

たけちゃんのラジオ情報
ビートたけしのオールナイトニッポン
金言格言編 〜 1989年3月24日の放送より
佐藤公哉(相談役)
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今回お届けするのは、かなり後期の放送です。映画の話題も出ていますし、1990年辺りかな。
この日は『世界を動かした名言』という本を片手にたけしさんが語るという趣向で、結果的に「定本・たけしイズム」とでも呼ぶべき内容になっています。通常のオールナイトとは若干趣が違いますが、番組中たけしさんもおっしゃっている通り、これはこれで"永久保存版"的内容で、これを読むと"たけしイズム"とは何か!?を再認識することができると思います。まずは、ゲストの林家ペーパー夫妻とのトークから、番組はスタートします。
――――――――――――
林家ペー:『林家ペーのオールナイト・ニッポン』!今週から始まりましてね。ありがとうございます。
林家パー子:ヤだ、もう(笑)。
ビートたけし:何でそんなこと言うんだ。
ペー:おはようございます。
たけし:何だ、こんな奴入れて。
ペー:いつもありがとうございます。
たけし:あー、どうもどうも。
ペー:パー子も泣いて喜んでます。
たけし:ペーさん偉いな、しかし。さすがペーさんだな。
ペー:いやいやこちらこそ、御迷惑かけっぱなしで。たけし軍団ともども、御迷惑かけまして。
ダンカン:体大丈夫なんですか?
ペー:いやもうすっかり完全に。
パー子:ははははは!
たけし:ペーさん、体悪いのに仕事熱心だからなァ。
ペー:いやいや、たまたまね、ハプニング、アクシデントがあったんです。こないだ酸欠だったんです。体で息できなかったんです。
たけし:ぬいぐるみ。
ペー:そうです。
たけし:あれ、ぬいぐるみ脱がせないIVSが失礼だと思うな。七時間かかったメイクだからってさ。剥がしてれよ。
ペー:口で息してたんですよね。
ダンカン:そうですね。
ペー:それが多少ね。あれがなかったら大丈夫だったんですけど。
たけし:しかしペーさん偉いな。ペーさんとかたこ八郎とか。
ペー:はっはっはっ!
たけし:その辺のクラスは偉いな。懸けてるね。
ダンカン:そうですね、体張ってますからね。
たけし:ペーさん、どうかね、芸人としては、体張ることは結構快感じゃない?
ペー:そうですね、やっぱり。
たけし:笑ってくれると。
ペー:芸人の本望ですよ。肉体を使って。
たけし:何か、危ないことでもやって、それで、見て笑ってくれたらありがたいってのがあるよね。逆に言えば、ペーさんが体張ったことに対して、一般の視聴者から「かわいそうだ」ってクレームが来ると、それは腹立つでしょ?
ペー:かわいそうでも何でもないですよ。だからそれは不思議でしょうがないですよね。
たけし:笑ってくれ、って思うよ。
ダンカン:やってる方はウケてなんぼですもんねえ。
たけし:一番ツライのはさ、一生懸命体痛めて何かやったときにさ、他の人から冷静に「かわいそう」って言われる、これほどツライもんはないよな(笑)。「ヤだ、あんなことして」とか、オレなんかボコッと殴られて「わァ、たけちゃんかわいそう」って言われると、「この野郎、どっか行け」って思うなァ。今のファンってのはバカ多いからよ、何か変なことでさ、「そんなことやったら失礼だ」とか言うんだね。でも芸人さんっていうのはさ、泥だらけになろうがさ、うんこの中に突っ込もうが、それが楽しいってとこあんだよね。
ペー:あります!
たけし:笑ってくれたらそれで済む、っていう。で、何のためにやるかっつったらお客さんが笑ってくれたらいいってのがあるのに、判んない、今の子供たちがいるね。それはすごい平均的な教育を受けたガキたちだよね。下手すりゃさ、世界中が爆笑したら死んでもいい、ってのあるでしょ?
