【第3巻目次】
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37 |
2001.09.04 |
元米捕虜ら日本政府に1兆ドル賠償請求、連邦地裁に提訴 |
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38 |
2001.09.06 |
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39 |
2001.09.08 |
米国務長官、「米捕虜賠償は解決済み」と声明 |
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40 |
2001.09.08 |
こじれるギリシャの戦後補償 独文化交流機関強制競売の危機 |
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41 |
2001.09.10 |
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42 |
2001.09.14 |
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43 |
2001.09.17 |
(37) 2001年9月4日 元米捕虜ら日本政府に1兆ドル賠償請求、連邦地裁に提訴
【ニューヨーク6日=山中季広】 第2次大戦中に日本軍から受けた損害として1兆ドル(約120兆円)の賠償を求める訴訟を、元米兵捕虜らがシカゴの米連邦地裁に起こした。米紙シカゴ・トリビューンが6日報じた。
原告は、日本軍の捕虜になり、フィリピンでの「バターン死の行進」を生き延びた元陸軍大佐メルビン・ローゼン氏と、捕虜たちの治療を強制された元陸軍看護婦エセル・ミレットさんら。サンフランシスコ平和条約50周年を前に、4日に提訴した。
訴訟を取りまとめた米ノースウェスタン大学のアンソニー・ダマト教授(国際法)は、「日本政府が条約締結後も、個人が賠償を求める裁判を起こす権利をオランダ側に認めたと読める文書が発見された」との報道などを根拠に、「米市民個人も戦争による賠償の損害を日本側に求める権利を保持している」と主張。巨額の請求については「日本軍による犯罪行為の数々を思えば、これでも控えめなくらいだ」と説明している。(朝日新聞2001年9月7日夕刊)なお、この訴え(Rosen v. Japan, Case No. 01 C 6864) の訴状は、Anthony D'Amato 教授のサイト( http://anthonydamato.law.northwestern.edu/ )出入手可能。
(38) 2001年9月6日 捕虜の対日賠償請求平和条約で決着済み、米国務省報道官
【ワシントン6日=杉本宏】 米国務省のバウチャー報道館は6日、8日のサンフランシスコ平和条約署名50周年の記念式典に合わせて元米兵捕虜が対日賠償請求運動を活発化させていることについて、「この問題は50年前の条約で解決済みだ。賠償請求には根拠がない」との米政府の公式見解を繰り返した。
同報道館は「多くの人が戦争中に体験した苦難を承知している」としつつ、「米国政府の立場は裁判でも明確にしている」と述べた。日本政府にも、こうした立場を伝えているという(朝日新聞2001年9月7日夕刊)
なお、次の(39)も参照。
(39) 2001年9月8日 米国務長官、「米兵捕虜賠償は解決済み」と声明
【サンフランシスコ8日=柴田岳】パウエル米国務長官は8日(日本時間9日)、サンフランシスコ市内で田中外相と会談し、元米兵捕虜が日本側に賠償を求める動きが出ていることについて「賠償問題は議会にも法案が出ているが、ブッシュ政権は戦後処理問題は(対日請求権を放棄した)サンフランシスコ講和条約で解決済みとの立場を維持していく」と述べ、賠償問題は決着済みとの考えを表明した。田中外相は「国務省がそういう立場を取ることに感謝する」と述べた。
元米兵捕虜問題は最近、サンフランシスコ講和条約50周年にあたって注目を集め、田中外相は8日の講和記念式典で謝罪の意思を明確にした。(Yomiuri On Line、2001年9月10日、11:57)
なお、上の(38)も参照。
(40) 2001年9月8日
こじれるギリシャとの戦後補償 独文化交流機関強制競売の危機
【ベルリン7日=関厚夫】第二次大戦中のナチス・ドイツによるギリシャ住民虐殺事件の被害者の遺族に対する補償問題がこじれ、アテネにある独文化交流機関の土地建物が強制競売にかけられる事態に陥っている。独外務省は「補償問題は解決ずみ」としているが、ギリシャの裁判所は独側の主張を退けており、ドイツの戦後補償問題の新たな火種になっている。
独政府に補償を請求しているのはギリシャ中部のディストモン村の住民たち。ギリシャは第二次大戦中、ドイツやイタリア、ブルガリアの共同支配下にあったが、同村に侵攻したナチス・ドイツは住民約二百二十人を虐殺した。
一九九〇年代後半、同村の遺族たちは五千五百万マルク(約三十一億円)の賠償を求めて提訴、地元地裁は遺族の主張を基本的に認めた。独政府は「両国の補償問題は一九六〇年にドイツがギリシャに一億千五百万マルク(約六十五億円)を支払う協定を結んだことで決着している」と主張し、控訴した。
当初、一審判決を強制執行しようとする動きはなかったが、最近になって裁判所が独外務省がアテネ中心部に所有する文化交流機関「ゲーテ・インスティテュート」の土地建物を接収したうえで、競売にかけ、その売却益を賠償にあてる構えをみせ始めた。
驚いた独外務省は競売の差し止めを求める仮処分をアテネ高裁に申し立てた。しかし、同高裁は七日までに、独側の申し立てを却下することを伝えてきた。競売の期日は今月中旬に予定されており、現在のところ、政治判断で中止されるような気配はない状況だ。実施されれば、ドイツ政府の海外資産が売却され、文化交流機関が事実上の閉鎖に追い込まれるという前代未聞の事態になる。
戦後、ドイツはさまざまな形で賠償を行ってきており、今年に入って半官半民の基金(基金総額百億マルク)が強制労働被害者に支払いを始めている。しかし、「民法の概念は戦後変遷しており、現在の法解釈では重大な国家犯罪に対し、個人はその後継国家に賠償を請求することができる」とするギリシャ高裁の判断が確定すると、新たな賠償請求訴訟が多発するのは必至の情勢だ。このため独外務省は「あしき先例になる」と懸念している。(2001年9月8日産経新聞朝刊)
【山手補足説明】
1944年6月10日にギリシャ南部のヴォイオチア県ディストモ村で起こった事件については、『世界戦争犯罪事典』(2002年、文芸春秋)572―3頁にやや詳しい説明がある。この被害について、1995年11月27日、ヴォイオチア県と被害者・遺族がドイツ国家に対して損害賠償を求める訴えをレヴァディア第一審裁判所に提起し、1997年10月30日に同裁判所が下したのが、上記記事にある地元地裁の判決(ヴォイオチア県対ドイツ連邦共和国事件、ここではディストモ村事件と呼ぶ)である。
ドイツは第二次大戦後東西ドイツに分裂したために平和条約が結ばれなかった。そのため、1953年のロンドン債務協定の第5条第2項によって、戦争賠償は将来平和条約が締結されるまで延期することとされた。レヴァディア地裁判決は、ドイツの再統一を承認した1991年のいわゆる2+4条約(西独、東独と米、英、仏、ソとの間の条約)
は第二次世界大戦の武力紛争の法的および事実的遺産を最終的に解決
ドイツがその破棄を求めてギリシャの最高裁判所に上告し、最高裁は2000年5月4日、基本的に第一審判決を認める決定を下した(1&)。ただし、ギリシャで広く尊敬を集めているMatthias長官を含む5人の判事が、制限免除主義はまだ慣習国際法になっていないという強力な小数意見を書き、そのうちの長官を含む4人は、第46条違反がjus cogens違反を構成し、jus cogens違反の場合は主権免除の黙示的放棄があったものとみなされるという主張についても反対した。(この最高裁判決は、独訳(抄訳)がKritishe Justiz, 2000, p.472 et.seq.に掲載されており、またMaria Gavouneli と Iliasu Bantekas による紹介がAJIL, Vol.95, 2001, p.198 et.seq.にある。)
(41) 2001年9月10日 米捕虜対日賠償訴訟への反対陳述阻止法案、上院でも可決
【ワシントン10日=西田令一】第二次大戦中に強制労働させられたとして米国の元軍人らが日本企業を相手取って起こしている損害賠償請求訴訟で、米政府による意見陳述などを不可能にする修正条項を二〇〇二会計年度歳出法案に盛り込むことが十日、米上院本会議で賛成多数で可決された。下院でも七月に同様の法案が可決されており、これで法案は事実上成立したことになり、控訴審への影響が懸念される。
修正条項は「司法省もしくは国務省はこの法律で得られる資金を(対日賠償請求訴訟に)反対する意見陳述を行うために一切使用してはならない」という内容で、二〇〇二会計年度における両省などの歳出を定めた法案の中に盛り込まれた。
提案者のボブ・スミス上院議員(共和党)は十日の本会議で、「わが国の政府は民間の市民が苦しみに関して法廷で論証するのを阻止すべきか」と問いかけ、「それは誤りだと思う」と、修正条項への賛成を求めた。
これに対し、日系のダニエル・イノウエ議員(民主党)は修正条項は「日米関係に重大な結果を与える」と警告、サンフランシスコ講和条約を損なってはならないと、修正への反対を訴えた。
しかし、イノウエ議員が提出した修正棚上げの動議が五十八対三十四の反対多数で否決されたのを受け、修正条項は賛成多数で可決された。
下院では七月、同様の修正条項を盛り込んだ歳出法案が四百八対十八の圧倒的多数で可決されている。(上述(33)参照)
米国など連合国の元軍人たちによる損害賠償請求訴訟の一審では、国務省が(1)請求権の放棄を明記したサンフランシスコ講和条約は米上院で審議され批准された(2)没収した日本の在外資産を使って元軍人たちへの補償も行われた−との意見書を提出し、請求は昨年末までにサンフランシスコ連邦地裁で却下された。(産経新聞2001年9月11日夕刊)なお、関連項目(14)、(32)、(44)、(48)、(77)参照。
(42) 2001年9月14日 第2次大戦中の強制労働訴訟、審理へ カリフォルニア州上位裁判所(Jeong事件)
第2次世界大戦中に強制労働に従事させられたとして小野田セメント(現太平洋セメント)および在米子会社を相手に損害賠償訴訟を起こしている韓国系米国人、Jae Won Jeong(鄭在源)さん(79)と弁護団は17日、米カリフォルニア州ロサンゼルス郡の州上位裁判所(地裁に当たる)が被告側の棄却請求を退け、正式の事実審理へ入る決定をしたことを明らかにした。
弁護団によると、同裁判所のピーター・リッチマン(Peter Lichtman)判事は、鄭さんは後に米国籍をとったことから、サンフランシスコ講和条約にある補償請求権放棄の適用を受けないとして、被告側の棄却を求める主張を退けた。この決定は15日に弁護団に通知された。
鄭さんは、戦争中法政大学の学生であったが、徴兵を拒否したため朝鮮半島に送られ、そこで小野田セメントで強制労働に従事させられた。彼は太平洋セメントとその米国子会社に対して、不当利得および不法・不公平・詐欺的商行為を理由に集団訴訟をおこした。そして、これは連邦地裁に移管されないでロサンゼルス郡の州上位裁判所にとどめられた三つの訴訟のうちの一つである。
被告会社は、すでに政府間の諸協定が強制労働に関する請求権を処理しており、またこの種のケースはは連邦裁判所の管轄に属しているとして、判事に訴えを却下するよう求めた。しかし、判事は18頁に上る判決で、「政治部門のこれまでのいかなる決定も、被告の行為を肯定していないし、米国が交渉し批准したいかなる条約も原告の請求権を取り扱っていない」と述べて、被告の主張を退けた。(朝日新聞2001年9月18日夕刊、Reuters-Tuesday,Sep.18,2001)
【山手注】 次の(43)のウオーカー連邦地裁判事の判決との違いに注意。なお、本判決の原文は Jeong v Onoda Cement, Co. Ltd., Case No. BC217805 (L.A. Super. Ct., Sep.14, 2001)。担当弁護士のサイト http://www.lieffcabraser.com で入手可能。
(43) 2001年9月17日 米連邦地裁、フィリピン、中国、韓国人の戦時中の強制労働訴訟を却下(ウオーカーU、V判決)
第二次大戦中に強制労働をさせられたとして、米国内外のフィリピン、中国、韓国の民間人が日本企業に対し賠償を求めていた訴訟で、サンフランシスコ連邦地裁のウオーカー判事は、2001年9月17日訴えを却下した。ただし、理由はフィリピン人と、中国・韓国人とでは異なっている。フィリピン人については、フィリピンが対日賠償請求権の放棄を盛り込んだサンフランシスコ講和条約に合意しており、「賠償を求めることはできない」として却下した(ウォーカー判決U)。
中国、韓国人については、「ナチ・ドイツと同盟国」の企業による強制労働の被害者は遺族や非米国籍者を含めて賠償を請求できる−として請求期限を二〇一〇年まで延長したカリフォルニア州法(一九九九年七月成立、ヘイデン法)は米国違憲に違反し無効であり、したがって訴えも無効であるとした(ウォーカー判決V)。(朝日新聞2001年9月20日夕刊、産経新聞9月21日朝刊)
