参拾陸
ゆっさゆっさ。
小学生低学年くらいの黒髪でエプロン姿の少年が、ベッドで寝ている金髪の女性を押したり引いたりしている。
チュンチュンチュン…。
セカンドインパクト後で猛暑の毎日にもかかわらず、朝のスズメの挨拶は未だに健在だ。窓からはまぶしい光がベッドに差し込んでいる。
先程まで閉まっていたカーテンをあけたのは、この少年である。
ゆっさゆっさ。
「うぅ〜ん。」
金髪の女性は、気持ちよさそうに呟く。このまどろみの心地良さは、社会に生きる人間であれば誰もが共感できるものだ。
「リツコおねえちゃん、もうあさだよ。がっこうにおくれちゃうよ。」
ゆっさゆっさ。
少年…碇シンジが語りかけるが、その言葉が逆に女性…赤木リツコには子守唄効果を発揮してしまう。なんとも心地よい声である。
「うぅ〜ん、シンジくうぅ〜ん? あと5分…」
「リツコおねえちゃん…。せっかくあさごはんつくったのに…」
「えっ朝ご飯…」
ゆっくりと重たいまぶたが開かれる。
「あ、おはよう。リツコおねえちゃん。」
ニッコリ
「(ポッ…) …お、おはようシンジ君。」
目の前に迫る極上の笑顔に思わず赤面するリツコ。惰眠をむさぼっていた脳が一気に活性化した。
「ナオコせんせいも、もうごはんたべてるから、はやくおきてきてね。」
シンジはそう言ってベッドからピョンと飛び降りる。
クルリ。
とてとてとて。
そのままリツコの部屋から出て行くのかと思いきや、去り際に一言付け加えた。
「にどねしちゃだめだよ。」
バタン。
ぽぉ〜…。
(…か、かわいい。………………はっ! お、起きないと!)
「おはようリッちゃん。最近起きるのが遅くなってない?」
紫色の髪をした女性、赤木ナオコが味噌汁を啜りながら食卓に顔を出したリツコに問い掛ける。
「そ、そんな事…ない……。」
朝一番の一言に目を左右にキョロキョロさせ動揺するリツコ。
図星である。
シンジが赤木宅にやって来て数週間経つが、リツコはシンジに朝起こされる快感に理性が負けてしまっているのである。
当初、リツコは子供なんて自己中心的でワガママで五月蝿くて汚くて面倒だと思っており、シンジを必ずしも歓迎していなかった。
ところがやってきたシンジは、行儀がよく家事も手伝いお利巧で滅茶苦茶可愛かったりしたのだ。
(こんな子なら、ずっと一緒にいてもいいかも…。)
はじめの感情は何処へやら。
リツコとしてはシンジともっと話したり、一緒に料理をしたり、学校まで送り届けたり…ともっともっとシンジと仲良くなりたいと思っている。
が、リツコはシンジの事を過剰なまでに意識してしまっている。
子供なのだから意識する必要は無い…、と思ってみても、シンジの顔を見るとどうしても照れから極度に緊張してしまう。リツコにとってシンジは久しぶりに意識する他人であるのだ。その気まずい感情から逃げたいが為に、彼を意識的に避けてしまっている日々が続いている。
だが、リツコはシンジとコミュニケーションを取れる手段を発見した。それが、朝起こしてもらう、という行為なのだ。何とも不器用な女性である。数日後、寝ている姿を見られる方が恥ずかしいのでは? という事にやっと気がつくあたりが彼女の壊れ具合をよく表している。
「ごちそうさま、シンジ君。」
「はい。あ、ナオコせんせい。きのうのしゅくだいで、わからないところがあったんだけど…。」
「もう冬月先生の問題を解いたの? 分かったわ。今日帰ってきたら復習しましょう。」
「おねがいします。」
「リッちゃん。食べ終わったら直ぐに出てきてね。母さん遅刻すると大変なんだから。」
「う、うん。」
とはいえ、目の前に並ぶ豪華な朝食は中々減らない。
何故か? それはリツコが食べるところをシンジに見られて緊張しているからだ。
食べる、という行為は人にとってエネルギーの補給の行為である。いたって普通の行動なのだが、シンジにそれを見られるのは恥ずかしい。食べるという行為が羞恥心を伴う側面を持つことをリツコは再認識した。
「リツコおねえちゃん、ごはんおいしくないかな……。」
全然箸が進まないリツコに、シンジが伏し目がちに呟いた。
そんな事がある訳が無い! 碇家でどういう教育をして育ったのか知らないが、シンジの作った食事は相当においしいのだ。
「そ、そんな事…無い。すごくおいしい…。」
笑顔で答えているつもりで、顔が強張って、言葉足らずになるリツコ。それを見たシンジはさらに寂しそうな顔をする。
「でも……。……やっぱり…リツコおねえちゃんは、ぼくみたいなこどもといっしょにすむなんて、いやなの? ナオコせんせいも、そういっていたし……。」
「シ、シンジ君……。」
「おしかけちゃって…ほんとうにごめんなさい……。でもぼくは…ほかにいくところがなくって……。」
うるうる…
一気に涙がたまるシンジの黒い瞳に、リツコはもう限界寸前だ。
(そんな無垢な目で私を見られたら…。も、もう駄目! 恥ずかしい!)
「ご、ごめんなさいシンジ君! 私もう行かないと!」
「リツコおねえちゃん…。」
バタバタバタバタ…
ドタドタと逃げるように食卓から出てゆくリツコ。背中に純粋な視線を感じながらも、リツコは羞恥心で振り向く事ができない。
バタン…!
こうして、赤木家のちょっと変わった日常がまた始まる。
ブロロロロ…
電気エンジン仕様の軽自動車を運転するナオコ。助手席にはようやく落ち着きを取り戻したリツコが座る。
「処女の癖して男性を突っ張ってたから、そういうことになるのよ。」
「そ、そんなの関係ないでしょ!」
即座に否定するリツコ。これに関してはナオコが勘違いしているようだ。
リツコは決して小児性愛者に分類される女性ではない。彼女のシンジに対する感情は「かわいい!」と「恥ずかしい!」の2点に絞られているのだ。まあそれが小児性愛だとも言えるかもしれないが、彼女はシンジに対して性的に興奮している訳でもない。純粋にかわいいのだ。これは子供や孫に対する物ではなく、お人形さんやキャラクターに対する物に近い。
「相手は子供なのに意識しすぎ。」
「そうは言っても…。」
「シンジ君…もしかしたら貴女に嫌われてるって勘違いするかも…。」
「ええ!!」
「それが嫌なら、がんばってみなさい。シンジ君の事嫌いってわけじゃないんでしょ?」
「……うん。」
極上の笑顔のシンジと、涙を一杯に溜めたシンジを思い出し、またも赤面するリツコであった。
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NEON GENESIS EVANGELION side story 異端黙示禄 |
| 血の色のスティレット真章 |
| 第伍話「少年への期待と不安が1つになって、過ぎ行く日々など分からない女性」 |
参拾漆
「シンジ君! 大丈夫なの!?」
発令所から白衣姿の赤木リツコが焦燥感を醸し出しながら、初号機に向かって問い掛ける。
モニタに映るシンジは、先程まで狂ったように笑いながら使徒に攻撃を続けていた。しかし今は俯いているだけで一言も言葉を発しない。
(まさか…精神汚染なんじゃ……)
シンジが突然豹変した原因の可能性の1つとして、リツコはそう予測した。
精神汚染というのは非常に恐ろしい事項である。かつて、ドイツでエヴァ弐号機に取り込まれた被験者がいたが、そのときはエヴァからパイロットへの精神汚染が観測されている。
もちろん使徒からもそういう攻撃がある可能性もあるし、実際あの世界では衛星軌道上からそれを行った使徒もいる。しかもその使徒は汚染の媒体にA10神経を使うことなく、可視光線を伴うなんらかのものでパイロットに直接汚染を仕掛けてきた。エヴァや使徒からの精神汚染という行為は十分に考えられる事項であると共に、その危険性は非常に高い。
しばらくして、いつもの口調でシンジがしゃべった。
「目標を殲滅しました。確認をお願いします。」
「パ、パターン消失。目標の殲滅を確認しました。」
「停止信号の発行を確認しました。」
「シンジ君! 聞いているの!?」
青葉と日向の報告にリツコが割り込んだ。
「聞いています。問題ありません。」
「…そう。マヤ…A10神経のモニタは?」
「特に異常を示してはいません。正常です。」
「…ふぅ。」
マヤからの答えを聞き、表には出さないもののリツコは内心ホッと一安心しつつも、詳しく調査をしなければと考えを巡らせた。
リツコに対して、ミサトの表情はちょっと怖い。
周りの喧騒などまったく意に返さず、下からものすごい形相でシンジを睨み付けている。
(勝手な行動を…!)