ペー:それはあります。僕はほら、林家三平ってのが師匠でしょ。ウチの師匠のモットーは、客に優越感持たせる、っていう。何しろ、ひっくり返ってもバカしても笑って欲しい、っていうね。
たけし:それが、今の人たちは判んないから、おいらは古くなってしまったかも判んないね。何だかよく判んないね。
ペー:ギャップですかね。
たけし:ギャップじゃないんだよ。今、いろんな教育に対する問題があって、みんな平等で差別をなくそうとかさ、要するに運動会で一位二位三位をなくそう、とかね。徒競走で優勝した奴に何故賞品をあげる、みんな一生懸命走ったんだから、って。みんな一生懸命走ったからって、一位二位三位決めたっていいじゃない。一位の奴にはさ、ノートと鉛筆あげたっていいし。それが今はダメなんですよ。何故かって言うと、みんな平等だって言うんだよ。お笑い芸人が一生懸命ボケたのに、みんな平等だから「かわいそうだ」って言う。
ペー:それはダメですね。
たけし:何の感性もなくなってる、頭の中に。やっぱり、音楽なんかもね、昔は宮廷音楽っつって、王様とか貴族とかに一生懸命曲を作って発達したもんで。絵だって、みんなそうだよ、肖像画から始まったわけでしょ。それが今に残ってる芸術なんだけども、それに対して、今みたいにみんな平等で差別をなくそうとしてしまったらだね、見るものは何もない。ただ、全部いっしょな平等なバカになりましょう、ってなもんでね、誰も天才も現れないしね。だから、今のガキというのはね――今日飲んでたらね、飲んでたって言うか、トーク番組のあと渋谷の焼鳥屋に行ったの。そしたら、誰が見ても大馬鹿野郎がふたりいるわけ、女が。で、それに男がいて。ギャーギャーギャーギャーさ、死ぬほどうるさいわけ。みんながそいつらをうるさいって見てるわけ。でもうるさいの判ってても平気でやめないわけ。何故かって言うと、自由だって言うんだよね。そんなような馬鹿野郎の女を相手に飲んでる男も馬鹿だしね、その辺の――たまんないぐらい、この男ぶん殴ってやろうかって思うぐらい馬鹿野郎だしね。女もホントに馬鹿だしね。こういう野郎がね、今平気でいろんな店にいるんだよね。それをね、注意する気もないわけ。注意するとね、余計なお世話だって言うわけ。そうすると、注意して何かモメたりなんかすると警察が来るでしょ。そしたら、文句つけたあんたが悪いって言われるわけ。誰が考えてもこいつらはうるさいわけさ。オレらが飲んでても、ひとりでも他人がいて、例えばペアで男と女が飲んでて、オイラと軍団が飲んでても、絶対オイラは迷惑かけないように飲むはずなんだよ。それが常識だから。だけどもね、そういう奴らってね、あらゆる周りの人全部が迷惑なのに、でかい声でゲラゲラ笑ってるわけ。それのね、何つうんだろうな、鈍感さというのをね、認める時代になってしまって。だから、ペーさんが一生懸命ギャグをやったときに、笑うんじゃなくて「あァかわいそう」とか「何をするんでしょうかこの人は、馬鹿みたい」と言って済ましてしまうというね、感性のなさというのはホントたまんないね。オレもね、広尾からたまに歩いて来るとね、学生がいるわけ、女の子がふたりで。ゲラゲラ笑うわけ。ぶっ殺してやろうかと思うわけ。でも殴ったら捕まっちゃうから、どういう常識のなさだろうって思う。人の顔見て笑うか、いきなり。逆に言わせりゃおまえらの顔の方がもっと面白いぞ、って呼び止めて言ってやりたいんだけど。不細工な顔してるわけ。不細工な顔してるやつがオレに文句言うんじゃないって、おまえの顔の方が笑わせんだよ、って言ってやるとさ、また失礼になるわけじゃない?その辺がさ、今の子っていうのは、感性がないのと愛情がないのとね、非常に、どういう教育受けてんだか、親も何も思ってないんだろう、とかいうような、何も判んなくて生きてるんだよね。それを許した国も悪いしだな、文句言わないテレビも悪いし。これからはですね、ペーさんがバッと出て、何故林家ペーはすごいのかというのを見せつけなきゃいけない。こんなこともやるんだぞ、芸人は、って。それが何、「かわいそう」だ?ふざけんな、笑いなさい、笑うことで昇華されるんだから、っていうことを我々はやらなけりゃいけない、と思ってる今日この頃でございまして、ひとつ、『ビートたけしのオールナイト・ニッポン』。
("ビター・スウィート・サンバ"が流れて)
たけし:『たけしのオールナイト・ニッポン』、この番組は――。