【山手注】 2000年9月21日の判決[上記(4)]および2000年12月13日の判決[上記(11)]で、連合国の元捕虜について、サンフランシスコ平和条約で請求権が放棄されているとして却下したのに続いて、ウオーカー判事はこれですべての訴訟について正式事実審理に入らない いわゆる summary judgment で訴訟を却下した。 もちろん今回も原告側は控訴するものと思われる。
【登載判例集】
@WalkerU判決 In re World WarU Japanese Forced Labor Litigation, 164 F. Supp. 2d. 1153 (N.D. Cal. 2001). なお、判決は< http://www.cand.uscourts.gov/ >でも入手可能。
AWalkerV判決 In re World WarU Era Japanese Forced Labor Litigation, 164 F. Supp. 2d. 1160 (N.D. Cal. 2001). なお、判決は< http://www.cand.uscourts.gov/ >でも入手可能。
なお、このウオーカーU、V判決の紹介と分析が、山手治之「第二次大戦時の強制労働に対する米国における対日企業訴訟について(続編1)」『京都学園法学』2001年第2・3号(2002年)に掲載されている。
なお、これらウオーカーT、U、V判決の控訴審である連邦高裁判決(85)参照。
(44) 2001年10月1日 強制労働賠償法案に、元駐日大使3人連名で反対意見寄稿【ワシントン30日=西田令一】トーマス・フォーリー、ウォルター・モンデール、マイケル・アマコストという三人の前元駐日米大使がこのほど、米紙、ワシントン・ポストに連名で寄稿、今まさに国際テロとの戦いで重要度が増す日米同盟を危うくしかねないとして、第二次大戦で強制労働させられたとする元米軍人らの損害賠償請求訴訟を後押しする修正法案の成立に反対を表明した。問題の修正は、サンフランシスコ講和条約で請求権は放棄されたとする国務省や司法省の訴訟での意見陳述を禁じる条項を、二〇〇二会計年度の歳出法案に盛り込んだものだ。類似の修正法案が下院に続いて上院でも今回のテロ前日の九月十日に可決され、近く両院で一本化され成立する運びだ。
三人の大使経験者は寄稿で、サンフランシスコ講和条約を「米国の太平洋地域における安全保障体制の要石(かなめいし)」と位置付け、「議会は大統領と政府がテロ包囲網の構築に必死になっているときに、なぜ、米国の安保に緊要な条約の破棄になりかねない法案の成立を図るのか」と、テロに対する日米結束への影響に懸念を表明。
三氏は「訴訟に根拠を与えるいかなる措置も条約の重要な条項に違反する」と警告し、さらに(1)日本の場合は分断されたドイツとは違い条約で明確に決着した(2)これら元米軍人らには日本からの接収資産を使って一人三千ドル(現在の貨幣価値で二万三千ドル)の補償も行われた−と指摘した。
三氏は「条約に対する米国の責務に不信感を生じないようにしよう」とのシュルツ元国務長官の議会あて書簡に共感を示して結びとしている。(産経新聞2001年10月1日朝刊)
(45) 2001年10月4日 米連邦地裁、アジア人元慰安婦15人の対日本政府賠償請求を却下
ワシントン(正確にはDC=コロンビア特別区)米連邦地裁は4日、第2次世界大戦中に旧日本軍の従軍慰安婦だったとして韓国、中国、台湾、フィリピンの女性15人が日本政府を相手取って、賠償などを求めていた訴訟で(上記(5)、2000年9月18日の項参照)、「主家国家である日本は米国の裁判管轄権に服さない」と主権免除原則に基づいて、訴えを却下した。原告側は控訴した。
同地裁のヘンリー・ケネディー判事は、さらに「サンフランシスコ平和条約の締結で、戦争遂行中に日本および日本国民の行動により生じた結果への損害賠償は解決したとみなす」と述べ、また「慰安婦問題は個人と政府ではなく政府と政府との間で交渉されるべき性質」との見解も示した。(産経新聞2001年10月5日夕刊、朝日新聞2001年10月6日朝刊)
【登載判例集】Hwang Geum Joo v. Japan, 172 F. Supp. 2d 52 (D.C.D. 2001). なお、判決は、http://www.dcd.uscourts.gov でも入手可能。
【山手追加】 この判決の詳細については、拙稿「アジア人元慰安婦の対日本政府訴訟に関する米国連邦地裁判決」山手治之・香西茂編集代表『現代国際法における人権と平和の保障』(東信堂、2003年)165頁以下、参照。
なお、控訴審判決(103)、最高裁判決(130)、控訴審差戻し審判決(154#)、最高裁判決(166a)参照。
(46) 2001年10月11日 東京高裁「戦後補償解決済み」と平和条約で初の司法判断、
オランダ人の控訴棄却
第二次大戦中にインドネシア(旧オランダ領東インド)を占領した旧日本軍の捕虜や抑留者になったオランダ人計八人(うち二人が死亡)が収容中に虐待を受けたなどとして、国を相手に一人二万二千ドルの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が十一日、東京高裁であり、浅生重機裁判長は原告の請求を退けた一審判決を支持、原告の控訴を棄却した。旧連合国の元捕虜が原告となった戦後補償訴訟での高裁判決は初めて。
原告側は捕虜虐待など戦争中の非人道的な行為に対し、当事国の賠償責任を定めたハーグ条約などを根拠に賠償を請求した。
判決で浅生裁判長は「戦争被害の賠償は国がすべての被害を総括して解決する講和条約の交渉にゆだねられており、ハーグ条約もこの構造を前提としている」と述べ、個人の請求権は認められていないとした。
さらに、国側が控訴審で、原告側に賠償請求権がないことの根拠として新たに主張したサンフランシスコ平和条約については「連合国とその国民の日本に対する請求権の問題は終局的に一切が解決された」と、戦後補償訴訟では初の司法判断を示した。原告側は上告する方針。(産経新聞2001年10月11日夕刊)
【参考】 第一審判決(東京地裁1998年11月30日)
太平洋戦争中に旧オランダ領東インド(現インドネシア)地域で日本軍に抑留されたオランダの軍人や民間人計8人(うち1人死亡)が、過酷な労働と待遇は国際法違反と、日本政府に計17万6000ドル(現行レートで約2100万円)の損害賠償を求めた訴訟で、東京地裁は30日、請求を棄却した。梶村太市裁判長は、日本軍が原告女性1人を軍の慰安婦にした事実も含め、原告への待遇は虐待と認めたが、「ハーグ条約などでは被害を受けた個人が相手国に損害賠償を請求することはできない」と指摘した。原告側は控訴する。
26日の旧連合国4カ国の元捕虜・抑留者訴訟に続き、原告側の敗訴となった。
判決は、原告8人のうち、軍の慰安婦にされたと主張する女性(75)についても「慰安婦として使役した」と認定した。そのうえで、ハーグ条約など国際法に照らし、個人に損害賠償請求権があるかどうか検討し、「ハーグ条約は国家間の権利義務を定めたもので、個人の損害賠償請求権を定めた規定はない」と退けた。
また「各国の裁判所で、ハーグ条約を根拠に個人の請求が認められた例はほとんどない。個人の請求の可能性を認める考え方(国際的な学説)が存在することは認められるものの、いずれも独自の見解で採用できない」と述べた。
訴えていたのは、元オランダ軍中尉のシュールド・アルベルト・ラプレーさん(78)と民間人7人。訴えによると、1942〜45年に日本軍に拘束され、シンガポールの空港やタイ―ビルマ(ミャンマー)の泰緬(たいめん)鉄道建設などで強制労働などをさせられた。女性は日本軍の施設で兵隊の相手をさせられ、帰国するまで性病に悩まされたという。
原告側は1人当たり2万2000ドルの賠償を求めて、94年1月に提訴した。これに対し、国側は「国際法は国家間の権利義務を定めたもので個人に請求権はない」と反論していた。
◇「重要な第一歩」−−会見で原告
判決後、記者会見した原告の元民間人抑留者、ヘラルド・ユングスラーガーさん(71)は「判決が日本軍の非人道的な取り扱いを認めたのは、非常に重要で新たな一歩だ。最終的には個人の請求権が認められなかったので控訴するつもりだが、第一歩が正しい方向で切り開かれたと考えている」と述べた。弁護団も「原告の一人一人について、被害事実を認めた画期的な判決だ。個人請求権に関しても、ただちに認めないものではないとしており、明確な結論を得るまで争っていきたい」と語った。(毎日新聞1998.11.30東京夕刊)
【登載判例集】
第一審(東京地裁1998.11.30)判例時報1685号、判例タイムズ991号、訟務月報46巻2号
第二審(東京高裁2001.10.11)判例時報1769号、判例タイムズ1072号、訟務月報48巻9号
本東京高裁判決の戦後補償裁判史上に占める意義について、山手治之「日本の戦後処理条約における賠償・請求権放棄条項(1)」『京都学園法学』2001年第1号(2001年)参照。
(46&) 2001年10月16日 最高裁、香港軍票訴訟で住民の上告棄却
第二次大戦中、旧日本軍が発行した紙幣「軍票」が終戦で無価値となり損害を受けたとして、香港の住民が日本政府を相手に補償や慰謝料などを求めた訴訟で、最高裁第三小法廷(浜田邦夫裁判長)は十六日、「適法な上告理由にあたらない」として、住民側の請求を退けた一、二審判決を支持、住民側の上告を棄却する決定をした。(産経新聞2001年10月17日朝刊)
なお、東京高裁判決(11&)参照。
(46a) 2001年10月19日 カリフォル二ア州上位裁判所、米国人捕虜の強制労働事件で被告の却下請求を退け、正式審理に進むことを決定(米兵捕虜事件)
カリフォルニア州の州裁判所に係属中のすべての米国人捕虜のケースのtrial裁判官に任命された、カリフォルニア州オレンジ郡上位裁判所(地裁にあたる)のウィリアム・F・マクドナルド(William F. McDonald)判事は、2001年10月19日(ただし公表は24日)三つの事件の合同裁判で、訴訟の却下を求めた被告企業の主張を退けて、実質審理に進むことを決定した。
正確にいうと、被告三井物産他の「法律上相手方敗訴の抗弁」(山手注―Demurrer. 相手方の訴答で主張されている事実が仮にすべて真実であるとしても、法律上その請求は成立せず、相手方敗訴の判決がなされるべきであると主張する訴答)および被告三菱マテリアル他の「訴答に基づく判決の申立て」(山手注―Motion for Judgment on the Pleadings. 訴答のみから真の争点が存在しないことが明らかになった場合にtrial[正式事実審理]を経ずになされる判決)を、前者は却下し、後者は拒否した。
被告の申立ての理由は、日本との平和条約によって原告の請求権は放棄されているというにあるが、さらに連邦の排他的管轄権、連邦の専占、政治的問題の理論の三つの根拠を追加した。これに対して、マクドナルド判事は、原告請求権への平和条約の適用について事実的争点があるから、申立てに従って訴答書面の審理だけによって判決を下すことは許されず、trialに進んで口頭弁論を開く必要があるとする。そして、連邦の排他的管轄権および専占の主張については、第二次大戦の請求権の問題を独占する議会の意思表示はなく、また政治的問題の理論は私人の私人に対する本件訴訟には適用がないとする。
本判決が適用される三つのケースのうちの二つは、米国人捕虜の配偶者が三菱マテリアルおよび三井物産(ならびにそれらの子会社)に対して提起したクラス・アクションである。もう一つは、フランク・ディルマン(81)、ジョージ・コッブ(80)、モーリス・メイザー(88)の三人が、三菱マテリアルとその子会社に対して提起した訴訟である。彼ら三人は、秋田県の花輪付近の銅山で労働を強制された。
このマクドナルド判事の判決は、昨年9月の連邦地裁ウォーカー判事の判決(4)からの離脱である。原告の弁護士デーヴィッド・ケーシー(David Casy)は、「これは地震のような判決だ。これはアメリカ人戦争捕虜の長い困難な闘いにおける大勝利だ」と述べた。
ケーシーは、裁判所が原告に有利に裁定し、彼らのケースが結局trialに進むことについて楽観的である。彼によると、全部で12件のアメリカ人のケースが、カリフォルニア州の法律が制定されてから今日までに提起されたという。(Kyodo News, October 25, 2001 (JWIRE 23:22:00); PR Newswire, October 25, 2001, 15:46:00)
なお、判決の原文は、Dillman v. Mitsubishi Materials Corp., No. 814430 (Orange Super. Ct. 2001) (Spe. Tit., In re Japanese P.O.W. Cases, Judiciary Council Coordi. Proc. No. 4153). 判例集未登載であるが、退役軍人会のサイト< http://www.justiceforveterans.org/ >で入手可能。【追記】被告はこの決定に対する審査を、カリフォルニア州控訴裁判所に要請し、2002年1月にそれが認められて地裁での訴訟手続きは一時停止されている。そして、2002年7月10日にヒヤリングが開かれた。後掲(71)参照。
州控訴裁判所で逆転判決(86)参照。→州最高裁(106a)→州控訴裁判所(112)
(46b) 2001年11月14日 野党三党、元慰安婦への謝罪法案再提出
民主、共産、社民の野党三党は十四日、元従軍慰安婦への政府謝罪や金銭支給などを定めた「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」を参院に共同提出した。三党の女性議員を中心に、与党議員らに早期実現への協力を働き掛ける考えだ。
