(第2巻)

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【第2巻目次】

     

5a

2000.10.30

野党三党、それぞれ元慰安婦問題解決法案を提出

6 2000.11.07 英政府、旧日本軍捕虜になった自国民に補償金支給

7

2000.11.29

花岡事件、東京高裁で和解成立

8

2000.11.30

東京高裁、在日韓国人元慰安婦の訴訟棄却(崇神道事件)                                                      

8a

2000.12.01

大阪地裁、シベリア抑留元軍人5人の訴え棄却(「カマキリの会」訴訟

9

2000.12.06

東京高裁、フィリピン女性性奴隷(慰安婦)訴訟棄却

10

2000.12.12

オランダ政府、旧日本軍に抑留された元捕虜・民間人に補償金支給

11

2000.12.13 

米連邦地裁、元連合国捕虜の対日企業訴訟5件棄却

11a

2000.12.27

中国人元強制労働者、中国国内裁判所に日本企業を提訴

11&

2001.02.08

東京高裁、香港軍票訴訟で住民の控訴企画

11b

2001.02.23

宮崎地裁、台湾出身元BC級戦犯の補償請求棄却(林水木事件)

12

2001.02.27

韓国人ら、大戦中の強制労働に関して米国で日本企業提訴

13

2001.03.07

米NY連邦地裁、ナチス強制労働訴訟の棄却を認めず

13a

2001.03.21

民主・共産・社民三党、慰安婦補償法案共同提出

14

2001.03.22

米下院、元米兵捕虜の強制労働訴訟支援法案を提出

15

2001.03.26

東京地裁、韓国人元慰安婦・軍人・軍属の請求を棄却(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟)

16

2001.03.27

大阪地裁、韓国人元徴用工の強制労働賠償請求を棄却(旧日鉄大阪製鉄所事件)

17

2001.03.29

広島高裁、「関釜裁判」の一審判決を逆転

18

2001.04.05

最高裁、在日韓国人元軍属の障害年金訴訟上告棄却(石成基・陳石一訴訟)

19

2001.04.13

最高裁、在日韓国人元軍属の障害年金訴訟2件上告棄却(鄭商根訴訟、姜富中訴訟)

20

2001.04.25

大阪高裁、植民地化朝鮮での生保保険金支払い請求棄却

21

2001.04.26

米政府、「慰安婦訴訟」請求却下の意見書を連邦地裁に提出

22

2001.05.10

米での集団訴訟権事実上消滅 ナチス強制労働被害者基金、補償金支払い開始にメド

23

2001.05.22

豪政府、日本軍の元捕虜に補償金支払いへ

24

2001.05.22

独企業、ナチス政権下の強制労働補償金支払い決定

25

2001.05.30

東京地裁、中国人「慰安婦」一次訴訟請求棄却

26

2001.05.30

ナチス強制労働被害者補償、ドイツ議会支払い承認

26a

2001.06.01

大阪地裁、在外被爆者への健康管理手当支給を国に命じる(郭貴勲事件)

27

2001.06.26

花岡事件被害者の一部が和解拒否、独自に米で提訴へ

28

2001.06.29

韓国籍の元軍人らの遺族、靖国合祀の中止を求め提訴

29

2001.07.12

東京地裁、終戦知らず13年逃亡の強制連行中国人に賠償認める(劉連仁事件)

30

2001.07.13

アジア女性基金、オランダ人元慰安婦へ「償い」終了

31

2001.07.16

中国人の元慰安婦8人、国を提訴

32

2001.07.18

田中外相、パウエル国務長官に、米下院の強制労働補償法案を質す

33

2001.07.18

米下院可決、元米捕虜の対日企業訴訟に政府が反対することを「禁止」

 34

2001.07.23

強制連行の劉さん国家賠償訴訟、国が控訴 

35

2001.08.09

韓国の犠牲者遺族団体、日本統治時代の被害補償を韓国政府に要求

36

2001.08.23

京都地裁浮島丸訴訟で判決、国に4,500万円賠償命令
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(5a) 2002年10月30日 野党三党、それぞれ元慰安婦問題解決促進法案を提出

  参院の民主、共産、社民3党は30日、元従軍慰安婦に対する国の謝罪と補償を柱とする「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」をそれぞれ参院に提出した。3法案は「国の責任」による金銭支給などを通じた名誉回復措置を求めている点では共通ているが、共産党案ではさらに「女性に対する暴力の撤廃」を明記した前文を盛り込み、社民党案では慰安婦問題などに関する資料の収集・保存義務を規定している。3党は法案一本化に向けた協議を行う方針。(毎日新聞2000年10月31日朝刊)

 参院の民主、共産、社民の野党三党は30日、元慰安婦の「問題解決を促進する法案」をそれぞれ提出した。三党の各法案は大筋で同様の内容で、政府が(1)性的行為を強制されたとされる元慰安婦に対して謝罪の意を表す(2)名誉回復のために「金銭の支給を含む」必要な措置を講ずる、などが柱となっている。

 政府による「謝罪」を規定する法案が提出されたことで、韓国や中国が対日外交で繰り返して主張してきた”謝罪カード”が再燃する可能性もでてきた。

 さらに、村山富市元首相が理事長を務める「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)が目指している「償い金」支給再開の動きとの整合性も問われることになりそうだ。

 各法案はいずれも、慰安婦問題について「旧陸海軍の直接、または間接の関与」による「組織的かつ継続的な性的な行為の強制」が行われたと断定。政府が「尊厳と名誉が著しく害された」女性への「謝罪」と「名誉回復に資する措置」を行うと規定している。

 対象者について民主案は外国籍に限定しているが、社民、共産案は国籍条項を設けていない。各党案ともに支給金額は未定で、明記していない。(産経新聞2000年10月31日朝刊)

なお、関連項目(13a)(46b)(72)参照。 

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(6) 2000年11月7日 英政府、旧日本軍による自国捕虜に補償金支給

 英国政府は7日、第二次大戦中に日本軍の捕虜として強制労働など苛酷な扱いを受けた英国軍人らに、一人あたり1万ポンド(約160万円)の補償金を支給すると発表した。対象になるのは元捕虜および民間抑留者と、すでに死亡した者の配偶者の計1万6700人で、補償総額は1億6,500万ポンド(約265億円)に上る見込み。植民地軍の兵士にも適用される。

 歴代の英政権は、他の戦争参加者に同様の補償要求が広がるのを警戒して、この問題を先延ばしにしてきたが、ルイス・ムーニー国防相は「日本軍にとらわれた元捕虜が置かれた苦難と特殊な状況を考慮すれば、特別な措置で報いるのがふさわしい」と述べた。元捕虜の高齢化が進んでいるのと、英国の対日感情悪化の要因にもなっていることから、補償を決断したと見られる。

 英国防省によると、日本軍の捕虜となったもの5万16人、うち抑留中に死亡または殺されたもの1万2,433人という。日本政府はサンフランシスコ講和条約に基づき、英国人の元捕虜には一人76ポンド(現在の価値で約1,200ポンド)を払った。英政府も、法的にはサンフランシスコ講和条約によって決着しているとして、日本への新たな賠償請求は行わない姿勢を明確にしている。また、この問題に関して日本は1998年、当時の橋本首相がブレア首相に、元捕虜の孫の奨学金支援を約束するなど、交流拡大に努める考えを示している。

 今回の決定は、捕虜団体と野党もこれを歓迎している。しかし、日本政府に損害賠償を求める訴訟(東京高裁で係争中)の原告の元捕虜団体代表アーサー・チザリントンさんは「補償は大変喜ばしいが、日本政府ではなく英国政府なのが残念だ。日本はせっかくの正義を示すチャンスを失ったのではないか。今後も、明確な言葉による謝罪と、賠償を求めて行くことに変わりはない」と話している。(参照:朝日新聞2000年11月8日;CNN.co.jp,11.8;Yahoo!UK,BBC News,November7)

 【補遺】 毎日Interactiveで検索した毎日新聞10月27日、11月8日の記事によって以下を補充しておく。英国の主要紙はすでに10月26日に、英政府が補償金を支払うことで合意した、とを報じた。元捕虜らは英政府に1人1万ポンド(約160万円)の補償金を求めていた。最近、カナダや英領マン島などが同問題で一時金支払いを決めたため、英政府も救済措置を検討していた。 

 決定に対し、日本政府に損害賠償を求めてきた「日本軍強制収容所生存者協会」(アーサー・ティザリントン会長)は同日、訴訟を取り下げる意向を明らかにした。(この点については、上記の朝日新聞の記事とくい違っている。)

 なお、オランダ(10)、オーストラリア(23)も参照。

(7) 2000年11月29日 花岡事件訴訟、東京高裁で和解成立

 1944年から45年にかけて秋田県大館市の花岡鉱山に強制連行された中国人労働者がほう起して多数の死亡者が出た「花岡事件」で、29日、生存者や遺族ら11人が当時の使用者企業の鹿島(旧鹿島組)を相手に1人あたり550万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審の和解が東京高裁(新村正人裁判長)で成立した。日中間の戦後補償裁判で和解が成立するのは初めて。強制連行された986人とその遺族の全体解決を図った和解は、日中両国の友好関係や同種の戦後補償裁判にとって大きな一歩となる一方、強制連行を政策として進めた国の責任を改めて問うものとなる。(朝日新聞2000年11月30日朝刊) 

 【花岡事件】

 太平洋戦争中の1944年8月から45年6月までに、986人の中国人が強制連行されて秋田県大館市の花岡鉱山にあった鹿島組(現・鹿島)花岡出張所の中山寮(ちゅうざんりょう)に収容、花岡鉱山の七ツ館鉱床の上を流れる花岡川の水路変更工事に当たった。長時間の重労働や鹿島組の補導員らによる暴行、虐待などで死者が相次ぎ、耐えかねた中国人労働者が耿諄さんを大隊長にして45年6月30日にほう起。日本人補導員4人、中国人1人を殺害したが、憲兵隊らによって鎮圧された。この事件後の拷問による死者を含め、44年8月から45年11月までの中国人死者は418人に上った。戦後の横浜のBC級戦犯裁判で当時の花岡出張所長ら6人に対して絞首刑を含む判決が下されたが、その後、絞首刑は無期に減刑され、全員が釈放された。(朝日新聞11月29日朝刊、同1990年7月6日朝刊により補正)

 【裁判の経緯】

 昨年9月、東京高裁が日中間の戦後補償裁判では初めて職権で和解を勧告してから和解協議は20回を数えた。支払い額などをめぐって双方の隔たりは大きく、暗礁に乗り上げた時期もあったが、同高裁が「20世紀中の解決」を目指して説得を続けた結果、合意に至ったという。

 耿さんらは1989年、鹿島側に対して謝罪を求めた。その後、90年に鹿島が事件の責任を認める共同声明を出したが、補償についての話し合いが難航したため、耿さんらが95年6月に提訴した。中国人が日本企業を訴えた初の戦後補償裁判となったが、一審・東京地裁は97年12月、「強制連行から提訴まで50年近くが経過し、損害賠償請求権は消滅した」として請求を退けたため、耿さんらが控訴していた。(朝日新聞11月29日朝刊)

 事件から55年、提訴から五年余。生存者は高齢化し、原告11人のうち3人が亡くなった。花岡事件をめぐる和解協議は、鹿島が負担する金額と責任問題をめぐって、行き詰まったり決裂の危機を迎えたりの繰り返しだった。決着にこぎつけた原動力は「20世紀中の問題は20世紀中に解決を」と強く訴えた裁判所と、その熱意に理解を示した双方の決断だった。

  東京高裁が職権で和解を勧告したのは昨年9月。その二ヶ月前に実質的な話し合いが始まった。鹿島が何らかの形で支払う金額をめぐって「2億円」を主張したのに対して、事件の被害者側は「10億円以下では応じられない」。半年以上、すれ違いが続いた。

 そんな中で、同高裁の新村正人裁判長は今年4月、和解案を提示した。鹿島が5億円を信託して基金を設置するという、まったく新しい方式だった。被害者側の弁護団は中国に飛び、当事者や遺族に和解案の内容を説明した。

 弁護団は不安を感じながら「和解による解決が歴史的、社会的に見れば判決よりも価値がある。2000年という記念すべき年に賢明な判断を」という裁判所の意向を伝えた。反発のざわめきが聞こえた。

 しかし、遺族の一人が立ち上がった。「何十回となく話し合いを持ったが、展望が見えなかった。裁判所の具体的な和解案を聞いた今日が一番うれしい」。和解受け入れが決まった。

 その後、鹿島は「3億円」までは譲歩したが、和解条項に法的責任をどう盛り込むかをめぐって、協議は再び空転した。

 鹿島が和解へ大きく動いたのは、10月だった。同社首脳が直接、担当者に解決を促したといわれる。鹿島側は内情を明かさないが、背景には、決裂すれば同社のイメージが落ち、日中間のビジネスにも影響が出かねないことなどがあったようだ。

 11月に入ると、詰めの作業が進んだ。21日には二度にわたって3時間以上話し合い、双方が受け入れに合意した。

 29日、東京高裁で和解が成立した後、被害者側弁護団長の新美隆弁護士は振り返った。「第一歩を踏み出す者が味わう生みの苦しみがあった」。(朝日新聞11月30日朝刊)

 【和解条項の要旨】

 1、当事者双方は、1990年7月5日の「共同発表」(鹿島が強制連行の事実と企業責任を認めて謝罪した内容)を再確認する。鹿島は「共同発表」が同社の法的責任を認める趣旨のものでないと主張し、原告らは了解した。

 2、鹿島は花岡出張所での受難者に対する慰霊の念の表明として、中国紅十字会に5億円を信託する。

 3、鹿島は信託金全額を12月11日までに指定した預金口座に支払う。

 4、中国紅十字会は信託金を「花岡平和友好基金」として管理する。日中友好の観点に立ち、受難者への慰霊や追悼、受難者と遺族の自立、介護、子弟の育英などの資金に充てる。

 5、和解は花岡事件についてすべての懸案の解決を図るもので、受難者や遺族が今後国内外で一切の請求権を放棄することを含む。原告ら以外の者から鹿島への補償などの請求があった場合、中国紅十字会や原告らは責任をもって解決し、鹿島に何らの負担をさせないことを約束する。(毎日新聞11月30日朝刊)

 【東京高裁の所感要旨】

 東京高裁の新村正人裁判長が和解で示した「所感」野要旨は次の通り。

 当裁判所は、原告らの被った労苦が計り知れないものであることに思いを致し、鹿島側もこの点をあえて否定するものでないと考え、和解による解決の道を探ってきた。

 広く戦争がもたらした被害の回復の問題を含む事案の解決には種々の困難があり、立場の異なる双方当事者の認識や意向がたやすく一致し得るものでないことは、事柄の性質上やむを得ないところがあると考えられる。裁判所は、事件に特有の諸事情、問題点にとどまることなく、戦争がもたらした被害の回復に向けた諸外国の努力の軌跡とその成果にも心を配り、すべての懸案の解決を図るべく努力を重ねてきた。

 本日、「共同発表」からちょうど10年、20世紀がその終焉を迎えるにあたり、和解により解決することは、まことに意義があり、原告らと鹿島側との間の紛争を解決するにとどまらず、日中両国および両国国民の相互の信頼と発展に寄与すると考える。当事者双方、中国紅十字会の聡明で未来を見据えた決断に対し、改めて深甚なる敬意を表明する。(日本経済新聞11月30日朝刊)

 

 【1990年の共同声明】

 太平洋戦争末期、秋田県の花岡鉱山に強制連行された中国人が、鹿島組(現鹿島建設)による過酷な労役と虐待に抗議して決起、多く犠牲者を出した「花岡事件」の中国人生存者や遺族代表が平成2年(1990年)7月5日、東京で鹿島建設本社(宮崎明社長)と初の補償交渉を行った。この結果、両者は(1)この事件は鹿島建設にも責任がある(2)補償問題は今後、継続協議することなどを骨子とした共同声明を発表した。強制連行問題を研究している市民グループによると、太平洋戦争当時の中国人・朝鮮人強制連行問題で、企業側がその責任を公式に認めたのは初めてという。

 交渉には、決起時のリーダー、耿諄さん(74)=中国・河南省=ら事件の生き証人、遺族6人と在日の生存者、遺族2人の計8人が出席。鹿島建設側は村上光春代表取締役副社長ら幹部人が出席した。

 鹿島建設本社での約2時間の補償交渉のあと、耿さん、村上副社長が会見し(1)花岡事件は(当時の)閣議決定による強制連行で起きものだが、事件そのものは企業にも責任があり、生存者、遺族に深く謝罪する(2)補償については、今後、双方で代理人を立て、話し合いを続ける、などの共同声明を発表した。

 村上副社長は会見で、「花岡での中国人強制連行、強制労働についてはおわびする。補償金については、(中国側がいっさいの賠償を放棄した)47年(1972年)の日中共同声明もあり難しい問題だが、継続して検討していきたい」と述べた。(朝日新聞1990年7月6日朝刊)

 【第一審・東京地裁判決】

 太平洋戦争末期、秋田県大館市の鹿島組(現鹿島)の花岡鉱山に強制連行された中国人が過酷な労役に抗してほう起、多くの死者を出した「花岡事件」の中国人生存者と遺族計11人が、鹿島に総額6000万円の賠償を求めた訴訟で、東京地裁(薗部秀穂裁判長)は平成9年(1997年)12月10日、耿諄さん(83)=中国河南省=ら原告の請求を棄却する判決を言い渡した。原告側は近く控訴する方針。

 判決の中で薗部裁判長は、最も遅い原告でも昭和23年3月には中国に帰国して強制連行状態から脱したと指摘。「強制連行など不法行為の終了から提訴まで47年がたち、原告らの損害賠償請求権は20年の除斥期間の経過により消滅した」と判断した。

 また鹿島の安全配慮義務につき、園部裁判長は「義務が認められる根拠は、使用者と労務提供者との間に労働契約などの法律関係があること」と指摘した。これに照らすと、中国人の強制労働は「強制連行、強制労働という『支配の事実』に過ぎず、安全配慮義務を基礎づけるものとはいえない」とした。

 事件の生存者や遺族と鹿島は平成2年、「事件は鹿島にも責任があり、補償については継続協議する」と共同声明を発表。しかし補償交渉が決裂し、生存者らは7年6月に提訴した。

 原告側は「鹿島は俘虜の人道的取り扱いなどを定めた国際条約に違反し、安全な労働環境を整える配慮義務を怠った」と主張。

 鹿島側は「強制労働や虐待行為は戦争に起因し、国家の戦争政策の一環としてなされたもので法的責任はない」と反論していた。

 東京地裁は今年2月、本人尋問など事件の事実審理を行わないまま審理を打ち切っていた。

 鹿島広報室の話し 「花岡での出来事は戦争という特殊・異常な状況の中で起きた不幸な出来事だった。判決に従いたい」(産経新聞1997年12月11日朝刊)

 

 【追記】 なお、三菱広島・元徴用工被爆者裁判を支援する会のサイトの戦後補償裁判いろいろ紹介欄「花岡事件ー高裁で和解成立」のページ( http://ha2.seikyou.ne.jp/home/nkhp/hanaowak.htm )に、和解条項、新美隆弁護士の声明、強制連行・企業責任追求裁判全国ネットワークの声明、朝日新聞・毎日新聞・共同通信のニュース速報記事が掲載されている。また、最近(2002年5月?)起ち上げられた中国人強制連行を考える会・花岡事件のホームページ( http://www.jca.apc.org/hanaokajiken )は非常に充実しており、もちろん和解条項その他の資料も資料編に収録されている。

 【登載判例集】

 第一審(東京地裁1997.12.10)判例タイムズ988号

 なお、後記(27)および(60a)参照。

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(8) 2000年11月30日  東京高裁、元慰安婦在日韓国人の控訴棄却(宋神道訴訟)