松尾伴内:ポニー・キャニオン、ブルボン、角川書店グループ、BVDフジボウ、ワニブックス・ワニマガジン社、アサヒビール、アルマン、東芝EMI、味の素、資生堂、三洋食品、YAMAHA、CBSソニー、以上各社の協賛で、東京千代田区有楽町ニッポン放送から、全国32局を結んでお送りいたしまーす。
たけし:というわけでございましてね、『たけし城』が一回ストップしまして、『たけし城』ってのはスペシャルになって年間四回やるわけだけどね、これからはまた軍団でTBSでスペシャルやるわけだけど、だけどね、あんたたちもですなァ、どの程度、芸能界で自分が今の位置にいるんだとか、これから先はどうなるんだ、とかってよく理解しないとですね、非常に危ないんですよ、やっぱり。私も一生懸命、あんたたちのことを考えていろいろやってるわけで、自分たちの自覚としては、このままじゃ危ないという意識がないとですね、やっぱりねえ、何だかんだ言っても、もう皆さん齢ですよ。若くて溌剌とした時代じゃないんですよ。たけし軍団として「わァかわいい」とか「わァステキだ」という時代の、もう、あとに来てるわけ。なおかつ、ファンのひとたちはいっぱいいますよ、相変わらず。ありがたいことですけどね。だけど下からじゃんじゃんじゃんじゃんいろんな奴が来てるわけ。下からいろんなタレントが出て来て、俺に言わせりゃあんなもんは屁みたいなもんだと思ってるわけ。だけど、実際にやったテレビの画面の行為がだね、あの人たちよりも面白くない、ってこともあるんだよ、たまに。そうすると、それは許さんぞおまえら、ってとこがあるんだよね。
ダンカン:はい。
たけし:やっぱり、やることはやって、あとから出て来たものに対して、馬鹿野郎ふざけんな、てめえらなんか問題じゃないんだ、って言えるようなタレントになってないと、何もできずにいっちょ前に文句は垂れるというな、オレらの先輩みたいなことになってしまうから。先輩の名前はいちいちあげつらわないけどね、面白くない奴はいっちょ前なこと言うんじゃない、ってのがオレは基本だから。そうすると、今、意外にたけし軍団よりも、下から出て来た奴の方が、ふたりでやらしたら芸があるぞ、って思うこともあるわけだ、最近な。だからそれは一番良くないよ、おまえら頑張らないと。これからは、ファンのみなさんに対しても非常に失礼だと思うよ。やっぱり、お金払ってコンサートに来てくれたいろんな人たちがいるから、それに対して我々はどうやって対処するのかっていうのはなァ、これからのおまえらの問題だと、私を含めてね、思っておりますから。さァ、"レディ・ステディ・ゴー"永井真理子。
(曲、CM)
たけし:というわけでございまして、今日はここに、『世界を動かした名言』っていうのが。J・B・シンプソン。これ、英文で対称になってましてですね、「It's
better to be a lion,for a day than a sheep」――いいけどね。この言葉が、わりかし今の人たちにはね、こういう言葉を聞いて感動して欲しい。これはね、実はですね、言った本人も大したことを思ってません。これはですね、名言ですけど、実際この通りに生きてる奴はいない。これは飽くまでもですね、テクニックですな。だから、あの、『天井桟敷の人々』で「おまえを殺してやるほど善人じゃない」っていう言い方で「いいねえ、いい台詞だねえ」っていう、要するにまァ都都逸と同じだと思えば間違いない。でも、都都逸と同じなんだけども、よく考えたらわりかしいいこと言うな、という。その通り生きてしまってはいけませんよ、だけど。その通り生きちゃったら、とんでもない馬鹿野郎になってしまいますからね。それで、この、エリザベス・ケニーという、先生ですけどね、これいいですよ。
「たった一日でもライオンでありたい。一生羊でいるよりはましだ」
という。そうすると、男の子、ちょっと感動するだろ。だけど、これはですね、思い切り本気にしてしまうと、単なる強盗になってしまうというのはあるよな。悪いこと急にしちゃうとかね。だから、人生の目標に対してだね、羊みたいに一生耐えるんじゃなくて、一度だけでも攻撃的になることも必要だという、ね。一日だけでも、自分の人生に向かって思い切り行ってしまおう、という、それを読むと、何ていい言葉だろう、と思ってしまうわけだよな。
ガダルカナル・タカ:今の若い人たちは、一生羊よりも一日ライオンになるよりも、犬でいいや、ぐらいの考えってありますね。
