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ヤバイ旅(もうちょっとであの世行き)
あこがれのヒマラヤ、ネパールへ行きたいと、かねてから思っていたが、今その飛行機に乗っている。時期は11月連休が終わった後である。 スキーシーズンが始まるまでペンションは客が入らず、梅雨時と同様に、サラリーマンでは考えられない長い休みが取れる。 今年脱サラをして、やっと手に入れた自由の時間! 6月のカナダの旅に続いて二度目の旅だ。もちろん自由の利く一人旅だ。 ヒマラヤでは雨の多いモンスーン(日本の梅雨に当たる)が終わり、晴天の日が続くベストシーズンに入る。 ネパールへの直行便は無く、シンガポールで乗り換える。 シンガポールを飛び立つたら着けばカトマンズ(ネパールの首都)という安心感から機内でワインをガブガブ飲んだ。
食事も良いし、サービスの良さでは定評のあるシンガポール航空だ。 スチュワーデスは日本人には無いような体形のスリムな美人である
ニコニコと何本でもワインを持ってくる。
そんなわけで機内でいい気持ちになりぐっすりと寝込んでしまった。 ドシンと着地の振動で目を覚ます。ゾロゾロと人の後についていき出国審査の列に並び順番を待つ。俺の番になった。
「ビザは持っていない、ここで手続きをしたい」と俺は言った。 なぜか係官はビックリして別室に俺を案内した。
待てど暮らせど誰も来ない。まあ、お国柄で,のんびりしているのだろう、 又ウトウトしながら待った。三十分以上も経ったであろうか、別の係官が来て色々尋ねる。
「どうしてビザを持っていないのか?」と係官。俺は「現地で十ドルの手数料 ですぐ取れる、と大使館で聞いてきた」と答える。
ところでネパールという国は入国するためにビザが要る。 旅行業者に頼んで八千円の手数料を払えば日本で手続き出来るが大使館で聞いたところ、現地カトマンズで十ドルと写真一枚あればすぐにビザが取れるとのこと、安いし簡単、これに決めていた。
ああ!それなのに。
係官は「大使館はそんな事を言うはずはない、何かの間違いだろう」と言う。「いや、そう言っていた」のやりとりで、らちがあかない。 そして宿泊するホテルを聞かれ、係官は調べていたが該当するホテルが無いとますます疑われ、そして俺があまり頑固なので、手こずって、消えた。 また三十分以上待たされ、今度は肩に金ピカの軍人が現れた。 ここのお偉方なのだろう。
そして同じ事を聞く。同じ事を答えるしかない。 あきらめた金ぴか男は、とりあえず72時間の滞在を許可すると印を押してくれた。
そしてウエルカム、バングラディシュと言って握手してきた。
「え!バングラディシュ?ここはネパールのカトマンズでは無いのか!」 降りたところは、シンガポールからカトマンズへ行く途中のトランジェット
(各駅停車)だったのだ。
機内でアナウンスがあったのだろうが、酔っぱらって寝ぼけた俺は聞き逃したのだ。 驚いた金ピカ軍人,電話をかけてくれたが、もはやカトマンズ行きのシンガポールエアラインは雲のかなたにあった。
次の便は?と聞いたら明日との返事。ガクゼンとした俺は何とか方法がないかと金ピカ軍人に聞いた。 彼はちょっと考えてから「よし!俺について来い」と言った。
そして米ドルはあるか?と俺に聞いてきた。 途中シンガポールに寄るので万国共通のドルはいつも若干用意してある。
ところで何でドルを?と思ったが、ははあ!ワイロをねだっているな!と思った。 「いくらか?」と聞くと、指二本出す。二ドルと言うことは無いだろうし、二百ドルではカトマンズまでの切符が買えて、おつりがくる。
二十ドルを素早く彼の手の内に渡す。 彼はシンガポールエアラインのオフィスに行って「なぜトランジェットの人員を再確認しないのか、とかなんとか言っていた。
空港のお偉方が、すごい剣幕でまくしたてるのでシンガポールエアラインはすぐにチケットを発行してくれた。 バングラディシュエアラインの当日便で一時間後、出発というものであった。もちろん無料で本当に助かった。 本当は寝ぼけてトランジェットのカードも、もらっておらず、ゾロゾロと人の後についてバングラディシュの出国のゲートへ行ってしまった俺が
悪いのだが…
なぜか帰りの便のバングラディシュでのトランジェットは降ろされず、機内にカンズメであった。 俺のせいではないか?とカングリ小さくなっていた。
皆は空港のトイレで用を足し、手足を伸ばしたかったろうに。 そんなわけで四時間の遅れで無事カトマンズに着いた。ああ、よかった!