 日中戦争中、旧日本軍の従軍慰安婦にされて精神的、肉体的苦痛を受けたと主張し、在日韓国人の宋神道(ソンシンド)さん(78)=宮城県在住=が国に謝罪と1億2000万円の損害賠償を求めた訴訟で、東京高裁は平成12年(2000年)11月30日、請求を棄却した東京地裁判決を支持し、宋さんの控訴を棄却した。鬼頭季郎裁判長は「従軍慰安婦の設置、運営については、当時の強制労働条約、醜業条約に対する違反行為がある場合もあった」と国際法上の国家責任を認めたが、個人に対する賠償義務は否定した。元従軍慰安婦が国に賠償を求めた訴訟の控訴審判決は初めて。

 判決は、国家責任を解除し、被害救済をする選択肢の一つに補償立法の制定を挙げたが、「補償立法を行うかどうかの判断は、国会の裁量に属する立法政策判断で、その義務があるとは言えない」と国家賠償法上の違法性を認めなかった。

 また、判決は、宋さんについて「日常的に長期にわたり旧日本軍軍人に対する強制的売春を強いられた」と認めた。そのうえで「慰安所経営者と旧日本軍人の個々の行為の中には不法行為を構成する場合もなくはなく、国に民法上の監督者責任に準ずる不法行為責任が生じる場合もあり得たことは否定できない」と指摘したが、「民法上の賠償請求権はすでに消滅している」と宋さんの主張を退けた。(毎日新聞2000年12月1日)

【参考】 第一審・東京地裁の判決

 日中戦争中に中国で旧日本軍の従軍慰安婦にされて精神的、肉体的苦痛を受けたとして、名乗り出ている韓国籍の在日朝鮮人で現在ただ一人の宋神道(ソンシンド)さん(76)=宮城県在住=が日本政府を相手に1億2000万円の損害賠償と謝罪文の公布、国会での公式謝罪を求めた訴訟で、東京地裁は平成11年(1999年)10月1日、請求を棄却する判決を言い渡した。成田喜達裁判長は「原告は各地の慰安所で意に沿わないまま従軍慰安婦として軍人の相手をさせられた」と認定したが、「個人が直接、国家に損害賠償などを求める国際慣習法は当時は存在せず、20年の民法上の請求権もすでに消滅した」と述べた。

 判決は「国際法は国家間の権利義務を定めたものだ」などと述べ、「奴隷を禁じた国際慣習法や強制労働に関する条約などの国際法に違反する」とした原告側の主張を退けた。また、補償立法を怠ったとする主張については「慰安婦とされた人々は言語に尽くしきれない苦痛と悲惨さを伴ったと推測され、国が何らかの救済手段を設けることは国会の立法裁量の選択肢の一つ」としながらも、「憲法上の立法義務があるとはいえない」とした。

 宋さんは1938年、16歳のときに占領直後の中国・武昌の軍慰安所に連れて行かれ、23歳まで戦地を転々と連れ回されたとして93年4月、国に謝罪を求めて提訴。その後、「戦争を指揮命令した軍人の恩給を下回らない金額を支払うべきだ」として損害賠償請求を追加した。

 判決後、記者会見した宋さんは「謝罪もない、反省もない。何のために戦争に巻き込まれたかわからない」と怒りをあらわにし、涙をぬぐった。(朝日新聞1999年10月1日夕刊)

 【登載判例集】

第一審(東京地裁1999.10.1)訟務月報48巻3号(第二審判決の後に参考として)

第二審(東京高裁2000.11.30)判例時報1741号、訟務月報48巻3号

 なお、最高裁判決(95)参照。また、慰安婦補償法案の国会提出・審議の動きについては、(5a)(13a)(72)参照。

(8a)2000年12月1日 大阪地裁、シベリア抑留元軍人5人の訴え棄却(「カマキリの会」訴訟)

 シベリアに抑留された元軍人5(カマキリの会、事務局長=豊中市在住の池田幸一氏)が、1999313日のシベリア抑留訴訟最高裁判決(55)の補遺参照)にどうしても納得がいかないとして、弁護士に頼らず自分たちで訴状を書き上げ、199941日大阪地裁に提訴していた裁判で、2000121日原告請求全面棄却の判決があった。原告は1218日、大阪高裁に控訴した。(山手―新聞報道が見当たらないため、以上は私の文章。)

なお、控訴審判決(67)参照)。

 

 (9) 2000年12月6日 東京高裁、フィリピン女性の性奴隷賠償訴訟控訴棄却 

  太平洋戦争中、旧日本軍が占領していたフィリピンで「従軍慰安婦」(注1)にされて性的暴力を受けたとして、フィリピン人の女性46人=うち10人が提訴後に死亡=が日本政府を相手に1人あたり2000万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は平成12年(2000年)12月6日、請求を全面的に退けた一審・東京地裁判決(1998年10月9日)を支持し、女性側の控訴を棄却した。新村正人裁判長は、一審と同様、女性らに法律上の損害賠償請求権が存在しないことを理由として説明し、実際の被害状況などの認定には踏み込まないまま主張を退けた。女性側は上告する方針。

 判決理由で、新村裁判長は「戦争における軍隊の違法な行為の処罰、加害国家の責任、被害者に対する賠償などの問題は国際法の枠組みで解決されるべき事柄」としたうえで、「被害者に賠償をするかどうかは極めて政治的な要素を伴う国家の判断であり、法を適用する司法判断とはそもそも範疇を異にするものだ」と述べた。立法によらず、司法の場で救済することの困難さを改めて示すものとなった。

 判決は、旧日本軍の行為を「国家の権力的作用による公法的色彩が強い」として、旧憲法下では国の権力的作用では国が民法上の損害賠償責任を負うことはないとする「国家無答責」の原則を挙げて請求権を否定。「仮に請求権があるとしても、請求できる期間は過ぎており、消滅している。戦後のフィリピンの政治情勢のもとで個人の権利主張が困難だった事情は理解できるが、それを理由に期間は延ばせない」と述べた。

 さらに、「個人の生命」尊重などを交戦国に求めた「ハーグ条約」を根拠とした請求権も認めなかった。女性側は控訴審段階から「国会議員には救済のための立法を怠った違法がある」とも主張したが、判決は「国会議員は立法に関して原則として国民に政治的責任を負うにとどまり、法的義務はない」と退けた。(朝日新聞2000年12月6日夕刊)

 (注1) このケースにおいて「慰安婦」という言葉を使用することは適当ではない。原告らはいいずれも日本軍人によって拉致・暴行・監禁されて性的奴隷状態に置かれたものであり、対価を得て日本兵を「慰安」した「慰安婦」ではない、と彼等は主張しているからである。

【参考】 第一審・東京地裁の判決

 第二次世界大戦中、旧日本軍の慰安婦にさせられ暴行を受けたとして、フィリピン人女性46人(うち7人は既に死亡)が国に1人当たり2000万円、計9億2000万円の補償を求めた訴訟で、東京地裁は9日、請求を棄却した。市川頼明裁判長は「国際法は国家間の関係を規定し、被害者個人の損害賠償請求権は認められない」と、国際法などに基づく賠償責任を否定した。さらに、両国の国内法でも損害賠償請求権は既に消滅したと判断した。従軍慰安婦をめぐっては韓国人女性3人への損害賠償を認めた山口地裁下関支部の「関釜裁判」(今年4月)に続く判決だが、今回は事実認定に踏み込まないまま、訴えを事実上門前払いした。原告側は控訴する。

 原告側が、日本軍による性的虐待が個人の生命尊重を義務づけたハーグ条約(日本は1912年に批准)に違反し、国際慣習法の「人道に対する罪」に当たると主張していたのに対し、国側は「国際法は国家間の権利義務を定めたもので個人に請求権はない」と反論し、国際法を個人に適用できるかどうかが最大の争点になった。

 判決は「個人の権利を侵害した違反行為については、その個人が所属する国家が被害を与えた国家に個人の損害賠償を請求することになる」との見解を示した。そのうえで、ハーグ条約の起草過程に触れながら「個人に損害賠償請求権を与えているとは言えない」と述べ、「個人の被害回復を直接求めるには特別の国際規範が存在しなければならない」と指摘した。

 国際慣習法の「人道に対する罪」についても「国家が被害を受けた個人に直接国家賠償責任を負うという国際的な慣行が成立しているとは認められない」と判断した。

 さらに判決は、旧日本軍の不法行為にフィリピンや日本の民法が適用できるとの原告側主張についても、主権の効力が及ばないことや、20年で損害賠償請求権が消滅する除斥期間が成立しているとして退けた。(毎日新聞1998.10.09大阪夕刊)

【登載判例集】

第一審(東京地裁1998.10.9)判例時報1683号、判例タイムズ1029号、訟務月報45巻9号

第二審(東京高裁2000.12.6)判例時報1744号、判例タイムズ1066号、訟務月報47巻11号

 なお、関連事項(46)(58)、最高裁判決(116a)参照。

                                                               

 (10) 2000年12月12日 オランダ政府、旧日本軍に抑留された民間人・捕虜に補償金支払い  

 オランダ政府は12日、第二次世界大戦中に旧日本軍が占領したオランダ領東インド(現インドネシア)で収容所に抑留されるなどしたオランダ人に対し、3億8,500万ギルダー(約171億円)の賠償金を払うことで、抑留者団体と合意した。

 旧日本軍によって収容所に抑留された民間人と捕虜は約13万人にのぼるとみられている。抑留者達は収容所での虐待や強制労働で苦労しただけではなく、インドネシア独立で帰国した後も、差別されたとして、政府に賠償を求めていた。賠償の対象者は約10万人。3,500万ギルダーは抑留者のための事業に使われるが、残りは個人に分配される。

 日本とオランダ政府はともに、戦後補償問題は解決済みとの立場をとっているが、オランダ人の元捕虜らが日本政府を相手取って訴訟を起こすなど、両国間の「歴史問題」は完全には清算されていない。(朝日新聞2000年12月14日夕刊)

 オランダでは、第二次大戦後の復興期に、ナチス・ドイツの占領下で苦しんだオランダ本国人と、約350年に及ぶ植民地の支配者として君臨したうえで旧日本軍の強制収容所に抑留された旧オランダ領東インドからの引き揚げ者との間で、生活習慣の違いなどから社会的な摩擦が起きた。少数者の立場に置かれた引き揚げ者が雇用条件などで冷遇され、現在も社会的なしこりが残っている。今回の補償金支払いは、こうしたオランダの国内問題に対応した措置。……

 オランダ保健福祉スポーツ省の報道官によると、補償金のうち、約3億5,000万ギルダーについては約10万人が存命しているとみられる引き揚げ者などに対する個人補償として1人当たり約3,500ギルダー(約15万7,500円)ずつを配分。残る約3,500万ギルダーは引き揚げ者の体験を次世代に向けて記録する教育文化事業などに充てられる。支給開始は年明け以降になる見通し。(産経新聞2000年12月19日朝刊)

 なお、イギリス(6)、オーストラリア(23)も参照。

 

(11) 2000年12月13日 米連邦地裁、日本企業に対する元連合国捕虜の訴え5件棄却

 第二次大戦中に日本軍の捕虜になった人々が強制労働の賠償を日本企業に求めた訴訟について、米サンフランシスコ連邦地裁のボーン・ウォーカー判事は12月13日、元連合国軍人を原告とする5件を棄却する新たな決定を下した。

 同判事は今年9月21日、サンフランシスコ平和条約14条(連合国による対日賠償権の放棄)を論拠として、元連合国軍人が訴えた12件を棄却したが(上記(4)参照)、その時点で今回の5件は同判事のもとへの審理移行手続きが完了しておらず、正式決定が持ち越されていた。今回の決定により、サンフランシスコ平和条約の締約国である連合国の元軍人が訴えた計17件(9月21日の決定についての報道では13件とされており、今回と合わせて計18件になるはずであるが、この食い違いの理由は分からない―上記(4)参照)はすべて棄却され、戦後補償は同条約で解決済みとしてきた日米両政府の立場を支える司法判断が確認された。

 新たな棄却決定が下されたのは、元米軍人と家族が原告となった4件と、英国、オランダの元軍人(現在米市民)らが原告の1件で、被告は三井グループや新日鉄、石原産業などである。

 なお、13日の審理では、第二次大戦中に日本の占領下にあったフィリピンや海南島、さらに日本内地の炭鉱や農園などに連行されたフィリピン、中国、韓国の民間人を原告とする11件について原告・被告双方が口頭弁論を展開した。

 被告・日本企業側代理人の一人マーガレット・ファイファー弁護士は、まず「フィリピンはサンフランシスコ平和条約を批准しており、原告に対日賠償請求権はない」と断じた。同条約の締約国ではない韓国や中国についても、両国がその後日本との間で結んだニ国間条約や協定がサンフランシスコ条約の枠内にあると指摘。したがって「請求権を放棄したとみなされる」との議論を展開した。

 参考人として陳述した米司法省代理人も、訴訟を可能にしたカリフォルニア州法自体が合衆国憲法に反するとし、「米国と日本、および韓国、中国、フィリピンとの関係をも台無しにしてしまう」と警告した。

 原告側には「72年の日中共同声明や78年の日中平和友好条約、さらに65年の日韓請求権・経済協力協定のいずれも賠償問題には言及していない」(パトリック・ダニエルズ弁護士)といった反論もあるが、口頭弁論ではむしろ、「奴隷労働や虐待に対しての損害賠償請求は国際法上も保障されたものだ」(ジョン・ブラーコ弁護士)との議論を強調した。

 原告側は、ウォーカー判事が棄却した元連合国軍人の訴訟をすべて控訴する構えだ。

 戦時中に鹿島組(現鹿島)の鉱山で強制労働させられた中国人のほう起で多数の死者が出た「花岡事件」をめぐる東京高裁での訴訟が先月29日、鹿島側が5億円を拠出して基金を設立することで和解が成立したことに関心を示す原告側弁護士は少なくない。その一人、スコット・ウェルマン弁護士は「日米両政府が任命する特別調停者による和解なら納得できる」と話した。(産経新聞2000年12月14日夕刊、16日朝刊)

 

 【大戦中の強制労働、日本側賠償解決済み、米政府が意見書】

 第二次大戦期に強制労働させられた中国人や韓国人が、サンフランシスコの連邦地裁で日本企業に損害賠償を求めている問題で、米国政府が「こうした国と日本との賠償問題は二国間条約で解決済み」として、原告らの訴えを認めない旨の意見書を同地裁に提出していたことが、16日明らかになった。

 日本企業の強制労働問題で、同地裁は今年9月21日、やはり米政府が提出した意見書などに沿って、元米兵捕虜ら連合国国民の訴えを棄却しており、今回の意見書は、連合国以外の国民が原告となっている訴訟の司法判断にも大きな影響を与えそうだ。

 米政府は、中国や韓国の国民が石川島播磨重工業、新日鉄、三井、三菱グループを訴えている6件の訴訟に絡み、今月13日に意見書を提出。その中で、同大戦期の強制労働について米国の法廷で賠償を求める道を開いたカリフォルニア州の法律(昨年7月制定)を、「外交政策策定に関する連邦政府の権限を侵し、日米関係を混乱させるもの」と断じた。

 そのうえで、サンフランシスコ平和条約に加わっていない中国や韓国の国民の請求について、「サンフランシスコ平和条約は日本に対し、中国や韓国との賠償をめぐる問題についても各国政府との二国間条約で解決するよう求めており、日本はそれを果たした」とし、「こうした各条約の枠組みが崩れた場合、日本と米国および他国との関係に重大な結果をもたらす」との見解を示した。

 米国では来月、政権が交代するが、ジョージ・ブッシュ次期大統領の共和党陣営は「日米関係の重視」を打ち出しており、クリントン政権の今回の見解が覆される可能性は低いと見られる。(読売新聞2000年12月17日朝刊)

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(11a) 2000年12月27日 中国人元強制連行労働者、中国国内裁判所に日本企業を提訴

【北京28日=伊藤正】二十八日付の中国法律専門紙「法制日報」によると、第二次大戦中、日本に連行され、鉱山などで労役を強制されたとして北京などに在住する中国の元労働者十三人と遺族一人が二十七日、当時の日本企業五社に損害賠償を求める集団訴訟を、石家荘の河北省高級人民法院(高裁)に起こした。戦時中の強制連行に対する訴訟は中国国内では初めて。

 訴えられたのは熊谷組、住友石炭鉱業、住友金属鉱山、鹿島、日鉄鉱業。これら五社は、旧日本軍と協力して一九四三−四五年に原告らを河北省内から日本に強制連行し、それぞれの生産現場で無賃労働を強い、精神的、肉体的虐待を与えたとして、一人当たり百万元(約千四百万円)の賠償金支払いと日中双方の新聞への謝罪文掲載を求めている。

 強制連行・労働をめぐる中国人労働者の賠償請求訴訟は、秋田県の花岡鉱山で働かされた中国人労働者が重労働に耐えかねて決起、四百人以上の犠牲者が出た「花岡事件」で、十一人の生存者と犠牲者の遺族が鹿島を相手取り、東京地裁に集団提訴した例など、日本国内では過去五年来、十数件ある。

 花岡事件裁判では、一審で時効などを理由に原告が敗訴した後の控訴審で、東京高裁の勧告を鹿島側が受け入れ先月末、和解が成立したが、中国国内での裁判では日本側に不利な判決が出る可能性が高いとみられている。原告弁護団は、中国国内での訴訟に踏み切った理由として、原告らが連行された場所が国内だったことを挙げている。

熊谷組の話 「訴状が届いてから内容を吟味し、会社としての対応を決めたい」(産経新聞2000年12月29日朝刊)

  (11&) 2001年2月8日 東京高裁、香港軍票訴訟で住民の控訴棄却

 第二次大戦中、旧日本軍が発行した紙幣「香港軍票」が終戦で無価値となり財産を失ったとして、香港の市民団体「香港索償協会」の呉溢興代表(六六)ら住民十七人が日本政府を相手取って総額約七億六千八百万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁(小川英明裁判長)は八日、「国際法上や国家賠償法上でも原告側の請求には理由はない」として、一審判決を支持、原告側の控訴を棄却した。

 判決では、交戦当事国間の権利義務関係を定めたハーグ条約や国家賠償法などについて「国際法では法律上の主体性が認められるのは個人ではなく国家であり、国家賠償法上でも請求は現行法施行以前で根拠がない」とした。

 判決などによると、旧日本軍は第二次世界大戦中に香港で軍票を発行し住民に香港ドルと強制的に交換させた。終戦で日本政府は昭和二十年九月、軍票は無効として使用を禁じたため、住民十七人は所有する軍票の総額約三百万円を時価に換算した約六億円と、一人につき一千万円の慰謝料を求め、平成五年に提訴していた。(産経新聞2001年2月9日朝刊)

【参考】 第一審東京地裁判決(平11.06.17)

 第二次大戦中、旧日本軍が発行した紙幣「軍票」をめぐり、香港の住民十七人が終戦で無価値となり財産を失ったとして、日本政府を相手取り、総額約七億六千八百万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が十七日午前、東京地裁であった。西岡清一郎裁判長は「軍票は日本政府の声明により、一切が無効、無価値になっており、債務不履行に基づく損害賠償請求には理由がない」として、原告の請求を棄却した。

 訴えていたのは軍票の補償要求運動を続けている香港索償協会の呉溢興代表(六三)ら。協会には二千九百世帯が加盟し、全体では額面総額で五億四千万円の軍票を所有しているという。判決で西岡裁判長は香港ドルと軍票の交換が強制的に行われ、所持者が損害を被ったことを認めたが「損害は戦争犠牲、戦争損害であり、補てんするかどうかは最終的には立法政策の問題」とした。