彼女の脳内には、先程の作戦で大失態を犯した事などきれいさっぱり忘れてしまっている。もちろん数週間前の第3使徒戦の事もだ。
(…あたしの言う事を聞いてりゃいいのに…。上官を無視してチャラチャラと…! 修正してやるっ…!)
そんな権限が彼女にあるわけがない。ミサトがそのことに気がついたのは事後、冬月に司令室に呼び出され今回の失態を指摘された時だ。あまりに気がつくのが遅い。
それに、彼女は作戦担当とはいえ階級は1尉で、シンジの階級は3佐である。それにシンジは実質特務待遇が取られており、司令部所属時は特務1佐となる。例えとんでもなく優秀な戦果を挙げていたとしても、ミサト如きが太刀打ちできる相手ではない。
エヴァの回収が終わると、シンジは拉致されるが如くネルフの医療施設に担ぎ込まれ、怒濤の如く訪れる検査の嵐を平然と受け入れていった。
最大の焦点は精神汚染であったが、それらの兆候は見られなかった。それをいち早く聞きつけたリツコは、やっと本当の意味で安堵の溜め息をつくことができた。
後についてゆく形で、レイも各種検査を行ったが、当然のことながら彼女にも異常は見当たらなかった。
一通りの検査が終了した数刻後、技術部に医療班からの報告が入った。リツコはそれを担当者から引っ手繰るように受け取ると、目を皿のようにして見回した。その光景は普段の赤木博士からはかけ離れており、担当者も冷や汗気味だ。
カチカチカチカチカチ……
データを受け取った部屋に設置されていた端末で、データを滝の用に垂れ流すリツコ。たまに画面が停止し担当者に向かって、
「ここの、この値はどういう事?」
と質問し、担当者は汗をかきながら説明をする、という事が30分に渡って繰り返された。
データを閲覧する方もプロなら、説明できる方もプロである。この男なかなか出来る。そういう才能を持った人材だからこそ、リツコの元へと寄越されたのかもしれない。
リツコにとって一番の懸念は精神汚染なのであるが、データを見る限りそれは無さそうだ。ネルフ医療班のお墨付きである。では、何故シンジはあの様に豹変してしまったのか?
それは、推測でしかないものの、初号機との高シンクロにおいてA10神経接続の下りパケット、つまりエヴァからパイロットへのパケットが相当量に上った事からくる副作用である可能性がある。
ものすごく要約すると、何処かのスーパー何たら人の如く、高シンクロでは気分が高ぶり好戦的になるというのだ。
これは技術部からの過去事例にも出てきていた。そのときはあくまでシミュレーション上の計算であった。実機によるシンクロ率90%等という数字を叩き出したのは先程のシンジと初号機がこの世で初めてである(といっても彼の初号機には例のシステムがシンクロ関連の出力を改竄しているので実数とは違うが。初号機は覚醒しているので実際は99.89%でシンクロしている)。つまり、シンクロ率90%強等といった数値が史上初めて記録された事は間違いない。好戦的になるといった現象はシンクロ率の上昇と正比例とは限らず、加速度的に増加する可能性もある。だからこそこれまでは発現しなかった、という見方もできる。また、今回彼が乗っていたのは、あの初号機である。初号機だからどうこう…と想像できてしまうほど特別な何かを内包しているように思えるのが、ネルフ職員の初号機に対する一致した印象である。
シンジの証言もそれを加速させた。彼曰わく、
「シンクロをした時から、何か…こう壊してやりたいというか…破壊欲求みたいなものが出始めて…。はじめは抑えていたつもりだったんですが、戦闘が進むにつれて段々と気が立ってきて…。最終的には抑えられなくなりました。」
その時の事を覚えているか? という問いには、
「はっきりと覚えています。どう思ってどう行動したのか、そういう事も全部。…でも今考えるとあの時何故ああ思ったのかさっぱりわからないんです。まるで性格が変わってしまったみたいに…」
最終的に医療班は、高シンクロ時はパイロットの野心的部分が必要以上に引き出される可能性が高い、との見解を示した。
そして、今回の戦闘においてサードチルドレンの心身を配慮する為として、異例の調査報告会が実施された。その場において医療班は先ほど述べたような見解を示すと共に、シンジ自身に対しての誤解と偏見を解くようにと声明を出した。実はこの調査報告会の開催を支持したのはリツコではなくゲンドウである。こういった権力を行使するような場面で彼は親バカを遺憾なく発揮する。
そのかいもあってか、シンジに対して陰口が囁かれる事は無く逆に皆からの同情を集めつつあった。一部のシンジファンに至ってはワイルドなシンジ君も素敵…と頬を染めつつあると言う。その筆頭が伊吹マヤである事を記述しておく。
尚、シンジに対する陰口が無かった、と断定型で言い切れる理由は、ジオフロント内の会話はすべてMAGI監視下にあるからで、司令部によってそれらの解析が行われたからだ。もちろんそれはゲンドウの支持である。これを職権乱用と見るか、E計画担当への配慮と見るかは人によって代わるものの、殆どの人が後者を選んでいる。ゲンドウの冷徹なイメージは意外なところで役に立っていた。
参拾捌
数時間前、まさにネルフが使徒出現で対応に追われているその時。
ミーン、ミーン、ミーン……ジジジジジ…
うるさいセミの鳴き声を聞きながら、男はそこに立っていた。
「まったく…。こんな時にこんな事が起こるとはな…。」
心底嫌そうな顔をして、上を見上げると、燦々と輝く太陽光が瞳孔に直撃した。その鬱陶しさは男の人知を超えるものだ。男はこう言った茹だるような暑さからは無縁であったから、それは顕著に見て取れた。
スッ…フキフキ
シャツのポケットからハンカチを出し、額に浮かんだ汗を拭う。
「まさか、彼から直接呼び出されるとはな……。良い機会だが。」
そうプラス思考に考えても、苛立ちは収まらない。それほどまでに彼は、この風土を忌み嫌っている。そんな性格だから、本来なら敵の居城であるジオフロント内のクーラーを求めてたりもする。現実主義だ。
「…しかし、その呼び出された日に使徒とやらが来る…偶然か?」
彼は都会のど真ん中の、繁華街のど真ん中の、道路のど真ん中に立っているのだが、周りに人の気配は無い。先程出された非常事態宣言の元、人々は皆シェルターに逃げ込んだ。
だが、彼はそうしなかった。彼には使いが来るからだ。
ズズズズズゥンン…
「私を迎えに来る者も、命がけだな?」
先程から聞こえてくる地鳴りの正体は分かっている。ネルフが存在する理由のバケモノだ。
男の名は、時田シロウ。日本重化学共同体とやらに所属する科学者である。
「だが、この機会を逃せば公式でジオフロントに入る機会は無い。」
だから、時田は逃げずに居る。
ブロロロロロロロロロロ……
「遅かったな? それとも死体の確認が目的だったか?」
時田シロウはその高速移動中の黒塗りの車で、やっとクーラーの風にあたる事を許された。
その窓からの景色は、ただビルが後方に流れるだけで面白くも何とも無い。
時田はハッキリ言って短気だと、自分で自分の性格をそう思っている。そして、それは悪いことではないとも思っている
