Columbus Egg

クリストファー・コロンブス

1446?-1506年 スペインの王家に仕えたイタリアの航海・植民地行政者
1492年アメリカ大陸を発見し、ヨーロッパの新大陸進出の先駆となった。ジェノバ生まれと言うが、前半生は明らかではない。1478年からポルトガル海図作成に従事。フィレンツェの天文学者トスカリネリに影響され、東方航路は大西洋を西航することで可能であると主張、その大西洋横断によるインドへの航海計画は当時東方貿易のための新航路を求めていたスペイン女王イザベラの援助を受け、実現に移された。

−コロンブスのたまご−

コロンブスは1493年に帰国すると、バルセロナの宮廷で盛大な歓迎式典の招かれたが、皆がみな彼を賞賛したわけではない。『誰でも西へ行けば陸地にぶつかる。当たり前のことだ』といて、水を差す人がではじめた。その時、コロンブスは卵を指し示し、『誰かこの卵をたてることが出来る人はいますか』と謎をかけたのである。何人かが挑戦してみたが、誰もたてることは出来ず、しまいには怒り出す人が出る始末である。コロンブスは卵を引き寄せ、テーブルで軽くたたいて卵を立てて見せたのである。これがいわゆる『コロンブスの卵』といわれる出来事であった。

−航海日誌−

149283日〜1493315日 <第1回航海>
サンタ・マリア号、ピンタ号、ニーニャー号の三隻の乗組員90名で出発。14921012日、バハマ諸島のサン=サルヴァドル島(一説ではワトリング島?──1986/10/28付朝日新聞)に到達。キューバ・エスパニョラ島の沿岸を航海したのち帰国。出発前(1492年4月)の協約によって、コロンブスは発見した島島すべてを支配する副王(総督)の地位を認められる。
また、持ち帰った真珠・宝石・金銀などについてはその10分の1を獲得しました。

1493925日〜1496611日 <第2回航海>
17隻の乗組員1500名からなる大艦隊で出発しました。しかし、現地人の反乱が慢性化したため、現地人を奴隷として本国に送り返し、イザベラ女王の怒りをかうことになりました。

1498530日〜15001031日 <第3回航海>
船数6隻で出発、現地で反乱が発生したため、彼の統治能力に疑問を持たれ、本国に送還されてしまいました。

1504117日〜1504117日 <第4回航海>
船数4隻の乗組員140名で、パナマ地峡を探検するだけで空しく帰国することになります。その無理がたたって急速に健康を害し、1506年、他界しました。

コロンブスはなみはずれて優れた航海者であったのは事実である。第1回の航海も決して無鉄砲な冒険ではなく、確実な計算に基づいた行動であった。反面、かれは行政官としては落第であったといわざるをえない。1504年、最大の理解者であったイサベル女王が死去すると、宮廷にはかれに好意を示そうとするものがいなくなった。そもそも、コロンブスの身分は「市民」でしかない。むしろ、副王たるコロンブスの存在は邪魔になるばかりであった。「航海の天才」は失意と不遇のうちに、1506520日、この世を去った。

(<楽しい世界史> 大航海時代−1幻の「アジア」到達 1部参照)

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