 訴えによると、呉代表らは一九四一年十二月から敗戦まで香港を占領していた旧日本軍によって、香港ドルを強制的に軍票に取り換えさせられた。香港に戦後に進駐した英国政府は軍票の流通を禁止。香港ドルとの換金もできず、軍票は無価値となった。しかし、日本政府はサンフランシスコ平和条約で解決済みとして何らの補償もしなかった−としている。

 原告側は、日本政府は住民に補償する義務があると主張し、補償と一人一千万円の慰謝料を求めていた。

 判決後、記者会見した原告と弁護団は控訴する方針を明らかにした。(産経新聞1999年6月17日夕刊)

【登載判例集】 

 第一審(東京地裁平11.6.17) 訟務月報47巻1号

 第二審(東京高裁平13.2.8)

 第三審(最高裁平13.10.16)

なお、最高裁判決(46&)参照。

 

(11b) 2001年2月23日 宮崎地裁、日本在住元台湾人BC級戦犯の補償請求棄却(林水木事件)

 第二次大戦中に旧日本陸軍の捕虜収容所で監視員(軍属)として勤務し、戦後BC級戦犯として服役した台湾出身の林(はやし)水木(みき)さん(75)=宮崎県佐土原町=が国を相手に約11年間の拘束に対する2500万円の補償と謝罪などを求めた訴訟の判決が23日、宮崎地裁であった。横山秀憲裁判長は「補償を定める立法が存在しない以上、具体的な救済は困難」として請求を棄却したが「原告の心情は理解でき、適切な立法措置を期待する」と意見を述べ、国会に早期の補償立法を促した。

 朝鮮半島出身の元BC級戦犯と遺族が損害賠償などを国に求めた訴訟では、東京高裁が1998年、請求は棄却したものの補償立法を国会に求める意見を付けており、これに準じた判決となった。

 林さん側は「植民地支配下で『皇民化』教育を受けた。絶対服従が義務づけられた上官の命令に従って戦犯となり、国の戦争責任を肩代わりさせられた」と主張。(1)服役は台湾が当時植民地だったことによる「特別の犠牲」。公共のために特別の犠牲を受けた場合は憲法29条3項(私有財産の補償)に基づき補償請求できる(2)立法がなくても「条理(正義、公平の普遍的な原理)」により国は補償する義務がある――と訴えた。

 これに対し国側は「戦争で受けた損害を補償する法律を作るかどうかは国会の裁量」と反論した。

 判決で横山裁判長は「戦争による犠牲の補償は憲法の想定外」とし、条理に基づく補償についても「憲法からは導かれない」と退けた。しかし「原告は服役中、筆舌に尽くしがたい辛苦を味わった。遠因は日本の台湾植民地化政策にあることは否定できない」とし「補償立法のらち外に置かれ不満を持った心情は理解できる」と林さんの気持ちを酌んだ。

 また、国が補償立法をしなかったことの違法確認を求める訴えは「違法確認をしても、立法府に補償立法の義務を課すものではなく、訴えの利益がない」として却下した。

 判決などによると、林さんはボルネオ島(現インドネシア)で、42年7月〜45年6月は旧陸軍の捕虜監視員として、45年6月〜46年1月は軍人として勤務。46年1月、ラブワン島(現マレーシア)での軍事法廷で監視員だった時の行動を問われ「捕虜を虐待した」として禁固15年の判決を受けた。56年8月に仮釈放された後は日本で生活し、72年に日本国籍を取得した。

 日本人の元BC級戦犯は軍人であれば恩給の対象で、国家補償が認められる。林さんは74年と84年に軍人恩給の支給を国に請求したが、軍人在職年数が満たないため棄却された。「日本のために働き戦犯となったのに何の補償もないのはおかしい」と98年、台湾出身の元BC級戦犯としては初めて国家補償を求め提訴した。【桐山友一】(毎日新聞2001年2月23日西部夕刊)

本件の控訴審判決(64a)、最高裁判決(127)参照。

なお、上記記事にも一部出てくるが、韓国人元BC級戦犯の訴訟が2件あり、最高裁判決まで出されている。後記(48a)参照。

 

 (12) 2001年2月27日 韓国人ら、大戦中の強制労働に関して米国で日本企業提訴

 第二次大戦中に日本軍に連行され、強制労働をさせられたなどとして、ロサンゼルス在住の韓国人男性ら4人が27日、旧財閥系の三井、三菱グループに対し損害賠償を求める訴えをロサンゼルス郡州上級裁(地裁)に起こした。同様の訴訟をめぐっては、捕虜となった元連合国の軍人らによる17件はすべて棄却されたが、中国人ら民間人が原告となった11件については裁判所の判断が留保されており[ 山手注―上記(4)および(11)参照]、今回の動きには一連の訴訟を有利に運ぶ戦術のひとつとの見方も出ている。

 訴状などによると、原告の4人は戦時中、反日思想を持っているとして日本軍に連行され、炭鉱や工場、造船所などで強制労働に従事させられた。労働は連日、長時間にわたり、暴行を受けたり満足な食事を与えられないなど、極めて非人道的だったとしている。

 訴訟は4人の個人名だけでなく、同様の体験をした韓国人被害者を代表する形をとっている。[中略]

 原告側は「65年に(経済協力などの)日韓協定が交わされたが、個人は何の補償も受けていない。条約で個人の権利が制約されることはない」と主張。日本は戦争犯罪を隠したり正当化せず、謝罪し補償金を払うべきだ、としている。(産経新聞2001年3月1日朝刊)

 

 

(13) 2001年3月7日 米NY連邦地裁、ナチス強制労働訴訟の棄却を認めず

 【ニューヨーク8日=青木伸行】ナチス・ドイツ時代の強制労働被害者に対する補償問題で、米ニューヨーク連邦地裁は7日、ドイツ銀行など企業に対する集団訴訟権を事実上認める判断を下した。被害者に対する補償をめぐってドイツ政府と企業は昨年7月、総額百億マルク(約5千7百億円)にのぼる補償基金「追憶・責任・未来」を共同で設立し、ユダヤ人などの強制労働被害者に一人当たり5千〜1万5千マルク(約29万〜87万円)の補償金を支払うことで被害者団体と合意した(上記(3)参照)。

 しかし、ニューヨーク地裁は「現時点で訴訟を棄却すれば原告(被害者)が公正な補償を受けることができない可能性がある」として、補償請求を棄却することはできないと判断。基金はドイツ政府と企業が半分ずつ出資することになっているが、企業の出資状況は思わしくなく、被害者への補償金の支払いは遅れているとしている。[以下省略](産経新聞2001年3月9日)

 

【米での集団訴訟 独に広がる失望感――「かえって支払い遅れる」――】

 【ベルリン8日=関厚夫】米ニューヨーク連邦地裁が7日、ナチ政権下の強制労働被害者の集団訴訟権を事実上認めたことで、ドイツの補償基金「追憶・責任・未来」や政府関係者の間に失望感が広がっている。主に米国や東欧、旧ソ連に在住する被害者への補償金支払いがさらに遅れるのは確実な情勢だ。また今後、集団訴訟で賠償を認める判決が相次げば、基金の存在意義そのものがなし崩しになる可能性さえある。

 補償基金設立によって集団訴訟を法的に回避できるか否かは、ドイツ側の最大関心事だった。昨年7月のドイツと米政府、被害者団体の最終合意では「米政府が国内の裁判所に対し、補償基金が請求の受け皿であることを明確にするよう求める」という内容を盛り込むことで集団訴訟権は喪失する、としていた。

 しかし、米国では国内法で集団訴訟に道を閉ざしでもしない限り、裁判官の判断を拘束することが困難だ。このため合意の実効性を疑問視する見方があり、昨年末に開始する予定だった補償金の支払いが大幅に遅れる要因となった。

 補償基金の総額は百億マルク(約5千7百億円)で、独政府と企業側が折半する。企業負担分については全体の約7割しか集まっていない。企業側に、「基金に拠出しても集団訴訟の対象になり、結局、二重に賠償金を支払うことになる可能性がある」との不安が消えなかったことが主な理由だ。

 さらに独側は基金の創設にあたって運用に関する法律を制定したが、そのなかに「独企業の(集団訴訟に対する)法的保護が十分に確立されたときをもって補償金の支払いを開始する」とする条項がある。

 ニューヨーク地裁は集団訴訟を認めた理由として、「補償金の支払いの遅れ」をあげているが、「今回の判決でかえって被害者への支払いが遅れることになる」(独連邦議会議員)と「負の連鎖」を指摘する声が独内で広がっている。

 補償対象はユダヤ人のほか、ポーランド人やロシア人など約百50万人。平均年齢はすでに80歳を超えており、早期の支払いが急務だ。

 独ナチス被害者連盟は「企業側が基金への拠出を渋ったことがすべての原因だ」としている。(産経新聞2001年3月9日)

 

【ナチス時代の強制労働、「補償基金」設立が暗礁に】

【ベルリン9日=三好範英】ナチス時代にドイツ企業の強制労働に服した人々に対する補償を巡って、独経済界と被害者団体の間で不信感が高まり、基金の発足が暗礁に乗り上げている。独経済界は基金に拠出する「条件」として、独企業を相手取った集団訴訟の棄却を米司法当局に求めていたが、審理にあたった米ニューヨーク連邦地裁が7日、集団訴訟の「棄却はできない」との判断を下したことで、独企業にとっての前提が崩れたためだ。

             ◇

 この問題は、米国で独大企業を対象とした集団訴訟の提起が相次いだことから、シュレーダー政権が98年の発足当初から取り組んできた。その結果、99年12月に独政府と経済界が各50億マルクずつ、計百億マルク(約5千8百億円)を拠出して基金を設け、元強制労働者に補償することで、当事者間で合意に達した。

 補償対象は、旧ソ連やポーランドなど旧共産圏に住む、これまで十分な補償を受けてこなかった独企業の元強制労働従事者や、強制収容所で労役に服した在米ユダヤ人などで、総数は百50万人以上と見られる。

 しかし、ドイツ側は同時に、独企業がこれ以上、米国で集団訴訟の対象とならないよう法的措置を取ることを求めた。米独両国政府は昨年7月、独企業側の要求を受け入れ、集団訴訟の棄却を取り決める協定を定め、決着を図ったが、米政府はその一方で、「司法判断に行政府は介入できない」として慎重に留保した。このため、米司法当局の判断が注目されていた。

 だが、米連邦地裁が独企業にとって厳しい判断を示したことで、独経済界は、「集団訴訟の棄却が実現しないうちは、各企業が約束した金を基金に移さない」(基金担当スポークスマン)と態度を硬化させた。

 補償金については当初、昨年末までに被害者への分配を始めるはずだったが、まだ独企業の分が36億マルクしか集まらず、基金の発足は宙に浮いている。

 企業からの拠出はあくまで任意であり、独商工会議所連合会の加盟20万社のうち、拠出を約束したのは6千社に満たない。

 例えば、ベルリン郊外に工場を持つ電機部品メーカーの社長は、「当社は旧ソ連の占領地域にあり、戦後、工場施設の大部分が接収された。ドイツ統一後、民営化されたが、赤字続きで拠出に応じる余裕はない」と話す。このように、旧ソ連による過酷な接収を経験した企業や、米国を市場としない企業、戦後設立された若い企業の中には、拠出をためらう声が強い。

 これに対して、被害者団体は、同連邦地裁の判断で「被害者が公正な補償を得られない恐れがある」と不足分について指摘されたこともあり、「独企業の消極的姿勢こそ問題だ」と反発を強める。このほか、「すべてをやり直す可能性もある」(被害者側弁護士)、「独政府が不足分を上積みして負担するほかない」(ナハマ・ベルリン・ユダヤ人協会会長)などの意見も噴出し、水掛け論の様相を強めている。(Yomiuri On‐Line 2001.3.10)

 

 【ナチス期の強制労働補償に独企業14億マルク負担】

 【ベルリン14日=三好範英】ナチス時代にドイツ企業の強制労働に服した人々に対する補償基金の創設問題で、ドイツ経済界は13日、不足していた14億マルク(約8百億円)を負担することを約束、補償金の分配に向けた条件がようやく整った。[中略]

 13日の発表によると、拠出を約束した約6千社の独企業に拠出金の上積みを求めるほか、基金の発起人である独大企業17社が最終的に不足分の50億マルクを負担する。シュレーダー独首相が13日に独経済界の代表と会談、最終的な解決策をとりまとめた。(Yomiuri On‐Line 2001.3.15)

 

 【独企業14億マルク肩代わり、ナチスドイツ強制労働者補償――米と法的保護問題続く】

 【ベルリン14日=関厚夫】ナチスドイツ下の強制労働被害者に対する補償問題で、独企業代表は14日、ベルリンでシュレーダー独首相と会談し、企業側が負担する補償基金のうち、穴があいた状態になっている約14億マルク(約8百億円)について、すでに基金に拠出している企業が肩代わりする意向を伝えた。しかし、焦点である補償金の支払いについて独政府と企業側は同日、「米国での集団訴訟に対する法的保護が確立された後」との方針を確認しており、今後も法的保護問題をめぐって米国との綱引きが続くことになりそうだ。

 補償基金の総額は百億マルク(約5千8百億円)で、独政府と独企業による出資金で折半することになっていた。だが、企業への集団訴訟に対する法的保護への全面的な信頼が得られず、企業側の出資額は負担分の7割強にとどまっていた。追い打ちをかけるように米ニューヨーク連邦地裁は先週、集団訴訟に道を開く判決を言い渡した。事態を打開するため、補償基金の提唱企業であると同時に、米国での集団訴訟の対象にもなっているフォルクスワーゲンやドイツ銀行など17社が中心となって、拠出金の引き上げを決めた。(産経新聞2001年3月15日)

なお、関連項目(3)(22)(24)(26)(57)参照。

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(13a) 2001年3月21日 民主・共産・社民三党、慰安婦補償法案共同提出

民主・共産・社民の三党は共同で21日、第二次大戦中に旧日本軍の関与の下に性行為を強制された従軍慰安婦に対して、国として謝罪し、金銭的な補償をすることを定めた法案を議員立法で参院に提出した。三党は今回とほぼ同内容の法案を昨年10月の臨時国会に個別に提出したが、廃案となった。今回は事前に三党で調整し、一本化した。(朝日新聞2001年3月22日朝刊)

なお、関連項目(5a)(46b)(72)参照。

 

 (14) 2001年3月22日 米下院、元米兵捕虜の強制労働訴訟支援法案を提出

 【ワシントン22日=加藤洋一】第二次大戦中に旧日本軍に捕らえられ、日本の民間企業で強制労働をさせられたとして、損害賠償を求めている元米国人捕虜の訴訟を支援する法案が22日、米連邦下院で超党派の議員によって提出された。

 「2001年米国人捕虜正義法案」(山手注――原文はJustice for United States Prisoners of War Act of 2001)。提出したのは、共和党のローラバッカー議員や民主党のホンダ議員(いずれもカリフォルニア州選出)ら。

 法案は、「報酬を受けずに非人道的環境のもとで労働を強いられた元捕虜たちが正義を追求することは、米国の利益にかなうもので、ほかのいかなる法律や条約によっても妨げられるべきではない」としている。米国務省や日本政府が「第二次大戦に起因する請求権の問題は、サンフランシスコ平和条約で解決済み」として、求めに応じる必要はないとの立場を取っていることに異を唱えた。

 訴訟は昨年9月、一審のサンフランシスコ連邦地裁で却下され、原告側が不服として上訴。現在サンフランシスコの第九巡回区連邦控訴裁判所で係争中だ。(朝日新聞2001年3月23日朝刊)

 AP  March 22,2001  Bill To Allow U.S. POWs To Sue Japan By Carolyn Skorneck

ワシントン(AP)―第二次大戦中に日本で奴隷労働を強制された米国人捕虜は、その企業を訴える権利を有すべきであると、22日二人の下院議員が、日本政府ではなくて米国政府をターゲットとする法案を提出して言った。

 マイク・ホンダ議員(民主党、カリフォルニア州選出)と法案を共同提案したダナ・ローラバッカー議員(共和党、同じくカ州選出)は、「わが国の国務省が正義に対する最大の妨害者である」と述べた。なぜならば国務省は、捕虜に数年もの間労働を強制した―その間捕虜は殴打され、飢餓に苦しみ、医療手当てを拒否されたのであるが―日本企業に対する捕虜の訴訟を邪魔だてしているからである。

 国務省は、米国と日本との間の1951年の平和条約は、民間企業―その多くは今や三菱、三井、新日鉄などのように米国でポピュラーな名前になっている―に対する訴えを禁止している、と言ってきた。

 ローラバッカー議員は言う。「日本はほかの国の国民による戦争補償の請求を処理しつづけているのに、米国の元捕虜たちは衡平な審理を否定されている。われわれの法案は、この恥ずべき不公平を正すためのものである。」

 米国サンフランシスコ連邦地裁のヴォーン・ウオーカー判事は、昨年9月、平和条約についての国務省の解釈を受け入れて、多数の元捕虜たちの提起した訴訟を却下した。そして彼は、「彼等自身とその子孫が自由な社会とより平和な世界に生きることができる計り知れない贈物」によって債務は返済されている、と付言した。

 ・・・(中略)・・・

 法案―共和党院内総務トム・ディレイ(テキサス州選出)と民主党院内総務ダビッド・ボニオール(ミシガン州選出)も支持―は、1951年の平和条約を、米国および米国民による請求を禁止するものと解釈しないよう裁判所に指示している。

 法案は、平和条約が、もし日本が他の諸国により有利な条件を与えた場合には、条約の締約国も同様にそれらの有利な条件を取得する旨規定していることを指摘する。日本は、他の諸国との協定において、それらの諸国の国民によって請求が提起されることを認めている。(山手仮訳)

 なお、関連項目として(32)(33)(41)(44)(48)(77)参照。

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 (15) 2001年3月26日 東京地裁 、韓国人元慰安婦・軍人・軍属の請求を棄却(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟)

 日本による植民地支配と戦争で犠牲を強いられたとして、韓国人の元従軍慰安婦や元軍人・軍属、遺族ら計40人が日本政府を相手に1人当たり2千万円[総額8億円―山手]の損害賠償などを求めた「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者訴訟」で、東京地裁の丸山昌一裁判長は26日、請求を棄却する判決を言い渡した。判決は同種の戦後補償訴訟で示されている司法判断を踏襲し、憲法や国際法に基づく補償、民法上の損害賠償などの請求権の存在を否定した。

 この訴訟は、1991年の提訴以降、元慰安婦が日本政府を相手取って初めて補償を求めた例として注目され、多数の訴訟が続くきっかけとなった。

 原告には、韓国人女性として初めて実名で元慰安婦だったことを公表した金学順(キムハクスン)さんも加わっていたが、金さんを含めた原告6人が判決までに死亡している。

 判決は、原告らが軍人、軍属だったり慰安婦として働かされたりした事実を認定した。そのうえで、恩給法などの国籍条項によって日本国籍を持たない朝鮮半島出身者の軍人・軍属と日本人の軍人・軍属との間で差が生じることについて「立法政策の当否はともかく、これだけで直ちに憲法の平等原則には違反しない」と説明。国会議員には救済のための立法をするべきなのにしなかった「不作為」があるとする原告側の主張も、「立法の義務が定められていると解することはできない」と述べた。(朝日新聞2001年3月26日夕刊)

 【以下、他紙によって不十分な点を補足】

 判決は、元慰安婦8人(2人は死亡)が戦地では常時、日本軍の管理下に置かれ、軍と行動させられ、慰安所で働かされた事実などは認めた。しかし、「日本政府には人道上の罪がある」との主張については、「人道に対する罪は、国家に対し、個人を国際裁判所の処罰に服させる義務を負わせるに過ぎず、国家の民事責任を基礎づけるものとは言えない」と退けた。(読売新聞2001年3月26日夕刊)