だから、快涼感から溜まっていた不満を、愚痴として下っ端で末端と容易に予想できる運転手に聞かせる事は止められないし、止めようとも思わない。これから向かうのはネルフなのだ。何を言われるか分かったものではないし、短気な性格はこの短時間では直らない。医学的にも事前からスッキリする事に越した事は無い。
(成人病の予防になるしな。)
しかしかなり、変わった思考経路と言えよう。やはりマッドな科学者は変わり者が多い…。
「まさか。…現在第一種警戒態勢中です。普通外の組織との接触はご法度ですから…。」
特務機関ネルフが正式採用している制服をきた運転手が、申し訳無さそうに答えた。彼は末端中の末端中の末端だ。ネルフとしては当然の対応である。
「ほぅ…。その訳も分からん機密のために、お客である私はシャレコウベになっても構わんと?」
「…勘弁してください。私は何も知らない職員なんですから。それに、シェルターに避難されていると思ってましたんで…」
運転手は時田が詮索してくるものと勘違いしたのか、そう断った。当然、時田にそんな考えはこれっぽっちも無い。ただ単にストレスの発散をしようと愚痴っているだけである。だから自分の思った通り、過敏に反応するその運転手を愉快に思った。
(フッ、ともかく、避難などしたら、使徒に対応中のネルフを見学できない。出来ない相談だ。)
それが今回の目的だ。実はジオフロントには専属の調査員が侵入に成功していたりするのだが、それでもかれは欲望を止められないのだ。
「しかし、もっと黒服の屈強な男が来るものだと思ったが? どういった部署の所属かな?」
「……技術部です。…でも課長からの命令に従っただけですから、何も分かりませんよ…。その課長も雲の上の上層部の命令らしいですからね。」
運転手はさもウンザリした様子で言った。今回この仕事自体、自分もあまり納得が言っていないのだ。でも、彼は自分でも言ったように末端。下手に嫌がってハゲ頭の怒声など聞きたくは無い。
スリスリ
時田はふと手を合わせ、こする。
(技術部か…まぁ、使徒との戦闘中だからだろう。…しかし、これは好都合だな。上手く行けば、赤木リツコに接触できるかもしれん。)
そう思って赤木リツコの姿を思い浮かべた。圧倒的な技術力を盾に上から見下す金髪の女。
腹が立ってくるのが分かった。そう、あの日MAGIされなければ、彼の計画の1つは成功していたに違いない。スパイを使用したネルフのルート解析、その後工作員を派遣し、電源を落とす。
だが、その計画はお蔵入りする以外に道は無くなった。驚異的なセキュリティを持つMAGIの前に、派遣したものは例外無く処刑されている。それが日の目を見ることは無いが、帰って来なくなった報告書がそれを示している。兵器JAとそれを開発した日本重化学工業共同体に、ライバルが居ては困る。この国は核アレルギーがセカンドインパクトからまた悪化している。前の戦闘でN2兵器を使用したのがその良い例だ。クリーンな超破壊力の兵器など存在しないのだ。
しかし例外がある。ネルフのエヴァは違う。だからだ。時田は赤木リツコを思い出してイラついているのは。
(14歳の子供がその責任者だと? 天才かなんだか知らんが、俺は騙されんぞ。後ろに隠れるとは卑怯者め。)
時田はもう心の中だけで愚痴る事にした。嫌な物は溜まるが、口に出せば今度こそ、向こうも愚痴りだすと思ったからだ。それだけは止めてもらいたい。その変わりにこう告げた。
「なんだこのトロイ加速は? ウチの正式採用車種の半分も出ていないんじゃないか?」
そして戦闘終了後、彼は忌み嫌う少年ととある一室で対面していた。
「……第3新東京市で、ネルフと使徒が交戦などどいうトンでもない場面に招待されるとは、光栄だな。碇シンジ君。」
ちょっと深刻そうな様子を見せた時田は、MAGIの情報では現在検査を受けている筈で、そこに居る筈の無い、碇シンジに声をかけた。
「ご安心を。我々がやられても、貴方のロボットがあるのですから。」
白衣に身をまとった小柄な少年、碇シンジ。白衣のポケットに手を突っ込んで応対する。彼にしてはかなり態度は悪い部類に入る。
「それは別の話だ。」
吐き捨てるように時田が嘯く。彼はよっぽどシンジが気に入らないようだ。
気に入らないネルフの所属であり、気に入らない赤木リツコの義弟であり、大体自分はガキが気に入らないし、何と言っても金髪と似て小生意気そうだ。
「核融合炉…そんなものを使って、この地上の技術と英知を汚染してしまったら、人類の宝というものが遠い将来に残せなくなってしまいます。そうなれば、残った使徒は我々の宝を無駄に消耗し、独占され、廃棄されてしまうのです。そういう危険は、貴方の組織も負いたくないと思っていたのですが?」
突然、脱線しそうなフロンティア思考を取り上げるシンジ。こういった事を言われるから時田はシンジの存在を疑ってしまうのである。
少々頭の良い調子に乗ったガキ。そう一方的に決め付ける。
「いや、JAはプロトタイプだよ。あくまで実験開発用だ。」
それでも時田は応じた。
内心は今にも爆発しそうなのだが、目の前の彼は肩書だけにしろネルフ主要技術者の1人なのだ。重要な情報ソースである事に変わりは無い。逆に考えればうまくすれば何か得られる可能性もあるのではないかと考える。相手は子供だ。どうにでもなる。…と巡らせている。
「プロト…ですか?」
「そうだ。今は大人しく、使徒がネルフを弱らせるのを見学して、その間にネルフの研究成果や自社技術を高めておこうという考え方だ。これ以上莫大な予算を不透明な開発に回す訳にはいかんのだ。節約し、かっぱいでしまえばそれで一番だ。」
考えてもいない事をさも簡単そうに言う時田。アドリブにしてはいい考えだと内心思う。それが出来るだけの組織力と戦力があればだが。
「あぁ、なるほど…」
シンジは唸ったような声を出す。
「……でも、ネルフは使徒に負けていませんよ? 弱るどころか、力を付けそうな気がするんですが…。」
シンジは続けてそう指摘した。
「あ……? だが、使徒ってのが何時まで続くのかは分からない。いつか負ければと考えれば、正攻法だ。」
頭の『あ…』が相当頭に来ている事を感じさせる。やはり時田は相当な短気であるようだ。
「なるほど。JAは使わないんですか。」
「そうだ。核を使うわけにはいかない。」
JA。農協を彷彿とさせるそれは巨大ロボットの『ジェット・アローン』の呼び名である。何故か、役に立たないような手が装備され、何故か重心の安定しない人型のフォルムで、何故か歩き、何故か原子炉を動力とする兵器だ。まぁ、時田にして見れば、JAはあくまでプロトタイプ。データさえ残れば良いという考えがあったのだろうが…。しかしいくらなんでも酷いスペックだ。あんなのではUNの通常兵力にすら無力であろう。
「しかし我々はJAを高く評価しているんですよ。いえ…JAを設計した貴方を、ですね。」
「…何を言っている?」
「時田さん、ネルフ技術部に来ませんか?」
参拾玖
翌日。技術部の一室で綾波レイの定期身体検査が行われている。
ピッ!