入国のビザ手続きは全く簡単で十ドルの手数料で、あっ、という間に終わる。 バングラディシユ便の荷物はまだ出て来ないので、カトマンズの荷物受け取り場のだだっ広い場所にポツンと、さびしそうに先の便で来た俺の荷物だけが置かれていた。
両替も済ませ外へ出ると、当然迎えの車は帰ってしまっている。俺は電話をかけようとしたが電話はニルピ‐、コインが必要だ。ところがこの時なぜか全部両替は紙幣であってコインが無かった。 俺が電話の前でマゴマゴしていると、ニルピーのコインを渡してくれた人がいた。我々と同じ肌色のネパ‐ル人だ。俺はあわてて十ルピ‐紙幣を渡そうとしたが、その人は「みんな友達、ようこそネパ‐ルヘ」と言って受け取ろうとしない。 当時のレ‐トで十二円だが、十ルピ‐で立派な飯が食えるのだから二百円位に相当する。しかも彼らは決してリッチでは無い。なんと心のやさしい人達だろう。 最近は一部の日本人が金をばらまいて旅行をしているとの話も、ちらっと聞くが、こんな素朴な人は今も健在であろうか? ホテルに入った俺は、トレッキングの準備をすべく買い物をした。ホテルの前がス‐パーなので便利だ。何でも買える思っていたらハム卵、果物野菜がない。 聞いたら下町の方に露店が集まっており、そこで買えるるそうだ。 昔なつかしいバタンコ風の三輪車を呼んでもらい、いざ下町ヘ。
ところがこれは乗り合いなのか?途中で誰かが手を上げると、その人を拾う。 市場は青物ぱかりで、ここでオレンジ、バナナ、ジヤガイモ、タマネギなど買った。肉、魚などは見当たらない。
ここの人たちは菜食主義なのか?本当はハム、タマゴなどほしかったのだが、 まあいいや、どこかで手に入るだろう。
ところがこの横着があとでたたって毎日野菜カレ‐ばかり食うはめとなった。
帰りはボロタクシー、ホテルまでの値段を聞く。三十ルピ‐と言う。 来るときはバタンコだったが十ルピ‐だった。
メ‐タ‐が付いているのでメ‐ターで走れと言うと、渋々倒した。
そしてガソリンは高くてメ‐タ‐では儲からないとクチをこぼしていた。 まあ、そうかもしれないと思ってメ‐タで十ニルピ‐と出たので十五ルピ‐払った。
確かにガソリンは高いらしく、信号などで渋滞するたびエンジンを切っていた。日本のように長々と買い物をしている時も、エンジンをかけっぱなしというエネルギ‐無駄ずかいは見られない。 買い物を済ませ、ホテルでゴロゴロしていた。ゴミゴミした市内の観光は興味がなかったからだ。明日はポカラ(アンナプルナが見える美しいトレッキングのぺ‐ス)ヘ出発だ。 しかし次の日ホテルに迎えにきた車を見て俺はビックリした。日本だったらとっくに廃車というようなポンコツカロ‐ラ、タイヤはツルツル。 俺は悪路をポカラまで行くのだから四駆の車を予想していたのに。
この運チャン、驚く俺を尻目に、途中の露店でユウユウと野菜などを、どっさりと仕込んでいる。そんなに食うのか聞いたらポカラで売るのだそうな。 彼は英語が話せ、発音も良く、ゆっくりなので聞きやすい。家族は何人いるとか、一般的な世間話などをしてくる。俺は車窓のヒマラヤの連なりを眺めるのに夢中で彼の話などはウワのそらだ。しかし彼はヒマラヤ等、珍しくないのだ。 峠を降りてしばらく、カトマンズから二時間位、車は石ゴロゴロのひどい道を走っていたが、突然ガキガキというはげしい音とともに車は止まった。 運チャンは車の下にもぐりこんで調べていたが、後ろのサスペンション(板状の車のスプリング)が折れてしまったとのこと。 トランクから色々な道具、鉄片、ボルト、丸棒などを出してくる。こんなに色々持っているところを見ると、よくある事かと思いたくもなる。 脂汗を出して、小一時間格闘して何とか応急修理をした。ではポカラヘ、と思ったら、運チャンいわく、これではカトマンズに戻るしかない。そして修理してから行くと言い出した。とんでもない、バングラディシュで時間をロスしてまた、ここでとは! そこで、どうしても行きたいのだが、何か方法は無いのか聞いたら、二〜三時間毎ポカラ行きの路線バスがあり、そろそろ来る頃だという。良いことを聞いた、それに乗ろう。 まもなくバスは来た。俺の運チャンは手を上げバスを止め、バスの運チャンに何か言っている、ネパ‐ル語である。英語は通しないのだ。 やがてバスは出た。八人位乗客がいたが、皆良く日焼けした日本人のような顔をした現地の人達だけである。ニコニコしてこちらを見ている。ナマステ(今日は)とあいさつした。誰かがバナナを一本くれた。本当にネパ‐ルの人はやさしいのだ。 二〜三時間走ったと思うが、突然車が止まった。窓から顔を出して見ると、ずら‐と車が前に止まっている。運転手が外へ出て、しばらくしてから戻って来て何か言っている。 分からないので、俺れは自分で見に行こうと時計の針を二分の一回転指でさした。
三十分位、外へ行ってくるというゼスチュアである。運チャンはうなずいた。外へ出ると車は一キロ米位渋滞している。英語の分かる人に聞いたら前の路線バスが谷へ落ちたとのこと。それを聞いた俺はゾ‐とした。もう少し早く、迎えの車が来たら俺はそのバスに乗っていただろう。 谷は約百米下にガンジスの激流が、白い牙をむいている。谷は切りたっており、その激流に直接ダイピンクしたそうだ。 道を通行止めにし、丸太を組みウインチをかけてバスを引き上げる準備作業を始めた。 半日位、足止めを食うそうだ。やることが無いので少し上流の川原に降りてその作業を見ていた。軍のヘリコプタ‐も来た。
遺体が流されないように川にネットを張っている。少し上流の川原になっている所には、火葬にするためか、木の枝を積み上げ始めている。今のネパ‐ルは土葬鳥葬は無いのか? 飲物、スナック等を箱に入れた子供の売り子まで出現した。このような売り子は、なぜか子供が多い。あまりの手際よさに驚き、こんな事はよくあるのかと聞いたら、度々あると全くケロリとしている。 こんな事があったのでポカラに着いたのは真夜中になってしまった。 月明りでアンナプルナの前峰マチャプチャレが白いピラミットの輪郭をぼんやり見せてむかえてくれた。
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