 判決理由で丸山裁判長は元軍人らが被害を受けたことを認めたうえで、「国際法、国際慣習法は被害者個人に損害賠償請求権を認めておらず、国に立法上の不作為があったとはいえない」と述べた。

 未払い賃金の補償請求に対しては「日本と韓国との協定で債権はすでに消滅している」と退けた。(産経新聞2001年3月26日夕刊) 

 ・・・・・・訴訟で、東京地裁の丸山昌一裁判長(転任のため大竹たかし裁判長が代読)は26日、請求を棄却する判決を言い渡した。

 訴えていたのは、韓国・ソウル市に本部を置く「太平洋戦争犠牲者遺族会」(金鐘大会長)の元軍人、朴七封さん(76)や、元慰安婦の女性(79)ら。1991年12月と92年4月の2次にわたり提訴し、併合して審理されていた。

 判決は、朴さんらが旧日本軍の軍人・軍属として太平洋戦争中に死傷したことや、従軍慰安婦として働かされた事実を認めたものの、「被害者個人に加害国への損害賠償請求権はない」と指摘。提訴後に焦点となった韓国人の未払い給与請求権についても「日韓協定の実施に伴う措置法により65年に消滅した」と初の判断を示した。(毎日新聞2001年3月26日)

【登載判例集】 未登載 (ただし、判決理由の一部が、日本の戦争責任をハッキリさせる会のサイトに紹介されている( http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kj8899/izokukai_hanketsu.html )。訴訟代理人林和夫弁護士の判決についての評価も、そこからリンクできる。)

なお、本件の第二審判決(104)、最高裁判決(135)参照。

【補遺―山手】 本件の提訴(1991年12月6日)に続いて、91年末から92年にかけて韓国人戦争被害者(元軍人・軍属・徴用工・従軍慰安婦等)がそれぞれ集団で日本国を訴えたが、それらの訴訟は本件より先に96年から98年にかけてそれぞれ判決が下された。以下、次の三件いついてさかのぼって紹介しておく。

 @韓国併合・侵略損害賠償訴訟(韓国人選定当事者訴訟)(92.8.28提訴、96.3.25東京地裁判決、99.8.30東京高裁判決)

 A江原道訴訟(91.12.12提訴、96.11.22東京地裁判決)

 B光州千人訴訟(92.8.14提訴、98.12.21東京地裁判決)

@韓国併合・侵略損害賠償訴訟(韓国人選定当事者訴訟)

第一審(東京地裁1996年3月26日)

 「一九一〇年から四五年の植民地支配などで損害を受けた」として、韓国の弁護士らが日本政府に約百六億円の損害賠償や謝罪責任の確認などを求めた訴訟で東京地裁の横山匡輝裁判長は二十五日、「請求の法的根拠がない」として請求を退けた。
 韓国の弁護士らは、一〇年の日韓併合が正当な手続きを経ておらず無効とした上で「その後の支配で、朝鮮人を強制的に労働させたり従軍させたりし、多大な人的、財産的損害を与えた」として、国際慣習法などに反すると主張した。
 判決理由で横山裁判長は「国際違法行為によって被害を受けた個人が、直接加害国家に損害賠償などの履行を求めることができるとする国際慣習法が成立しているとは認められない」と指摘した。(共同通信1996年3月25日)

第二審(東京高裁1999年8月30日)

 韓国併合から太平洋戦争までの間、日本が朝鮮を不法に侵略したため被害を受けたとして、韓国の弁護士池益杓さん(七三)ら韓国人約三百六十人が、日本政府を相手に、韓国併合で韓国国民が受けた被害を回復する義務の確認や植民地支配期間中の不法行為に対する謝罪、約百万円の損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決が三十日、東京高裁であった。河野信夫裁判長は、原告側の請求を退けた一審・東京地裁判決を支持して控訴を棄却した。また、原告が二審で追加した「国会は元慰安婦や、生死不明者本人と遺族らに対する賠償・補償の立法を怠った」とする予備的請求も棄却した。

 「立法不作為」については、昨年四月の「関釜裁判」山口地裁下関支部判決が、一九九三年八月に慰安婦問題などの存在を公式に認めた内閣の調査報告や官房長官談話から三年を経過しても国会が戦争被害者に対する立法を怠ったとして初めて認め、元慰安婦に慰謝料を支払うよう国側に命じた。しかし、河野裁判長は「三権分立の制度の下で立法の要否や内容、立法の時期などは、原則として立法府の裁量にゆだねられている」と述べ、「立法を怠っている不作為が憲法秩序の根幹にかかわる基本的人権の侵害をもたらしている場合には国会議員に立法義務が生じ、裁判所にはその是正を図る固有の権限と義務がある」とする原告側の主張を退けた。(朝日新聞1999年8月30日)

【登載判例集】

 第一審(東京地裁1996.3.25)判例時報1597号、訟務月報44巻4号

 第二審(東京高裁1999年8月30日)判例時報1704号、訟務月報46巻8号

A江原道訴訟(東京地裁1996年11月22日)  

 第二次大戦中に日本に強制連行され、働かされた韓国人金景錫さん(70)ら韓国・江原道在住の元軍人・軍属、労働者とその遺族計二十四人が、日本政府に謝罪と一人五千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が二十二日、東京地裁であり、富越和厚裁判長は「被告に法的責任があるとは言えない」として原告全員の請求を棄却した。
 原告側は「強制連行は強制労働条約など国際法に違反し、国内法的にも公序良俗に反する」「戦後の補償を日本人に限ったのは憲法に違反する」などと主張していたが、富越裁判長はそれぞれ「個人には賠償請求権がない」「違法性はない」と退けた。
 訴えによると、金さんらは一九三九年ごろから、当時朝鮮半島を植民地支配していた日本政府の政策により「志願」や「募集」の名目で戦地や日本国内の工場、炭鉱などに動員された。連行された韓国人の多くが亡くなったが、日本政府は死亡通知さえ送らず、戦後は韓国籍になったことを理由に何の補償も受けられなかった。
 判決後、記者会見した金さんは「こんなひどい裁判は見たことがない」と激しい口調で抗議。「結果は駄目でも判決理由の中で人間味のある言葉が欲しかったが、それもなかった」と述べた。
 金さんらは判決に抗議して裁判所玄関で約三十分座り込んで歌を歌うなどし、裁判所側から強制退去させられた。(共同通信1996年11月22日)

【登載判例集】 訟務月報44巻4号

B光州千人訴訟(東京地裁1998年12月21日)

 先の大戦中に旧日本軍の軍人、軍属、労働者として徴用されて戦地などに動員された韓国光州特別市やその周辺の韓国人とその遺族ら計三百六十三人が、日本政府に公式謝罪と総額百二十六億三千万円の補償を求めた訴訟の判決が二十一日、東京地裁であり、坂本慶一裁判長は、原告の請求を棄却した。原告側は即日控訴した。

 原告側は日本国憲法前文を根拠に「道義的国家である義務」を主張して損害賠償を求めたが、坂本裁判長は「憲法の前文は基本原則や理念を表明したもので、請求の根拠にはならない」と判断した。

 また国家賠償法に基づく賠償請求権については「日本の国会で何らかの直接的補償措置の検討がなされることが望まれることはいうまでもない」と述べ、国会での立法措置を促した。

 しかし「立法措置を講じていないことが立法府の政治的裁量の範囲を逸脱しているとまではいえない」と判断し、「原告らの賠償請求には理由がない」とした。(産経新聞1998年12月22日)

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 (16) 2001年3月27日 大阪地裁、韓国人元徴用工の強制労働賠償請求を棄却(旧日本製鉄大阪製鉄所事件)

  戦時中に、新日鉄の前身にあたる旧日本製鉄大阪製鉄所で強制労働をさせられたとして、元徴用工の韓国人呂運沢(ヨウンテク)さん(77)と申千洙(シンチョンス)さん(74)=いずれもソウル在住=が、新日鉄と国を相手に未払い賃金や慰謝料など総額約3千8百万円の支払いと謝罪を求めた訴訟[ 1997年12月24日提訴ー山手]で、大阪地裁は27日、請求をすべて棄却する判決を言い渡した。岡原剛裁判長は「旧憲法下の国の行為による個人の損失について、国は賠償責任を負わない」などと述べ、国に対する請求権の存在を否定。新日鉄についても「日本製鉄が戦後四社に解散し、うちニ社が合併してできた新日鉄はこの種の債務を受け継いでいない」とした。原告は控訴する方針。

 判決は2人の就労状況について「賃金を渡されず、自由を奪われた状態で1日12時間、危険で過酷な労働に従事させられた」と述べ、違法な強制労働だったことを認めた。

 戦後、日本製鉄などは政府の指導を受け、企業に対する賠償要求を退けるため、未払い賃金を法務局に供託した。日本製鉄が原告らの未払い賃金として供託した約9百60円について、判決は「正確な金額とは考えられず、供託は無効で、本来の債務は消滅しない」と述べた。原告側代理人によると、こうした判断は初めてで、今後の和解交渉や他の戦後補償裁判への影響も考えられるという。

 判決によると、現在の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壤にいた2人は1943年、大阪製鐵所の労働者募集広告に応募。炉に石炭を入れる係や起重機の操作係になった。45年3月の空襲で同製鉄所が操業不能になると、現在の北朝鮮の清津に移され、工場建設に従事させられた。(朝日新聞2001年3月28日朝刊)

 なお、後掲(69)(81a)(110a)参照。

 

 (17) 2001年3月29日 広島高裁、「関釜裁判」の一審判決を逆転

 太平洋戦争中、旧日本軍の従軍慰安婦にされたり、女子勤労挺身隊員として軍需工場で強制的に働かされたりした韓国人女性10人が、国を相手に計3億9千6百万円の損害賠償と公的な謝罪を求めた「関釜裁判」の控訴審で、広島高裁(川波利明裁判長)は29日、原告側の請求を一部認めた一審・山口地裁下関支部判決を取り消し、原告側の請求を棄却した。川波裁判長は「戦後補償のあり方は総合的政策判断を待って決めるもので、立法府の裁量にゆだねられている」と述べた。

 1998年4月の一審判決は、国会が補償のための立法を怠った点(不作為)を違法と認めた。これまで40件以上起こされた戦後補償裁判の中で、原告側の請求を一部でも認めた唯一の判決で、高裁の判断が注目されていた。

 高裁判決は、国会議員の立法行為は政治的判断に基づくもので、司法による規制になじまないと指摘。85年の最高裁判決を引用し、「立法不作為が違法となるのは、立法義務が憲法に明文化されているか、文言の解釈上、明白な場合に限られる」と述べた。その上で、「憲法の解釈上、元慰安婦らに対する謝罪と補償についての立法義務の存在が明白だとは言えず、立法不作為は違法の評価を受けない」と結論づけた。

 さらに、人権侵害の重大性や救済の必要性に触れて立法義務の存在を認めた一審判決について、「原告らの心情は察するにあまりあるが、戦後補償問題であることをもって、通常と異なる基準を採用するべきでない」などと述べた。

 一審判決は、従軍慰安婦への「おわび」などを表明した93年の河野洋平官房長官(当時)談話の段階で、国会は被害回復のために法律を作る必要性を認識していたと指摘。立法に必要な合理的期間である3年が経過した後も法律ができていないことへの慰謝料として、元慰安婦3人に30万円ずつ支払うよう命じていた。一方、給料をもらえず強制労働に従事させられたと訴えた元挺身隊員の請求は棄却した。

 原告は元慰安婦3人と元挺身隊員7人。92−94年に提訴した。元慰安婦の原告1人は昨年5月、82歳で死亡した。(朝日新聞2001年3月30日朝刊)

 

【参考】 第一審判決(山口地裁下関支部1998年4月27日)

 第二次世界大戦中、従軍慰安婦や女子勤労挺身(ていしん)隊員にされた韓国人女性十人が、国に総額五億六千四百万円の損害賠償と公式謝罪を求めた「関釜裁判」で、山口地裁下関支部は二十七日、元慰安婦三人に慰謝料として三十万円ずつ支払うよう国に命じる判決を言い渡した。近下秀明裁判長は「国会議員は、慰安婦とされた女性が被った数々の苦痛について、被害回復の措置を取るため賠償立法をすべき憲法上の義務があるのに、これを怠った」と理由を述べた。元慰安婦が国を訴えた裁判で初めての判決で、下級審とはいえ、今後、戦後補償問題に新たな論議を呼びそうだ。

 五十件近く提訴された戦後補償裁判で、一部とはいえ原告側が勝訴したのは初めて。元慰安婦が国を訴えた裁判は東京地裁にも六件起こされており、影響を及ぼすとみられる。

 一方、公式謝罪の請求については「必要性が認められない」として退けた。また、元挺身隊員の被害についても「重大な人権侵害をもたらしているとまでは認められない」として棄却した。原告側は「控訴してさらに争う」としている。

 元慰安婦らの被害について判決はまず、「基本的人権の侵害が重大で、救済の高度の必要性が認められ、国会が立法の必要性を十分認識しながら放置している場合は、立法不作為による国家賠償を認めることができる」との判断を示した。

 続いて「従軍慰安婦制度は徹底した女性差別、民族差別であり、現在においても克服すべき根源的人権問題」と認定。「国は元慰安婦に対し、被害の増大をもたらさないよう配慮すべき法的作為義務があったのに多年にわたって放置、苦しみを倍加させて新たな侵害を行った」と指摘した。

 河野洋平官房長官(当時)が一九九三年八月、慰安婦問題が重大な人権侵害だと認める談話を発表した時点で「賠償立法の義務が憲法上の義務に具体化されていた」とし、「合理的期間として認められる三年を経過しても国会議員が立法をしなかったのは違法だ」と国家賠償義務を認めた。

 賠償額は「将来の立法により被害回復がなされることを考慮」して、それぞれ三十万円と算定した。

 <関釜裁判> 原告は韓国・釜山市などに住む元慰安婦三人と元挺身隊員七人。釜山から連絡船に乗せられた挺身隊員らが上陸した場所が山口県下関市だったことから、一九九二年から九四年にかけて山口地裁下関支部に提訴した。元慰安婦らへの補償を定めた法律がない中で、国に賠償などの義務があるかどうかが争点に。昨年九月に結審した。(朝日新聞1998年4月28日朝刊)

【登載判例集】

第一審(山口地裁下関支部1998.4.27)判例時報1642号、判例タイムズ1081号(第二審の原審として)

第二審(広島高裁2001.3.29)判例時報1759号、判例タイムズ1081号、訟務月報49巻4号 

なお、最高裁判決(89)参照。

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 (18) 2001年4月5日 最高裁、在日韓国人元軍属の障害年金訴訟上告棄却(石成基・陳石一訴訟)

 日本軍の軍属として第二次世界大戦で重傷を負った在日韓国人とその遺族計3人が、戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく障害年金請求を却下した厚生大臣(現厚生労働大臣)を相手に処分の取り消しを求めた訴訟の上告審判決で5日、最高裁第一小法廷(井嶋一友裁判長)は元軍属側の上告を棄却した。これにより請求を退けた二審・東京高裁判決が確定した。

 第一小法廷は「法制定の際に日本国籍を持たない軍人軍属を援護法の適用から除外したのは[平和条約により政府間の外交交渉で解決することが予定されていたから―山手]合理的根拠があり、その後[1965年の日韓請求権協定締結後]、存置していることも[日本人の軍人軍属との間に差別状態が生じていたことは否めないが、国際情勢などを踏まえ高度の政策的な考慮と判断が必要とされる―山手]立法府の裁量の範囲を著しく逸脱したとまでは言えず違憲ではない」などと述べた。

 この訴訟では、二審判決が所見として「援護法の国籍条項や付則を撤廃して在日韓国人に同法の適用の道を開いたり、行政上の特別措置を取ったりすることが強く望まれる」と政府や国会の対応を強く求めて注目されていた。

 訴えていたのは、94年5月に75歳で死亡した陳石一(チンソギル)さんの遺族2人と石成基(ソクソンギ)さん(79)。2人は91年に援護法に基づき障害年金の請求をしたが、厚生省が請求を却下したため、その取り消しを求めて提訴した。(朝日新聞2001年4月5日夕刊)

 【他の新聞による補足】

 この訴訟では、東京高裁判決(98年9月)が「日本人に準じて処理する方が適切」と、立法や行政による救済を促す言及をし、弔慰金支給法(前掲(1)参照)が成立するきっかけの一つになった。この点について弁護士出身の深沢武久裁判官は判決の補足意見で「日本人との間で生じてきた差別解消に十分とは評価しがたい。人道的見地に立脚した明確な法的解決が望まれる」と述べた。(毎日新聞2001年4月5日夕刊)

 【参考】 第一審判決(東京地裁1994年7月15日)

 在日韓国人元軍属の石成基さん(72)=横浜市在住=ら二人が「日本国籍でないのを理由に年金を給付しないのは違法」と障害年金請求を却下した国に処分取り消しを求めた訴訟で、東京地裁は十五日、戦傷病者戦没者遺族等援護法(援護法)に定められた戸籍・国籍条項は合憲として、訴えを棄却した。秋山寿延裁判長は「日韓両国のいずれからも何らの補償も受けられない状態となっているのは立法不作為の状態にあるというべきだ」と、法の谷間にある在日韓国人への補償について司法の限界を表明した。

 細川護煕元首相が「侵略戦争。間違った戦争だった」と公的に発言後、初の戦後補償をめぐる司法判断。

 秋山裁判長は付言するかたちで「立法の不作為状態」を指摘。補償措置の是非については「いかなる範囲で補償を行うかは政治的判断を要する立法政策に属し、軽々に裁判所が評するのは適当ではない」と論評を避け「政府および国会で議論されるべき問題」と述べた。

 原告は石さんと埼玉県東松山市の陳石一さん=今年五月に七十五歳で死亡。二人は日本軍に徴用され、米軍の銃撃で右腕や左足を失った。戦後、日本に定住し、一九九一年に援護法に基づく障害年金を請求したが「戸籍法の適用を受けない者(日本人以外)にあたる」との理由で却下された。

 秋山裁判長はこの戸籍・国籍条項について過去の判例に従い「法の下の平等」に反しないと判断した。(毎日新聞1994.07.16東京朝刊) 

 【参考】 第二審判決(東京高裁1998年9月29日)

 第二次世界大戦で重傷を負った元日本軍属の在日韓国人と遺族の計三人が、厚生大臣を相手に戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく障害年金の支給を求めた訴訟の控訴審判決が二十九日、東京高裁であった。筧康生裁判長は、請求を退けた一審判決を支持し「朝鮮半島出身者に援護法の適用がないとしてもそれは立法府の裁量の問題であり、憲法の平等原則には違反しない」と述べて、原告の控訴を棄却した。しかし判決は、日韓両国から補償を受けられない原告らの立場に理解を示し、「外交交渉を通じて適切な対応を図る努力をするとともに、援護法の国籍条項や付則を改廃して在日韓国人に同法の適用の道を開いたり、行政上の特別措置を取ったりすることが強く望まれる」と政府や国会に対応を促した。

 筧裁判長は所見として、「何の落ち度も責任もない原告らが補償を受けられずに放置され、補償の見込みが立っていないことを考えると提訴に至った気持ちは理解できる」と言及。国連の規約人権委員会が、原告のような立場にある人々が補償を受けられずに差別されていると指摘したことなどを踏まえ、「速やかな対応を図ることがわが国に課せられた政治的、行政的責務である」と述べた。