ギブスが取れ包帯姿のレイが、無表情に機械に吸い込まれ、体をスキャンされる。
「聞いたわよ。シンジ君とやりあったそうね。」
「…どうせあんたは彼の味方なんでしょ?」
コーヒーを飲みながらリツコとミサトが話す。スキャン中の綾波レイの事はどうでもいいようだ。
「当然。」
「はぁ〜。確かに今回はちょっち頭に血が上っちゃってさぁ…。」
(…今回も、の間違いでしょ。)
心の中で静かにつっこむ博士。声に出さない点は親友思いだ。
「やけに素直じゃない。」
「…この間の戦闘の後さ…」
:
:
「どうしてわたしの命令を無視したの?」
「申し訳ありません。」
「…あなたの作戦責任者はわたしでしょ。」
「はい。」
「あなたにはわたしの命令に従う義務があるの。…分かる?」
「はい。」
「今後こういう事の無いように。」
「はい。」
「あんた本当に分かってんでしょうね…!」
「チルドレンは作戦部長の命令に従う義務がある…そういう事ですよね? 当然分かっていますよ。」
「…では何故わたしの命令通りに行動しなかったの?」
「命令通り…? プッ…フフフッ。」
「何笑ってんの…!」
「…いえ、あまりにも素晴らしい戦闘指揮振りに感動して動けなかったんですよ。」
「ッ! ちょっと頭が良いからって、ガキの癖して…!」
「おっと、今の発言は上官侮辱罪に当たりますよ。僕の階級…忘れたんですか?」
「戦闘中はあんたチルドレンでしょう!? そんな屁理屈を…!」
「今回の戦闘ですが、作戦部の行動に関して内務監査が既に動いています。ま、今回はお咎め無しでしょうけど次はどうでしょうね?」
スタスタスタ…
「ちょっと待ちなさい! まだ話は終わって…!」
「内務監査中は階級剥奪ですよ。平の職員が僕に何か命令をするんですか? あいにく僕は一般人にかまっている暇は無いので失礼します。」
:
:
「で、その後司令部にこってり絞られたって訳ね。」
「…思い出させないでよ。クビかも…ってビクビクしてたんだから…。」
ミサトは青い顔をしながら振り返る。いかに図太い神経を持つ彼女でも、冬月のお小言はよっぽど堪えたらしい。
「よかったじゃない。そのシンジ君の意見もあって内務監査は引っ込んだんだから。」
「ったく、かわいくない子なんだから…。」
そんな事もあり葛城ミサトに対しては特にペナルティは下されず、厳重注意を受けるに留まった。技術部あたりでは彼女の悪運の強さに呆れる者や、もう勘弁してくれといった言葉を漏らすものが多かったとか。部長のリツコはミサトと交友があるが、沈静化をさせようと言う気は無いようだ。
「あの子、まだ14歳なのよね。言い過ぎたかも…。」
「…ふぅ。」
ミサトの言葉にリツコは溜め息を付く。
「…何?」
「あのねミサト。子供だからとか、そういう考え方止めなさい。どうせ貴女また命令するんでしょう?」
「で、でも…しょうがないじゃない!」
「そうやって罪悪感を消化したいだけでしょ。」
「ち、ちが…」
「貴方、目的があってネルフに居るんでしょう? だったらそれくらい自分の中で解決しなさい。大人なら出来る筈よ。」
「…時間ね、失礼させてもらいます赤木博士。」
ツカツカツカ…
(都合が悪くなるとそうやって逃げて…。)
ブー
『先輩、伊吹ですが…。』
はぁ
声を聞いた瞬間、「またか…」みたいな雰囲気をありあり醸し出す溜め息をつくリツコ。
「…入って。」
プシュー
ドアが開き、小さな端末を両手で可愛らしく抱えたマヤが入ってくる。
ネルフの発令所要員の中で携帯型の端末を使用しているのは、カヲルとこのマヤだけである。のちのちシンジが”マリー”をお披露目する日が来るがそれはまだ少し先の事だ。
「…あの、先輩。」
浮かない顔でポツポツと漏らすマヤ。
「相談…だったわね。ちょっと待って。今レイのが終わるから。」
「…はい。」
ピッピッ…
カタカタカタカタ…
医療用機器から出力されるデータを、部屋のメイン端末で次々に処理してゆくリツコ。その動きは一片の無駄も無いものである。普通であればその動きをマヤは目を輝かせて見守るのだが、今日は俯くばかりで何も見ようとしない。ぎゅっと、持っている端末に力を込めるだけだ。
カチカチ
「後はオートね。マヤ…何?」
「あ、あの…シンジ君の事で…。」
はぁ…とまた溜め息を漏らすリツコ。ミサトに続いて2人目である。彼女ほど多忙であれば自分はカウンセラーでは無いと思いたいらしい。いつもであればここで、告白する気になったの? とでも言って真っ赤になるマヤを笑うことも出来るのだが、今はそういう空気ではない。
「先輩…私たちのやっている事って、本当に正しいんでしょうか…」
「何が言いたいの?」
「その…子供たちを使って…」
言いにくそうにマヤが切り出す。よく考えればマヤは既にドグマに降りて極秘計画に参加するなど、倫理的にとんでもない事をしているのだから気にする事はないのではないか? と思うリツコであるが、あえてツッコミは入れず優しく答えてあげる。リツコにとってマヤは可愛い猫なのだ。ミサトとは扱いが違って当然だ。
「彼らはチルドレンとして活動することに同意している。だから、貴女が気にする必要なんでどこにも無いと思うけど?」
「…で、でも…シンジ君は…。」
「戦闘の事を言っているの? 高シンクロ時の精神の高ぶりは技術的に証明されているわ。」
「理解は出来ます…でも…。」
困ったものね…、と額に手を当てるリツコ。いつものごとく伝家の宝刀を抜く以外にあるまい。
「戦闘後に一番つらいのはシンジ君なのよ。貴女が支えてあげなくてどうするの?」
「…私がシンジ君に何か出来ることって…。」
「普通に接しているだけでいいの。偏見を持つ人間はいっぱい居るから。そんな時に貴女が守ってあげなくちゃだめでしょ。…好きなんでしょ?」
「は、はい…。」
伝家の宝刀の効力はすさまじい。マヤの雰囲気が明らかに変化する。
「じゃあ、はやく行って来なさい。戦闘後の精神が不安定な時に居てあげなくてどうするの? まだ昨日の今日なんだから。」
「そ、そうですね。はい、私…がんばってみます。」
プシュー
少々赤い顔をして部屋を後にするマヤ。リツコは溜め息をついてそれを見送った。
「この手は2回は使えないわね。」
伝家の宝刀は耐性があるようだ。乱用は禁物である。
パチンッ
将棋の駒が小気味良い音を司令室に響かせる。
音の主は冬月だ。それを全く興味がなさそうに見るゲンドウと、興味深げに見るシンジが居る。マヤには残念だが今司令室にいるシンジに会う事は難しいだろうし、ましてやシンジはケロっとしているので元気づける事など出来ないだろう。
「フォースチルドレンは選定はどうだ?」
「選定は進めているよ。候補の内2人は脱落したけど。」
「昨日の戦闘に出てきた民間人…まさか候補者だったとは。」
冬月が溜め息混じりに呟く。彼にしてみれば候補者といえば中学生の子供なのである。それが戦闘に巻き込まれて半死半生となっているとなれば、いい気分になどなれない。
「今はどうせ機体が無いからね。そんなに急ぐ必要は無いと思うけど。」
中学生の手足を引きちぎり、植物状態にしたのは間違いなくシンジであるが、特に気にした様子もない。確かに自己責任で彼らはシェルターから出てきているのであるから、シンジが気に病む必要は全くないのだが、それにしては全く気に掛けていない。この辺りが彼のプロフェッショナルたる所以であろう。
そのシンジの言うとおり、弐号機を皮切りにプロダクションタイプの生産は始まってはいるものの、それを受理するとなるのはまだまだ先の事だ。その前に出し渋っているドイツ支部から弐号機をどのように徴収するかも問題としてある。
「ああ。だが一応進めておいてくれ。優先度は低くて構わん。」
「分かったよ。父さん。」
ゲンドウの言葉に頷くシンジ。冬月はシンジを見て何か行いたそうな雰囲気だが何も言わなかった。それを見てシンジはクスッと笑う。僕を冷徹人間みたいに思わないで下さいよ、という笑みだ。
ピピピッ!
