は沖縄県民に対し、戦後特別な配慮をと最期の電文を打ち、この壕内で自決されたそうで、陸軍牛島司令官に比べ、県民の人気は高い様です。

壕へはこちらから入ります。

券売所や売店の有る建物を裏に抜けると、司令部壕の入口が有ります。

入口から地下へ下りていきます。

壁に、掘削時のつるはしの跡の残る素掘のトンネルです。

幕僚室の壁に残る、手榴弾自決をされた時の爆発痕です。

こちらが司令官室。
壁には、当時書かれた文字が、プラスチックのカバーで保護されています。
正面に見える文字は、当時のまま残されている、太田司令官の愛唱歌だそうです。
 「大君の御はたの
   もとに死してこそ
  人と生まれし
   甲斐ぞありけり」

こちらの文字も、当時のままの様です。

こちらは、資料館になっているビジターセンターです。

現在公園として整備されている展望台からは、那覇市、豊見城村が望めます。

062016番 電

発 沖縄根拠地隊司令官

宛 海軍次官

 左ノ電■■次官に御通報収計(とりはからい)ヲ得度(えたし)
 沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ 県ニハ既ニ通信力ナク 三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付 本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ 現状ヲ看過スルニ忍ビズ 之ニ代ツテ緊急御通知申上グ
 沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来 陸海軍方面 防衛戦闘ニ専念シ 県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇(いとま)ナカリキ
 然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ 県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛招集ニ捧ゲ 残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト財産ノ全部ヲ焼却セラレ 僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難 尚砲爆撃下■■■風雨ニ曝サレツツ 乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ
 而モ若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ゲ 看護婦烹炊(ぼうすい)婦ハモトヨリ 挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ
 所詮 敵来リナバ老人子供ハ殺サレルベク 婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ 親子生別レ 娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ
 看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ 衛生兵既ニ出発シ身寄リ無キ重傷者ヲ助ケテ■■ 真面目ニテ一時ノ感情ニ駆ラレタルモノトハ思ハレズ
 更ニ軍ニ於テ作戦ノ大変換アルヤ 自給自足 夜ノ中ニ遙ニ遠隔地方ノ住民地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者 黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ 之ヲ要スルニ陸海軍沖縄ニ進駐以来 終始一貫
 勤労奉仕 物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只管(ひたすら)日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ 遂ニ■■■■与ヘ■コトナクシテ 本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形■■■■■■
 一本一草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄県民斬ク(かく)戦ヘリ
 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

 
 
ハイウェイ1の時代