沖縄民政府跡

佐敷町の丘の上に、現在、沖縄厚生年金休暇センターがあります。ここが、1946年から1949年まで、琉球政府の前身、沖縄政府の置かれていた所です。
1945年に石川市で誕生した沖縄諮詢会は、1946年に石川市東恩納にて「沖縄民政府」になりますが、同年、米軍政府が知念軍政区親慶原(現在の玉城村親慶原)に移転したのを追って、知念軍政区新里(現在の佐敷町新里)の方へ移転し、1949年に那覇市へ移転するまで、知念半島が沖縄の政治の中心となります。

現在でもそうですが、周囲には何もない所で、民政府関係者は非常に困ったそうです。

こういう不便な所だったからという訳では無いのでしょうが、戦後のバスはここから始まっています。
1947年4月に始まった公用バスは、米軍から借用したGMC2.5tトラック5台で、当初の路線は
辺土名線:知念政府−コザ−名護−辺土名
本部今帰仁線:知念政府−那覇−恩納−名護−渡久地−今帰仁−名護
瀬嵩線:知念政府−南風原−首里−コザ−具志川−屋慶名
島尻一周線:知念政府−那覇−糸満−港川−知念
料金は無料だったそうですが、申し込みが必要だったらしいです。
同年8月からは、同じ米軍トラック16台にて、公営バスとして一般輸送が開始され、1950年民間バス会社発足に伴い廃止されるまで続きます。

 
 
ハイウェイ1の時代