そのとき、シンジの携帯電話が鳴った。
「はい。」
『碇1佐。』
シンジの事を3佐ではなく1佐と呼ぶのは、諜報部か保安部である。今回の通信元は諜報部だ。シンジは彼らからの通話音声を携帯から無線を通して司令室のスピーカに流すようにしている。ゲンドウも冬月も聞こえている訳だ。
「かかったようだね?」
やや陰の帯びた笑みを浮かべ聞くシンジ。
『はい、そちらに転送します』
司令室のディスプレイには時田シロウと霧島マナが何やら話しているところが映し出された。
「…あっけなかったな。」
冬月が溜め息交じりにディスプレイを見る。対照的にシンジは笑みを広げた。
「クスッ…。こんなに簡単に捕まっちゃうんじゃあ張り合いが無いよ、マナ。」
肆拾壱
ミーンミーン…
ジジジジジジジ…………
蝉が鳴き、照りつける強烈な太陽光線の元、第3新東京市の一角でシャムシエルの解体作業が行われている。
先の戦闘時において民間人の進入を許してしまった事もあり、現場は迅速に閉鎖された。その民間人だが、使徒の存在というものは当然極秘であり、彼らには機密のために然るべき処置も検討されたが、彼らが適格者候補である事が判明したために、実施には至っていない。
また、市民に対しては、広報部の手によって新たなシナリオが作られ、それらが民を操ってはいる。
『D3ブロックの解体終了。全データを技術局一課分析班に提出してください。』
閉鎖された地域の一区画にプレハブのような建物が並ぶ。その巨大な建物の中にはシャムシエルの構成体を解体した一部が転がっていた。
その周りを、ヘルメットをかぶった人間たちがアリのように右往左往する。それ程までにシャムシエルは巨大であり、そこをミサトと共に訪れたカヲルはその巨大さを再認識し、またそれを圧倒したシンジとエヴァの強大さを思い知った。
「これをネルフは殲滅したのか…。」
白いシートを掛けられた構成体を見上げ、カヲルは声に出して感嘆する。
逆にミサトは得意げに見上げる。彼女は勝利に貢献したわけではないが、使徒を殺したと言う事は彼女にとって意義深いものでもある。
作戦部の2人が見上げる上には、同じくヘルメットをかぶったリツコとシンジがなにやら作業をしている。マヤは留守番のようだ。
シャムシエルはシンジによってボコボコにされたのだが、殲滅後の構成体の状態はあの世界とさして変わらず、ネルフ技術部は使徒の解析が進むと喜んでいる。
「なるほどね、コア以外はほとんど原型を留めているわ。本当、理想的なサンプル。ありがたいわ。」
「はは…あんまり考えてなかったです。」
リツコの言葉に横で苦笑するシンジ。確かに戦闘中の彼の状態はとてもではないが理性的ではなかった。
「で、何かわかったわけ?」
ミサトが上の2人に期待していないように、のんきに問い掛ける。
そんな作戦部長を尻目に、カヲルは神経をとがらせている。上に碇シンジが居るからだ。
(技術部副部長、サードチルドレン、そしてあの強烈なプレッシャー…。あのざらっとした感じ…。技術部からの報告によれば高シンクロにおける副作用らしいが…。)
『601』
場所を移し、解析室のモニタに分析結果を表示させるリツコ。その数字に目を白黒させるミサトとカヲル。
「何これ?」
「解析不能を示すコードナンバー。」
「つまり訳わかんないってこと?」
「そう。使徒は粒子と波、両方の性質を備える光のようなもので構成されているの。」
ミサトとの問いに、紙コップに注がれたコーヒーを飲みながらリツコが答える。
「で、動力源はあったんでしょ?」
「らしきものはね…。でもその作動原理がまださっぱりなのよね。」
「まだまだ未知の世界が広がってる訳ね。」
さして残念そうなそぶりも見せずミサトが言う。彼女にとって使徒の動作原理などどうでも良いことなのだろう。
(S2機関…、葛城調査隊から碇ユイにデータが届けられたはず…。赤木博士が知らない訳がない。葛城1尉は…何も知らないようだな。)
カヲルは無言のままゼーレからの情報と合わせ思考を進める。
「とかくこの世は謎だらけよ。例えばこの使徒独自の固有波形パターン。」
ガタッ
リツコがいすから立ち上がり、モニタを見るように促した。そのモニタには遺伝子図のようなものが映し出されている。
「どれどれ?」
「私にも見せてください。」
ずいっと身を乗り出すミサトに牽制を入れるカヲル。使徒独自の波形パターンと言うのは彼女にとって重要な情報なのである。
葛城調査隊のデータを元に碇ユイが発見したというのが、固有波形パターン青である。それは使徒という存在や、ネルフ、ひいてはセカンドインパクトといったキーワードとも繋がる重要項目なのだ。諜報員である彼女にとってそれは非常にプライオリティの高い情報となる。
「これって…!?」
モニタを見て絶句する2人。
「そう。構成素材の違いはあっても、信号の配置と座標は人間の遺伝子と酷似している。99.89%ね。」
「99.89%って…」
スタスタスタスタ
「…!」
リツコとミサトの会話が続く中、カヲルは背後を通り抜ける人の気配の方に気をとられた。通り過ぎたのはゲンドウと冬月、そしてシンジである。
(碇ゲンドウ…そして碇シンジ…。彼らは………)
「改めて私達の知恵の浅はかさってのを思い知らせてくれるわ。」
(…コアの調査か?)
もはやカヲルはリツコに興味は無い。ゲンドウとシンジがコアを前にどういう会話をするのか? その方が遙かに重要である。リツコに怪しまれないよう最大限の注意を払いながら、耳と気配をゲンドウ達に集中する。
「…これがコアか? 残りはどうか?」
「それが、劣化が激しく資料としては問題が多すぎます。」
冬月がコアをペタペタとさわりながら横の技術者と話をする。彼にしてみればその選考する学問からして、目の前の物体は非常に興味をそそるであることは間違いない。
「構わん。他はすべて破棄だ。」
「はい。」
「後で解析結果は渡すよ。思ったよりデータは採れたみたいだし。期待していてよ。」
「ああ。」
シンジの言葉に頷くゲンドウ。その様子を密かに観察していたカヲルだが、彼らはそこまで話すとさっさとヘリでどこかへ移動してしまい、たいした情報は得られなかった。
肆拾弐
翌日。発令所では技術部と作戦部との定期的なミーティングが行われていた。
「スマッシュホーク、ソニックグレイブの開発は終了したとの報告があります。」
「で…肝心の納期は?」
「こっちにですか? 無理ですよ。弐号機と共に…という基本線は変わりはありません。」
「ちっ…あいつら出し渋りやがって…。」
忌々しげにミサトが言う。
ネルフ本部とドイツ支部との間はちょっとした緊張状態にある。その発端となったのが第3使徒襲来直前に本部に送られてきた、セカンドチルドレンと零号機ベースの模擬体とのシンクロデータである。
上記データの真意は本部オペレータにあっさりと看破され、実質的なセカンドチルドレンのシンクロ率の参考になるものではなかった。それを指摘するだけであれば良かったかもしれないが、上記を証明する為に本部のMAGIからドイツ支部のMAGIクローンに特権でアクセスした事がドイツ支部技術部を怒りに導いてしまった。
もっとも本部と支部とのMAGIネットワークのポリシーからして、そのような事は許可されている事項なのであるが、これはそう言う問題ではなく、いわゆるプライドの問題だ。勝手に人の家の中をのぞくな! と言う事らしい。都合の良い事に、シンクロデータの真意を棚に上げたままでだ。感情論というのはなかなか使い道がある。ドイツ支部は冷静に感情論を利用しているのである。
「メスは?」
「ああ、アレは現在プロトタイプは出来てます。次の使徒戦で出来ればテスト投入したいところです。何せプログナイフと違って刃が長くて設計がシビアなんですよ。そういうのは実機検証するしかないので。」
「…シンジ君やMAGIでも機上設計は難しいんだ?」
ポカンとした顔でミサトが問う。昨日の歪みきった顔は何処へ行ってしまったのだろうか?
