アケメネス朝ペルシア
bc550 キュロス一世、メディナを倒しアケメネス朝を樹立。
bc539 バビロニアを征服。
bc490 マラトンの戦いでギリシャ連合軍に敗れる。
bc480 サラミスの海戦でギリシャ軍に敗退。
bc479 プラタイアイの戦いでギリシャ軍に敗退。
bc331 アレクサンドロス大王によりペルシア滅亡。
ペルシアは何となく好感が持てます。歴代の国王はゾロアスター教の信者であり、征服民に寛大で、慈悲心にあふれていたようです。
結局アレクサンドロス大王に滅ぼされるが、ペルシャ王の態度や貴高さはギリシャの将兵にも敬意を払われていたそうです。
聖都ペルセポリスの神殿には朝貢を運ぶ各国の人々がレリーフとなっています。
支配地は西アジアを中心に小アジア、エジプト、中央アジアに及びました。
国教のゾロアスター教は、善(光明)と悪(闇)の二元的な思想を持ち、後のユダヤ教などの天国と地獄の思想に影響を与えました。
車メーカーのmazdaはゾロアスター教の神アフラマズダから名前をとったという話を聞いたことがあります(あってるかな?)。
アケメネス朝ペルシアには都が5つありました。
行政上の首都で冬の宮殿があったスーサ、夏の王宮ハマダン、古都バビロン、宗教の中心地パサルガダエ、そして最大の都ペルセポリス。
ペルセポリスには年2回ペルシア王がやってきて、宝物庫には莫大な財宝が蓄えられていたらしいです。
だが、交易相手のギリシア人の記録には、スーサの記録は多くあるが、ペルセポリスについての記録は何もない。
アレクサンドロス大王は遠征して、初めてその名を知ったらしいです。
ペルセポリスは壮大な都であり、儀式の為の都とも言われるが、真の造営目的は分かっていません。
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