那覇市壺屋

那覇市壺屋一帯は、その地名の通り、窯元が集まっています。
元々首里王朝時代、役所などの屋根瓦を作らせる為に、焼物職人をここに集めて一つの街が作られました。
那覇の街は米軍によって立入禁止となっていたのですが、1945年11月、戦後復興の為の建築資材や日用品などを作る為に、元の陶器職人が集められて陶器製造産業先遺隊が結成され、この地に戻り、復興資材を作り始めました。
戦後の那覇は、この壺屋から始まる事になります。

当時は復興資材という事で、主に瓦などの建築資材や日用品などが作られていましたが、人々の生活が落ち着くにつれて、米軍人相手のおみやげや民芸品などを作る様になり、現在は、「やちむん(沖縄の言葉で焼き物)通り」として、主に観光客向けに作品を作り続けているそうです。

 
 
ハイウェイ1の時代