三野党は今年三月にも同法案を参院に提出しているが、審議未了のまま廃案となった。その後、推進派議員の間で「実現化への動きを絶やしてはいけない」(岡崎トミ子民主党参院議員)との危機感が強まり、再提出に向けて各党ごとに調整を進めてきた。(共同通信)
【法律案】 参議院法制局のホームページ( http://houseikyoku.sangiin.go.jp/ )で見ることができる(>参法>第153回国会>第4号)。
(47) 2001年11月16日 最高裁、韓国人元日本兵への恩給不支給合憲判決(金成寿恩給請求棄却処分取消請求事件)
太平洋戦争中に日本軍の軍人として戦地で右腕を失った韓国人の金成寿(キム・ソンス)さん(76)=韓国・釜山市在住=が、恩給の不支給処分を不服として起こした2件の訴訟で、最高裁第二小法廷(北川弘治裁判長)は16日、金さんの上告をいずれも棄却する判決を言い渡した。「日本国籍がないことを理由に支給しないのは違憲だ」との主張は退けられ、金さんの敗訴が確定した。
サンフランシスコ平和条約の発効で日本国籍を失った韓国・朝鮮人の元軍人・軍属の戦後補償問題で、最高裁は4月、障害年金の不支給を合憲とした。恩給についてもこの日の判決が最終審としての判断を示した。いずれも「国の立法政策上の問題」との立場から退けており、司法にこの問題の救済を求める困難さを浮き立たせるものとなった。
この日の判決でも、第二小法廷は、恩給法の国籍条項の削除などの措置をとるかどうかについて「政治的な考慮が必要な立法政策上の問題」と指摘。「国籍条項をそのままにしてきたことには日韓両国の協定などに基づく合理的な根拠があり、立法府の裁量の範囲を著しく逸脱したとはいえない」と述べた。
金さんは94年に恩給の支給を請求。「日本軍人として義務を果たしたのに、同じ境遇にあった日本人だけが支給を受けられるのは不公平だ」と主張し、不支給処分の取り消しを旧総務庁恩給局長に、損害賠償を日本政府に求め、それぞれ提訴した。一、二審ではすべて退けられ、上告していた。
「私は日本のために戦って負傷していながら、日本に棄(す)てられ、祖国韓国からは白眼視されて寄る辺ない身になった気がする」。判決言い渡し後、原告の金成寿さんは、そう日本語で書かれた紙を配った。
「日本には恨みはない」と言い続けてきた。この日も「こんな結果と予想していた。淡々としたものですよ」と話した。
日本政府は4月から、在日韓国・朝鮮人の元軍人・軍属の負傷者には見舞金400万円を支給しているが、韓国在住の金さんは受け取れない。このことについて問うと「日本人と同じ額ならいいが、400万円だけもらっても意味はない」と話した。(朝日新聞2001年11月16日夕刊)【参考】 金成寿恩給請求棄却処分取消請求事件(下級審判決)
第一審判決(東京地裁1998.7.31)
旧日本軍の軍人として第二次世界大戦に参加して負傷した韓国人男性が、「日本国籍がないことを理由に傷病恩給が受けられないのは不当」として、総務庁恩給局長を相手取り、恩給請求棄却処分の取り消しを求めた訴訟の判決公判が三十一日、東京地裁で開かれ、富越和厚裁判長は「恩給の受給資格を日本国籍がある者に限った恩給法の規定は合理的で、違憲とはいえない」と訴えを棄却する判決を言い渡した。
訴えていたのは、韓国釜山市在住の金成寿さん(七三)。判決によると、金さんは旧日本軍志願兵として、東南アジア各地を転戦。昭和十八年にビルマ=現ミャンマー=で爆撃に遭い、右腕切断などの大けがを負った。平成六年二月に傷病恩給を請求したが、サンフランシスコ条約で日本国籍を失っていたことから棄却された。
金さんは「同じように日本兵として戦ったのに、法の下の平等などを定めた憲法に違反する」と主張していた。富越裁判長は「同じ立場の日本人と異なる取り扱いを受け、経済的にも著しい格差があることは、平等、公平の観念に照らして疑いなしとはいえない」と原告の立場に一定の理解も示した。(産経新聞1998年8月1日朝刊)
第二審判決(東京高裁1999.12.27)
判決によると、金さんは昭和十七年ごろ陸軍に志願して東南アジアを転戦、ビルマ(現ミャンマー)南部の戦闘で右腕を切断した。一九五二(昭和二十七)年のサンフランシスコ講和条約で日本国籍を失って恩給法の対象外となり、平成六年に傷病恩給を請求したものの棄却された。(産経新聞1999年12月27日夕刊)
【登載判例集】
金成寿 恩給請求棄却処分取消請求事件
第一審(東京地裁1998.7.31)判例時報1657号、訟務月報45巻7号
第二審(東京高裁1999.12.27)訟務月報46巻10号
第三審(最高裁2001.11.16)判例時報1770号(上告理由付き)、判例タイムズ1079号(同左)
【参考】 金成寿恩給不支給国家賠償請求事件
第一審判決(東京地裁1998.6.23)
太平洋戦争に日本軍の上等兵として駆り出されて右腕切断の重傷を負った韓国人金成寿(キムソンス)さん(七三)=韓国・釜山市在住=が、「日本国籍がないことを理由に恩給を支給しなかったのは、法の下の平等を定めた憲法に違反する」として、日本政府を相手に総額約二億四千四百万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が二十三日、東京地裁であった。
塚原朋一裁判長は請求を退けたが、「日本のために最も危険な南方の最前線で戦闘に参加して片腕を失ったにもかかわらず、国籍を失ったという理由だけで国から補償を受けられないのは不可解で、何らかの立法措置が取られるべきだ」と国会に注文をつけた。
賠償請求を退けた理由について、判決は「恩給を支給するための要件やその範囲を決めるのは国の立法政策に属し、憲法には違反しない」と述べた。(朝日新聞1998年6月24日朝刊)
第二審判決(東京高裁2000.4.27)
太平洋戦争に旧日本軍の上等兵として駆り出されて右腕切断の重傷を負った韓国人の金成寿(キムソンス)さん(七五)=韓国・釜山市在住=が、「日本国籍がないことを理由に恩給を支給しなかったのは法の下の平等を定めた憲法に違反する」として日本政府を相手に総額約二億四千四百万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が二十七日、東京高裁であった。
奥山興悦裁判長は、「恩給を支給するための要件やその範囲を決めるのは国の立法政策に属し、憲法に違反しない」として請求を退けた一審・東京地裁判決の結論を支持し、原告の控訴を棄却した。金さんは上告する意向を明らかにした。(朝日新聞2000年4月28日朝刊)
【登載判例集】
金成寿 恩給不支給国家賠償請求事件
第一審(東京地裁1998.6.23)
第二審(東京高裁2000.4.27)
第三審(最高裁2001.11.16)上記恩給事件最高裁判決と併合
(なお、金成寿の一代記に、金成寿著、藤田博雄編集『傷痍軍人 金成寿の「戦争」』社会批評社、1995年がある)
(なお、金成寿は韓国在住の韓国人であるが、在日韓国人の元日本軍人である李昌錫の恩給請求棄却処分取消訴訟がある。(71a)参照。)
(48) 2001年11月20日 米議会、元米兵捕虜の対日訴訟支援禁止条項、法案可決後に抹消
同法案は二〇〇二年度の連邦政府歳出法案の修正条項で、第二次大戦で日本の捕虜として労働を強制されていた米国人数人が日本の大手企業を相手どった損害賠償請求の訴訟に関連して、米の国務省、司法省、商務省が意見陳述のために政府資金を使うことを禁じていた。
米国政府はこの種の損害賠償はサンフランシスコ講和条約で解決ずみという立場をとっているが、米国議会では元捕虜の主張に同調して、政府機関の介入を資金面から抑える目的でこの修正条項法案を出し、九月には上下両院の本会議で可決していた。
同法案はその後、大統領に送られ、法律となる前に議会両院協議会で最終審議されたが、十一月中旬のこの審議で同修正条項自体を抹消するという異例の措置がとられた。議会がこうした措置をとったのは、日本がテロ対策で米国に協力しているときにこの種の対応は好ましくないとするブッシュ政権の説得に同調したためとみられている。(産経新聞2001年11月21日夕刊)
なお、関連項目(14)、(32)、(33)、(41)、(44),(77)参照。
(48a) 2001年11月22日 最高裁、韓国人元BC級戦犯の上告棄却(BC級戦犯公式陳謝等請求訴訟)
第2次世界大戦中に捕虜の監視に携わり、BC級戦犯として処刑・拘禁された旧日本軍軍属の韓国人やその遺族計6人[いずれも韓国居住]が、日本政府を相手に[軍属国家契約の債務不履行、]憲法[および条理]に基づく国家補償などを求めた訴訟の上告審判決が22日、最高裁第一小法廷(藤井正雄裁判長)であった。第一小法廷は「戦争による犠牲や損害に対する補償は憲法の予想しないところで、補償のあり方は立法府の裁量的判断にゆだねられる」と述べ、[また本件軍属らのうち一名の主張する未払い給与請求については日韓請求権協定により消滅させられたとして、]一、二審判決(1#)を支持して元軍属らの上告を棄却した。(朝日新聞2001年1月23日朝刊。ただし、[ ]内は山手追加)
【山手注】 本件は一般にBC級戦犯公式陳謝等請求訴訟と呼ばれ、同種訴訟として同じ朝鮮半島出身BC級戦犯者が国に対し条理に基づく国家補償等を求めたBC級戦犯国家補償等請求訴訟がある。両者は便宜上呼び方を区別しているだけで、請求内容はほとんど同一である。時間的には後者の訴訟の方が先なので、そちらから過去の判決の記事を掲載する。なお、2001年2月23日、宮崎地裁が日本在住の元台湾人BC級戦犯(現在は日本国籍取得)の補償請求を棄却した事件もある(前記(11b)参照)→控訴審:2002年5月21日福岡高裁宮崎支部判決(後掲(64a))。
【参考】 BC級戦犯国家補償等請求訴訟(文泰福・李鶴来他事件)
第一審判決(東京地裁1996.9.9)
太平洋戦争中に日本軍の軍属として連合国軍捕虜の監視員などを務め、戦争犯罪裁判で捕虜虐待を理由に有罪判決を受け、懲役刑に服したり処刑されたりした韓国・朝鮮人の元BC級戦犯と遺族が、「日本の戦争責任の肩代わりをさせられた」として、国を相手に補償と謝罪などを求めた訴訟の判決が九日、東京地裁で言い渡された。長野益三裁判長は「救済については国の立法政策に属する問題」などとしてすべての請求を退けたが、「国が、人道的見地などから、わが国の元軍人軍属と遺族に対する援護措置に相当する措置をとることが望ましい」と対応を促した。
原告たちは戦後の一九五二年、サンフランシスコ平和条約の発効で日本国籍を失い、六五年の日韓協定で「補償問題は解決ずみ」として政府への補償要求を退けられてきた。このため、「日本国籍がないために援護法や補償法の対象にならないが、法がないのなら、条理に基づいて国は補償すべきだ」などと主張し、(1)一人千百万円余りから五千万円の支払い(2)名誉を傷つけたことへの謝罪(3)補償立法を制定しないことの違法確認――を求めていた。
判決はまず、「原告たちが戦犯として処罰された当時は、日本国籍を有する日本国民だった」と判断。さらに最高裁判例を踏まえ、「原告たちの損失は、日本国民が等しく受忍すべき戦争犠牲・損害と同視すべきもの」として、「特別な犠牲」という主張を退けた。
そのうえで、「国際的地位を高め、内外人の差別を禁じた国際規約や人道的見地などから、わが国の元軍属らに対する援護措置に相当する措置を講じることが望ましい」と国の対応を促した。しかし、救済方法は「国の財政事情や他の戦争犠牲者との均衡などから高度な政策的裁量判断により決するべきである」と述べた。
訴えていたのは、戦争犯罪裁判で死刑判決を受けた文泰福(ムン・テボク)さん(七三)ら二人=懲役刑に減刑=と、懲役刑を受けた四人、父親が銃殺刑を執行された卞光洙(ピョン・グァンス)さん(五五)の計七人。一九四六年から四七年にかけて、シンガポールやバタビア、メダンの法廷で判決を言い渡された。(朝日新聞1996年9月9日夕刊)
第二審判決(東京高裁1998.7.13)
韓国・朝鮮人の元BC級戦犯とその遺族が、「日本の戦争責任の肩代わりをさせられ、人間としての人格を侵された」として、日本政府を相手に一人あたり二百万円の「象徴的補償」と謝罪文の交付などを求めた訴訟の控訴審判決が十三日、東京高裁であった。石井健吾裁判長は、請求を退けた一審判決を支持して原告側の控訴を棄却したが、「原告らは、同じような境遇にあった日本人や(議員立法で弔慰金が支給された)台湾住民と比べて著しい不利益を受けており、問題の早期解決を図るために適切な法律をつくることが必要だ」との判断を示し、国会に対応を促した。原告側は上告する方針。
石井裁判長は、原告らが日本軍軍属として捕虜監視員となった背景に、日本政府の皇民化政策があったと指摘した。そのうえで「原告ら戦犯者が戦争裁判を受けてからすでに五十年以上が経過した。原告らはいずれも高齢化し、控訴審段階で二人が死亡している」として、速やかな立法措置の必要性に言及した。
控訴審で原告側は、米国やカナダ、ドイツなどで制定された戦後補償立法を根拠に、「戦争という国家の行為によってもたらされた犠牲・被害については、国家が自分の責任でその救済を図るという『条理』が存在する」と主張。この条理に基づいて「象徴的補償」として一人あたり二百万円の支払いを求めていた。
これに対して高裁判決は、「諸外国も法律ができて初めて戦後補償が実施された。法律がなくても、条理によって補償を求めることができるというところまで、世界各国の共通認識は至っていない」と退けた。
原告側は「憲法前文や個人の尊重を保障した憲法一三条の規定からも、条理による戦争被害の補償は認められている」とも主張したが、石井裁判長は「具体的な戦争被害の補償を求める権利を、憲法が保障しているとは考えられない」と指摘。「何をどのように補償するかは、立法府の裁量にゆだねられている」と一審同様の判断を示し、請求を棄却した。
