
| 戦後の放送局は、1945年5月から米軍が具志川村栄野比から放送した住民向けラジオ局「WXLH」です。この局は、後のAFRTSへと繋がります。 民間の放送局としては、1950年2月1日、米国陸軍政府民間情報教育局が作った「琉球の声」、コールサインAKARからスタートしますが、これは試験的な放送だったらしいです。 1953年、首里の琉球大学構内に局舎が作られ、コールサイン「KSAR」として放送開始。 1954年4月、米軍から琉球大学財団に放送設備、局舎の譲渡を受け、大学側は財源とする為に商業放送を開始。同財団が運営委託した「ラジオ沖縄(現在のラジオ沖縄とは別)」に局名が変わるのですが、1954年10月契約破棄により、代わって現在の「琉球放送」が運営の委託を受けます。 1955年、英語の商業放送局、「KSBK」の放送を開始。この局は、基地内の米軍向け英語放送でしたが、最新のヒットチャートをガンガンかけるので、これを聞いていた沖縄の人が、オキナワン・ロックを作るきっかけになった様です。 1958年、放送局全施設を琉球大学財団から買い取り、琉球放送が完全な民間放送に変わります。 復帰後、日本語以外の放送が認められず、BKは閉局、日本語放送のみ現在に至っています。 |
| ハイウェイ1の時代 |