番外編競作 禁じられた言葉 参加作品 / 注意事項なし

泡沫の訪問者 番外編

錆色の欠片

written by 夢寐

「絶対に、嫌」
 一言ずつ区切るように、まるで叩きつけるようにして言うと、ルカは視線をまっすぐ前に向けた。
「父さんはいい話だと思うんだがな」
 ルカは緑色の瞳に力を入れ、村長という立場に似つかわしくないどこか気弱そうな表情を浮かべる彼を睨むと、首を横に振った。
「私はあいつとなんて結婚しない」
 夕方、この家を訪れた隣人、結婚を申し込みに来た彼は彼女の恋人ではない。ただの幼馴染である。別に嫌っている相手ではないが、結婚相手として選びたい男でもない。気の弱そうな目と優柔不断なところが目の前の男に似ている、ふと彼女は考え、唇を軽く噛み締めた。
 目の前の男、などと考えられていることなど露知らず、この家の主であるはずの男は溜息をついた。彼には三人の娘がいるが、そのうちの次女にあたる彼女が、物腰こそ穏やかだったがやはり意志の強かった亡き妻に一番似ている。
「とにかく、知らぬ相手でもなし、もう少し考えてやったらどうだね」
 彼は助けを求めるように、事態を黙って見守っていた長女へと視線を向けたが、彼女がその視線に応えるよりも早く、ルカは食卓に手を叩きつけ、勢い良く立ち上がった。
「嫌だって言ったでしょ。そんなに私をこの家から追い出したいの?」
 腰に手を当て、健康的に日焼けした肌を青白く冷ました彼女の、怒鳴るというほどの音量ではないが、酷く厳しい声に、村長を務める男は顔に浮かぶ狼狽の色を濃くした。
 穏やかで優しいと評判の、しかも幼馴染である青年が精一杯の勇気を出した様子で申し出た結婚なのだから考えて見てはどうだろうかと、強制するつもりは少しもなくただ勧めてみただけの彼には、彼女の怒りが理解できなかった。
 うろたえる父と激昂する妹をよそに、サイカはゆっくりと足を組み替えた。
「そういうつもりはないが、しかし……」
「これがティエナだったら、同じように言った? あんな頼りない男と結婚しろって。所詮あんたは……」
「ルカ」
 声を搾り出すようにして宥めようとする彼を遮り、ルカは鋭い言葉を叩きつけようとした。しかしその言葉もまた遮られる。
 姉に、穏やかな、しかしきっぱりとした調子で名を呼ばれ、ルカは口を閉ざした。赤茶色の髪を翻らせて二人に背を向け、闇の広がる外へと飛び出す。
 サイカは父に肩を軽く竦めてみせ、彼女の後を追った。
 二人がいなくなった部屋で村長は、大分白いものが混じった薄茶色の髪に覆われた頭を抱え、静かで深い溜息をついた。


 家の前の小道を駆け抜けるまでもなく姉に追いつかれ、ルカは唇を噛み締めた。姉の手はただ肩に軽く置かれているだけであるが、振り払って逃げることは不可能だということは今までの経験から良くわかっている。毎朝剣の稽古を欠かさない姉の腕は強く、そして早いのだ。
「あんなに言わなくてもいいじゃないか。父さんはただ考えてみればって言っただけなのに」
 逃げることを諦め、ルカは彼女より頭半分ほど背の高い姉に向き直った。姉の手が、自然に彼女の肩を離れる。
 月と星が照らし出す姉の髪は、彼女と同じような色である。ただし、村の娘の中では他に類を見ないほど短く刈られている。すっきりとした中性的な顔はこんな時でさえもいつもの穏やかな、どこか楽しそうな笑みを浮かべていた。
 ルカはそんな姉から目を逸らすように俯いた。こうして見ると、いつもながら姉は、本当に良く似ている。母と結婚する前は旅の剣士だったという、今は亡き実父に。