<韓国人・朝鮮人元BC級戦犯国家補償請求訴訟> 韓国人・朝鮮人の元BC級戦犯の生存者六人と死刑になった一人の遺族が一九九一年十一月、東京地裁に一人あたり約一千万円から五千万円の国家補償を求めて提訴した。原告らはタイ、マレー、ジャワの捕虜収容所で捕虜監視員となり、戦後の連合国による戦犯裁判でそれぞれ、死刑―刑期十年の判決を受けた。原告のうち一人は四七年に銃殺刑になったが、残りは減刑されて仮釈放された。提訴から約七年が経過し、その間に原告の二人が死亡して、遺族が訴訟を引き継いだ。
BC級戦犯裁判では、捕虜に十分な食料や医薬品を与えないまま、強制労働させたりして、飢えや病気で次々と多数を死亡させたことが捕虜虐待の罪に問われた。全体で百四十八人の韓国・朝鮮人が有罪判決を受け、うち二十三人が死刑を執行された。(朝日新聞1998年7月14日朝刊)
第三審判決(最高裁1999.12.20)
太平洋戦争中に日本軍の捕虜収容所で監視員となり、捕虜を虐待したとして戦後に死刑や懲役刑を受けた韓国・朝鮮人の元BC級戦犯らが政府に補償などを求めた訴訟で、最高裁第1小法廷は20日、補償請求を否定した東京高裁判決を支持し、元軍属側の上告を棄却した。小野幹雄裁判長は「補償は国家財政損害の内容などを基にした立法府の裁量的判断にゆだねられている」と述べた。朝鮮・韓国人の戦後補償訴訟で、最高裁判決は初めてで、元軍属側敗訴が確定した。
判決は原告が受けた処遇を「深刻かつ甚大な犠牲で我が国の敗戦に伴うもの」と認定し、「補償立法措置が講じられていないことに不満を抱く原告らの心情は理解し得ないものではない」と理解を示した。しかし「立法を待たずに国家補償を請求できる条理(法や道徳より広い正義・公正の原理)は存在せず、憲法から条理が導き出されるものでもない」と結論づけた。(毎日新聞1999.12.21東京朝刊)
【登載判例集】
BC級戦犯国家補償等請求訴訟
第一審(東京地裁1996.9.9)判例時報1600号、訟商務月報44巻4号
第二審(東京高裁1998.7.13)判例時報1647号、訟務月報45巻10号
第三審(最高裁1999.12.20)訟務月報47巻7号
【参考】 BC級戦犯公式陳謝等請求訴訟(下級審判決)
第一審判決(東京地裁1999.3.24)
処刑・拘禁されたことについて原告側は、憲法に規定された「特別の犠牲」に当たるとして、「少なくとも国が日本人に対して行っているのと同等の補償をすべきだ」などと主張したが、判決は「軍事裁判を受けるのを余儀なくさせた国の行為がされた当時の憲法は明治憲法で、現在の憲法の規定を適用する余地はない」と判断した。
さらに、「戦争の犠牲は国民が等しく受け入れなければならないやむを得ない犠牲であって、憲法の規定の全く予想しないもの」とも述べた。
また、判決では「わが国がわが国の国民に対してするような援護措置を講じることが望ましい」と原告側にも理解を示したが、「戦争犠牲の救済は、高度の政策的裁量判断によって決めるべき立法政策に属する問題」と指摘した。(産経新聞1999年3月25日朝刊)
第二次世界大戦中に捕虜監視に従事させられ、戦後、BC級戦犯として捕虜を虐待した罪などに問われて処刑・拘禁されたという旧日本軍軍属の韓国人やその遺族計六人が国を相手取って国家補償などを求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は二十五日、請求を退けた一審・東京地裁判決の結論を支持し、韓国人らの控訴を棄却する判決を言い渡した。(朝日新聞2000年5月26日朝刊)
【登載判例集】
BC級戦犯公式陳謝等請求訴訟
第一審(東京地裁1999.3.24)訟務月報45巻10号
第二審(東京高裁2000.5.25)、訟務月報49巻8号
第三審(最高裁2001.11.22)判例時報1771号、判例タイムズ1080号、訟務月報49巻8号
(49) 2001年11月29日 中国残留孤児、国に賠償請求訴訟提起へ
訴えによると、四人は国策による開拓団家族として昭和十六年以降、満州(現中国東北部)に入植。敗戦の混乱などで肉親と別れ、中国に残らざるを得なかった。国は入植した家族の保護や帰国の措置を取らず、帰国後も国内での生活などで十分な対策を講じなかったと主張し、一人当たり二千万円を請求する。
一方、「神奈川中国帰国者福祉援護協会」の菅原幸助理事長(七六)によると、来年四月をめどに、東京都や神奈川県に住む残留孤児ら約五百人が、集団で同様の訴訟を起こす準備を進めている。
国民年金や厚生年金の受給資格がない孤児に、中国で働いた期間に応じて年金に準じた生活を保障する制度を設けることなどを求めるという。(産経新聞2001年11月29日朝刊)
(49#) 2001年11月29日 カリフォルニア州上位裁判所、カ州民訴は違憲とする被告の抗弁を退ける(Jeong事件)
同じく平和条約の締結国でない国の国民からカリフォルニア州民事訴訟法第354節6項に基づいて訴えられた訴訟で、州裁判所のリヒトマン判事の判決(Jeong事件)(42)は被告の主張を退けて訴訟の継続を決定し、連邦地裁(WalkerV判決)(43)は被告企業の主張を認めて訴訟を却下した。しかも州裁判所と連邦裁判所が真向から対立す両判決は、わずか三日を隔てただけで相次いで出されたために、その対立がいっそう際立って人々に印象づけられるることになった。ただ、リヒトマン判決は違憲問題を審理していないので、被告側がさらにWalkerV判決を援用してこの問題を提起することは理論的には考えられよう。 もっとも、リッヒトマン判決の全体の調子からみて、逆転の可能性はほとんどないように私には思われるが。
地元のロサンゼルス・タイムズの記事によると、実際に被告企業はカリフォルニア州民事訴訟法第354節6項を違憲とした2001年9月17日の連邦地裁判決(WalkerV判決)を援用して訴えを却下するよう求めた。しかし、ロサンゼルス郡上位裁判所のリッヒトマン判事は、2001年11月29日ふたたびこの申立てを拒否した。
ウォーカー判事が当該カリフォルニア州の法律は「外交問題に対する連邦政府の排他的権限を侵害する」としたのに対して、リヒトマン判事はカリフォルニア州の法律は外交政策にはタッチせず、ただ「過去の違法行為に対する請求権を起こすための自己のタイムテーブルを決定する」州の権利を行使したにすぎないと述べた。「カリフォルニア州は自己の出訴期限を管理および/または決定する権利をもっているか?答えは肯定に決まっている」と、彼は書いている。彼は、この州法は私的個人が日本政府に対してではなく、カリフォルニア州で営業する私的会社に対して提起した請求権に関するものであるから、連邦の権限を奪うものではないと結論した。「過去の行為に関して日本の私的会社を訴えた請求権を裁判することが、なぜ外交的事件をひき起こすのか?」と、リヒトマンは質問する。「当裁判所は、当事者でもない外国政府の不機嫌をなだめるために判決をあわせることはできない。」
その強い調子の13頁にのぼる意見のなかで、リヒトマンはまた、ヨーロッパの奴隷労働の被害者と日本の戦時中の強制労働者に対する、政府の対応の違いに衝撃をうけたと述べている。政府はナチスの奴隷労働の被害者が保障を求める訴訟には反対しなかったが、日本の会社に対する訴訟では反対した。「この政策は、もしそれが政策であるとすれば、法的には支持することができないように思われる」と、彼は書いている。
司法省の報道官チャールズ・ミラー(Charles Miller) は、この決定にコメントしないと述べた。原告ジョンの弁護士バリ・フィッシャー(Barry A. Fisher)は、奴隷労働訴訟にとってこれは「画期的勝利」(landmark victory)だと言った。彼は「これは合衆国政府とサンフランシスコ連邦裁判所の意見を正当にも拒否した、一判事による勇気ある決定である」と述べた。日本企業の弁護士の一人ダグラス・ミレル(Douglas E. Mirell)は、ただちに控訴裁判所の審査を求めると語った。彼は「リヒトマン判事のこの決定は、彼の以前の意見と同様、根本的に間違っている」と述べた。
究極的には、合衆国最高裁判所に決着を求めなければならないかもしれない。しかし、今のところは、州裁判所のケースと連邦裁判所のケースが、それぞれ別のルートで上訴の道を進んでいくであろうと、弁護士たちは言っている。
こうして、trial(正式事実審理)は絶対避けたい(trialでは陪審裁判になる)被告は、もちろん控訴裁判所での審査(review)を求めた。ロサンゼルス・タイムズによると、2002年1月23日(ただし公表は24日)控訴裁判所の3人の裁判官団(panel)は全員一致で命令を発した。裁判長カンダス・クーパー(Candace Cooper)、陪席裁判官ローレンス・ルービン (Laurence D. Rubin)、同ポール・ボーランド(Paul Boland)が署名した2頁の命令書は、リヒトマン判事の前にあるすべての裁判手続きを停止し、4月30日にヒヤリングを開くことを決定した。(Los Angeles Times, December 1, 2001 (K. Connie Kang); Los Angeles Times, January 25, 2002 (K. Connie Kang).ただし、山手が適宜取捨して仮訳)
【注記】4月30日のカリフォルニア州控訴裁判所のヒヤリングに関する記事を探したが、残念ながら見つからなかった。(山手)
なお、控訴審判決(84)参照。
(49a) 2001年11月30日 仏コンセイユ・デ・タ、セネガル人元フランス軍人の年金差別をヨーロッパ人権条約違反と判決
セネガル人元フランス軍人は、1951年の年金法によってフランス人元軍人と平等な年金を受給され、それは1960年のセネガル独立後も続いていたが、1974年の法改正の結果フランス国籍者より低い年金に押さえられた。そこでゲイエ(Ibrahima Gueye)他のセネガル人が、これは自由権規約第26条の法の下の平等規定に違反すると、自由権規約人権委員会に申し立てた。
委員会は、1989年4月3日、この主張を認める「意見」を決定した。
しかし、フランス政府はこの意見に従わないで、差別的待遇をとり続けた。それに対しセネガル人の元フランス軍軍曹Amadou Diopが、フランスの行政裁判所に提訴し、その最終審が今回のこのコンセイユ・デ・タの判決である。
判決は、フランスの措置をヨーロッパ人権条約違反と判示した。この結果、8万5000人が年金の差額支給と引き上げを受ける見込みといわれる。
【登載判例集】
ゲイエ事件(自由人権規約委員会1989.4.3) Official Records of the Human Rights Commitee(1988/89-U)p.408 (紹介<薬師寺公雄執筆>が、田畑茂二郎他編『判例国際法』東信堂、2000年、282頁にある。)
ディオプ事件(コンセイユ・デ・タ2001.11.30) コンセイユ・デ・タのサイトから入手可能( http://www.conseil-etat.fr/ce-data/actus/decision_2001/212179.htm )。
(49aa) 2001年12月7日 中国残留孤児3人、国に損害賠償を求め提訴
第2次世界大戦後、中国に取り残された日本人女性3人が7日、「きちんとした引き揚げ政策がなかったため、長期間、中国に放置された。帰国後の受け入れ態勢や生活保障も不十分だ」として、国を相手に1人2千万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。
中国残留邦人が引き揚げ政策の妥当性などをめぐって国を訴えたのは初めて。
原告は、東京都に住む67〜72歳の女性。戦中に開拓団として家族とともに旧満州へ渡ったが、終戦後に取り残された。その後、78〜88年に日本に永住帰国した。
3人は「国は残留邦人の存在を認識しながら、帰還のための措置を怠った。日中国交回復後も、対応が十分でなかった」などと主張している。
提訴後に記者会見した、原告の1人の鈴木則子さん(72)は「もともとは国策で中国に送り出されたのに、なぜ十分な保護がないのか。私たちを切り捨てた国の無責任にいら立ちを感じる。失われた権利を返して欲しい」と訴えた。(朝日新聞2001.12.08朝刊)
(49b) 2001年12月26日 長崎地裁、6月の大阪判決に続いて、在外被爆者の手当支給を国に命令(李康寧事件)
長崎市で被爆した韓国釜山市の李康寧(イカンニョン)さん(74)が、被爆者援護法に基づく健康管理手当が帰国を理由に打ち切られたのは不当として、国や長崎市などに未払い手当の支給や慰謝料など計約400万円の支払いを求めた訴訟で、長崎地裁は26日、未払い手当約100万円の支給を命じる判決を言い渡した。川久保政徳裁判長は、援護法には国家補償的配慮があり、出国しても支給を受ける権利は失わない、との判断を示した。
6月の大阪地裁判決(26a)に続き、在外被爆者の手当受給権を認めた判決は、日本を離れることで援護法は適用されないとする国側の姿勢を改めて問うものとなった。
裁判で原告側は「被爆者には人種や国籍、居住地による違いはない」とし、「国外でも、被爆者と認定され手当を受ける資格を認められた地位は、変わらない」と主張した。
これに対し、被告の国側は援護法について「国家補償的配慮がある」と認めたが、「ほかの戦争被害者に対する補償との均衡から、明文規定のない在外被爆者を対象としていない」と反論した。
この点について、広島で被爆した郭貴勲(クァククィフン)さんに未払い手当の支給を命じた大阪地裁の判決は、「被爆者を日本に住むか一時的に滞在するかで差別することになり、法の下の平等を定めた憲法14条に反する恐れもある」と判断していた。国と大阪府は控訴している。
原告の李さんは日本で生まれ、徴用工だった17歳のときに被爆。45年12月に韓国に渡り、94年に病気治療のために来日した。その際、健康手帳を取得して健康管理手当(月額約3万円)を3カ月間受給したが、出国を理由に支給が停止された。李さんは97年、国などに再審査を請求したが却下されたため、99年5月に提訴した。