 朝鮮半島出身者の元日本軍軍人・軍属が戦争被害の補償を求めた訴訟では、請求自体は退けながらも、補償立法措置を促す判決が相次いで出されてきた。この日の高裁判決は、これまで以上に強い表現で補償措置を迫るものとなった。

 援護法は付則で「戸籍法の適用を受けない者については、当分の間、この法律を適用しない」と定めており、在日韓国人を補償対象者から除外している。この付則が法の下の平等を定めた憲法に違反しないのかが、最大の争点だった。

 この点について高裁判決は、戦争犠牲の持つ特殊性やサンフランシスコ講和条約で日韓両国の戦後処理が両国の交渉にゆだねられた趣旨などを踏まえ、憲法には違反しないとした。

 訴えていたのは一審判決前の一九九四年五月に七十五歳で死亡した陳石一(チンソギル)さんの遺族二人と石成基(ソクソンギ)さん(七六)。二人は九一年に援護法に基づき障害年金の請求をしたが、厚生省が請求を却下したため、その取り消しを求めて提訴していた。(朝日新聞1998年9月29日夕刊)

 ○東京高裁の所見<要旨>

 今次の戦争において、戦争犠牲または戦争損害を受けた軍人・軍属またはその遺族のうち、日本国籍を有する者は戦傷病者戦没者遺族等援護法により、在日韓国人以外の韓国人は韓国の国内法により、いずれもその補償を受けている。それに対し、原告ら在日韓国人は、日韓両国のいずれからも何らの補償を受けられないまま、いわば放置された状態になっている。

 このような事態に至っていることについて、サンフランシスコ平和条約の発効に伴い国籍選択の道を与えられないまま、いわば一方的に日本国籍を喪失させられた在日韓国人側において何らの落ち度も責任もない上、在日韓国人の側からは補償を受けるために採るべきすべは何も与えられていないことを考えると、原告が焦燥の思いで本訴を提起するに至った心情については、十分に理解でき、同情を禁じ得ない。

 人道的な見地からしても、また、国連の規約人権委員会から関心課題(懸念事項)として指摘されていることに照らしても、速やかに適切な対応を図ることが、我が国に課せられた政治的、行政的責務でもあるというべきである。

 在日韓国人は、日本国籍を有し、日本の軍人・軍属として戦争に従事したもので、援護法の適用開始時においては日本国籍を有していたと解されるから、その立場は日本国籍を有する者に近いものであったというべきである。在日韓国人の右のような立場及び現に日本において居住していること等を考慮すると、日韓両国の外交交渉を通じて、日韓請求権協定の解釈の相違を解消し、適切な対応を図る努力をするとともに、援護法の国籍条項及び本件付則を改廃して、在日韓国人にも同法適用の道を開くなどの立法をすること、または在日韓国人の戦傷病者についてこれに相応する行政上の特別措置を採ることが、強く望まれる。(朝日新聞1998年9月29日夕刊)

 【登載判例集】

第一審(東京地裁1994.7.15)判例時報1505号、判例タイムズ855号、訟務月報41巻12号

第二審(東京高裁1998.9.29)判例時報1659号、訟務月報45巻7号

第三審(最高裁2001.4.5)判例時報1751号、判例タイムズ1063号、訟務月報49巻5号

 

 【補遺】 台湾人元日本兵戦死傷補償請求事件

 旧植民地出身軍人・軍属の補償という点で先例にあたるが、戦後補償訴訟としては例外的に1970年代末に提訴されたものとして、台湾人元日本兵戦死傷補償請求事件がある。

第一審(東京地裁1982年2月26日)(略)

第二審(東京高裁1985年8月26日)

 著しい不利益明白

 第2次大戦中、日本の軍人、軍属として戦地に駆り出され死傷したのに、一切補償を受けられないでいる台湾人の戦傷者と戦死者の遺族が、法の下の平等を保障した憲法14条などを理由に国に補償を求めていた「台湾人元日本兵戦死傷補償訴訟」の控訴審判決が26日午後、東京高裁民事17部で言い渡された。吉江清景裁判長は請求を退けた1審判決を支持し、原告側の控訴を棄却したが、判決理由の中で「台湾人元日本兵らが、日本人元兵士、遺族らと比べて著しい不利益を受けていることは明らか」と指摘。「40年の歳月が経過したいま、国政関係者には、外交上、財政上、法技術上の困難さを克服し、早急にこの不利益を解消して、国際信用を高めるよう力をつくすことが期待されている」と、「特に付言する」という形で異例の注文を付け、この問題をタナ上げにしてきた政府、国会に救済の早期実現を求めた。なお、吉江裁判長はことし6月に退官しており、判決は他の裁判官が代読した。

 判決は、原告側が控訴審段階で予備的に追加主張していた「日本政府がいまだ台湾人元日本兵らへの補償制度を確立していないことに対する違憲確認の訴え」については、「不適法」として却下した。原告側は判決後、直ちに最高裁に上告することを明らかにした。

 訴えていたのは、台湾・南投県に住む洪火ソウ(かそう)さん(67)ら、昭和17年から18年にかけ、日本の軍人、軍属として南方戦線に動員され、爆弾などで失明、腕切断などの負傷をしたり、戦死した計13人の元台湾人兵士の本人や遺族。

 洪さんらは(1)戦死、戦傷は国の行為、活動による「特別の犠牲」であり、従って日本政府は、こうした場合での損害に対する国家補償を定めた憲法29条3項に基づき、原告らに補償する義務を負っている(2)日本人兵士らと同様、強制的に戦地に駆り出され、戦死傷したのに、恩給法、援護法の国籍条項で補償対象を日本の国籍を持つ者に限定し、原告らに一切補償をしないのは、法の下の平等を保障した憲法14条違反、と主張。原告1人当たり500万円、計6500万円の補償を請求した。

 この日の判決はまず、憲法29条3項に基づく主張について、「憲法が施行されたのは戦後であり、原告らの戦死傷には適用されない」などとして退けたあと、台湾人元日本兵士らに補償が行われていないことが憲法14条違反に当たるか否かを検討。

 その中で、恩給法などの国籍条項の立法については、台湾人元日本兵らへの補償を日華平和条約で取り決めることになっていた点を指摘し、「不当な差別とはいえない」と判断。さらに、その後、日華平和条約の失効で、結果的に補償が行われなくなったことについては、「国際事情が背景にあり、日本政府が道義的責任を負うことは当然としても、法の下の平等に反する理由のない差別とすることは、ためらわざるを得ない」と述べた。

 裁判の中で国側は、台湾人元兵士への補償、救済が遅れていることについて(1)日本人の残置財産を含めた日台間の請求権問題の未解決(2)台湾以外の分離地域(朝鮮民主主義人民共和国など)とのバランスや波及(3)わが国の財政事情のひっ迫、などを挙げていたが、判決はこれらについて「いずれも補償しないことを合理化する理由とはならない」と述べている。

 <台湾人元日本兵補償問題>

 日本政府は戦後の27年度以降、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」「恩給法」に基づき、戦地で死傷した旧日本軍の軍人、軍属、その遺族に対する補償を行ってきた。

 しかし、両法とも対象者を「日本国籍を持つ者」に限ったため、戦前に日本人として駆り出された朝鮮人や台湾人の軍人、軍属は支給対象から外された。うち韓国人元日本兵については、40年の日韓協定で一括補償の形で一応解決。台湾人については、27年の日華平和条約で「日本と中華民国間の特別取り決めの主題」とされ、両国間の交渉にゆだねられたが、現実化しないまま47年の日中国交回復で同条約が失効、補償問題は宙に浮いてしまった。

 その後、49年末、インドネシア・モロタイ島ジャングルで、台湾人元日本兵李光輝(日本名中村輝夫)さんが発見され、その際ほとんど補償が行われなかったことから、この問題が表面化。宮崎繁樹・明治大教授らが中心となって「台湾人元日本兵士の補償問題を考える会」が結成され、その運動の一環として52年2月、洪火ソウさんらによる「戦死傷補償訴訟」が東京地裁に起こされた。しかし、同地裁は57年2月、「同情を禁じ得ない」としたものの、「戦争補償は立法政策上の問題で、原告らに補償しないことは違憲とはいえない」と請求を棄却したため、原告側が控訴していた。

 「違憲確認」退け、道義的観点で政府批判

 《解説》この訴訟で台湾人元日本兵らが求めたのは、一律500万円の戦死傷補償の支払いだったが、原告らが主眼とし、審理の中で最も力点を置いたのは、「この請求が認められない場合」として2審段階で新たに追加した主張――「日本の国会、政府が、台湾人元日本兵らへの補償制度をいまだ確立していないことに対する裁判所の『違憲確認宣言』」を引き出すことだった。

 戦前、20万人を超す台湾人が「日本の兵士、軍属」として戦地に赴いた、といわれる。「天皇の赤子」としての強制的な動員であり、多くの戦死傷者を出した。こうした事実経過や人道面からみたとき、原告らの主張には十分な説得力がある。しかし、補償制度が確立されていない以上、法律を基に判断する裁判所としては、原告らの請求は認めにくい。ならば逆に、その制度がないことに対する「違憲」判断を引き出すことによって、国会、内閣に実現を迫ろう――そこに追加主張のねらいがあり、もともと裁判では解決しえないこの問題の難しさが浮き彫りにされていた。

 判決はこの点については、門前払いの形で退けた。しかし、補償をいまだ放置している日本政府の責任を、道義的観点から厳しく批判、救済策の早期確立を求める異例の注文を付けた。法的拘束力はないものの、現行の法、判例の下で精いっぱいの判断ともいえる。

 戦後、台湾が中華民国政府となったことによって、原告らは「かつて(日本人として)自国に弓をひいた人物」とみなされ、生活も困窮をきわめているという。

 戦時中に台湾に残された財産の解決、ひっ迫している財政事情など様々な障害はあるものの、この日の判決で、これらが補償遅延の合理的理由にならないとはっきり否定されたいま、国会、政府は、政治的責務として、その早期救済の実現を迫られている。(朝日新聞1985年8月27日朝刊)

 

【判決念頭に検討と官房長官表明 台湾人元日本兵補償請求訴訟】

 台湾人元日本兵が日本政府に補償を求めた訴訟の東京高裁判決が、政府に対し救済のため尽力するよう「付言」したことについて、藤波官房長官は26日夕の記者会見で「政府としては関係省庁連絡会議を設けてこの問題の検討を進めている。東京高裁の『付言』を頭におきつつ、誠意をもって、さらに検討していきたい」と語った。(朝日新聞1985年8月27日朝刊)

【「検討費」500万円ついたが結論までは道遠し 台湾人元日本兵補償】

 26日、「台湾人元日本兵戦死傷補償訴訟」の判決で、東京高裁は、補償問題を40年間放置してきた日本政府、国会に対して、厳しい注文を突きつけた。判決文で「外交上、財政上、法技術上の困難を克服し……」と早急な救済を国政関係者に期待する旨、特に付言したからだ。これまで、財政難や朝鮮人への波及などを理由に、及び腰の姿勢を変えなかった政府、自民党にとって、判決は、無視できない重みを持つことになりそうだ。

 この訴訟の1審判決(57年2月)の後、国会では稲村佐近四郎代議士(自民)を会長とし、共産党を除く超党派の国会議員で組織する「台湾人元日本兵等の問題懇談会」が、議員立法でこの問題の解決を図るとの方針を決めた。同時に共産党も「誠意ある補償のための立法措置を行うべきだ」とする声明を独自に発表、各党の足並みはそろった。

 議員懇談会は台湾側などと非公式折衝の後、同年12月、いったん(1)戦死者3万2806人と重傷の戦傷者327人を対象に、1人当たり300万円(総額994億円)を支払う(2)名目は見舞金とする、などとする補償立法案をまとめた。しかし、政府が人勧凍結など財政のやりくりに四苦八苦していた時期でもあり、「財源調整がつかない」との理由で、法案提出は断念。稲村会長は引責辞任し、議員懇談会は活動を停止した。

 58年3月、議員懇談会にかわって自民党がこの問題を考える小委員会(長谷川四郎委員長)を設置。同年8月、「財政事情を勘案して、59年度から3年間程度の期間で措置する」との方針を打ち出し、政府に予算措置を求めたものの、認められなかった。政府が消極的なのは、財源問題のほか、「日本人が台湾に残してきた残置財産の問題が未解決であること」「請求権に関して一切話し合いが行われていない北朝鮮との間でも同様の問題が出てくることが考えられるばかりか、解決済みの韓国についても、立法をもとに補償を請求する元日本兵が出てくる可能性がある」などが大きな理由だ。

 昨年8月には、有馬元治代議士(自民)を会長として「議員懇談会」が活動を再開、政府に今年度予算での調査費の計上を要望した。政府も各党の追及をかわしきれず、総理府予算に500万円を計上した。しかしこれは、ここまで大きくなった補償問題を今後どうするかを考えていく「検討費」の趣旨。その後、関係省庁で連絡会議(議長・的場順三総理府審議室長)を設置して、今年5月に第1回会合を開くなど検討を始めている。しかし、今のところ「結論がいつ出るかは全くわからない」(総理府)状況だという。(朝日新聞1985年8月27日朝刊)

【台湾人元日本兵補償、判決を評価し救済実現迫る 議員懇が確認】

 台湾人元日本兵への補償問題をめぐる東京高裁判決が26日出たのを受けて、この問題に取り組んでいる共産党を除く超党派国会議員の組織「台湾人元日本兵等の問題懇談会」(会長・有馬元治自民党代議士)の会合が同日夕、衆院議員会館で開かれた。判決について「請求棄却は残念だが、裁判所が法律論を離れて、関係者に原告らの救済を求める異例の『付言』をしたのは、心情的にはわれわれの主張を受け入れてくれたということだ」と判決を評価。今後、政府に対して救済措置の実現をさらに強く迫っていくことを確認した。同懇談会の会合には原告団、弁護団の代表も出席した。(朝日新聞1985年8月27日朝刊)

第三審(最高裁1992年4月28日)

 第2次大戦中に日本の軍人、軍属として南方戦線に動員され死傷したが、補償を受けられなかった台湾出身の元日本兵と遺族ら24人が、法の下の平等を保障した憲法14条に違反するなどとして、国に1人当たり500万円の補償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(佐藤庄市郎裁判長)は28日、請求を退けた1、2審判決を支持して、元日本兵らの上告を棄却する判決を言い渡した。日本の旧植民地の軍人、軍属の戦死傷に対する補償をめぐる最高裁の初の判断で、第3小法廷は、日本と台湾の戦後の関係を検討、「台湾住民の軍人、軍属に対しいかなる措置をとるべきかは立法政策に属する問題」と述べた。

 この訴訟をめぐっては、85年8月に2審の東京高裁が判決理由の中で、補償対象者が日本国籍を有する者に限られていることに伴う原告らの不利益を認め、「早急にこの不利益を解消し、国際信用を高めるよう尽力することが国政関係者に期待される」と異例の指摘をした。これをきっかけに台湾人元日本兵に対する特定弔慰金支給法が成立。戦死者遺族と重度戦傷者に一律200万円を支払うことが決まり、これまでに計約2万8000人に総額約560億円が支出されている。

 原告側は、戦死傷は国の行為による「特別の犠牲」とし、憲法29条により日本政府は補償義務を負うと主張していたが、判決は判例を踏まえ、「戦争被害は国民が等しく受忍しなければならないもので、憲法はこれに対する補償を予想していない」と退けた。

 続いて、憲法14条違反の主張について検討。「合理性があれば、法的取り扱いに区別があっても違憲とはいえない」としたうえで、日本と台湾の関係について、(1)1952年締結の日華平和条約により、補償問題は両国間の外交交渉で解決することが予定されていた(2)日中国交回復に伴い、補償問題を日台間の外交手段で解決することは事実上不可能になったが、それですぐに国籍条項が違憲となるわけではないとした。

 この判決は第3小法廷の4裁判官全員一致の結論。園部逸夫裁判官は「戦争賠償は国政の基本に触れる問題で、根本的な解決は、国政関与者の一層の努力に待つほかない」としたが、日華平和条約失効後の状態については、「法の下の平等原則に反し、差別になっていた」との意見を述べた。(朝日新聞1992年4月28日夕刊))

【15年の闘い、数秒で幕 台湾人元日本兵補償訴訟判決】

 「本件上告を棄却する」――28日午前、最高裁第3小法廷。旧植民地の台湾から軍人、軍属として戦地に駆り出されて戦死、負傷した被害について日本人兵士と同様の補償を求め、15年の長期裁判となった「台湾人元日本兵士戦死傷補償訴訟」は、わずか一言、数秒の判決言い渡しで終止符が打たれた。弁論を開かないままの判決だったため、当事者には知らされておらず、法廷には原告はもちろん、支援を続けてきた日本側関係者の姿もなかった。

 台湾人の戦死傷をめぐる補償問題は1974年、インドネシア・モロタイ島のジャングルで元日本兵士の李光輝(日本名・中村輝夫)さんが発見された際、ほとんど補償がされなかったことから表面化。日本側に、「台湾人元日本兵士の補償問題を考える会」がつくられ、今回の訴訟へとつながった。

 裁判は1、2審とも原告敗訴となったが、この間の法廷論争、司法判断がきっかけとなって国会を動かし、一律200万円の補償制度が確立した。

 この「考える会」の中心となった宮崎繁樹・明治大総長は、裁高裁判決が言い渡されたとき、総長就任のあいさつ回りをしていた。正午すぎに判決があったことを知らされ、「国籍差別をなくそうという機運の中で、行政の問題としてかたづけた残念な判決。国連・人権委員会への提訴などを検討したい」と話した。

 ○欲しかった新法判断

 庭山正一郎・原告弁護団長の話 この判決では、戦争責任に対する日本人の態度について、台湾の人々を納得させることはできないだろう。残念だ。2審判決後、一律200万円の弔慰金・見舞金を支払う法律ができたが、その内容についても、もう一段踏み込んだ判断を示して欲しかった。

 <解説> 他の裁判絶望視は早計

 サハリン残留訴訟や従軍慰安婦訴訟など、日本の戦争・戦後責任を問う裁判の先駆けとなった「台湾人元日本兵戦死傷補償訴訟」の最大の争点は、戦争補償の受給対象者を日本国籍者に限っている援護法や恩給法が、法の下の平等を定めた憲法に違反するか否か、にあった。最高裁は28日、「補償問題は両国間で特別に協議する」と規定した日華平和条約などを踏まえ、台湾出身者を対象から外したのは違法ではないと結論づけた。

 韓国については、「両国間の請求権問題は65年の日韓協定で最終かつ完全に解決した」との合意が政府間で成立している。台湾は、条約はあったものの、その後の日中共同声明で日本が中国を唯一の合法政府と承認したことにより、条約に基づく補償協議は不可能になっている。にもかかわらず、最高裁で「補償措置は立法政策の問題」との判断が示されたことは、韓国人関連の補償請求訴訟の原告側にとっても厳しい内容といえる。

 しかし、強制連行の末、異郷の地に置き去りにされた人や従軍慰安婦が受けた苦しみを、「国民が等しく受忍しなければならない戦争被害」といえるかは議論の余地がある。また、「国家の賠償請求権と個人の補償請求権とは切り離して考えるべきだ」という、台湾兵訴訟では検討されなかった論点も残されており、この判決によって、戦争補償裁判の道が閉ざされたと見るのは早計だ。

 その一方で、相次ぐ提訴をきっかけに、日本の戦争補償のあり方が国内外で問い直され、政府内部からも「解決に向けた政治的な配慮」を模索する動きが出始めている。訴訟をテコに一定の補償を実現した今回の台湾人兵士のケースは、「敗訴」という形で終わったものの、その点でも貴重な先例と位置づけられよう。(朝日新聞1992年4月28日夕刊)