 幼い頃、父は良い遊び相手だった。旅の途中で出会った村長の娘と恋に落ち、村中の反対を押し切って結婚した彼は慣れない農作業で疲れていても、ルカと姉が飽きるまでずっと二人に付き合ってくれた。
 歩き方にも危うげなところがなくなった頃、姉は渋る母を説得し、父にせがんで剣を教わり始めたが、友達相手のままごと遊びの方が楽しかった彼女はそれには参加しなかった。
 しばらくして彼女は、父と姉の間には二人だけの絆が芽生えていることに気づいた。三人で遊んでいても、分け隔てされているわけでもないのに、なぜか自分だけは違う。そんな気持ちを覚えるようになってすぐ、父は死んだ。村を襲った傭兵崩れの盗賊たちにたった一人で立ち向かったためである。
 かつて村の大半に拒まれた男は、ただ一人で村を守って死んだ。
 彼女は亡骸を見せてはもらえなかったため、父の最後の姿を知らない。しかし、棺の横で、ただぼんやりと座る母とその傍らで立ち尽くす姉の姿は鮮明に覚えている。泣きじゃくる彼女の頭を優しく撫でてくれた姉も、強く抱きしめてくれた母も泣かなかったということも。
 しばらくして、母は幼馴染だったという今の父と再婚した。昔から彼女が好きだったと後にぽつりと娘に漏らした彼と母の間には娘が産まれ、その子が拙い歩みで家中に暖かい空気を振りまき始めた頃、母もまた死んだ。
 それ以降も、サイカは二人の妹の面倒を分け隔てなく見、父は三人の娘を同じように愛した。
 義理の父と実の姉と彼女、そして半分だけ血の繋がった妹。彼らは、不揃いな部品を繋ぎとめていた楔を無くしたはずであるのに、傍から見れば不思議なほど穏やかに暮らしてきた。
 しかし、どうしてだかはわからないがルカの心の中では、色々な感情の小片が軋り合ってたまらなくいやな音を立てることがある。実の父にあれほど可愛がられていたのに、今の父とも仲の良い姉、気弱で、本当の父とは比べ物にならない今の父、まるで何も知らないかのように懐いてくる妹。自分以外の皆が全て血が繋がっていないことを気にしていないように見えるのが腹立たしく思える。姉は、父とはあまりにも違う彼に失望しないのか、今の父は恋敵だった男の娘を邪魔に思うことはないのか、妹は、違う父を持つ女に姉のように振舞われて腹立たしくないのか。
 こんな醜いことを考えているのは自分ひとりなのだろうか。そう思うと彼女は時折叫びだしたいような気分になる。
 いつもならば、彼女も父に対してああまで強硬な態度はとらなかっただろう。しかし不運なことに今日の彼女は、幼馴染の青年の軟弱な態度が気に入らなかったせいか、いつもよりそうした思いが強かった。


