那覇商港

復帰前までは、事実上沖縄の玄関口だった那覇港です。
琉球王朝時代は「那覇津」と呼ばれていたそうで、冊封使と呼ばれる清からの使者や東南アジアや薩摩との交易、各離島との行き来で賑わっていたそうです。
その昔、那覇は沖縄本島から離れた浮き島だったそうですが、港を足がかりに商業の街として発展していき、国王のおられる政治の中心首里と共に、沖縄の中心として栄えて行きました。
明治になり、本格的に那覇港が近代的な港として築港され、那覇から中国、台湾、日本本土との接点となり、賑わったそうです。
また、当時この港から世界中に移民した沖縄の人々は、戦後復興に於いて、大きな力となりました。

戦後、那覇は米軍より立入禁止区域となり、住民は、石川や知念などの収容所に入れられ、那覇港も米軍の軍港として使われます。
1946年から立入禁止区域が順次開放されていきますが1949年末、那覇が沖縄の首都に戻ると、那覇港は再び沖縄の玄関として、南側を米軍専用の「那覇軍港」、北側を民間用の「那覇商港」として整備が行われ、商港は、移民船の発着や、日本本土などからの定期船、貨物船などで賑わいます。
現在は、本土間の交通は航空機が主流となり、また、半分を軍が利用している為に拡張ができない事もあり、那覇市の北側に新港が築港され、琉球政府時代に沖縄の玄関として作られた立派なターミナルビルも、今は落ち着いた雰囲気になっています。

 
 
ハイウェイ1の時代