登載判例集】

 第一審(東京地裁1982.2.26)判例時報1032号、判例タイムズ463号、訟務月報28巻5号

 第二審(東京高裁1985.8.26)判例時報1163号、判例タイムズ562号、訟務月報33巻4号、行裁集36巻7・8号

 第三審(最高裁1992.4.28)判例時報1422号、判例タイムズ787号、訴務月報38巻12号

 また、前掲(1)の在日旧植民地出身軍人・軍属弔慰金支給法の先例となった台湾戦没者遺族弔慰金支給法について、柏熊治「台湾戦没者遺族弔慰金支給法制定」ジュリスト898号、参照。

 なお、この台湾人元日本兵補償請求事件が起こるきっかけになったのは、1974年インドネシアのモロタイ島で台湾高砂族出身の李光輝(日本名中村輝夫)元陸軍一等兵が救出されたできごとである。高砂義勇隊について、河崎真澄『還ってきた台湾人日本兵』(文春新書、2003年)、林えいだい『台湾の大和魂』(東方出版、2000年)参照。

 なお、次項(19)も参照。

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 (19) 2001年4月13日 最高裁、在日韓国人元軍属の障害年金訴訟2件上告棄却(鄭商根訴訟、姜富中訴訟)

 旧日本軍の軍属として第二次世界大戦で負傷した在日韓国人が、国籍を理由に戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく障害年金を受けられないことをめぐる2件の訴訟の上告審で、最高裁第三小法廷(元原利文裁判長)は13日、国側に支給を求めた元軍属らの上告を棄却する判決をそれぞれ言い渡した。第三小法廷は「日本人との間に区別が生じたとしても合理的な根拠があり、立法府の裁量の範囲を逸脱したとはいえない」と述べた。元軍属側の敗訴が確定した。

 在日韓国人元軍属に対する障害年金の不支給については、今回の2件を含む計3件の上告があり、1件については第一小法廷が5日、同様の判決を言い渡していた。いずれの訴訟でも、元軍属側は在日韓国人を対象から除外する援護法の規定が放置されているのは憲法違反だと主張したが、一、二審と同じく退けられた。

 訴えていたのは、滋賀県に住む姜富中(カンプジュン)さん(80)と、96年に74歳で死亡した大阪府の鄭商根(チョンサングン)さんの遺族。

 第三小法廷は、在日韓国人の元軍人.・軍属が援護法の対象外とされたことについて「日韓両政府間の外交交渉によって解決されることが予想されており、十分な合理的根拠があった」と述べた。

 そのうえで、姜さんら在日韓国人の元軍属が日本からも韓国からも補償を受けられないままの状態になっていることについて、「戦争犠牲や戦争損害に対する補償は憲法の予想しないところであり、必要かどうかは国政全般にわたった総合的政策判断で初めて決め得る」として、元軍属側の主張を退けた。

 姜さんの訴訟では、二審・大阪高裁が「憲法の平等原則に違反する疑いがある」と言及。鄭さんの訴訟でも、二審・大阪高裁は「今後の立法政策で最大限の配慮がなされるべきだ」とする見解を示していた。(朝日新聞2001年4月13日夕刊)

【参考】 鄭商根事件

第一審(大阪地裁1995年10月11日)

 第二次大戦で重傷を負った元日本軍属の在日韓国人が、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」に基づく障害年金の請求を却下されたことを不服として、国を相手取り、処分の取り消しや一千万円の慰謝料などを求めた訴訟の判決が十一日、大阪地裁であった。下村浩蔵裁判長は、援護法が日本の国籍、戸籍がない者を適用対象外としている点について、「日本人の戦傷病者らに比べ差別の程度は重大で、在日韓国人を適用対象外とする扱いは法の下の平等を定めた憲法一四条に違反する疑いがある」と述べ、国に是正を強く求める判断を示した。しかし、「援護の内容は立法政策に属する問題」として請求は棄却した。原告側は控訴する方針。

  訴えていたのは、大阪府東大阪市荒川三丁目の無職鄭商根(チョン・サングン)さん(七三)。裁判では、一九五二年四月に施行された援護法が憲法一四条や国際人権規約などに違反するかどうかが争点となった。

 判決は、鄭さんが日本の戸籍を持たないために、同程度の戦傷を負った日本人なら受給できたと見込まれる二千万円を上回る多額の障害年金が得られない状況について、「差別の程度は重大」と指摘。国が主張した国家の非常事態としての戦争被害の特殊性などを考慮しても、単なる国籍を理由にした差別的取り扱いに合理性があるとはいえない、とした。

 そのうえで判決は、援護法の国籍、戸籍条項は、同法の施行直前に発効したサンフランシスコ平和条約をもとに、旧植民地出身者に対する補償問題が外交交渉によって解決されることを予定して設けられたもので、当時は合理性があったとした。

 しかし、六五年六月の日韓請求権協定の締結により二国間協議の可能性はなくなり、在日韓国人らに対する補償の道が閉ざされたことをとらえ、「協定締結をもって援護法の適用対象外としたことの合理性を根拠付けることはできない」と指摘。「何ら給付を行わず重大な差別を生じさせる取り扱いは、憲法一四条に違反する疑いがある」との判断を示した。

 しかし、判決は、「具体的な援護の程度、内容は立法府の政治的裁量にゆだねられる」と述べ、処分の取り消しや国家賠償の請求は理由がないと結論付けた。

 また、援護法の適用を受ける地位にあることの確認請求については、不適法として訴えを却下した。

 日本の植民地だった朝鮮で生まれた鄭さんは四二年七月、日本海軍の軍属として強制徴用され、マーシャル諸島で、右腕を失うなどの重傷を負った。(朝日新聞1995年10月12日朝刊)

 ◆戦後補償裁判、憲法一四条に関する判断<要旨>

 十一日、大阪地裁で言い渡された在日韓国人元軍属の戦後補償裁判の判決理由のうち、憲法一四条に関する判断の要旨は次の通り。 

 韓国を含む分離独立地域に関しては、補償問題がそれらの地域の施政当局との間の協議により解決されることが予想されたことが、戦傷病者戦没者遺族等援護法の立法に際して、国籍条項、戸籍条項によりこれらの地域の出身者を同法の適用対象から除外したことの合理性を根拠づける最も重要な理由であったものと解される。原告ら在日韓国人の軍人軍属に関しては、日韓請求権・経済協力協定の締結並びにその実施に伴う日本及び韓国における諸立法によって、戦死傷に対する補償がなされることもなく、もはや両国による補償問題に関する協議の可能性もなくなり、補償の途(みち)が閉ざされてしまったといえる。

 そうすると、日韓請求権・経済協力協定の締結をもって在日韓国人の軍人軍属を援護法の適用対象外としたことの合理性を根拠づけることはできない。

 従って、日韓請求権・経済協力協定締結後においては、国籍条項、戸籍条項により、援護法の適用対象外として、在日韓国人に対してなんらの補償給付を行わず、前記のように重大な差別を生じさせる取り扱いは憲法一四条違反の疑いがあるといわざるを得ない。

 しかし、原告ら在日韓国人の軍人軍属に対して援護法に基づく補償給付を何ら行わない取り扱いが違憲であるとしても、援護法による援護の特殊性に鑑(かんが)みると、在日韓国人についても日本国民に対するのと同様の援護が与えられるべきであるとはいい難く、これらの者に対する具体的援護の程度、内容を決定するについては、国民感情や社会、経済、財政、国際関係、政治事情等を考慮した立法府の政治的裁量にゆだねられる面があることは否定できない。従って、援護内容を定めるについて、国籍条項、戸籍条項を廃止することによるのか、他の立法によるのか、また具体的な援護の内容をどのようなものにするかに関しては、立法府の決定を待たざるを得ないのであって、立法政策に属する問題であり、憲法一四条違反を理由として本件却下処分の取り消しを求めることができない。(朝日新聞1995年10月12日朝刊)

第二審(大阪高裁1999年9月10日)

 太平洋戦争で重傷を負い、障害が残った旧日本軍の元軍属で在日韓国人の鄭商根(チョンサングン)さん=控訴後に死亡=が、国と厚相を相手に、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」に基づく障害年金の請求を却下した処分の取り消しなどを求めた訴訟の控訴審で、大阪高裁は十日、鄭さん側の控訴を棄却する判決を言い渡した。鄭さん側は「援護法が日本の戸籍のない人を対象外にしているのは、法の下の平等を定めた憲法などに違反する」と主張したが、井関正裕裁判長は「立法当時、戸籍条項を設けたことには合理性があり、違憲とまでは言えない」と述べた。鄭さん側は上告する方針。

 一方で、判決は在日韓国人の元軍人・軍属らに対する補償措置について、「今後の立法政策において最大限の配慮がなされるべきだ」との見解を示した。

 判決はまず、「立法当時、補償問題を二国間協議にゆだね、援護法に戸籍条項を設けたことには合理性があった」と判断。原告側の「一方的に日本国籍をはく奪されたことや日本人と同等の納税義務を果たしていることからみて、国が補償を拒むことは許されない」という主張を退けた。

 そのうえで、「在日韓国人の元軍人らに対する補償措置が宙に浮いた状況が延々と続いてきたことは否定できないが、いかなる措置を講ずべきかは立法政策に属する問題」と指摘。さらに「長年補償対象から除外され、経済的損失もばく大な額に達しているのはゆゆしき事態で、早期に改善されるべきだという見解には十分理由がある」などと述べる一方、「だからといって戸籍条項が合理性を失って違憲になるとか、国が代替措置をとらないことが違憲だとまでは言えない」と結論づけた。

 在日韓国人の元日本軍属として初めて、援護法に基づく「日本人並みの補償」を求めて提訴した故鄭商根(チョンサングン)さんの思いは、控訴審でも実らなかった。とはいえ、十日の大阪高裁判決は、近年続く戦後補償裁判の判決の流れに沿うように、在日の立場に理解を示してもいる。支援者らは「早期の救済を」と訴えた。

 ■遺影胸に

 一審判決の四カ月後に逝った鄭さんに代わって訴訟を受け継いだ長男のセキ鎮^(ソクチン)さん(五七)は、遺影を抱いて判決後に会見した。

 「もし日本人が反対の立場だったら、どう思いますか。考えてください。語る価値のない判決です」と言葉は少なかった。

 鄭さんは韓国・済州島に生まれ、一九四二年、海軍軍属として徴用された。マーシャル諸島で連合軍の爆撃を受けて右腕を失った。「戦争はまだ終わっていない」と訴え続けた。

 この日の判決は、日韓両国のいずれからも補償されずに取り残された在日韓国人について、「立法政策において最大限の配慮がなされるべきだ」と救済を促してもいる。原告代理人の丹羽雅雄弁護士はこの点を評価して、「国は十分、裁判所の判断を受け止めていただきたい」と言葉を添えた。

 ■国も検討へ

 外国人が戦中の被害について国家補償を求めた「戦後補償裁判」では、「補償のための立法措置を取るべきだ」として、国会に対応を求める判決が続いている。元軍属の在日韓国人、石成基(ソクソンギ)さん(七七)らが障害年金を求めて起こした訴訟では、東京高裁が昨年九月、請求は退けたものの「援護法の在日韓国人への適用」など特別措置を求めた。

 台湾人元日本兵・軍属が国家補償を求めた訴訟で東京高裁が八五年、立法を促したのが皮切りだった。この判決後、台湾人元日本兵・軍属やその遺族に対して特別立法で、一人当たり二百万円が支払われた。

 そして今、在日韓国人に対しても政府は、台湾人と同じく特別法での「一時金」を検討し始めている。十日、判決内容を受けて記者に質問された野中広務官房長官は、「国と国との間で終わっていることとはいえ、先の大戦の傷跡はなお多く残されている。可能な限りの解決を努力しなければならない」と答えた。

 「徴用された人たちは高齢化している。きちんと政府が謝罪し、せめて残りの人生は日本人と同じように補償してほしい」。裁判を支援してきた市民団体代表、鄭順一(チョンスニル)さん(三三)は判決を受けて、こう話した。(朝日新聞1999年9月11日大阪朝刊)

 

【参考】 姜富中事件

第一審(大津地裁1997年11月17日)

 第二次大戦で旧日本海軍の軍属として徴用され、負傷して障害が残った在日韓国人が、戦傷病者戦没者遺族等援護法(援護法)に基づく障害年金の請求を却下されたのを不服として、国を相手取り、処分の取り消しと二千万円の慰謝料などを求めた訴訟の判決が十七日、大阪地裁であった。裁判では、日本の国籍や戸籍を持たない人を対象外としている援護法が「法の下の平等」を定めた憲法一四条や国際人権規約に違反するかどうかが争点となったが、鏑木重明裁判長は「戦後補償は立法政策の問題で、日本国籍を持つ軍人軍属と(在日)韓国人との間に差異が生じているとしても、憲法一四条などに反しない」として、原告の請求を棄却した。 訴えていたのは、滋賀県甲賀郡甲西町三雲、無職姜富中(カン・プジュン)さん(七七)。(朝日新聞1997年11月17日大阪夕刊)

 第二審(大阪高裁1999年10月15日)

 第二次世界大戦で重傷を負い、障害が残った旧日本軍の元軍属で在日韓国人の姜富中(カンプジュン)さん(七九)=滋賀県甲西町=が、国と厚相を相手取り、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」(援護法)に基づく障害年金の請求を却下した処分の取り消しなどを求めた訴訟の控訴審判決が十五日、大阪高裁であった。松尾政行裁判長は、在日韓国人の元軍属らが日韓両国の法のはざまに陥り、現在まで何の補償もされていない点について、「法の下の平等を定めた憲法一四条や国際人権B規約二六条に違反する疑いがある」として、国に早急な対応を強く求める判断を示した。しかし、「援護の内容は国会の立法裁量に属する問題」として、姜さん側の請求自体は退けた。姜さん側は上告する方針。

 言い渡しの後、松尾裁判長は「現行の法体系の中で可能な限りの法的判断を示したつもりです。国が今後できるだけ速やかに、判決で示した判断を通じて問題を再検討し、国際社会から納得が得られるような是正措置が取られることを期待します」との所見を述べた。

 原告側代理人の弁護士らによると、在日韓国人の戦後補償問題で、高裁レベルで「違憲の疑い」が指摘されたのは初めてで、国際人権B規約違反に言及した判決も過去に例がないという。

 裁判では、一九五二年に施行された援護法が国籍条項や戸籍条項を設けていることが、憲法一四条と国際人権規約に違反するかどうかが争点になった。

 判決は、日本国籍を持つ元軍人・軍属には相応の障害年金などが支給されているのに、在日韓国人の元軍属らが補償を受けられない現状について、「著しく不利益な法的扱いを受けている」と指摘。日韓請求権協定が締結された六五年六月以降も、日本と韓国のいずれからも補償を受けられない状態を放置したことには違憲の疑いがあるとし、「国会にはできるだけ速やかに条項改廃や新たな立法措置で、差別的な取り扱いを是正することが要請されている」と述べた。

 さらに、憲法一四条と同趣旨の国際人権B規約二六条についても、「国が規約を批准した七九年以降は、同条違反の疑いも生じている」と述べた。

 しかし、判決は「援護法に基づく障害年金は社会保障的な側面を持ち、その内容をどう定めるかは、一般的には国会の立法裁量に属する」などとして、請求は認めなかった。

 ●「国籍要件の見直し困難」

 菅宜紀(かんよしのり)・厚生省社会・援護局援護課長の話 国側の主張が認められたものと受け止めている。韓国との補償問題は日韓請求権経済協力協定で、法的には完全かつ最終的に解決済みになっており、援護法の国籍要件を見直すことは困難だ。前官房長官の依頼で、現在、在日韓国人元軍人・軍属の問題については内閣外政審議室で調査・検討しており、厚生省も必要な協力をしていく。(朝日新聞1999年10月16日朝刊)

 ◆問題考え直し早く是正を 高裁所見

 大阪高裁が十五日、在日韓国人の旧日本軍元軍属の戦後補償裁判で示した所見は次の通り。

 本件は、第二次世界大戦に伴って被った悲惨な戦争被害について、日本国籍を有する軍人軍属等が援護法に基づき相応な補償を受けているのに対し、控訴人ら在日韓国人である軍人軍属等は、戦後長期間にわたって日本及び韓国のいずれからも何らの補償を受けられないという状況に置かれていることが契機となって提起された訴訟であり、控訴人らがその主張のような著しく不利益な状況に置かれていることは、当裁判所としても十分認識しているところです。

 また、控訴人らに対する不利益が、日韓請求権協定の締結や人権規約の批准といった新しい事態が生じた後も、何ら是正されないまま放置され、政治的な解決はもちろん、人道的な見地からの解決も何ら進展していないため、控訴人がその是正を求めるために、本件訴訟を提起せざるを得なかった心情についても、裁判所なりに相応の理解をしているつもりです。

 そのため、当裁判所としても、本件訴訟が、社会的に注目されているという意味だけではなく、憲法あるいは人権規約の解釈にかかわる重要な論点を含む事件であるとの認識のもとに、現行の法律体系の中において、司法機関である裁判所としての可能な限りの法的判断を示したつもりです。

 もっとも、控訴人の立場からすれば、控訴人の請求がいずれも認容されなかったものであって、その結論については納得いかないものがあるかも知れません。

 しかし、判決理由(要旨)において述べたとおり、援護法に基づく給付を受ける権利は、その本質は、旧日本軍と一定の地位にあった軍人軍属等の戦争被害を援護することにあるとはいえ、社会保障的な側面その他の多様な性質を有している点を勘案すると、裁判所において、現段階において、直ちに国籍条項及び戸籍条項を無効と判断して、被控訴人厚生大臣に対し、控訴人に援護法に基づく給付と同様の給付をするよう命じたり、被控訴人国(国会)の立法不作為を直ちに国家賠償法上の違法な行為であるとまで認めることは困難であり、その是正は、第一義的には、立法機関である国会において行うべきものと考えるものです。

 したがって、当裁判所としては、被控訴人らが、今後できるだけ速やかに、当裁判所が本判決で示した判断を通じて、在日韓国人である軍人軍属等の援護の問題を再検討し、日本が国際社会において占める役割や地位をも十分考慮の上、国籍条項及び戸籍条項の改廃を含め、本件の問題に関して、国際社会からも十分納得が得られるような是正措置が取られることを期待するものであります。

 ○人権のとりで、役割果たせず

 「戦後補償立法を準備する弁護士の会」座長の今村嗣夫(つぐお)弁護士の話 期待はずれだった。ここまで踏み込むのなら、「違法」と断じてもいいのではないか。市民の間の立法運動をサポートすることになり、立法の流れに弾みがつくという意味では意義のある判決だが、戦後補償問題のとらえ方を間違えている。この裁判の目的は「弱者救済」という社会保障的なものではない。元軍属らが求めているのは、国から受けた人権侵害行為への謝罪や補償だ。司法は「人権のとりで」なのに、その役割を発揮できないのは残念だ。

 ○人権規約違反、初めての判断

 今井直・宇都宮大助教授(国際人権法)の話 国際人権B規約に違反する恐れがあると明確に判断したのは、援護法関連の裁判では初めてだろう。国際人権規約についてはこれまで、原告側が積極的に議論を展開しても、裁判所は判決でわずかに触れる程度で冷淡だった。今回は耳を傾け、詳しく検討したようにみえる。だが、国際人権規約について国際的に採用されている解釈基準を十分に尊重するならば、判決は「違反の恐れ」ではなく「違反」とすべきではないか。そういう意味では、中途半端な印象を受ける。(朝日新聞1999年10月16日大阪朝刊)

【登載判例集】

鄭商根事件

 第一審(大阪地裁1995.10.11)判例タイムズ901号、訟務月報42巻8号

 第二審(大阪高裁1999.9.10)

