那覇空港

戦前、大日本帝国海軍小禄飛行場として開港した那覇空港は、海軍から当時の逓信省へ管轄が移り、那覇飛行場になり、日本航空の前身、日本航空運輸が福岡−那覇−台湾便(内台空路)を開設します。
戦争が近づくと、再び海軍管轄の小禄飛行場に戻り、軍用飛行場になったのですが、1945年6月米軍が占領します。それから以降は、沖縄の日本復帰後暫くまで、米軍那覇基地となります。
民間機の使用は、1947年、パンアメリカン機の東京−那覇−東南アジア便が始まりで、当時は那覇空軍基地施設を使用していた様です。
1954年、民間空港ターミナルが、米軍のコンセット(かまぼこ型兵舎)を使用し始まります。
1959年、初の那覇民間空港ターミナルビルが、那覇基地北端に完成し、復帰まで使われる事になります。復帰後も、国際線、国内線、離島線各ターミナルとして運用されておりましたが、1999年の新ターミナル完成で使用が終了。
写真のターミナルは、2002年まで残っていた、最初の民間空港ターミナルビルです。現在は非常に残念な事に、取り壊されていて存在しません。

当時の絵はがきです。「CIVIL AIR TERMINAL」となっている所に、軍民供用という事が判ります。

1956年から1961年まで、琉球航空が台湾の航空会社、「CIVIL AIR TORANSPORT(CAT)」社をチャーターして、先島便を運行していました。
1961年から1966年までは、「Air America」社が離島便を運行します。この両者、どちらも退役した米軍人が、軍払い下げの機を使って運行し、軍とも密接な関係が有った会社の様です。
1966年 Air America社撤退以降は、日本航空と地元資本の出資による「南西航空(現トランスオーシャン航空)」に引き継がれ、現在に至ります。

>>復帰までの沖縄民間航空年表
>>復帰前の沖縄の航空会社

 
 
ハイウェイ1の時代