厚生労働省は大阪地裁判決後、在外被爆者の援護策について検討会を設置している。(朝日新聞2001年12月26日夕刊)
【登載判例集】 判例タイムズ第1113号(2003.4.15) なお、判決文は、「在外被爆者にも被爆者援護法の適用を!」のサイト( http://www.hiroshima-cdas.or.jp/home/yuu/index.html )にも掲載されている。
なお、福岡高裁控訴審判決(87)、最高裁判決(172)参照。
(50) 2002年1月10日 アジア女性基金、韓国での事業を延長
旧日本軍の元従軍慰安婦に対し、国民の募金をもとにした「償い金」などを支給してきたアジア女性基金(村山富市理事長)は、10日が5年間の申請期限となっていた韓国での事業について、期限をとりあえず延長することを決めた。韓国では政府や世論の反発で、事実上支給ができない状態が続いているが、このままでは事業を打ち切れないと判断した。今後、外交ルートも含めた打開策を検討する方針だ。
同基金は村山政権下の95年に発足。韓国の場合は、償い金200万円と政府資金による医療福祉援助300万円を、首相のおわびの手紙とともに一人一人に届ける枠組みが決まり、97年1月から支給が始まった。対象者からの申請締め切りは今月10日とされた。
ところが、韓国の世論が「基金は賠償責任の回避だ」と反発。金大中政権は98年、慰安婦らに生活支援金を支給し、償い金受け取りは認めない方針を打ち出した。日本側は医療施設建設など事業転換を検討したが、99年6月、改めて韓国政府が拒否を通告した。
同基金では去年夏、オランダとフィリピンの償い事業(申請)が終了。今年5月には台湾でも締め切りを迎える。韓国を含む4カ国で約270人が受け取っている。(朝日新聞2002年1月10日朝刊)
(51) 2002年1月15日 東京高裁、元韓国人女子挺身隊員の日本政府に対する賠償請求棄却(東京麻糸紡績沼津工場事件)
第二次大戦末期に朝鮮人朝鮮人女子挺身隊員として静岡県内の工場に動員され「劣悪な条件下で苛酷な労働を強いられた」として、韓国人女性二人(韓国釜山市在住)が国を相手にそれぞれ三千万円の損害賠償と国の公式謝罪を求めた訴訟の控訴審判決が十五日、東京高裁であり、村上敬一裁判長は二人の請求を退けた一審の静岡地裁判決を支持し、控訴を棄却した。二人は上告する方針。
判決で、村上裁判長は「挺身隊員と国との間に労働契約が締結されたとは認められない」と指摘。二人が「これまで国が戦後補償立法を行わなかったことは国家賠償法上の違法行為にあたる」と主張したことについては、「戦後補償立法を行うべきことが憲法上一義的に規定されているとはいえない」と退けた。
訴えによると、二人は昭和十九年春ごろから終戦時まで、女子挺身隊員として静岡県沼津市の紡績工場などで就労。その間、劣悪な労働条件の下で長時間労働を強いられ、民族差別的な取り扱いも受け、戦後、なんらの補償もなく賃金も未払いのままと成っている、と主張していた。(産経新聞2002年1月16日朝刊)
【参考】 【第一審判決】(静岡地裁2000.1.27)
第二次世界大戦中、女子勤労挺身(ていしん)隊員として静岡県の工場で強制的に働かされたという韓国人女性2人が国に損害賠償計6000万円の支払いと公式謝罪を求めた訴訟で、静岡地裁(田中由子裁判長)は27日、賠償を行う法的根拠を否定し、請求を棄却した。原告側は判決を不服とし、東京高裁に控訴する方針だ。
原告は韓国に住む〓甲順(チョカプスン)さん(70)と禹貞順(ウジョンスン)さん(70)。
訴えでは、〓さんは1944年春ごろ、韓国の自宅で日本人の役人に令状のようなものを示されて、強制的に連行され、同県沼津市の東京麻糸紡績工場で飛行機のカバーにする麻布の糸を紡ぐ仕事をさせられた。禹さんは同年3月ごろ、役人から「日本で仕事をすれば勉強もさせてやる」と、うその勧誘を受けて来日、同工場で働かされた。2人とも終戦で解放されたが、給料は支給されなかった。
原告側は「強制労働は国の強制連行政策のなかで行われた」と国の責任を指摘し、「帰国後も経歴を隠すなど精神的苦痛を受けた」として97年4月に提訴、1人3000万円ずつの賠償と国の謝罪を求めた。
国側は賠償の根拠となる法律がないことを理由に「請求には法的根拠がない」と請求の棄却を求め、裁判で事実認否を行わなかった。これに対し、原告側は「国が賠償立法を怠った」と、国会の責任を問う「立法不作為論」を展開した。
韓国人の元挺身隊員が国や企業を相手に起こした訴訟はこの裁判も含め全国で4件ある。【長谷川豊】(毎日新聞2000年1月27日中部夕刊)
第一審(静岡地裁2000.1.27)判例タイムズ1067号
第二審(東京高裁2002.1.15)
なお、最高裁判決(92)参照。
【山手追記】
判決文(判例集未登載)を神戸大学の濱本正太郎教授が直接フォンテーヌブロー労働裁判所から取り寄せられて私もコピーをもらっているので、必要な方は申し出て下さればコピーして送ります。
最大の法律問題の主権免除については、強制労働が民間企業で行われ、労働の内容が電池製造という私的なもので、ドイツ国家はprestataire de service に過ぎないから、制限免除主義によれば免除を享有しないとしている。
なお、濱本氏が同裁判所の職員から聞いたところでは、ドイツは控訴しており、パリ控訴院で審理されることになるとのことである。
(52a) 2002年2月9〜11日 上海で、対日民間賠償国際シンポジュウム
民間による戦後賠償の法律問題に関する国際シンポジュウムが9日から11日にかけて上海で開かれる。中国や米国、日本など多くの国から法律家や非政府組織(NGO)など100人余りが戦後賠償問題、特に日本の民事責任問題について踏み込んだ討論を行う。
今回のシンポジュウムで特に注目されるのは、米国の著名な法律家、フィッシャー氏も訪中してシンポジュウムにに参加すること。フィッシャー氏は当年、ユダヤ人のためにドイツ政府から50億ドル近くの賠償金を獲得する弁護士グループの一員でした。同氏は現在、中国人被害者を救済するため、日本政府や日本企業の責任を追求する米国での起訴のために努力している。(人民網日本語版、2002年2月8日)
(53) 2002年2月23日 朝鮮戦争時韓国軍に慰安婦制度、韓国の研究者シンポで発表
朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度があったことが23日、立命館大学(京都市北区)で開かれている「東アジアの平和と人権」国際シンポジウム日本大会(朝日新聞社後援)で明らかにされた。韓国軍慰安婦について日本で公になったのは初めて。発表した韓国・慶南大客員教授の金貴玉(キムギオク)さん(40)=社会学=は「日本軍の慰安婦制度をまねたものではないか」とみている。
金さんは96年、離散家族のインタビューのなかで、「50年10月、韓国軍の捕虜になり、軍慰安隊の女性と出会った」という男性の証言を得た。以後5年間インタビューを重ね、「直接慰安所を利用した」「軍に拉致されて慰安婦にされかかった」という男女8人の証言を聞いた。
さらに金さんは、韓国の陸軍本部が56年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』に「固定式慰安所―特殊慰安隊」の記述を見つけた。設置目的として「異性に対するあこがれから引き起こされる生理作用による性格の変化等により、抑うつ症及びその他支障を来す事を予防するため」とあり、4ヵ所、89人の慰安婦が52年だけで20万4560回の慰安を行った、と記す特殊慰安隊実績統計表が付されている。
証言と併せ、軍隊が直接経営していた慰安所があった、と金さんは結論づけた。
どんな人が慰安婦になったかは明らかではないが、朝鮮戦争時に娼婦が急増し、30万人にも及んだことから、金さんは「戦時の強姦や夫の戦死がきっかけで慰安婦になった民間人も少なくない」と見ている。
金さんは「設置主体だった陸軍の幹部の多くは日本軍の経験者だった。韓国軍の慰安婦が名乗り出るためには、日本軍慰安婦問題の解決が欠かせない。韓国政府と、当時軍統帥権を握っていた米国の責任も追及したい」と話している。
大阪外国語大学の藤目ゆき助教授(歴史学)の話
非常に重要な報告だ。軍慰安婦については、韓国でもほとんど知られておらず、発見といっていい。韓国にいて韓国軍の暗部を問うのは難しい。同胞の女性を性奴隷化した自国社会を直接問うことなるからだ。アジア女性史研究の上でも、軍慰安婦と現在の軍事基地周辺での性暴力がどのようにつながっているのかを知る助けになる。(朝日新聞2002年2月24日朝刊)
(54) 2002年2月28日 浮島丸事件控訴審で、国が時効を主張
終戦直後、京都府の舞鶴湾で旧海軍輸送船が沈没、500人以上が死亡した事件をめぐる「浮島丸」訴訟の控訴審第1回口頭弁論が28日、大阪高裁で開かれ、国は「沈没から遅くとも10年たった段階で損害賠償の請求権は消滅した」と時効を主張した。90年代に相次いだ戦後補償訴訟の中で、国が時効を主張するのは異例だ。この訴訟の一審でも主張していなかった。原告代理人らは「この期に及んで時効をいうのは信義にもとる」と反発した。
過去の戦後補償訴訟で国は、訴訟の原因となった出来事から20年(除斥期間)が経過すれば自動的に請求権が失われるとする立場をとってきた。浮島丸訴訟の一審でも、除斥期間が適用されれば責任なしの判断には十分だと国側は考えていた。
一審判決は、原告らが乗船前に軍属を解かれたことを踏まえ、当時、国との間に旅客運送契約に似た法律関係があったと認定。運送は旧ソ連軍の攻撃が続く戦争状態の下での行政上の措置だったとする国の主張を入れず、「釜山港まで安全に運送する義務があった」と述べて国の賠償責任を認めた。
国はこの日の口頭弁論で、「あたかも平時のような前提で運送を評価するのは誤りだ」と述べた。
法務省民事訴訟課は「一審が私法上の契約だったと認定した以上、高裁が同様の判断をしないとも限らない。戦後補償訴訟ではあまり例がないが、念のため時効を主張した」と話している。
松本克美・立命館大法学部教授(民法)の話
戦後補償訴訟で一貫して「そもそも責任がない」としてきた国が時効を主張するのは異例の展開だ。一審判決が国の安全配慮義務を初めて認めただけに、国も対抗上、「仮に義務違反があったとしても時効だ」と義務の存在を前提に訴える必要に迫られたといえる。戦後補償訴訟で企業が時効を主張して認められたことはあるが、国が主張すれば裁判所が「責任を免れさせるのは正義に反する」と判断する可能性がある。注目したい。(朝日新聞2002年3月1日朝刊)
【他の新聞による補足説明】
この日、原告側は一審で退けられた国の公式謝罪などを改めて求めた。一方、国側は、補償は日韓協定で解決済み▽賠償請求権は時効で消滅――などと新たに主張して責任を否定。国の事項援用は戦後補償裁判で初といい、原告側の山本晴太弁護士は「国が追いつめられたということだが、時間がかかったのは国が原告らを放置したため.。時効の主張は権利濫用だ」と指摘した。(毎日新聞2002年3月1日朝刊、地方版・京都)
原告側は控訴審で、謝罪要求の内容を「衆参両院で謝罪の辞の議決をすること」と特定し、国側の消滅時効の主張には「戦後の混乱で、十年以内に提訴することは不可能で、国側の権利濫用」と反論している。
閉廷後、貴社会見した原告弁護団の山本晴太弁護士は「過去の戦後補償裁判で国が消滅時効を主張したことはない。責任を免れるためなら何でもするのかと腹立たしい」と話した。(読売新聞2002年3月1日大阪朝朝刊)
(55) 2002年3月8日 最高裁、シべリア抑留元日本兵(中国人と日本人) の補償請求棄却
第二次大戦後、シベリアに抑留された中国人呉雄根さん(76)と東京在住の元日本兵小熊謙二さん(76)が、日本政府に謝罪と補償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第二小法廷は八日、請求を退けた二審判決を支持し、呉さんらの上告を棄却した。呉さんらの敗訴が確定した。
福田博裁判長は「戦争による犠牲や損害に対する補償は、立法府の裁量的判断に委ねられている」などと述べた。
一、二審判決(3a)によると、朝鮮半島出身の呉さんは一九四五年、中国東北部の旧日本陸軍に入隊。四四年に入隊した小熊さんらとともに終戦後、旧ソ連の捕虜収容所に抑留され約三年間の強制労働を強いられた。
二人は「政府には抑留や強制労働に対する補償義務がある」と主張したが、一審東京地裁は「二人の損害も国民が等しく受忍しなければならなかった戦争被害の一つで補償を求めることはできない」と請求を退け、二審東京高裁も一審判決を支持していた。(共同通信2002年3月8日)
【補遺】シベリア長期抑留・強制労働の関する訴訟には、すでに有名なシベリア抑留訴訟(シベリア長期抑留等補償請求事件)がある。以下にその判決の報道を掲載しておく。
第一審(東京地裁1989年4月18日
第2次大戦後、ソ連軍に連行され、シベリアの捕虜収容所に抑留された人たちが、国を相手取り、抑留中の強制労働などについて総額2億6400万円の補償を求めていた「シベリア抑留裁判」の判決が18日午後、東京地裁民事26部で言い渡された。稲守孝夫裁判長(千葉地裁へ異動のため、大沢巌裁判長が代読)は、「自国民の捕虜に対する政府の補償を義務づける国際慣習法が、当時、成立していたとは認められない」などとして、原告側の主張を全面的に退け、請求を棄却した。シベリア抑留の国家責任を問う初めての訴訟で、原告側は判決後、「判決内容には承服できない」と控訴することを決めた。
シベリアに抑留されたのは、1945年8月のソ連参戦により、中国東北部などで捕虜になった日本軍将兵や軍属で、推定70万人。鉄道建設や森林伐採など重労働を強いられた。約6万人が現地で死亡し、生還した人々も凍傷などの後遺症に長く悩まされた。