「こればっかりはしょうがないです。相手が使徒なんで、実際に構成素材やATフィールドにたたきつけるデータが欲しいんですよ。そのデータが取れれば…そうですね一ヶ月後ぐらいにはラインに乗せられます。」
「…なるほどね。」
「十手の方はメスに比べれば遅れていますが、量産時期はメスと同時だと思ってください。こっちはプログナイフのデータを使うので。」
「了解。」
何にしてもしばらく武器はプログナイフとパレットガンで行くしかない。メスや十手が本格的に使用できるようになるのは弐号機が来てからしばらく後だ。
「碇3佐、以前提案のあった超振動刃の飛び道具の件はどうなっているのでしょうか?」
スッと手を挙げ、相変わらずな口調で渚カヲルがシンジに問う。周りは慣れてきたのか誰も何も言わない。
「ああ、そうだね。まだ設計途中なんで報告できる段階じゃないんだ。一応弓状というかボウガンみたいな感じで設計してるけど。」
「あーらま原始的。」
すかさずミサトからツッコミが入る。
「エヴァの腕力が強大である事と、後は取り回しですね。推進剤の問題が無くなるんで。」
エヴァが携帯する武器である以上、その重量や大きさといったファクターは重要だ。特に飛び道具である以上、エヴァの機動力を損なうようなものを装備させるのは非効率的だ。そのようなデカブツであれば兵装ビルにでも取り付けて、そこから射出すればよい。エヴァの武装は純粋な火力を求めるだけでなく、エヴァの特徴である機動力を損なわない事、そして機動力との相乗効果が見込めるようなものが重要なのである。
「パレットガンとは違うんだ?」
「そうですね。打ち出す物の質量がまるで違いますし、その形状も独特です。まあ見ていてください。」
クスッとシンジは自信の笑みを浮かべた。
午後、第3ケイジ。
明日、零号機の本格稼働実験が行われる準備の為、シンジ、リツコをはじめとした技術部の面々がせわしなく動き回っている。
エントリープラグ内に綾波レイの姿もある。流石にこの段階で彼女がメンテナンスを手伝う事はしない。ただじっと、シンクロ関連機器のテスト調整の為、管制塔の指示に従っているだけだ。
リツコやマヤはケイジ側面に設置されたコントロールボックスで作業を行っているが、シンジは管制塔でオペレータに指示を出しつつ、自らも端末を操作している。
カタカタカタカタカタ…
リツコには及ばないものの、相当に速いタッチだ。
ウィーン。
ザワッ…
最中、オペレータ達が、一斉に陰険な気配を感じ取り振り返る。そこには皆の予想通り碇ゲンドウの姿があった。オペレータ達はヤバイといった表情で、一斉に彼から背を向けた。
それを見てニヤリと笑うゲンドウ。下っ端がビクビクする様を見て楽しむ男である。
「父さん。」
その声を聞き、ゲンドウさらにがニヤリと笑う。
「シンジ、顔を見に来た。」
「…特務機関の司令ってのは意外と暇なんだね。」
シンジは白目だ。その気持ちは同フロアの人間達を代弁したものである。
「………。」
言葉に詰まるゲンドウ。実はつい先日、冬月からも同じ小言を言われてた。
「まあ、伝えることもあったし丁度いいけどね。」
「何だ? 司令室でなくとも伝えられることなのか?」
「たいしたことじゃないから大丈夫だよ。マリーの事だから。」
「マリー…? 前に提案してきたコンピュータの事か?」
マリーというのは、シンジが企画開発を行っている携帯型有機コンピュータの愛称である。
「そう。その材料にダミーのスペアボディを使うつもりなんだけど、許可をもらってなかったから一応ね。初号機のシンクロシステムに一体は使っちゃったから大丈夫かと思って。」
「かまわん、あんなもので良ければ好きに使え。数体残っていれば計画には影響しない。」
「クスッ…そうだね。了解。」
お互い笑みを浮かべ、会話をする親子。
その様子を零号機の中から凝視するレイの姿があった。
(…碇君、碇司令と…。……この感じは何? …この取り残されたような感じは…疎外感?)
肆拾肆
夜。葛城邸に世帯主の葛城ミサトの他多くのネルフ関係者がちょっとした宴会に集まっていた。赤木リツコ、息吹マヤ、青葉シゲル、日向マコト、碇シンジ、渚カヲルというメンバーが集まっていた。
この宴会序盤において、渚カヲルにとって驚くべき事が2点合った。
1つは、ペンペンと呼ばれる温泉ペンギン等という生物の存在だ。ネルフに来てからもう十数回ミサト宅には訪れていたが、彼をみたのは今日が初めてだった。
見た事も、聞いたこともない生物がそこに存在するのは驚きであるが、もっとも驚愕したのは彼が人間の言語を理解できる…と言う点だ。ロボットじゃああるまいし、そんな事がある訳がない、と思ってみても、実際彼は人間の言葉に反応し行動しているのである。お手とか、そういうレベルではない。
(作られた生物か…。お前も私と同じだな…。)
彼を見てしみじみそう思ったとか。
もう1つは、目の前に並べられた料理の数々である。作ったのはシンジとリツコとマヤである。
はっきり言ってかなり豪華だ。高級レストランなど行ったことが無いカヲルでも、この目の前の料理がすごいものだ、と言うことぐらいは分かる。また、リツコとマヤがやたらとシンジの料理の腕は凄い、とか誇らしげに自慢することからも、これらの多くはシンジが作った事だと分かった。
実際、口にしてみると確かに旨い。食事に執着が無く、舌など肥えているはずがないカヲルだが、これは確かにおいしいと感じた。聞いてみれば栄養価等にも気を使って作っているらしい。その腕前に感心すると共に、よくそこまで腕を磨く時間があったな、とも思う。彼は相当に多忙なはずだ。それとも幼少の頃から料理を覚えていたのだろうか、とも思う。それはそれで凄いものがある。カヲルも任務によっては自給自足を強いられていたが、せいぜい食べられれば良い、ぐらいの腕だ。
「あらぁ、カヲルちゃ〜ん? シンちゃんの料理気に入っちゃった?」
既に酔っぱらいモードのミサトが、向かいから顔をずいっと寄せてそう言う。
「…ええ。素晴らしいですね。」
自分同様、シンジもちゃん付けで呼ばれているのか、と多少シンジに同情しつつ答えるカヲル。もうミサトの呼び方に関しては諦めたらしい。
「気に入ってもらえてうれしいよ。」
隣のシンジがそう言う。彼はシンちゃんと呼ばれる事に関しては慣れているようだ。
「でもぉ、シンちゃんだとライバル多いから大変かもねぇ〜。リツコでしょぉ、マヤちゃんでしょ…」
「か、葛城さん! な、何を言うんですか!」
ミサトの発言に、まだ酔っていないはずのマヤが真っ赤な顔で反応する。
(ライバル? 何の事だ?)
カヲルは何の事かさっぱり分かっていない。
「綾波レイは来ないのですか?」
ふとカヲルがミサトに聞いた。決してライバルという単語から彼女を連想した訳ではない。
「一応誘ったけど…、命令しなかったしね。」
この発現を翻訳すると、命令すれば付いてきただろうが、来て欲しくなかったからあえて命令しなかった、となる。
「…いいのシンジ君?」
ミサトの答えに呆れながら、リツコがシンジに問う。綾波レイの事実の管轄下であるシンジに対して、このような蔑ろにされる処理を許すのか? という事である。
「まあ、綾波がそう答えたのであれば構いませんよ。プライベートにまで干渉する訳にはいきませんし。」
「そうよねー。」
ケラケラ笑うミサトだが先のシンジの発現が、プライベートに干渉しまくりのミサトに対する皮肉という事を分かっているのだろうか? なぜか日向が申し訳なさそうにペコペコと頭を下げている事も気づいているのだろうか? 彼女のふてぶてしさというのは正に特質級である。
ザワッ!
シンジ作の豪華な料理が処理された頃、渚カヲルの頭の中でそのように擬音できる音が響いた。
(ま、まさか…。)
冷たい汗がカヲルの背中を通り抜ける。
ガシャン! ガシャン!
今度はガラスが割れるような音が響く。その音はカヲルの体内だけで補完されているのか、全身に振動が響き渡る。
(4月に2回も来たんだぞ…!。まだ5月の第2週だというのに…っ!)
ラァー… ラァー…
(な、何だ…? この聞こえてくる音はっ!?)
ラァーー! ラァーー!
ソプラノ歌手がラララをしているような、しかしどこか不快な音が聞こえてくる。
「う…ううぁ…っ!」
フラ…
「渚2尉!!」
ガシ!
フラフラしだしたカヲルを受け止めたのは隣にいたシンジだ。
「医療班へ連絡を!」
「ま、待って下さい。クスリを飲めば…収まりますから…。」
シンジの素早い対応に、こちらも青い顔をしながらカヲルが素早く対応する。別に医療班に見せようがおそらく問題ないのだが念のためである。彼女の肉体に関してはゼーレも分かっていない部分があるのだから。
「で、でも。大丈夫なの?」
不安そうに瞳を潤ませながらマヤが問う。カヲルの発作は以前見ているものの、彼女の性格からして不安である事に代わりはない。
「すみません…、失礼します…。」
フラフラと洗面所に向かうカヲル。皆それを心配そうに見つめているが、赤木リツコは違う目線をしていた。
(…発作? 前にも起きていたようだけど…。…病気というよりは、何かの副作用のように見える…。肉体強化? いえ…それにしては痙攣は起こしていない…。しかし、あそこまで顕著に現れるとなると精神系…?)