 第三審(最高裁2001.4.13)訟務月報49巻5号

姜富中事件

 第一審(大津地裁1997.11.17)判例時報1718号(参考・原審判決として)、訟務月報45巻7号

 第二審(大阪高裁1999.10.15)判例時報1718号

 第三審(最高裁2001.4.13)訟務月報49巻5号

 なお、関連項目(1a)(18)参照。

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(20) 2001年4月25日 大阪高裁、植民地下朝鮮での生保保険金支払い請求棄却

 日本生命保険(本店・大阪市中央区)が、植民地統治下の朝鮮で父親が加入した生命保険の保険金請求に応じないのは不当だとして、韓国・仁川市に住む崔圭明(チェキュミョン)さん(77)が、500万円の支払いを同社に求めた訴訟の控訴審で、大阪高裁は25日、請求を棄却した一審・大阪地裁判決を支持して控訴を棄却した。根元真裁判長は「父親の死から2年が過ぎた47年に保険金請求権の時効が成立している」と述べた。(朝日新聞2001年4月26日朝刊)

 

 (21) 2001年4月26日 米政府、「慰安婦訴訟」請求却下の意見書を連邦地裁に提出

【ワシントン5月14日=土井達士】米国務省のバウチャー報道官は十四日の会見で、一九三〇年代から四〇年代にかけて強制的に日本軍の“従軍慰安婦”にさせられたと主張するアジア人女性十四人が日本政府に対して謝罪と賠償を求めて昨年九月、ワシントン連邦地裁で起こした訴訟をめぐり、米司法省と国務省が「米国にはこの訴訟の管轄権はない」として、却下を求める意見書を同地裁へ提出したことを明らかにした。同報道官によると、意見書は四月二十六日付で提出されたもの。原告側が主張している事態が起きた時点では「あらゆる国家は米国内での訴訟から保護されており、日本政府を訴訟当事者とすることはできない」と主張している。

 ただ、バウチャー報道官は同時に「われわれは日本軍によって性的な奴隷状態に置かれた女性の存在を認識するとともに、深い同情を寄せている」と語り、米国が“従軍慰安婦”問題の存在を認めていることを強調した。

 ワシントンでの訴訟は、国際法違反があった場合、外国人でも米連邦地裁に提訴できるとする米国の現行法に基づいて起こされている。(産経新聞2001年5月15日夕刊)

慰安婦訴訟で国務省却下請求

【ワシントン清宮克良】 第二次大戦中に日本軍の従軍慰安婦にされたとして、韓国や中国など女性15人が日本政府を相手取り米国内で起こした損害賠償請求訴訟について、国務省のバウチャー報道官は14日、裁判所に訴訟の却下を求める文書を提出したことを明らかにした。女性15人は昨年9月、ワシントン連邦地裁に訴えを起こした。報道官は同地裁に管轄権はないとの立場を示した。(毎日新聞2001年5月16日朝刊)

【山手注―「上述(5)2000年9月18日 アジア諸国の元慰安婦15人、米連邦地裁に日本政府提訴」を参照】

                                  

 (22) 2001年5月10日 米での集団訴訟権事実上消滅 ナチス強制労働被害者基金、補償金支払い開始にメド

 【ベルリン11日=関厚夫】 米国のニューヨーク連邦地裁が10日、再審理の結果、ナチス政権下の強制労働被害者の集団訴訟権はドイツの官民が補償基金を設立したことによって事実上消滅する、との判断を示したことは被害者や基金の関係者の間で朗報として受け止められている。延び延びになっていた補償金の支払いが今夏にも開始されるめどが立ったことになる。

 ドイツ政府と企業は昨年、補償基金「追憶・責任・未来」を設立し、基金総額の百億マルク(約5千7百億円)を折半することを決めた。

 独側は「基金に拠出しても企業側が集団訴訟の対象になれば、二重に賠償金を支払うことになる」として、米国における独企業の法的保護を補償金支払いの条件にしていたが、基金設立が決定した後も集団訴訟が相次いだうえ、今年3月にはニューヨーク地裁が集団訴訟権を認める判決を出したため、基金の存在そのものがなし崩しになる恐れが出ていた。

 独政府側はこの日の「逆転判決」を高く評価している。独第一テレビ放送は報道番組で「これで強制労働被害者に対する補償問題とボールはドイツに投げ返された」とする見方を伝えた。

 しかし、判決文の詳細が明らかにされるのは11日であることや、独企業に対するほかの集団訴訟の審理も残っていることから、「すべての障害が取り払われたとするのは時期尚早」との見方もある。(産経新聞2001年5月12日朝刊)

 米連邦地裁、ナチス強制労働被害者訴訟賠償請求を事実上却下

【ニューヨーク10日=青木伸行】ナチス・ドイツ時代の強制労働被害者に対する補償問題で、米ニューヨーク連邦地裁は十日、ドイツの銀行など企業に対する集団賠償請求の訴えを事実上退ける判断を下した。

 強制労働被害者に対する補償をめぐってドイツ政府と企業は昨年七月、総額百億マルク(約五千七百億円)にのぼる補償基金を共同で設立し、ユダヤ人などの強制労働被害者に一人当たり五千−一万五千マルク(約二十九万−八十七万円)の補償金を支払うことで被害者団体と合意している。

 基金はドイツ政府と企業が半分ずつ出資することになっているが、ニューヨーク連邦地裁のクラム判事は今年三月、企業の出資状況が思わしくなく、被害者への補償金の支払いが遅れていることなどを理由に、「現時点で訴訟を却下すれば原告(被害者)が公正な補償を受けることができない可能性がある」として、集団賠償請求を却下することはできないとの考えを示していた。

 しかし、同判事は十日、一転して「(ドイツ側から出されていた)集団賠償請求の却下申請を認める」として、強制労働被害者を原告とする賠償請求の訴えを事実上退ける判断を下した。

 判断理由は明らかではないが、賠償問題の対応を基金に一本化したいドイツ政府と企業にとって、集団賠償請求訴訟の存在は大きな懸念材料であり、基金による被害者に対する補償金の支払いが遅れているのも、訴訟の行方を見極める必要があるためだ。今回の判断により、ドイツ政府と企業側の懸念はある程度払拭(ふっしょく)されることになり、基金による支払いを促すことになりそうだ。(産経新聞2001年5月11日夕刊)

【山手注】 3月および今回の判決を下したニューヨーク連邦地裁のクラム判事とは、正確にはニューヨーク州南部地区連邦地裁(United States District Court for the Southern District of New York)のKram, Shirley Wohl 判事のことらしい。同地裁公式サイト( http://www.nysd.uscourts.gov/ ) 参照。

   米地裁判決に障害判明 独企業の戦時補償、夏前の解決絶望的

ナチス・ドイツ政権下の強制労働被害者に対する補償問題で、早期解決に再び暗雲が漂っている。

 ドイツ側が求めていた補償金の支払い開始の条件を満たしたとみられていた米国の地裁判決になお障害が残ることが判明したためだ。

■ナチス時代の強制労働補償問題

 ナチス時代にドイツが中・東欧の占領地域から連行し工場で強制労働に従事させた人々に対する補償をめぐる問題。独政府と企業が五十億マルクずつを拠出して総額百億マルク(五千六百億円)の基金を創設し、そこから補償金を支給する。

 独側は支給開始の条件として、被害者らが米国で起こしていた対独損害賠償請求訴訟を取り下げ、かつ再び提訴しないことを求めている。
 米ニューヨーク連邦地裁は十日、強制労働被害者は個々の企業ではなく、一律に独政府と企業が設立した補償基金「追憶・責任・未来」(基金総額の百億マルク=約五千六百億円)に補償を請求すべきだ−との判断を示した。当初、この判断によって独政府と独企業が求めていた米国における集団賠償請求訴訟に対する法的保護が初めて認められた、と受け止められていた。ところが、判決文を検討したところ、その条件としてドイツの補償基金が、オーストリア企業に対する賠償請求をも肩代わりするとともに、今年夏前までの補償金の支払いを課していた。

 ドイツとオーストリアの両政府と企業は強制労働被害者に対し、それぞれが独自の補償を行うことで合意している。さらにドイツでは補償基金の設立と補償金の支払いについてすでに法制化している。このため、今回の判決の条件を満たすには、両国間の協議を経て、さらに議会で法改正を行う−という手続きが必要となり、「かえって支払いが大幅に遅れる」(シュレーダー独首相)というのが実情だ。

 独側は「地裁判決は過去の経緯や欧州における法の適用範囲を理解していない」として控訴。このため、独メディアからはすでに「被害者が高齢に達しているにもかかわらず、夏前の補償金支払いは絶望的」との見方が出始めている。(ベルリン 関厚夫)(産経新聞2001年5月16日夕刊)

なお、関連項目(3)(13)(24)(26)(57)参照。

 

  (23) 2001年5月22日 豪政府、日本軍の元捕虜に補償金支払いへ

 オーストラリア政府は22日発表した01〜02年度(7月〜6月)予算案に、第2次世界大戦中に日本軍の捕虜となった元豪州兵らに対する1人あたり2万5000豪ドル(約162万円)の補償金支払いを盛り込んだ。存命している元捕虜約2600人に加え、元捕虜と死別した配偶者、抑留を受けた文民など合計約1万人が対象となるとみられる。第2次世界大戦では、約2万2000人の豪州兵が日本軍の捕虜となり、うち約8000人が収容中に死亡した。

 日本軍の元捕虜については、隣のニュージーランドも4月、1人あたり3万ニュージーランド・ドル(約157万円)を支払うと発表した。対象は約150人。英国も去年11月、1人あたり1万ポンド(約177万円)を払うと発表している。(asahi.comニュース速報2001年5月22日、19:58)

 なお、イギリス(6)、オランダ(10)も参照。

 

 (24) 2001年5月22日 独企業、ナチス政権下の強制労働補償金支払い決定

 【ベルリン22日=関厚夫】ナチス・ドイツ政権下の強制労働被害者に対する補償問題で、独企業側は22日、「米国で集団賠償訴訟に対する法的保護が実質的に認められた」として補償基金を通じて被害者に補償金を支払うことを決めた。

 シュレーダー独首相も企業側の決定を歓迎、最終合意から約1年を経てようやく今夏に補償金の支払いが始まるめどが立った。

 独政府と企業が基金を折半して設立した補償基金「追憶・責任・未来」(総額百億マルク=約5,700億円)の企業側代表であるマンフレーと・ゲンツ・ダイムラークライスラー財政担当取締役が明らかにした。

 補償基金は昨年6月に設立されたが、独企業に対する法的保護問題をめぐって事態は混乱した。一度は訴訟請求権を認めていたニューヨーク連邦地裁のクラム判事が、今月初旬に独企業に対する法的保護を認める判決を出したが、補償基金がオーストリア企業に対する賠償を肩代わりし、今夏前までの補償金に支払いを条件としていた。

 これに対し、独側は「過去のドイツーオーストリア間の取り決めを無視した判決」と控訴したが、高裁は「判断領域を逸脱」として一審判決を破棄、独側の主張を認めた。

 クラム判事もこの判決を尊重し、21日、別の請求訴訟を棄却した。このため、「米の司法判断を信じる」(ゲンツ氏)と企業側が支払いの開始を決めた。

 独連邦議会は30日の本会議で補償基金支払いを可決する。生存する150万人の被害者への補償金支払いは、7月からになると予想されている。(産経新聞2001年5月23日夕刊)


なお、後掲(26)参照。

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(25) 2001年5月30日 東京地裁、中国人「慰安婦」一次訴訟請求棄却

 第二次大戦中、強制的に旧日本軍の従軍慰安婦として連行されたとして、中国人女性四人が、日本政府に一人当たり二千三百万円の補償と謝罪を求めた訴訟で、東京地裁は三十日、「国際法上、個人の国家に対する賠償請求は認められず、日本の国内法でも二十年の除斥期間が経過し、請求権が消滅している」と述べ、訴えを棄却した。

 原告側弁護団によると、従軍慰安婦訴訟は全国で九件あるが、中国人慰安婦訴訟の判決は初めて。訴えていたのは、李秀梅(リ・シュウメイ)さん(72)らで、会見した弁護団は「慰安婦問題についての事実認定を放棄した判決。控訴したい」と語った。(読売新聞2001年5月31日朝刊)(山手注―これは1995年8月7日に提訴された、いわゆる中国人「慰安婦」第一次訴訟についての判決である。)

なお、第二審(東京高裁)(137)、最高裁判決(192)参照。また、類似事件の中国人「慰安婦」二次訴訟判決(60)参照。

【登載判例集】

第一審(東京地裁平13.5.30) 判例タイムズ1138号

 


   (26) 2001年5月30日 ナチス強制労働被害者補償、ドイツ議会支払い承認

 【ベルリン30日=関厚夫】ナチス・ドイツ政権下の強制労働被害者に対する補償問題で、ドイツ連邦議会は三十日、米国における独企業に対する法的保護問題が解決した、として補償基金「追憶と責任、そして未来」が被害者に対して補償金の支払いを開始することを承認した。

 補償基金の総額は百億マルク(約五千三百億円)で、独政府と企業が折半する。対象者は旧共産圏に在住するポーランド人やチェコ人、ユダヤ人ら約百五十万人。早ければ六月中旬からひとりあたり五千−一万五千マルク(約二十六万−七十九万円)の補償金の支払いを開始するが、終了するのは数年先になるとみられる。

 米独政府や独企業、被害者団体代表は昨年六月、補償基金の設置と早期の支払いの開始で最終合意した。

 しかし、独企業が米国内における賠償請求に対する法的保護を強く求める一方で、米ニューヨーク地裁が賠償請求権を認める判決を出したことから支払いの開始が遅れていた。今月に入り、ニューヨーク高裁が一審判決を破棄したことを受け、独企業側は支払いに応じる決定をした。

 独政府代表のラムズドルフ元経済相はこの日の議会演説で「ドイツ史のなかで最も暗黒といえる時代についての財政的な決着はつけられた。しかし、道義的な決着はつけることはできないし、つけてはならない」などと述べた。(産経新聞2001年5月31日夕刊)

なお、関連項目(3)(13)(22)(24)(57)参照。

 

 (26a) 2001年6月1日 大阪地裁、在外被爆者への健康管理手当支給を国に命じる(郭貴勲事件)

 敗戦直前に広島で被爆した韓国原爆被害者協会の元会長、郭貴勲(クァククィフン)さん(76)が滞日中に取得した被爆者健康手帳を帰国で失効させられ、健康管理手当の支給を打ち切られたとして国と大阪府などに手当の支給継続などを求めた訴訟で、大阪地裁は1日、郭さんの健康手帳を有効と認め、手当の未払い分約116万円と今後の手当の支給を命じた。三浦潤裁判長は判決理由で「被爆者援護法の根本的な趣旨目的に反する取り扱いで、憲法違反の恐れもある」と述べた。(39面に関係記事)

 74年7月の旧厚生省公衆衛生局長通達による現行の運用は、日本を離れると被爆者援護法の適用外としており在外被爆者に対する差別的な取り扱いの見直しを迫る初の司法判断で、内外の格差是正を求める動きに弾みがつきそうだ。

 在外被爆者が」滞日中に取得した被爆者健康手帳を出国で失効させる運用について、判決は「被爆者救済を目的にした被爆者援護法の趣旨に反する。被爆者を日本に住むか一時的に滞在するかで差別することになり、法の下の平等を定めた憲法14条に反する恐れもある」と判断。運用の根拠となっている74年の局長通達についても「同援護法の解釈に反している」とした。

 国側は「税金でまかなう社会保障制度は、日本社会の構成員でない海外居住者には適用されない」と主張したが、判決は「同援護法は人道目的の国家補償的な性格もあり、在外被爆者を排除しているとはいえない」と退けた。(朝日新聞2001年6月2日朝刊)

◆在外被爆者をめぐる主な動き◆

1945年8月  広島、長崎に原爆投下

  67年7月  韓国原爆被害者協会の前身が発足

  70年12月 釜山から被爆者の孫振斗さんが治療のため日本に密入国

  71年8月  韓国から協会会長が来日し、在韓被爆者の窮状を訴え

  71年10月 在米被爆者協会設立

  72年10月 孫さんが手帳交付を求め福岡地裁に提訴

  74年3月  孫さんが勝訴

  74年7月  厚生省が原爆二法に基づく手当の適用で在外被爆者の除外を通達

  80年11月 在韓被爆者の渡日治療始まる(〜86年11月)

  90年5月  日本政府が在韓被爆者支援のため40億円拠出表明

  94年12月 被爆者援護法制定

  95年2月  朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で被爆者団体設立

  95年8月  広島平和記念式典に在外被爆者を初招待

  96年5月  日米韓ブラジルの被爆者が共同で国に援護法適用を要請

  98年10月 郭貴勲さんが大阪地裁に提訴

  99年5月  在韓被爆者の李康寧さんが、国と長崎市に、健康管理手当の支給打ち切りの取り消しなどを求めて長崎地裁に提訴

2000年5月  朝鮮半島と台湾出身の元軍人・軍属らの国内永住者に弔慰金などを支払う弔慰金等支給法が成立

  01年3月  外務省などが北朝鮮被爆者を調査(毎日新聞2001年6月2日)

【登載判例集】

在韓被爆者地位確認等請求事件

第一審(大阪地裁2001.6.1) 判例タイムズ1084号、判例時報1792号、訟務月報49巻7号

 なお、「在外被爆者にも被爆者救援法の適用を!」のサイト( http://www.hiro、shima-cdas.or.jp/home/yuu/enggo.htm  )にも、判決文がが掲載されている。  

 なお、本件と同種事件の長崎地裁平成13年12月26日の判決(49b)および本件控訴審判決(82)参照。

 【補遺】 上記「在外被爆者をめぐる主な動き」に「1974年3月 孫さんが勝訴」とあるのは被爆者健康手帳交付申請却下処分取消請求事件(孫振斗事件)第一審判決のことである。この事件の裁高裁判決(1978年3月30日)につて、台湾人元日本兵戦死傷補償請求事件((18)の補遺)で、原告は「戦争被害者に対する国家補償については国籍のいかんを問うべきでないとの考え方を示すもの」と主張し、裁判所はこれに対して「右判決は、同法が外国人に対しても適用することとしているのは被爆による健康上の障害の特異性と重大性にあるとしているのであって、一般的戦争被害者に対する国家補償について国籍の如何を問うべきでないとの考え方をとるものと解することは困難であり、本件に適切な事例とはいい難く、原告らの右の主張は理由がない」と退けた。

【登載判例集】(孫振斗事件)

 第一審(福岡地裁1974.3.30)判例時報736号、最高裁判所民事判例集32巻2号(参照として)

 第二審(福岡高裁1975.7.17)判例時報789号、最高裁判所民事判例集32巻2号(参照として)

 第三審(最高裁1978.3.30)判例時報886号、最高裁判所民事判例集32巻2号

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(27) 2001年6月26日 花岡事件被害者の一部和解拒否、独自に米で提訴へ

 太平洋戦争末期、日本に強制連行された多数の中国人労働者が犠牲になった「花岡事件」をめぐり、被害者と遺族ら二十数人が、東京高裁で昨年11月に成立した花岡訴訟の和解と「救済措置」を拒否したことが26日、明らかになった。この中には同訴訟の原告も含まれている。拒否者の一部は鹿島(旧鹿島組)を相手に損害賠償と公開謝罪を求める新たな訴訟を米国で起こす方針だ。

 東京高裁でまとまった原告11人と被告・鹿島の和解は日中間の戦後補償裁判で初の和解となり、鹿島が信託した5億円をもとに強制連行された986人全体の解決をめざしたが、これで一括解決は崩れた。