原告は、ソ連からの帰還者でつくる「全国抑留者補償協議会」(全抑協、斎藤六郎会長、約7万6000人)の会員の山形県鶴岡市、会社役員神林共弥さん(64)ら62人。
神林さんらは「長期抑留は国際法違反であり、われわれは強制労働に対する賃金を一切受け取っていない。1949年ジュネーブ捕虜条約や国際慣習法によれば、捕虜の所属国(日本政府)には自国民捕虜に補償を行う義務がある」などと主張し、平均3年6カ月の抑留期間について、1人あたり1カ月10万円の補償金支払いを求めていた。
この日の判決で、稲守裁判長はまず、「原告の大半は、ジュネーブ捕虜条約が日ソ間で発効する以前に帰国しており、条約の適用を受けない」とし、国側の主張を是認した。国際慣習法の成立の有無については「アメリカに抑留された日本人捕虜について、日本政府が特別の支払いを行った事実はあるが、諸国の一般慣行であったとはいえず、国際慣習法が成立していたとは認められない」と判断した。
さらに、同裁判長は「原告らの損害は、国民が等しく負担すべき戦争損害」であると述べた。(朝日新聞1989.04.19東京朝刊)
第二審(東京高裁1993年3月5日)
第二次大戦後、ソ連軍の捕虜となり、シベリアの収容所に抑留された旧日本軍の軍人、軍属らが国を相手取り、抑留中の強制労働の労賃などとして総額一億七千三十万円余りの支払いを求めた「シベリア抑留訴訟」の控訴審で、東京高裁は五日午前、請求を全面的に退けた一審判決を支持、原告側の控訴を棄却する判決を言い渡した。判決理由で時岡泰裁判長は、「シベリア抑留者が筆舌に尽くしがたい辛苦を味わい、物的、精神的損害を受けたことについて、何らかの補償を求める心情は理解できる」としたが、「戦争損害は国民が等しく負担すべきもので憲法による国家補償の対象にならない」と判断。抑留中の労賃について「国が米軍などに抑留された者に労賃を支払ったのは戦後の連合国の占領政策として行われたもので、日本政府がシベリア抑留者に支払わなかったことに違法はない」とした。
原告側は「不当な判決」として上告することを明らかにした。控訴していたのは、ソ連での抑留経験がある元軍人、軍属らでつくる「全国抑留者補償協議会」(全抑協、約七万六千人、本部・山形県鶴岡市)の斎藤六郎会長(六九)、神林共弥副会長(六八)ら四十人(一審判決時の原告は六十二人)。
原告側は(1)アメリカ、イギリス、オーストラリアの各国は、日本人捕虜に労働賃金計算カードを発行し、日本政府はこれらの国の占領地から帰国した抑留者に未払い賃金を支払っており、帰国時に証明書を持たなかったシベリア抑留者についても国が労賃を支払う義務がある(2)抑留者に対する補償は、抑留された側の国がするという「自国民捕虜補償原則」が当時、国際慣習法として成立していた(3)憲法二九条三項に基づき国は補償をする義務がある――などと主張していた。
これに対し、時岡裁判長は、「当時、米軍などの捕虜について日本政府が労賃を支払ったのは、当時日本を占領していた連合国の政策として、『戦時捕虜としての所得を示す証明書』を所持する者に限り、抑留国に代わって支払いを認めたもので、日本政府が証明書を持たない者に対しても所得の有無を独自に調査し、労賃を支払う義務までは負っていなかった」とした。(朝日新聞1993.03.05東京夕刊)
第三審(最高裁1997年3月13日)
戦後長期間にわたってシベリアに抑留され、過酷な労働を強いられた元日本人捕虜らが国を相手に、抑留中の強制労働賃金などの補償金計約一億三千六百万円の支払いを求めた「シベリア抑留訴訟」の上告審判決が十三日、最高裁第一小法廷で言い渡された。小野幹雄裁判長は「原告らの損害は国民が等しく負担すべき戦争被害であり、憲法による国家補償の対象とはならない」として、請求を全面的に退けた二審判決を支持、原告側の上告を棄却した。これで原告側の敗訴が確定した。
上告していたのは、旧ソ連での抑留経験を持つ元軍人、軍属らで組織する「全国抑留者補償協議会」(全抑協、本部・山形県鶴岡市)の神林共弥会長(七二)ら三十一人。
判決理由の中で、小野裁判長は「原告らは、捕虜に対する所属国の補償を定めたジュネーブ第三条約(一九四九年)に日ソが加入する(一九五三、五四年)前に帰国しており、捕虜の身分を失っていたから、過去にさかのぼった条約適用はできない」として、国の補償責任は存在しないとした。また「抑留国が支払わなかった労賃を捕虜の所属国が支払うという国際慣習法が、シベリア抑留時に成立していた事実は認められない」とした。
憲法二九条(財産権)による損失補償請求についても「抑留は戦争被害にあたり、国民全体が等しく受忍しなければならないもの」と国家補償の対象ではないとし、補償の要否は「立法府の裁量的判断にゆだねられたもの」とした。
米国やオーストラリアなどから帰還した捕虜に、日本政府から未払い労賃が支払われた扱いの差については、判決は「連合国の占領政策の一環として行われたもので、連合国側発行の未払い賃金証明書によって支払われたもの。国際法上の義務として決済していたとまでは認められず、証明書を持たなかったシベリア抑留者への不払いに違法性はない」と述べた。
同訴訟では原告側が国家責任を追及したが、一審・東京地裁(平成元年四月)、二審・東京高裁(五年三月)ともに原告側の主張をすべて退ける判決を言い渡し、原告側が上告していた。
◇
《シベリア抑留》 昭和二十年八月、旧ソ連軍の日ソ中立条約を破った対日参戦により、シベリアなど旧ソ連各地の収容所に旧日本軍将兵や軍属ら約五十五万人が抑留された。抑留者は戦後、ソ連の復興のために森林伐採や炭鉱労働など強制労働を強いられ、約四万七千人が飢えや寒さ、病気などで死亡したとされる。(産経新聞1993年3月13日夕刊)
【登載判例集】
第一審(東京地裁1989.4.18) 判例時報1329号(別冊:第一編請求原因、第二編請求原因に対する答弁、第三篇被告の主張に対する原告の反論も掲載)、判例タイムズ703号、訟務月報36巻11号(別冊も掲載)
第二審(東京高裁1993.3.5) 判例時報1466号(別冊:第一章控訴人らの主張、第二章控訴人らの主張に対する認否等、第三章被控訴人の主張に対する控訴人らの反論も掲載)、判例タイムズ811号、訟務月報40巻9号(別冊も掲載)
第三審(最高裁1997.3.13) 判例時報1607号、判例タイムズ946号、訟務月報44巻1号、最高裁判所民事判例集51巻3号(いずれにも上告理由掲載、ただし判時は一部省略)
(56) 2002年3月13日 強制連行の中国人3人、国と港湾運送業者を新潟地裁に提訴
第二次大戦中に中国から強制連行されるなどして、新潟で強制労働させられたとして王成偉さん(74)=中国・山東省=ら74〜83歳の中国人3人が13日、国と港湾運送業「新潟港運」(現リンコーコーポレーション=本社・新潟市)を相手取り、精神的苦痛を受けたなどとして、計7500万円の御害賠償の支払いと、両国の新聞への謝罪広告掲載を求める訴訟を新潟地裁に起こした。
新潟地裁では1999年8月と2000年9月にも県内で強制労働させられたとして、中国人らが提訴しており、今回は第3次提訴となる(合計12人)。1、2次訴訟では、国も企業も請求棄却を求めている。
提訴後会見した原告弁護団は、第3次提訴を一応の区切りとし、今後は1、2次訴訟と併合して裁判を進める方針を示した。(毎日新聞2002年3月14日地方版・新潟【作田総輝】)
(57) 2002年3月18日 ラムズドルフ元独経済相、ナチス強制労働補償基金について語る
◇過去への責任、模索――ラムズドルフ元独経済相(75)
ナチスによる過酷な強制労働の被害者に、補償金を送る作業が今年もドイツで続けられている。取り組んでいるのは独政府と企業が2年前設立した補償基金だ。基金創設の最大のハードルは、米国で独企業相手に起こされた集団訴訟だった。独政府特使として米政府との交渉にあたったオットー・ラムズドルフ元独経済相(75)に補償の意義について聞いた。【斎藤義彦】
◇「暗い歴史、理解すれば道が」
――政府特使としてどのように強制労働の補償に取り組んだのですか。
◆私の使命は二つ。一つは過去に対して、倫理的・政治的にどう責任をとるのか、答えを用意すること。二つ目はドイツ経済界の名誉や、独米関係がこれ以上傷つけられないよう守ること。補償基金を設立し、米国の集団訴訟を棄却させたことで使命は果たせた。
――基金設立は戦後55年たってから。長い時間がかかりました。
◆被害者はみな高齢だ。補償金を受け取るまでに次々と亡くなっているのは悲しい。補償が遅れた原因の一つは東西冷戦だ。基金に申請する人の85%は東欧出身者だ。89年のベルリンの壁崩壊まで、だれも彼等に補償しようと思わなかった。
――被害者は満足していますか。
◆基金について幻想は抱いていない。強制労働による傷は深すぎる。交渉した被害者で完全に満足したものは誰もいない。
補償額が十分でないと疑問を抱く人もいる。しかし利益が偏ることもなく、関係者全員がほどほどに満足し、被害者が補償金を受け取った。最良の解決策だったし、旧ソ連やポーランドの老いた被害者にとって補償金は大金だ。生活していく上で大いに助かる。
――ドイツ人の中には、補償を嫌がる空気も一部にあります。
◆昨年、政府特使の任務終了時、連邦議会で演説した。「ドイツの最も暗い歴史の一章に、金銭上の終止符を打てたとしても、倫理面では終結できないし、またそうしてはならない。それを理解すれば、暗い過去から明るい未来へドイツが歩むべき道が開ける」
補償金支払いで、すべての倫理的責任が終わったとして、過去をすべて忘れ去ろうとする人がいる。だから、補償基金を「記憶、責任、未来】と名付けた。過去を記憶し、過去への責任を認め、不愉快な過去でも受け入れたい姿勢を示した。「未来」は暗い出来事を二度と繰り返さないことを表す。
――基金は若者の教育にも使われますね。
◆基金のうち約3億6000万ドル(約408億円)をかけ、「未来基金」も設立した。特に若い人を対象にゼミナールや講義を行う。ドイツで何が起こり、ドイツ人は何をしたのかを率直に伝える。
その際問われるのが「罪」でないことに注意して欲しい。罪は一人一人が個人的に犯すものだ。私の子供は、ナチ時代にドイツ人が犯した出来事に対して「罪」はない。孫は全く関係ない。だが私たちには「責任」がある。私も子供も孫も、過去の残忍な歴史に責任がある。政府特使を引き受けたのも一市民としての責任感からだ。
――独企業が米国で二度と訴えられない保証にこだわって、補償が遅れたそうですね。
◆この種の裁判は企業にとってうれしくはない。棄却されても報道され、反対運動が起こる、訴訟の前に問題を解決したいのだ本音だ。今後も訴えられない「法的安定性」を得るのは非常に難しく、交渉に長い時間がかかった。米政府は、集団訴訟が「国益に反する」という声明を出し、棄却を勧めてくれた。裁判官は「これは行政の問題」と棄却した。被害者を含めた多角的な交渉で訴訟回避に成功した。
――企業利益に固執しているように見えます。
◆もちろん、原告側は満足していないし、米国の裁判所は行政から独立している。訴えが今後もあり得ることはわかっている。ただ、将来の裁判でも米政府は棄却を促す声明を出す予定だ。原告勝訴の見込みはない。また、集団訴訟が企業の利益だけでなく、米独関係を阻害することを避けたかったのだ。
――ドイツは今年9月に総選挙です。
◆不愉快だが、ナチスを賛美し、外国人排斥や反ユダヤ主義を唱える人々がいる。我々は警戒し続けなければいけない。
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◇「法的安定性」求め対米交渉
強制労働の被害者は98年、独起業に補償を求め、米国で50件以上の集団訴訟を起こした。判決は被害者全員に適用され、補償が巨額になり、不買運動も起こる可能性があった。独政府は企業と補償基金設立に着手。99年にラムズドルフ元経済相を特使に任命、対米交渉を本格化させた。
独政府と企業は補償基金設立の代わりに、独企業が米国で二度と訴えられない「法的安定性」を得られるよう、米政府に仲介を求めた。米国務省のビンデナーゲル担当大使は先月、東京都内で開かれたシンポジウムで「米国の国益に重大な国益をもたらす」と受けとめた米政府が訴訟棄却を働きかけたことを明らかにした。米独双方が不買運動で損害を受け、欧州連合(EU)が反米的になる恐れもあった。
米政府は00年7月「裁判でなく補償基金を唯一の救済策とすることが米国の国益になる。訴訟の棄却を勧める」との声明を出し、裁判所に提出した。主な原告も受け入れ、01年5月までにほとんどの訴訟が棄却された。独連邦議会は同月「法的安定性」を確認。翌月、補償金支払いが始まった。
ビンデナーゲル大使は「集団訴訟の適用は数千人規模。100万人以上の高齢の被害者が生きているうちに、独創的な外交手法で解決することが必要だった」と話した。
◇事実を直視する独、問われる日本の補償姿勢
先月来日したラムズドルフ元経済相は決して革新的な政治家でも、戦後補償に関心が高かったわけでもない。政府特使に任命されたのも、米国の政財界に知己が多く、ドイツの経済利益を守れる人物だったからだ。事実、交渉の大半は「独企業が米国で二度と訴えられない」という保証(法的安定性)の確保に費やされた。補償基金の設立法自体、「法的安定性」を連邦議会が決議しないと補償金を支払えず、企業重視の仕組みだった。
しかし、ドイツでは中道政党の党首を務めた人物も過去への「責任」を果たすことを当然と受けとめ、行動している。それは決して個人の「罪」を暴くのではなく、事実を直視し、責任の取り方を探る発想に支えられている。