「まあ、ティエナがいなくて良かったよ」
 ぼんやりとしていた彼女の横顔に向かってサイカが呟く。末っ子である彼女は頭痛がするからと夕食後すぐに寝てしまったのだ。
 ルカはそれには応えず、ただ姉から顔を逸らした。
「……姉さんがあいつと結婚すればいいでしょ」
「あいつが申し込みにきたのはあんた」
 人に押し付けないでと続けてサイカは小さな笑声をたてた。
「順番から行っても姉さんが先じゃない」
「結婚なんかどうでもいいよ。大体私に結婚申し込むような男はいないだろうし」
 まだ笑いの残る声で言う姉の顔をまじまじと見つめ、ルカは軽く唇を噛んだ。この村に、事情もないのに結婚せずに暮らしている女などはいない。姉と同年輩の娘はほとんどがもう母となっている。それに、姉に結婚を申し込んだ相手がいなかったわけではないと彼女は知っていた。確かにサイカは女としての魅力には乏しいが、明るく裏表のない気性は皆に好かれており、息子と結婚させたいと思う親には事欠かないのである。
「姉さんが継がなかったら、この家はどうなるのよ」
「あんたが婿を取ればいい」
「勝手すぎる」
 緊張感のない姉の態度に、ルカは思わず鋭い声をあげた。村長の長子としての責任を果たすつもりはないのかと詰るような視線を向ける。
 しかし、彼女の表情は小揺るぎもしなかった。
「ま、あんたが嫌ならティエナが婿を取ればいいんじゃないかな」
 静かな夜風が、父が死んだ日以来伸ばされたことのないサイカの短い髪を揺らす。月明かりに照らされたその横顔は変わらず笑みを浮かべたままである。
 確かに村長の家系だったのは母なのだから、ティエナが跡を継ぐことには何の問題もない。しかし、ルカの胸の奥ではそれを承服しない何かが燻り、薄い煙を上げた。
「結婚もしないで、姉さんはこの先どうするつもりなの」
「そのうち、旅に出たいと思ってる」
 怒りを抑えた声でなされたルカの問いに返ってきたのは、彼女が思いもしなかった答えだった。幸いなことにこの国でではないが、この大陸内で起きていた幾つかの戦乱は治まってまだそう長くはない。男であっても一人旅は避けがちな時勢であるというのに、何を言っているのかと、ルカは二の句も次げずにただ呆れたように姉の顔を見た。
「見てみたいんだ」
 ルカの耳には、姉が今までとは打って変わって枯れたような声で、そう呟いたように聞こえた。言葉の後半は飲み込まれてしまっていたが、彼女にはすぐわかった。姉が見たいのは、父が見ていた世界なのだと。


「あんたがあいつと結婚するのが嫌だっていうなら、私からも父さんに言うよ」
 刹那の後、明るい調子を取り戻した声でサイカは言い、彼女の肩を軽く叩いた。
「父さんが別に強制するつもりで言ったんじゃないことくらいはわかってるだろ」
 ルカは小さく頷いた。満足そうに頷き返したサイカが、不意にその顔から笑みを消す。
「だからもう、あんなことを言おうとしないで」
 それは酷く静かな声だった。しかし、ルカはまるで親に怒鳴りつけられた子供のように動きを止めた。
「姉さんはそれでいいの? だって、私たちの父さんは」
 ようやくそれだけを搾り出す。危険を冒してでも、父が見た世界を見たいとすら思っているのに何故、と続けて問おうとして、ルカは口を閉ざした。姉の口元に、微かではあるが苦い笑みが浮いている。
 サイカはゆっくりと腕を伸ばし、家を指した。
「今、あそこでああして心配して待ってくれてるのが、私たちの父さん。それでいいじゃないか」
 扉の脇には灯火。それを持つ男の影が微かに浮かび、揺らいでいる。
 ゆったりとした足取りで明かりの方へと向かう姉の後姿を見ながら、ルカは小さな溜息をついた。
 心の中で、ああして待っているからなんなのかと吐き捨てるように言ってはみたが、その言葉には、彼女自身も驚くほど力が篭っていなかった。
 しかし、完全に納得したわけでもない。心のどこかにまだ、錆びた小片が残っている。いつか、この欠片は消えるのだろうか、それともこのまま全てが錆び付いて、自分は嫌な音を立てて軋る壊れた部品として、繋ぎとめてくれるものも無いままあるべき場所から転がり落ちて行くのだろうかとルカは自分に尋ねた。
 返ってくる答えはない。
 ルカは再び溜息をついて微かに首を左右に振り、少し遠くなった姉の後を追った。

本編情報
作品名 泡沫の訪問者
作者名 夢寐
掲載サイト The East Outskirts of a Bazaar
注意事項 年齢制限なし / 性別制限なし / 表現制限なし / 完結済
紹介  目的のない旅を続けていた彼らは、異世界から来たのだというひとりの少年に出会った──。
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