 拒否した人たちは(1)当初の要求の公開謝罪、記念館の建設、1人につき500万円の賠償、のいずれも実現していない(2)鹿島は謝罪せず、被害者の「救済」という形をとっている、などと反発。30日の事件56周年を前に26日、河北省で会議を開き、「日本政府と企業の責任の追及を続ける花岡受難者聯誼会(連合会)」(魯堂鎖会長)を結成して、同調者を集めていくことを確認した。

 拒否を決めた、花岡訴訟原告の1人、孫力さん(66)は「和解条項は事前の説明と違うし、鹿島の声明は歴史事実を認めていない」などと語った。米国の訴訟に参加するかどうかは明確にしなかった。(朝日新聞2001年6月27日朝刊)

 【山手注】 花岡和解については、日本では一般に(そして法律専門家および戦後補償運動の参加者の間では特に)極めて高く評価されているが、中国では専門家の間に鹿島の法的責任が認められていないことに批判があるようであり(人民日報インターネット版 http://j.people.com.cn/home.html の特集欄「民間戦後補償」参照)、不幸なことに被害者の間も二つに分裂してしまった。

なお、前記(7)および後記(60a)参照。


(28) 2001年6月29日 韓国籍の元軍人らの遺族、靖国合祀の中止を求め提訴

 戦死した韓国人を靖国神社に合祀(ごうし)しているのは民族的人格権を侵害するなどとして、戦時中に旧日本軍に徴兵、徴用された韓国籍の元軍人・軍属や遺族ら二百五十二人が二十九日、国を相手取り、合祀の中止、遺骨の返還、計二十四億円の損害賠償などを求める訴えを東京地裁に起こした。

 提訴したのは、元軍人・軍属本人九十人と、遺族百六十二人。全員が韓国かアメリカに居住している。

 訴状で原告側は、国は靖国神社と共同して、戦死した韓国人元軍人を、遺族らの意思に反して、天皇のために死亡した者を祭る靖国神社に合祀し、民族としての人間性を侵害していると主張。また、国は死亡した旧軍人・軍属の遺骨を収集し、死亡状況を遺族に通知、説明する義務がある−としている。(産経新聞2001年6月30日朝刊)

【訴状】 本件の訴状が、在韓軍人軍属裁判を支援する会のサイト( http://homepage2.nifty.com/gungun  )に掲載されている。

 

(29) 2001年7月12日 東京地裁、終戦知らず13年逃亡の強制連行中国人に賠償認める(劉連仁事件)

 第2次世界大戦中に中国から日本に強制連行された後、劣悪な労働条件のために逃走し、北海道の山野で13年間生活をした故劉連仁(リウ・リエン・レン)さんが国に損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は12日、請求通り2千万円の支払いを命じた。西岡清一郎裁判長は、国には自ら強制連行した人たちを保護する義務が戦後生じたのに、劉さんの保護を怠ったと認定した。20年で損害賠償請求権が消滅すると解される除斥期間の規定については「本件は正義、公平の理念に著しく反する」と述べ、適用を制限した。

 判決は、強制連行された劉さんが劣悪な労働条件から逃走を余儀なくされたと認定。しかし、強制連行、強制労働そのものによる多大な被害に対する賠償については「国際法に基づく請求権はなく、戦前の民法でも国に賠償責任は生じない」と述べて否定した。

 一方で、劉さんの逃走に関し、47年の国家賠償法施行後の国の救済義務に言及。国は劉さんの逃走を知っており、逃走後の生活は生命・身体の危険があることが予測できたにもかかわらず、捜して保護する義務を怠ったとの判断を示した。

 除斥期間については、劉さんに重大な被害を与えたことを明らかにした公文書があったのに、政府は国会で「報告書が残っておらず、事実関係を確定できない」との答弁に終始した経緯を重視。賠償の機会があったのに放置したと指摘し、「除斥期間を適用して国の責任を免れさせることは正義、公平の理念に著しく反するし、国が賠償に応じることは条理にもかなう」と結論づけた。

 劉さんは終戦直前に空知支庁沼田町の炭鉱から逃走。終戦を知らないまま、58年に保護されるまで13年間、逃走を続けた。96年に提訴したが、昨年9月に87歳で死亡し、長男の劉煥新(リウ・ファン・シン)さん(56)ら3人が訴訟を受け継いでいた。

 戦後補償訴訟で請求が認められた例としては、98年に山口地裁下関支部が示した「関釜裁判」の一審判決=広島高裁が請求を棄却、原告が上告中=がある。(朝日新聞2001年7月13日朝刊)

【登載判例集】

第一審(東京地裁2001.7.12)判例タイムズ1067号,訟務月報49巻10号  なお、中国人戦争被害者の要求を支える会のサイト( http://www.suopei.org/index-j.html )にも判決全文が掲載されている。

 

 なお、国が控訴(後掲34)、および第二審(154)、最高裁判決(193)参照。

 

 (30) 2001年7月13日 アジア女性基金、オランダ人元慰安婦へ「償い」終了

 【ハーグ(オランダ)13日=三井美奈】第二次大戦中、日本軍のいわゆる従軍慰安婦にされた女性に償い金や福祉資金を給付してきた「アジア女性基金」が13日、オランダでの事業を終えた。同基金は韓国や台湾で暗礁に乗り上げているが、オランダでは好意的に受け止められた。関係者は「初めての成功」と評価している。

 アジア女性基金は、村山内閣(当時)の肝いりで1995年7月設立され、翌年から、フィリピン、韓国、インドネシア、台湾で順次、事業を開始した。

 オランダでは、日本軍占領下のインドネシアで慰安婦にされたオランダ人女性を対象に98年7月、事業が始まり、65―90歳の78人が、医療・福祉支援金として、それぞれ約5万ギルダー(約250万円)を受給。最も早く事業を終了できた。

 オランダ政府の調査によると、ジャワ島の日本軍現地司令部が独自にオランダ民間人抑留所から女性を強制連行、確認できただけで65人が暴行を受けた。

 基金には、128人の受給申請があり、〈1〉当時、オランダ国籍を保有していた〈2〉日本軍人に継続的に暴行を受けた〈3〉売春でなかった――などを基準に審査が行われた。受給者のうち4人は、当時未成年で性的暴行を受けた男性だった。

 事業委員会のマルグリット・ハマー委員長は「戦争による貧困で売春を余儀なくされた女性の応募もあったが、基金の趣旨をくみ、除外した」と言う。

 日本政府の国家補償などを求める声が根強い韓国や台湾では受給を拒むケースが続出し、受給者が「汚れた金を受け取った」などと非難を受けるケースもあった。オランダでも4人が受給を拒んだが、その1人のエレン・ファンデプールさんは「あくまで自分の判断。他人に押しつけるつもりはない」と語るなど、被害者の間の対立に発展することはなかった。17歳の時、被害に遭った元慰安婦の女性(78)は「日本人の償いの気持ちを受け止めようと受給を決めた」と話す。

 オランダでの事業が成功したのは、基金が素直に人道事業と受け止められたからだ。また、戦争被害者たち自身が事業委員会を組織して受給審査を行ったことも、被害者側の信頼醸成に役立った。

 さらに見逃せないのは、オランダが、日本軍占領時までインドネシアを植民地支配してきた歴史の陰の部分を見直しつつあり、一方的な日本批判を避けようとする空気があったことだ。

 慰安婦の政府調査を担当したオランダ戦争資料研究所のレムコ・ラーベン調査員は「戦犯裁判の証言は信ぴょう性に疑問があるため、複数の証言や抑留者日記との照合で事実の積み上げに努めた。日本もオランダも、戦争の『被害者』意識は根強いが、客観的な史実掘り起こしの努力が両国関係の強化につながるのでは」と話している。(Yomiuri ON Line,2001年7月13日22:03)

 【付記】 アジア女性基金のホームページ( http://www.awf.or.jp/ )に、「オランダにおけるアジア女性基金事業の終了について」が掲載されている。また、外務省のサイト( http://www.mofa.go.jp/mofaj/index.html )にも(>各国・地域情勢>アジア>トピックス>先の大戦をめぐる諸問題>慰安婦)、「オランダにおける『女性のためのアジア平和国民基金』の『償い金』の終了について(発表文)」(平成13年7月13日)が掲載されている。

関連項目(50)(59)(62)参照。

 

 

 (31) 2001年7月16日 中国人の元慰安婦8人、国を提訴

 「旧日本軍に性的暴行を受けた」とする中国・海南島の8人の女性が、国が名誉回復を怠ったことによる1人300万円ずつの慰謝料と謝罪広告などを求め、16日、東京地裁に提訴した。

 訴えたのはいずれも70歳代で、黎族などの少数民族。訴状によると女性たちは14〜18歳だった40年代初め、進軍してきた日本軍に拉致(らち)・監禁され日に何度も暴行された。終戦で解放されたが、今も近所や夫から冷たい目で見られののしられているほか、当時の被害の夢を見てうなされるなどPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩んでいる。

 弁護団によると、戦後補償の裁判で、名誉回復を放置した国の戦後責任に限って提訴したのは初めて。副団長の中野比登志弁護士は「これまで多くの敗訴判決があり、暴行による直接被害の救済を司法に求めるのは難しい」と名誉回復に絞った理由を説明した。(毎日新聞2001年7月16日夕刊)

 

  (32) 2001年7月18日 田中外相、パウエル国務長官に、米下院の強制労働補償法案を質す 

 【ローマ19日=藤崎優朗】田中真紀子外相は18日夜(二本時間19日未明)、パウエル米国務長官とローマ市内の迎賓館で約30分間、会談した。

 (日米地位協定の運用改善協議の問題は省略)

 田中外相は、日本企業が米軍捕虜を使った強制労働に対する補償法案が米下院に提出されていることを取り上げた。

 外相は「日本政府としては憂慮している」と述べ、米政府の対応について見解を求めた。

 これに対しパウエル長官は「米国の立場は明快だ。過去の問題は51年のサンフランシスコ講和条約で解決済みだ」とした上で、「この件は大統領にも話してあるし、米政府としては、こういう問題を蒸し返すいかなる法案も支持しない」と語った。(朝日新聞2001年7月19日夕刊)

 なお、関連項目(14)(33)(41)(44)(48)(77)参照。

 

(33) 2001年7月18日 米下院可決、米元捕虜の対日企業訴訟に政府が反対することを「禁止」

 【ワシントン19日=三浦俊章】米下院は18日、第二次世界大戦中に日本軍の捕虜として強制労働に従事させられたとして元米兵が日本企業に補償を求めている裁判で、米政府が訴訟に反対する申し立てを起こすことを禁じる予算案の修正条項を可決した。米政府はこれまで元捕虜の問題は「51年のサンフランシスコ平和条約で解決した」とする日本政府に同調する見解を出している。

 修正条項は司法、国務両省がそういう申し立てに予算を使うことを禁じる形をとっているが、「禁じられる『申し立て』が具体的に何を指すのか明確になっていない」(日本外務省幹部)。また、上院の動きが見えないため、修正条項が成立するかはまだ不明だ。

 しかし、18日の議決は395対33の大差。これ以外にも、、米政府の平和条約の解釈変更を求める法案があり、こちらも19日までに150人を超える下院議員が賛同している。(朝日新聞2001年7月21日朝刊)

 ◆10日以上も遅れて、産経新聞7月31日夕刊に、同じ件が次ぎのように報道された。但し、内容はこちらの方がより正確である。

 【ワシントン30日=西田令一】第二次大戦中に強制労働させられたとして、米国など連合国の軍人たちが日本企業を相手取って起こしている損害賠償請求訴訟の控訴審にからみ、国務、司法両省の意見書提出などを事実上不可能にする修正条項を盛り込んだ歳出法案が米下院で圧倒的多数の賛成により可決されていたことが三十日までに分かった。賠償の請求権はサンフランシスコ講和条約で放棄されたと明快に断じた国務省の意見書は、昨年の一審での請求却下決定の決め手となった。上院でも同様の修正条項入りの歳出法案が可決、成立すれば、控訴審に重大な影響も出る可能性もあり、ワシントンの日本大使館では成立阻止に躍起となっている。

 二〇〇二会計年度における両省などの歳出を定めた法案に、訴訟現地のカリフォルニア州内の選挙区選出のローラバッカー下院議員(共和党)が修正条項を提案したのは七月十八日で、同日中に四百八対十九の圧倒的多数の賛成で可決された。

 修正条項は「司法省もしくは国務省はこの法律で得られる資金を(対日賠償請求訴訟に)反対する意見陳述を行うために一切使用してはならない」としている。上院でもボブ・スミス議員(共和党)が同様の修正条項を提案するとし、歳出法案はこの修正を含め夏季休会開けの九月初めに審議される公算が大きい。

 上院でも可決された場合は法案が成立、同会計年度の今年十月から来年九月までの一年間は両省は意見書提出などの動きを封じられてしまう。

 連合国の元軍人たちによる損害賠償請求訴訟は昨年十二月までにサンフランシスコ連邦地裁ですべて却下され、原告らはこれを不服として連邦高裁に控訴しており、控訴審開始はこれからだ。

 一審での国務省の意見書は(1)請求権の放棄を明記したサンフランシスコ講和条約は米上院で審議され批准を承認された(2)没収した日本の在外資産も使ってこれら元軍人たちへの補償も行われた−などと指摘、「非常に重要な役割を果たした」(日米関係筋)という。

 両議員らは今春以降、裁判所は請求権問題を解釈してはならないとする法案を、それぞれ、上下両院に提出したものの、審議入りの動きはみえておらず、今度は、予算面から両省の手足を縛る“奇襲戦法”に出たようだ。(産経新聞2001年7月31日夕刊)

 なお、関連項目(14)(32)(41)(44)(48)(77)参照。

    

 (34) 2001年7月23日 強制連行の劉さん国家賠償訴訟、国が控訴

 第二次大戦中に中国から強制連行され、過酷な労働を送った北海道の炭鉱を脱走、13年間の逃亡生活を強いられた劉連仁さん(昨年9月死亡)が日本政府に損害賠償を求めた訴訟で、政府は23日、劉さんの請求通り2000万円の国家賠償を認めた東京地裁判決(前掲29)を不服として、東京高裁に控訴した。

 政府は控訴の理由として、〈1〉劉さんの保護義務を認めた判決には根拠がない〈2〉逃亡中の劉さんの生命や安全が脅かされるという予見可能性はない〈3〉損害賠償権が20年で消滅すると定めた民法の除斥期間の適用は正義公平の理念に反していない――としている。

 一方、控訴を受けて、訴訟を承継している劉さんの長男、劉煥新さん(56)は東京・霞が関の司法クラブで会見し、「面会申し入れに、小泉首相は会ってくれなかった。父に代わって、憤りを感じている」と述べた。(Yomiuri ON Line、7月23日14:18)

 

 (35) 2001年8月9日 韓国の遺族団体、日本統治時代の被害補償を韓国政府に要求−「対日」方式を転換、来月メド提訴

 【ソウル9日=黒田勝弘】韓国で先の大戦での犠牲者遺族達が韓国政府を相手に補償支払いを求める訴訟を提起しようという動きを見せている。これは「過去の補償は既に国家レベルで韓国政府に支払われており解決済み」とする日本政府の立場を念頭に置いたもので、これまで日本政府ばかり相手に個人補償を要求してきた韓国人の対日要求方式の転換として注目される。

 韓国紙の報道によると、関連の有力団体である「太平洋戦争犠牲者遺族会」は、日本統治時代の徴兵や徴用などによる被害補償や未払い賃金返還などを求め、九月中旬をメドに韓国政府を相手に訴訟を起こす準備を進めている。

 その根拠は、戦争中のことを含む過去の韓国支配に伴なう「補償」は一九六五年の日韓国交正常化の際、韓国政府が日本政府から受け取った「請求権資金」の無償・有償五億ドルで清算されたという経緯があるからだ。

 韓国政府はこの五億ドルのほとんどを経済・社会基盤の整備に使ったが、一部が戦争犠牲者や、財産補償など「民間請求権」として個人補償にも使われ、約八万件について九十五億ウォンが個人に支払われたという記録が残っている(七六年・韓国政府の経済企画院発行「請求権資金白書」)。ただこの時の個人補償は七一年から一年足らずの間に終了し、関係者の間に不満が残った。

 しかし近年、韓国の関係者や日本の支援者の間ではあらためて個人補償を日本政府に要求する運動が活発化し、日本で訴訟も行われてきた。

 「過去補償」について韓国政府は基本的には六五年に清算されたという日本政府と同じ見解だが、民間人による日本政府に対する個人補償要求については黙認の態度をとってきた。それでも九〇年代以降、いわゆる従軍慰安婦問題が脚光を浴びるようになった際、韓国外務省高官が「補償は韓国政府に要求して欲しい」と発言したことがあり、その後、韓国政府は元慰安婦に対して国家予算で生活補助を実施している。(産経新聞2001年8月10日朝刊)

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 (36) 2001年8月23日 京都地裁浮島丸訴訟で判決、国に4,500万円賠償命令

 敗戦直後の45年8月、国内に強制連行された朝鮮人らを乗せた浮島丸(4730トン)が京都府の舞鶴湾で爆発して沈没し、500人以上が死亡した事件で、韓国在住の生存者や遺族計80人が国に総額30億円の損害賠償と公式謝罪などを求めた訴訟の判決が23日、京都地裁であった。水上敏裁判長は、生存者15人について、国との間に当時、旅客運送契約に似た関係が成立していたと認定。「釜山港まで安全に送還する義務があった」として、国に計4500万円(各慰謝料300万円)の賠償を命じた。公式謝罪などの請求は退けた。

 原告は戦時中、青森・大湊海軍施設部や三沢飛行場などに徴用され、敗戦後に大湊港から浮島丸に乗船した21人(提訴後1人死亡)と犠牲者の遺族ら59人。92年8月から3次に分けて提訴していた。

 判決は、原告のうち、当時、浮島丸に乗船していたことが証明された生存者15人について、国の安全配慮義務違反について認定。「原告らはいずれも、乗船前に軍属を解員されており、乗船にあたっては国との間に旅客運送契約に類似した法律関係があった」と指摘し、「釜山港まで安全に運送する義務があり、これが不可能な場合には最寄りの港まで運送する義務を負っており、債務不履行に基づく損害賠償の責任がある」と結論づけた。15人以外の原告については、乗船の事実が証明できていないことや、当事者でないことなどを理由に訴えを退けた。

 判決は当時、舞鶴湾など日本海の港が米軍敷設の機雷で危険な状態だったことにもふれ、「浮島丸の出港を見合わせるか、安全な大湊港に戻るかの選択も可能だった」と述べ、国の「爆沈は不可抗力」との主張を否定した。

 裁判で、生存者たちは、「国には安全配慮義務があった」と主張。「事件後、原因解明の調査もせず、被害者たちを無補償のまま放置した過失も認定されるべきだ」としていた。(朝日新聞2001年8月23日夕刊)

【浮島丸事件】

45年8月24日、京都・舞鶴湾に立ち寄った旧海軍の輸送船浮島丸が爆発、沈没した。旧海軍の資料では、青森・大湊港から釜山港に向かう途中の朝鮮人労働者とその家族3700人余と日本人乗組員約250人の計約4000人が乗っていた。このうち朝鮮人524人と乗組員25人が死亡したとされる。

 船が引き揚げられたのは9年後で、その間、船内に閉じこめられたままの遺体も多かった。政府は原因調査をしないまま「米軍が敷設した機雷に触れたことによる沈没」と発表。朝鮮半島で抑留されることを恐れた日本人乗組員が出航に反対していたことなどから、「爆破工作」説もある。(朝日新聞2001年8月23日夕刊)

【登載判例集】 

第一審(京都地裁平13.8.23) 判例時報1772号

 なお、後記(54)(107)および控訴審判決(101)、最高裁判決(136)参照。

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