ナチ強制労働補償と日本の戦後補償は米国で結びつく。日本などでの強制労働の被害者に10年まで提訴権を認めたカリフォルニア州では、韓国系米国人(79)が強制労働への補償を求め、小野田セメント(現太平洋セメント)の関連会社を提訴した。昨年末、裁判長が州法を違憲とする連邦政府に対し「日本企業に対する裁判に反対した政策は、ナチ裁判に比べ不公平」と異例の批判を行った。
日本による強制労働の被害を受けた元米兵らも石原産業や三井物産などの関連会社を訴え、昨年、上下両院に働きかけ、国務・司法両省が元米兵の要求を妨害するのに公金を使うことを禁じる決議を採択させた。02年度歳出法案にも盛り込ませようとしたが、テロとの戦いに配慮した大統領が拒否、マスコミから「裏切り」との批判も出た。
日本に補償を求める火種はくすぶり続けている。どんな形で「責任」を取るのか。答えを用意しておく時が来る筈だ。
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◇ラムズドルフ元独経済相
1926年生れ。法学博士。72年に連邦議会初当選。77年シュミット政権で経済相。82年コール政権で経済相。84年、収賄と脱税に問われたが、87年に収賄は無罪となり、88年政界復帰し五年間、自由党党首。99年から01年まで強制労働補償の政府特使を務めた。
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◇強制労働補償基金
ナチス・ドイツは、軍需工場や農鉱業などに多くの一般市民を徴用した。主な内訳は、東欧・旧ソ連の占領地の市民約600万人◇捕虜約200万人◇強制収容所のユダヤ人40万人(44年推定)。第二次大戦中の被害者は26カ国に及ぶ。
戦後、強制収容所にいたユダヤ人に補償は行われたが、あくまで強制労働ではなく迫害などの償いを目的とした。独政府・企業は、「強制労働は戦争の一般的現象」として補償を拒否してきた。東欧・旧ソ連の被害者には冷戦終結まで何の補償もなかった。
独政府と企業約6300社は00年8月、約51億ドル(約5800億円)を拠出し、補償基金「記憶、責任、未来」を設立した。強制労働や銀行などに財産を没収された被害を対象に、約150万人に1人当たり約2560〜7660ドル(約29万〜87万円)を支払う。先月までに約56万人に計11億ドル(約1280億円)を渡した。(毎日新聞2002年3月18日朝刊)
なお、関連項目(3)、(13)、(22)、(24)、(26)参照。
(58) 2002年3月27日 東京高裁、旧連合国捕虜の強制労働賠償請求訴訟を棄却
第二次世界大戦中、捕虜や抑留者として旧日本軍に収容された英国、米国、オーストラリア、ニュージーランドの7人が「苛酷な労働を強制され、虐待を受けた」として、日本政府に計15万4000ドル(約2000万円)の賠償を求めた訴訟で、東京高裁は27日、訴えを退けた一審判決を支持し、原告側の控訴を棄却した。
石井健吾裁判長は、7人が収容された事実を認め「耐えがたい苦痛と焦燥の日々を過ごしたと推認できる」と述べたが、具体的な加害行為は認定しなかった。原告側が賠償の根拠としたハーグ条約などについては「被害者個人が加害国に対する損害賠償請求権を規定したものではない」と指摘して、訴えを退けた。(毎日新聞2002年3月28日朝刊)
【参考】 第一審判決(東京地裁1998年11月26日)
第二次世界大戦中に旧日本軍の捕虜となった元連合国側の兵士や抑留された民間人計七人が、収容中に虐待を受けたなどとして、国を相手に計十五万四千ドル(千八百六十万円相当)の損害賠償を求めた訴訟の判決が二十六日午前、東京地裁であり、井上繁規裁判長は「国際法は個人の損害賠償請求権を規定したものでなく、原告の請求には理由がない」として請求を棄却した。戦勝国である連合国側の元捕虜らが原告となった戦後補償訴訟の初の判決となる。
井上裁判長は判決理由の中で、「ハーグ条約を文脈や用語の意味に従って解釈すると、損害を被った個人の所属する国家による相手国への賠償請求権を規定したもので、個人による国家に対する損害賠償請求権を定めた条項はない」との判断を示した。
また、原告らが加害行為を受けたと主張する時期には、個人の国家に対する損害賠償請求権を認めた国際慣習法が確立していたとはいえず、原告らの請求は前提に欠けるもので理由がない、として事実認定に踏み込まないまま、原告の訴えを退けた。
ハーグ条約に基づく賠償請求については、フィリピン人の「慰安婦訴訟」でこの十月、東京地裁が「個人には請求権がない」とする今回と同様の判断を下している。
訴えていたのは、英国の元兵士、アーサー・ティザリントンさん(七六)ら英米の元兵士三人と、英米、豪州、ニュージーランドの民間人四人。
訴えによると、ティザリントンさんら元兵士は昭和十七年から二十年ごろにかけて、台湾やフィリピンなど東南アジアの収容所で、旧日本軍の捕虜として強制労働をさせられ、飢えや病気に苦しみ、看守らによる虐待を受けた。民間人らは抑留所生活を強いられ、解放後も栄養不足や心理的ショックによる後遺症に苦しめられてきたという。
原告側は旧日本軍のこうした行為は、占領地での捕虜や抑留者の保護を規定したハーグ条約やジュネーブ捕虜条約に違反すると主張していた。
これに対し、被告の国側は事実関係についてはほとんど争わず、「国際法は国家間の関係を規定したもので、個人に賠償請求権はない」と反論し、もっぱら法律論から請求棄却を主張していた。(産経新聞1998年11月26日夕刊)
【ロンドン26日共同】英国のファチェット外務担当閣外相は二十六日、旧日本軍の捕虜となった元英兵に対する日本政府の賠償責任を認めなかった同日の東京地裁判決に関連し、日本との賠償問題は一九五一年のサンフランシスコ講和条約で決着済みとの英政府の立場をあらためて確認した。
ブレア英首相は、ことし五月の天皇訪英で元捕虜問題が再燃したため、元捕虜らと直接会い、日本に新たに賠償を求めるかどうかを含め、政府の立場を再検討することで合意。元捕虜らの間に、英政府の方針変更への期待感が生まれていた。(共同通信1998年11月27日)
【登載判例集】
第一審(東京地裁1998.11.26) 判例時報1685号、判例タイムズ998号、訴務月報46巻2号
第二審(東京高裁2000.3.27) 判例時報1802号
(59) 2002年3月28日 アジア女性基金、韓国から撤退
旧日本軍慰安婦に国民からの募金による「償い金」などを支給してきた「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金、村山富市理事長)が、5月1日で韓国での事業を終了する。「日本政府による国家補償を回避するもの」と内外の批判を浴びてきた基金だが、とりわけ韓国では慰安婦の支援団隊や金大中政権からの反発が強く、3年間の事業凍結の後、残務整理をして撤退せざるを得なくなった。
「決して満足ではない。苦渋の選択だ」。韓国政府から拒否されたまま「撤退」を発表する基金幹部らは会見中、終始厳しい表情だった。ある理事は「あと1年は続けるべきだ」と強く反対したという。
基金は95年、「対日平和条約や2国間条約で解決済みの国家賠償はできない」とする日本政府の主導で設立された。これまでに一般から5億5千万円を集め、韓国、台湾、フィリピンの元慰安婦188人に一人あたり200万円の償い金を送ってきた。あと80数人に支給できる勘定だ。
◆ ◆
韓国の元慰安婦はこれまでに201人が名乗り出たがすでに60人が亡くなり、現在141人。台湾には38人、フィリピンには約300人の被害者がいるとされる。その多くは「日本政府による個人補償」を求め、今なお基金の償い金の受け取りを拒否。生活上やむを得ず受給した被害者でも「基金では解決しない」と考える人は多い。
それでもあえて、なぜ基金は事業を実施したのか。日本政府は法的責任は否定するが道義的責任は認め、償い金に歴代首相の「おわび」の手紙を付け、さらに一人あたり120万〜300万円規模の医療・福祉支援が政府からの拠出金でまかなわれてきた。「実態は国家補償に近い」との主張もある。
「道義的責任では不十分だ、国家補償せよという主張はわかる。が、高齢の被害者の中にそれでも受け取りたい、という人が一人でもいたら?」。和田春樹理事は「代替策」としての基金の存在理由を説明する。
韓国政府は反対世論に押され98年春、基金の償い金を受け取らないことを条件に相当額の生活支援金の支給を開始。このため基金は韓国での事業中断に追い込まれ、今年1月10日予定だった終了日も延期、韓国側の説得を試みたが不調に終わった。
「もう少し理解をもらえる形で終わりたかった」と和田氏は残念がる。石原信雄副理事長は「見通しが甘かったとの批判は甘受する」と認めるが、会見では「(基金の事業に)協力しようという方(被害者)がいる」と繰り返した。
◆ ◆
「国家補償はできない」との加害国の都合でつくられた「代替策」が、被害者にとっても受けることのできる「代替策」であるとは限らない。「償い」とは加害者の満足のために行うものでもなく、被害者に「強力」を求める事業でもないはずだ。受け取る人と拒否する人、勧める人と拒否を呼びかける人、「善意」のはずの事業は被害者、支援者の間にいやしがたい混乱と分裂をもたらしました。
戦時中、日本軍が占領したインドネシアでは、基金はオランダ人元慰安婦らに対しては一人300万円相当の医療福祉援助をすでに実施。インドネシア人元慰安婦らに対しては「相手国政府が個人支給を求めていない」として、慰安婦が居た地域への女性用老人ホーム建設で済ませている。
◆ ◆
2月中旬に現地を訪れた民主、共産、社民の国会議員調査団(岡崎トミ子団長)は「インドネシア人への差別だ」と指摘。老人ホームに住む元慰安婦も極めて少数で「慰安婦への事業と言えない」と批判する。
問題は何も解決していない。中国にも朝鮮民主人民共和国(北朝鮮)にも南洋諸国にも被害者はいる。軍による性暴力は国家による謝罪と補償で償われるべきだ、との国際世論はますます強まっている。基金を批判するのは簡単だ。が、加害国の市民である私たちが、いま何をするのかが問われている。(朝日新聞2002年2月28日、社会部・本田 雅和)
(59a) 2002年3月28日 東京高裁、強制徴兵・徴用賠償訴訟控訴棄却(江原道訴訟)
第二次大戦中に日本への強制連行で働かされた韓国・江原道の男性や旧軍人・軍属と遺族が、国に一人二百万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で東京高裁は二十八日、請求を退けた一審判決を支持、控訴を棄却した。
判決理由で矢崎秀一裁判長は「強制連行は国の権力的な作用で、国際法などに照らしても個人が賠償を請求できない」と述べた。
訴えによると、男性らは一九三九年ごろから志願や募集の名目で日本国内の工場や炭鉱、戦地に動員された。連行された多くが亡くなったが、日本政府は死亡通知さえ送らず、戦後は韓国籍になったことを理由に何の補償も受けられなかった。(共同通信 2002.03.28)
【登載判例集】
第一審(東京地裁1996.11.22) 訴務月報44巻4号
第二審(東京高裁2002.3.28) 訴務月報49巻12号
なお、最高裁判決(94)参照。
(60) 2002年3月29日 東京地裁、中国人「慰安婦」二次訴訟で請求棄却
第二次世界大戦中、日本軍の慰安婦にさせられたとして、中国山西省の女性二人(うち一人は1999年に死亡)が、日本政府に計4600万円の賠償を求めた訴訟の判決が29日、東京地裁で言い渡された。菊地洋一裁判長は請求を棄却したものの、「戦時中の監禁・強姦に起因すると見られる重度の心的外傷後ストレス障害(PTSD)が認められる」と述べた。
原告弁護団は「請求棄却は不満だが、判決が現在まで続くPTSDを認定した点は高く評価できる」と話している。
判決は、42年当時15歳と13歳だった二人が日本兵に連行され、繰り返し強姦されるなどの被害を受けたと認定した。しかし、「ハーグ条約や国際慣習法は、国家に対する個人の損害賠償請求権を認めていない」などとして、請求権自体は退けた。(毎日新聞2002年3月30日朝刊)
【登載判例集】
第一審(東京地裁 平14.3.29) 判例時報1804号。 なお、最高裁のサイト( http://courtdomino2.courts.go.jp/home.nsf )の下級裁主要判決情報にも掲載されている。
第二審(東京高裁 平17.3.18) 訟務月報51巻11号
第三審(最高裁 平19.4.27) 判例時報1969号(2007.8.11)、判例タイムズ1240号(2007.8.1)、訟務月報54巻7号
(60a) 2002年4月24日 北京で「花岡和解」についてシンポジゥム
2002年4月24日、北京の中国社会科学院日本研究所で、「花岡和解」をテーマとする学術シンポジゥムが開かれた。今回のシンポジゥムは、中国の中日関係史学会と中日民間文化交流センターが共同主催したもので、中国社会科学院法学研究所、日本問題研究所、外交学院、北京大学歴史系、清華大学法律系、中国国際関係研究所などの大学・研究機関から、法律学、歴史学、社会学等各方面の専門家が出席した。開催の目的は、「花岡和解」の意義や問題点について、専門家による学術的な分析・検討を行うことであった。
シンポジゥムの概要は、『中国青年報』(China Youth Daily)2002年4月26日に掲載され、「中国人強制連行を考える会ニュース』第68号、2002年5月15日に、その原文コピーと邦訳が載せられている。以下邦訳から、花岡和解の法的評価にかかわる個所を紹介しておく。
「シンポに出席した研究者らは、花岡和解は日本企業が中国の強制連行受難者に対して行った初めての実質的な賠償であり、アジアにおいても最初の例であること。このたびの和解は東京高裁が主導しその確認の下で実現したものであり、一定の法律的な意義を有していること。この和解は東京地裁が下した時効を理由とする一審判決を事実上覆すものであること。東京高裁の裁判官は被侵略国の市民の戦争損害賠償問題について、日本政府による従来の主張よりも前進し、国際的な流れに添った判断を示していること。などの認識を提示した。
