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第27回岡崎空襲の市民慰霊祭
7月19日(土) 9:00〜9:30
               写真で見る岡崎空襲・戦争の頃の岡崎

03年7月19日(土)9:00〜
9時から第27回岡崎空襲の市民慰霊祭が
50名余の参加で行われました。イスや机などは、クレオの方が毎回用意してくださいます。

岡崎空襲の慰霊碑は、昭和51年、故加藤庄一さんらの呼びかけで市民の方々に寄付をつのり建立されました。康生・クレオの東一角にあります。

梅田章次会長あいさつ
岡崎市長代理あいさつ
杉浦正健衆議院議員あいさつ
市主催の慰霊祭は知っていたが、この慰霊祭が行われていることは初めて知り、参加させてもらった。岡崎空襲は、自分も矢作の自宅から見ていた。近くの田んぼに焼夷弾が落ち、育ちかけた稲が一面焼けたのを覚えている。先ほど(太平洋)戦争の原因は何かと聞かれたが、政治の責任が大きいと感じている。
最近、イラクの調査に行ってきた。イラク現地の様子はフセインのもとでひどいものである。日本をはじめ世界の平和のために働いていきたい。

(自衛隊をイラクに派兵すると、再び戦争で日本人が死に日本人が人を殺すという事態が起こる。58年前の空襲で犠牲になった方々を祀る碑の前で、イラク派兵に何ら疑問をもたれなかったのだろうか)
空襲当時、連尺国民学校6年生だった清水さんの話

「風が火を呼ぶ、火が風を呼ぶ」状態、熱風に息苦しさを感じた。竹をひきずった時のような不気味な音をたてて焼夷弾が空から落ちてきた。今でも耳に残っていて、よく似た音を聞くと身震いする。
焼夷弾が真っ直ぐ落ちてくるように、筒の上に丈夫なロープがついていた。当時は物がなかったので、それをげたのはなおに使ったことを覚えている。
遠い長野からはるばる参加

図書館で岡崎空襲を記録した本で、焼夷弾が頭に直撃して亡くなった子どもの話を読み、なぜこんなひどいことがおこったのか知りたくて岡崎まで足を運ばれた。
慰霊祭を準備されてきた香村さん、ご自身の空襲体験を紙芝居にして子どもたちに語り継いだり、今年で14回を迎える「戦争体験を語る会」を精力的に開いてこられるなど、戦争体験を絶対に風化させまいとがんばっておられる。

司会の岡田さん(左)も、2人の弟妹を岡崎空襲で亡くされている。