数刻後、渚カヲルは何事もなかったかのように戻り、周りの空気も元に戻ったが、リツコの思考はしばらく止まらなかった。
「綾波レイの更新カードを渡して欲しいんだけど。」
食事から酒に切り替わったところで、シンジがしっかりした口調でカヲルに問い掛けた。彼は当然の事ながらシラフである。
「それは構いませんが、なぜ私に?」
「彼女、誰とも話さないでしょ?」
「はい。」
碇3佐とは親しいようですが。と言う言葉を飲み込むカヲル。この酒の席では賢明な判断だ。この場でそんな発言をすればみすみす乱入者をおびき寄せるようなものである。
「渚2尉にはそういうところも期待しているんだよ。女の子同士だしね。」
「…はい。」
(私も綾波も、女の子というには程遠いと思うが…。)
それはその通りであるが、性別上は女というのも合っているので何も言わない。
「一緒に出勤したり、食事をしたり、そういう事のきっかけにして欲しいんだけど。」
上司、しかも雲の上の上層部の命令とあっては、即答せざるを得ない。
(…これで私が綾波レイに必要以上に接触しても不自然ではなくなったな。しかし、ネルフ司令部も私に対する警戒は解いていないはず…。泳がすつもりか? フフフ…こちらにとっては好都合だな。)
「わかりました。出来るだけやってみます。ときに報告は?」
「必要ないよ。」
その言葉に、内心舌打ちするカヲル。今後の綾波レイに対する情報採取をやりやすくする為には、正式な命令としてこの件を受けたかったのである。
「了解。」
しかし、どうせMAGIで監視しているのだろう、とカヲルはあっさり引き下がった。
結局この件は、明日朝カヲルがレイ宅に迎えに行く事で解決した。カヲルとの同伴出勤を邪魔されたくないミサトは泥酔状態にもかかわらず強固に反対した。しかしそれが通るはずもなく、またレイを迎えに行く為に貴重な睡眠時間を削られたくないという思いの方が強かったため結局引き下がった。
肆拾肆
翌朝、渚カヲルは第3新東京市郊外の再開発地区に立っていた。早朝にもかかわらず相変わらず蒸し暑い。
一応、綾波レイとの共通の上司である葛城ミサトに一報をいれてこちらに来たが、爆睡中の彼女に伝わったかどうかは疑問だ。カヲルはそれを気が付かなかった事にして、ここにやってきた。
(再開発地区…やはりこんな所に重要人物を住まわせるとは思えないのだが…。)
カヲルがここに来るのはこれが初めてである。レイという存在は最大の調査対象の1つであるのだが、ネルフ諜報部を警戒して、これまでここにやってくる事はしなかった。
タッタッタッ…
コンクリートの階段を上ると、律儀に”綾波”と表札を掲げたドアが目に入る。口から飛び出したあふれんばかりのダイレクトメールは、この界隈のデファクトスタンダードである。
ピンポーン!
安心した。流石にインターフォンは生きているらしい。周りの光景を見ると、電気が止まっていても不思議ではなさそうな雰囲気だったのだ。
実際、当初ここの電気は止まっておりゲンドウも放置していたのだが、シンジによって通電の処理がされ今に至っている。
ガチャ…
少ししてドアが開き、ネルフの制服に身を包んだレイが現れた。相変わらずの無表情だ。
「……。」
「……。」
「…おはよう。」
「…おはようございます。」
やはりというべきか、先に挨拶をしたのはカヲルの方だ。
「準備は…出来ているようだな。朝食は?」
「…必要ありません。」
「では出発するぞ。」
「…了解。」
ただ単に、一緒にネルフに行くだけなのにこの会話である。シンジの言っていた女の子同士〜というのが実現されるのは遠い道のりのようだ。
零号機の起動実験がいま始まろうとしていた。これは以前に行われた再起動実験の成功を受け、より実戦配備を前提とした起動実験となっている。
つまりウェポンラックにプログナイフは装備されていたりする訳である。起動、シンクロ、そしてそういったオプション機器のテストまで包括的に行う事となる。
被験者は言うまでもなくファーストチルドレンの綾波レイである。驚くべき事に…否、むしろファーストチルドレンであれば当然とも言えるが、彼女は渚カヲルと共に出勤したのだが、その間お互い一言もしゃべらないという快挙を達成した。言ってみれば彼女は素で盗聴器を無効化してしまうのである。ゲンドウがフラットに彼女を育てたのは意外なところで成果を挙げている。
「綾波、起動実験開始。いいね?」
「…了解。」
黄色に塗装されたエヴァ零号機。そのエントリープラグ内の声が、MAGIを介して実験棟に伝わる。
実験棟にはシンジ以外にもゲンドウと冬月が視察に来ており、司令部が全員集まっているという事になる。それでも前の世界と違って、ゲンドウはこの実験には殆ど興味はなさそうだ。実際、シンジに「たまには実験に顔を出してよ」と言われたから来ているだけである。
「起動実験、開始。」
シンジの声と共に、オペレータ達のコンソールが目まぐるしく移り変わって行く。
実験に参加するオペレータは、いつもの3人に加え、技術部から数名参加して行われる。この時ばかりは、彼らも発令所組と同等のクライアントを与えられ仕事に当たる。これは彼らにとってのチャンスでもある。
とはいえ、日向、青葉、伊吹の3人は一般的な技術者から見れば天才といっても差し支えないレベルであり、彼らを脅かすような技術者は今のところ出てきていない。
「ボーダラインクリア。零号機起動しました。」
マヤがやや緊張気味に報告する。その緊張は零号機に対する不安ではなく、司令部の視察に対する不安である。しかもゲンドウは前述の理由で、はたから見ればなにやら不機嫌そうである。
「ん…?」
管制塔でミサトの横に陣取っていたカヲルは、急に何やら耳鳴りがしたように思えた。その音は突如としてカヲルの頭に響き渡った。
ラァー! ラァー!
(…このララという音は…)
とっさに周りを見回すカヲル。しかし周り誰しもが実験を見守っているだけで、何のリアクションもない。
(私にしか聞こえていない…耳鳴りか?)
しかし、リアクションを取る人間が一人だけいた。発令所に緊急回線が入り、それを冬月が対応したのだ。
ガチャ。
冬月が受話器を置く。そしておもむろにゲンドウに告げた。
「碇、未確認飛行物体が接近中だ。おそらく第5の使徒だな。」
「直ちに初号機を発信させて!」
瞬時にミサトが命令を下す。第一種戦闘配置での対使徒戦闘における最高権限者は彼女である。
実に素早い反応で、速度としては申し分ないが、その内容は褒められたものではない。案の定シンジからツッコミが入る。
「拒否します。」
心底呆れた顔でシンジが言う。既にプラグスーツ姿だ。
それを見たカヲルは、この後ミサトがどういう言動をとってどういう結果になるのかという、分かりたくもないことを分かってしまった。ここまで同じパターンが続けば勝手に結果が見えてくる。
「な、何言ってんの! 使徒はもうそこまで…!」
「敵情視察もせずにですか? 今回は戦時もUNも使徒に攻撃を加えていません。今までと同じでは芸が無いですよ。」
「そんな暇がある訳無いでしょうがっ!」
血管プッチン状態のミサト。カヲルだけでなく、下部オペレータを含めた全員の予想通りの行動をするミサト。実にわかりやすい。
「青葉さん。予想到達時刻は?」
「お待ち下さい…。でました、200秒後です。」
「ほう、200秒もあるんですか。自走砲のスタンバイ所要時間は平均60秒、最短で30秒だったと記憶していますが。」
「…っ!!」
気持ちの悪い物を見るように、ミサトがシンジを見やる。
「余裕…あるんじゃないんですか?」
「あんた…いくら3佐待遇だからって…!」
「直ちに行動するべきではないでしょうか? 奇跡的に存在する余裕が時間経過によって、幾何級数的に増大してゆくのですよ。義務教育を受けていれば理解できない筈はないでしょう? 数学的帰納法、習いましたよね? ああ、そういえば施設に入っていたんでしたっけ? それじゃあしょうがないですね。フフ。」
「このガキッ!!」
「落ち着きなさいミサト! 元はといえば貴方の怠慢なのよ! …シンジ君も今は別にやることがあるでしょう?」
ミサトへの糾弾大会の様相を呈する前に、リツコがシンジを抑えた。だが、それだけでは何も先に進まない。
「直ちに自走砲で目標に攻撃を行え。データ採取目的である。」
一方、シンジの言葉に対して答えを返したのは、前戦と同様に最高権力者であった。彼もこの不毛な言い合いに苛立ちを覚えていた1人だ。やたらと汚い唾を飛ばされているのが彼の息子だということも、それを増長させている。
「し、司令! そ、それでは軍の規律が!」
ミサトにとっては最も起きてほしくない事が現実のものとなりつつあった。表情だけみても焦りまくっているのが容易に見て取れる。
「規律は必要だが、適切な使徒殲滅作戦が前提である。君には荷が重すぎたようだな。」
「そ、そんな…。」
「自走砲、スタンバイ完了。」
そんなやり取りの間に、ネルフの優秀なオペレータの作業で自走砲のスタンバイが完了した。
「渚2尉。」
シンジがカヲルに言う。ミサトが使い物にならないから、君が命令しろという事だ。
「…データ採取班、準備はいいな? 目標、敵構成体中央。攻撃開始せよ。」
仕方がない、といった様子でカヲルが命令を下す。ミサトの代わりは日向も居るのだが、彼はオペレータも兼務しているためカヲルしかいない。
ドドドドド!!