日本の法律体系に詳しい専門家は次のように指摘した。日本の『民法』には謝罪規定がないにも関わらず、鹿島建設が歴史事実を認め謝罪した「共同発表」を、和解を通じて再度確認したのである。それ以外にも、少数の代表が提起した訴訟の和解を通じて、986名の受難者全体の解決を成し遂げたことは、日本の戦後賠償史上初めてのことである。(中略)
席上、出席した法律専門家は和解条項の中で誤解しやすい点についてはっきりさせた。今回の和解が獲得した5億円は鹿島建設の謝罪を基礎にして得られたものであり、裁判所が確認しているもので、その性質は賠償金であって、決して被告の慈善行為ではない。鹿島建設が和解の後で一方的に発表した弁明のコメントは、法律的効力を有する本件和解を否定することはできない。
また研究者たちは次のように指摘した。和解は法律的な一形式であって客観的には双方が互いに歩み寄って一致点を見出すものであるから100%満足ということはむずかしい。だからこそ、(主要な問題と枝葉の問題を区別して)枝葉の問題にとらわれないよう注意し、全局から出発して、和解の積極的な意義について正しく評価しなければならない。」(同ニュース6頁)
(61) 2002年4月26日 福岡地裁、中国人強制連行に企業責任を初認定、国への請求は棄却(中国人強制連行福岡訴訟)
先の大戦中に日本に強制連行され、福岡県の炭鉱で坑内労働などに従事させられたとして、中国人15人が国と三井鉱山(本社・東京)に総額3億4500万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が26日、福岡地裁であった。木村元昭裁判長は、強制連行・労働について国と企業が「共同で計画し実行した」と認定。不法行為の時から20年で賠償請求権は消滅するという、民法の「除斥期間」の規定をこうしたケースに適用することは「正義、衡平の理念に著しく反する」と述べ、三井鉱山に総額1億6500万円(原告1人当たり1100万円)の支払いを命じた。国への請求は棄却した。
三井鉱山は福岡高裁に即日控訴した。原告側も国の責任に関する判断を不服として控訴の方針。一連の戦後補償裁判で企業の賠償責任が認められたのは初めてで、各地で係争中の同種訴訟にも影響を及ぼしそうだ。
判決はまず、強制連行・労働について「国と産業界が協議し、国策として実行されたもので、労働実態は劣悪で過酷だった」と指摘した。
そのうえで除斥期間の適用の是非を検討。「強制労働によって企業は極めて多額の利益を得た」とする一方、(1)政府は強制労働の実態を認めず、関連資料も93年になって初めて一般に知られるようになった(2)日中国交回復後、戦時中の被害について個人に損害賠償請求権があるかどうか議論があった−−などを挙げ、原告らの提訴が00年まで遅れたのはやむを得なかった、と述べた。
こうした事情を踏まえ、判決は「除斥期間の規定を適用して企業の責任を免れさせるのは正義に著しく反する」と判断。原告らの精神的苦痛などを考えれば、慰謝料は1人当たり1000万円が相当とし、これに弁護士費用を加えた額の支払いを三井鉱山に命じた。
被告側は、日中共同声明や平和友好条約によって賠償問題は解決済みとの姿勢をとってきた。この点についても判決は、中国外相が「放棄したのは国家間の賠償で、個人は含まれない」と発言していることなどを指摘。「法的に疑義が残されており、条約が結ばれても原告らの請求権がただちに放棄されたとは認められない」と退けた。
一方、国の責任に関しては「旧憲法下では、国の権力的作用によって損害が起きても国は責任を負わない」とする国家無答責の法理を採用し、請求を棄却した。
原告らは大戦末期に中国北部から連行され、福岡県の同社の三池、田川の両炭鉱で働かされた。 (asahi.com 04/26 21:19)【登載判例集】
第一審(福岡地裁平14.4.26) 判例タイムズ1098号、判例時報1809号(2003.4.1)、訟務月報50巻2号
なお、裁判所のサイト( http://www.courts.go.jp )(>最高裁のホームページ>裁判例集>下級裁主要判決情報)、および池永満弁護士のサイト( http://www20.u-page.so-net.ne.jp/yc4/ikenaga/ )にも掲載されている。
【追加】 2002年5月9日 原告側控訴
第2次世界大戦中に、中国から強制連行され、福岡県内の炭鉱で坑内労働などに従事させられたとして、中国人男性15人が国と三井鉱山(本社・東京)を相手に、総額3億4500万円の損害賠償と日中両国の新聞への謝罪広告掲載を求めた訴訟で、原告側弁護団は9日、一審の福岡地裁判決を不服として福岡高裁に控訴した。
一審判決は、中国人強制連行及び労働は、国と三井鉱山による「共同不法行為」と認定。三井鉱山側が主張した時効・除斥期間の適用を退け、原告1人当たり1100万円の支払いを命じた。しかし、国へは、戦前の国家による不法行為は責任が問われないとする「国家無答責」論で免責にした。両被告への謝罪請求も棄却された。
原告側弁護団事務局長の松岡肇弁護士は「三井側にだけ責任を認めて、国には不問とはおかしい」と説明している。(朝日新聞2002年5月9日西部夕刊)(山手注――被告三井鉱山は、判決当日直ちに控訴している。)
なお、高裁判決(128)、最高裁判決(194)参照。また、第2陣福岡地裁判決(169)、および同じ中国人強制連行事件として、後掲(70)、(83)参照。
(山手注)この記事の文章だけでは、訴えが日本の裁判所に提出されるのかあるいは中国の裁判所に提出されるのか、また、まだ弁護士との契約だけで裁判所には提出されていないのかあるいはすでに提出されているのか、さらに、提出されたとして正式に受理されているのかそれともまだ受理されていないのか等について必ずしもはっきりしないところがある。実際には、中国の国内裁判所(上海市高級人民法院)に提訴することが考えられている(または提出された)が、正式にはまだ受理されていないというのが実情のようである。
(62) 2002年5月1日 アジア女性基金、受給者約300人に
「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金、村山富市理事長)は1日、元日本軍慰安婦の「償い金」受給の申請受け付けを終了する。最終的な受給者数は約300人になる見通しだ。
同基金は国民からの募金5億5900万円を1人200万円ずつ支給してきた。基金の残額は8700万円で43人分しかないが、1日までに申請手続きを終える人が60人程度いるとされ、同基金は不足分の再募金を急きょ呼びかけている。
基金側は「プライバシー保護」を理由に国別の受給者数は発表していないが、これまでに韓国、フィリピン、台湾の計236人が受給した。
償い金支給には「日本政府による国家補償を回避するものだ」との批判があり、韓国、台湾では政府内も含めて反発が強く、受給者は低迷していた。ところが、昨夏に申請を締め切ったフィリピンで、「相当数の追加認定があった」(基金事務局)といい、今後の受給者の大多数はフィリピン人とみられている。(朝日新聞2002年5月1日朝刊)
【追記】 アジア女性基金は、2002年7月19、20日に全国の新聞に掲載した募金終了広告で、フィリピン、韓国、台湾で合計285人に「償い金」などを届けたことを公表した。また、2001年7月13日に終了したオランダでは、79人が医療・福祉支援金を受け取っている。 なお、外務省のサイト( http://www.mofa.go.jp/mofaj/index.html )に(>アジア>先の大戦をめぐる諸問題>慰安婦)、「いわゆる従軍慰安婦問題に対する日本政府の施策」(平成14年5月)が掲載されており、これまでに行われた事業について政府の立場からの総括的報告がなされている。
(63) 2002年5月3〜4日 平壌で、アジアの元日本軍慰安婦ら国際会議
韓国、フィリピン、台湾、インドネシアなどの元日本軍慰安婦ら戦争被害者が初めて朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に集まり、「日本の過去の清算」を求める国際会議が3日、平壌の人民文化宮殿で始まった。償い金支給事業を終えたばかりの「女性のためのアジア平和国民基金」に対し、「慈善基金にすぎない」などの批判が続出、日本政府に国家補償を求める国際協議機関の設置が提案された。
北朝鮮の補償対策委員会の洪善玉・委員長は「北朝鮮で確認された元慰安婦は218人、公開証言した47人のうち既に21人が死亡した」と報告。「過去の侵略の責任も取らずに有事立法や改憲で新たな戦争を準備している」と日本を非難した。
韓国の元慰安婦、文泌基さん(77)は「国民基金が知人を使い、自宅訪問や真夜中の電話で償い金を受け取れとしつこく圧力をかけてきた」と発言。
最も多くの償い金受給者がいるフィリピンの被害者支援団体のネリア・サンチョ代表は「生活の困窮から償い金を受け取った人もいるが、彼女たちも真の謝罪と補償を求めている」とした。
日本からの訪朝団長、土屋公献・元日弁連会長は「被害者の高齢化に伴い、多数の早急な救済には新たな立法が必要」との立場から野党3党が参院に提出している慰安婦補償法案を紹介。個人への補償は求めてこなかった北朝鮮を含む各国・地域の代表は、同法案を支持した。(asahi com.2002.05.04,07:14)
(64) 2002年5月2日 東ティモールのホルタ外相、日本に「戦後補償求めぬ」
| 【ディリ(東ティモール)1日=北郷美由紀】独立を目前に控えた東ティモールのラモス・ホルタ暫定政府外相は1日、ディリで朝日新聞記者と会見した。外相はインドネシアとの関係改善に取り組む重要性を強調。第2次世界大戦中の日本軍の占領については「どんなに貧しくても、相手国の罪悪感に訴えるような外交カードは切らない」として戦後賠償を求めない新政府の方針を明らかにした。
亡命生活を送りながら独立への支持を訴え歩き、ノーベル平和賞も受賞したホルタ氏は、5月20日の独立後に初代外相に就任する。 一番の外交課題となるインドネシアとの関係では、アナン国連事務総長やハワード豪首相らがそろう独立式典へのメガワティ大統領の出席を重視、初代大統領となるグスマオ氏が2日からジャカルタを訪問して、要請することを明らかにした。 99年の住民投票後の騒乱をはじめとする、23年間のインドネシア支配下で起きた人権侵害事件については、同国での人権特別法廷の成果に期待を示した。(朝日新聞2002年5月2日)
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(64a) 2002年5月21日 福岡高裁宮崎支部、元台湾人BC級戦犯の控訴棄却(林水木事件)
第二次大戦中、旧日本陸軍の捕虜監視員(軍属)として勤務し、戦後はBC級戦犯として約11年間服役した台湾出身の宮崎県佐土原町東上那珂、林水木(はやしみき)さん(76)が国を相手に2500万円の補償と謝罪を求めた訴訟の控訴審判決が21日、福岡高裁宮崎支部であった。馬渕勉裁判長は1審を支持して控訴を棄却した。
馬渕裁判長は「具体的な救済を実現する立法は存在しない」と述べた。1審が求めた国会の補償立法については触れなかった。
林さんは「服役は台湾が当時植民地だったことによる『特別の犠牲』で、公共のため特別の犠牲を受けた場合は憲法29条3項(私有財産の補償)に基づき補償請求できる」などと主張。国側は「戦争で受けた損害を補償する法律を作るかどうかは国会の裁量」と反論していた。
判決などによると、林さんは16歳だった1942年7月から45年6月まで旧陸軍の捕虜監視員として、45年6月〜46年1月は軍人として勤務。46年1月、ラブワン島(現マレーシア)での軍事法廷で捕虜を虐待したとして禁固15年の判決を受けた。10年7カ月間服役し、56年8月に仮釈放された後、72年に日本国籍を取得した。
日本人の元BC級戦犯には軍人恩給が支給される。林さんは、74年と84年に恩給を国に申請したが、軍人在職年数が足りないとして棄却された。
林さんは98年5月、台湾出身の元BC級戦犯としては初めて国に補償と謝罪などを求めて提訴。01年2月、宮崎地裁は国に早期に補償立法を求める意見を付けながらも、請求を棄却した。【谷本仁美】 (毎日新聞2002.5.21大阪夕刊)
なお、韓国人の元BC級戦犯の補償請求訴訟について(48a)参照。
(65) 2002年5月27日 中国人元労働者と遺族31人、第二次大戦中の強制連行・強制労働の損害賠償求め前橋地裁に提訴
第二次大戦中に強制連行され群馬県内で働かされた中国人と遺族計31人が27日、国と鹿島、ハザマに損害賠償計約4億6000万円と謝罪広告を求めて前橋地裁に提訴した。「強制連行は国際法に反し、過酷な労働で精神的・肉体的な後遺症が残った」と訴えている。
提訴したのは、70〜90代の男性18人と、死亡した2人の遺族13人。
訴状によると、20人は大戦末期の44年ごろ、旧日本軍によって群馬県月夜野町、太田市に強制連行され、鹿島とハザマによる旧中島飛行機地下工場(太田市)建設工事などに従事させられた。連日長時間の重労働を強いられたうえ、見せしめの暴行を受けたり食べ物を与えられないなど劣悪な環境に置かれた。
これに対し、外務省中国課は「日中間の戦後賠償の権利義務は、72年の日中共同声明以降、存在していない」と話している。企業側は「訴状を見て検討したい」という。
原告弁護団によると、中国人の強制連行・労働を巡る賠償訴訟は国内10件目。福岡地裁が4月26日、慰謝料支払いを民間企業に命じる初の判決を出したため、群馬県で初の提訴に踏み切った。
[毎日新聞5月27日] ( 2002-05-27-10:58 )