4機の自走砲が横一列のフォーメーションから、一斉に射撃を開始した。
キィイィン!
「ATフィールド確…、目標より高エネルギー反応!」
「何ですって!?」
カッ!!!!!!!!!!
ドッゴアアアアアア!!!!!!!!!!
細い光の線が自走砲に伸びた瞬間、その一帯はエネルギーに焼き尽くされた。
「自走砲消滅!」
「目標は再び沈黙しました!」
モニタが光から開放されたが、そのあまりの光景にオペレータ達は驚愕した表情をしたまま手が止まっていた。
「索敵班! トレースを止めるな! データ採取班! メインモニタに結果を出せ!」
カヲルがオペレータに指示を出す。彼女の大声を初めて聞く彼らはビックリした様子でそれに答える。
「りょ、了解! メインモニタに出ます!」
ピッ!
メインモニタに、使徒の断面図が表示される。その内部にはリング状のものがあり、エネルギーがそこで増幅されてゆく経過も表示された。
「円周部を加速している……可粒子砲?」
「ええ、僕もそう思います。」
リツコとシンジが一瞬で答えを導き出した。
「目標は完全に沈黙。速度0。動き出す様子はありません。」
「索敵はそのまま維持。」
カヲルが指示を出す。沈黙しているとはいえ、それは先程と状況的に変わらない。また撃ってくる可能性は非常に高いのだ。
ミサトはカヲルの指揮を呆然と見ていたが、使徒の攻撃をみて放心した様子だ。ここにきてやっと自分の無力さとそれに伴う甚大な被害を予測できたのである。彼女の脳裏に南極の悪夢が蘇った。
「あ、あ…」
「あの速度と威力…。いくら初号機とシンジ君でもアウトだったでしょうね。」
目の焦点が合っていないミサトにリツコが追い討ちをかける。彼女がこういう事をするのは単にシンジ命を守るためである。彼女はいい友人ではあるが、その復讐心で愛する家族を巻き込む事だけは許せない。今日それがはっきりとした訳である。ミサトを重罪で捕らえて処刑してしまっても構わないとさえ思い始めた。
「作戦を練りなおす必要がある。渚2尉。君が中心となって打開策を打ち出せ。」
「私がですか? しかし…」
ゲンドウがカヲルに対して指示を出した。それに驚いたのは当のカヲルと、ゲンドウの横にいた冬月である。小声でゲンドウに耳打ちする。
「(碇、渚2尉の正体はまだわかっていない。リスクが大きすぎるのではないか?)」
「(わかっている。だが、見極めるチャンスでもあるだろう?)」
「し、司令! 葛城1尉にもう一度チャンスを!」
急に大声で進言したのは予想通り日向である。発令所中の目線が彼に集まった。
それを見て冬月が声を掛ける。彼はネルフの良心である。
「葛城1尉。頭を冷やせ。プライドなど指揮官に必要ないのは分かっただろう。」
「は、はい。申し訳ございません。」
「では早急に対策を。君にはまだ作戦部長をやってもらわねば困るのだ。」
「は、はっ! 了解しました!」
その言葉に水を得た魚のように復活したミサト。なんとも現金な性格である。
なお、この場で冬月の発言に対する支持者は、冬月・ミサト・日向のたったの3人である。当人を除けば日向だけという惨状だ。それくらいミサトに対する評判は悪化していた。
「人事権は私にあったはずだな、碇。」
「フン、いいだろう。ただし次はない。」
してやったりといった表情の冬月に対して、ゲンドウはイラつきを隠そうとしなかった。
プラグスーツの上に白衣を羽織ったシンジが、携帯電話を耳に当てている。
この部屋は司令部の「碇シンジ1佐」にあてがわれた士官室である。彼の立場上普段使われること少ないこの部屋だが、機密行動を起こすときには重宝する。セキュリティ面で技術部の部屋とは大きな違いがあるのだ。そこにシンジがいるということは、つまりそういうことをしているのである。
『やっと捕まりましたよ。加持さん。』
「あいにく、こっちはこっちで忙しいんだよ。シンジ君。」
加持リョウジだ。
彼は現在ネルフドイツ支部に赴いている。監査部所属の彼が何故セカンドチルドレンの護衛についているのか理解に苦しむが、一応そういう理由がつけられ任務を遂行している。
一方で彼は日本政府の者でもあり、ゼーレの者でもある。ゼーレという意味で言えばカヲルと同じであり、実際、加持とカヲルは面識がある。とはいえネルフがそれを知るよしはない。カヲルのバックを特定できないのだから。
『ま、かまいませんよ。契約さえ守ってもらえれば。』
「で、何か用かな?」
契約、という言葉を使って牽制するシンジ。これはネルフとの契約でなく、シンジ個人との契約である。
『ちょっと聞きたいことがありまして。もちろんタダとは言いません。』
「…渚カヲルちゃんの事かな?」
加持の躊躇ない言葉を聞いて、シンジは驚いた様子だ。
『っ! よく分かりましたね。』
「一応人事にも目を通しては…」
だが、シンジのリアクションを加持は勘違いしていた。シンジはカヲルの名前を聞いて驚いたわけではない。ネルフが彼女の背景を知ることができずにいる事など、加持であれば容易に想像できるだろう。
『いいえ、この回線が個人用の守秘回線だって事を良くわかったなぁと。』
と、いうことである。何の躊躇もなく渚カヲルという単語を出した事に驚いたのだ。それはつまり、シンジからの連絡がセキュアであるという事を躊躇なく見抜いたというわけだ。加持の持つクライアント端末にそれを知る機能などつけるはずがない。
「そっちか。まあ、いろんな機材を寄越されるもんだからな。使わんわけにもいかんだろうし。」
という理由で分かったらしい。インチキである。
『…尊敬して損しました。3足草鞋も大変ですね。じゃあこちらからは?』
シンジの最後の言葉はつまり、渚カヲルについての情報の対価は何がよいか? と聞いているのである。しかし加持リョウジの要求は意表を突いた者であった。
「渚カヲルちゃんについて。」
『…そういう事ですか。』
「そういう事。」
お互いが本音を言っているはずはない。これはゲームである。それを分かっているのかシンジの表情は楽しそうだ。遙か遠くの加持も同じ表情に違いない。
しばらくの沈黙をシンジが打破すると、一気に話が進んでいった。彼らのゲームはまだまだ続く。
『お互い情報を交換し合う必要がありそうですね。』
「ああ、俺もそう思っていたところだ。」
『そちらは急ぎですか?』
「いや、プライオリティは低いな。他に高いレベルの仕事があってね。」
『では、実際にお会いした時に。』
「…慎重だな。」
『お互い様でしょ?』
「ちがいない。」
『クスッ…、ではそういう事で。』
「了解。」
[あとがき]
見知らぬ街ではぁ〜♪ 期待と不安が一つになってぇ〜♪ 過ぎ行く日々など分からないぃ〜♪
この作品の作者のgx9901です。初めての方もそうでない方も、血の色のスティレットを読んでいただき真に有り難う御座います。
大都会シリーズ第二弾! とか言っていると、ヤクルト時代の高津投手を思い出すなぁ〜(珍プレーの名物でしたね)。でも大都会を知るきっかけになったのは珍プレーを見たからなので、そういう意味では高津投手のエンターテイメント性に感謝です。いい曲を教えてくれてありがとう! まあ昔ボキャ天でもありましたけど…(ヒット曲が出ない…一人きりのクリスタルキング、Ah〜…ってのが)。
随分UPが遅れた第伍話です。そうして、執筆スピードを上げないといつまで経っても終わらない事に気が付きました。新しく買ったThinkpad X31(PHJ)が威力を発揮してくれることを期待しましょう。
ではでは。