たけし:そう、一瞬ライオンになって怒られるよりも、一生地味な羊でいたい、というね。♪目立たぬように〜というね、いるだろ、そういう歌歌ってる奴。あの感覚もまたいいもんだという。長淵剛の"乾杯"っていう「今君は人生の大きな舞台に立ち」って、要するにみんなで歌って、じつはその盛り上げられた本人は何の役にも立たない男だ、というような歌もあるけど、今の時代はそういう歌が流行ってしまうんだよな。要するに、人に見られる花よりも道端に咲く普通の花でいたい、という、一生保守みたいなさ、それがいいというような風潮もあるけどだね、それは実はね、今の人たちはですね、負け犬なんだよな、やっぱり。やっぱりこの言葉にある通り、一生羊であるよりはだな、一瞬でも輝く星でいたいとかさ、そういう風になることが人生の一番の目的であってだな、お笑い芸人なんてのはな、一生恵まれなくたっていいんだよ、結局。だけど、あのときのあの一瞬の、あの番組の、あのときのあんたはホントに面白かった、っていうために一生を懸ける奴だっているわけだよ。それがロマンであってだな。それが、いろんな高校生・中学生のときにだな、「僕は勉強も何もできません、いろんなことができません、だけど、あのときのあの問題に対しては私は答えたんです」というきらめきが欲しい、というような希望もあるしだな。オレは全然女の子にモテません、とか、女の子が好きになったことがないとか、だけどあの子のためにこれだけはできるんです、というような、光だな。それがない奴はつまらん、という風にエリザベス・ケニーは言ってるわけですよ。それはそれで一理あるけどな、それだけを押し進めると、淋しい人生になってしまうんだな、これが。一瞬輝くよりも、一生ガスのビー玉でいたい、という人もいるんだけど、男の子の感性としてはだね、ただの羊よりも一日でもいいから狼とかライオンになりたい、という気持ちがあるわけだよ。どっかのときに私は輝きたい、と。それがちょっと裏腹なんだけども、どっちを選ぶか、っていうのは皆さんの選択でございますけどね。オレはやっぱり、この言葉が好きなのは、要するに、一生平平凡凡に送るよりは一回でも輝いて、そのまま刑務所でも何でも行った方がよっぽどいいんじゃないか、と思うような今日この頃でございますよ。
タカ:でも裏腹に、仮説として、一生羊であるっていうのがあるような気がしますね。
たけし:そう。大体、一生羊である。だけど、裏から考えればね、一生羊でいるっていうことがいかに大変なことかっていうのも判ってもらわなきゃいけないわけですよ。それは、サラリーマンの人が「人生、会社の歯車でオレは生きてんだ」って言うけど、歯車で生きてることぐらい大変なことはないと思うんですよ。歯車が欠けるのは簡単で、飛び出して違うことやる、って脱サラをやるのは、意外に歯車でやるよりも簡単なことだけど、地道に働くことがいかに大変かっていうことも判ってないと、輝くことも判ってないということになるね。どっちかを知らないとね。要するに、両面を知らないと片っぽに行く必要はない。オレは羊じゃないんだ、オレはもっと太く短く生きるんだ、って銀行強盗する馬鹿野郎がいるからね。そうじゃないんだよ(笑)。それよりも、それこそ奉仕とかそういうことで地道に神に仕えて、地道に働いて行くことの、人の尊さっていうのをよく根底に思ってないと、そういう言葉をあまり鵜呑みにしてしまってはいけない。たった一度でもライオンでありたい、一生羊でいるよりはマシだというのは、過激な意見ですけども、片っぽでちゃんと、いかに地道に働くこととか生活することが大切かっていうことを判ってないと、こういうことを鵜呑みにしちゃうととんでもない馬鹿野郎が「いいじゃない、今が楽しけりゃ」ってディスコでナンパして病気移って死んじゃう馬鹿野郎がいるんだよな。「いいじゃないか」ってのは良くない、っていう。そういうことでございましょうか、ひとつ。今日は大変だなァ、今日はずっと人生論やってやろうか。
ペー:そうですね、あの、芸人にとっての『ライムライト』っていう。
たけし:ええ、はい。今CMですから。
パー子:あはははは!
(CM)
たけし:さァ、次は、ブライアン・オーリス、作家。
「子供らしさが死んだとき、その死体を大人と呼ぶ」
というね。結局大人はね、子供の純粋さとかですね、あらゆるとこをなくしたときにですね、それは大人と言う、だから、大人というのは子供らしい純粋さとか直感力とかが全部なくなってですね、あらゆる雑念とか立場とかですな、そういうのが入り込んで、そういうのを大人と呼ぶということなんだけどね。でも、子供らしさを未だに持ってるっていうのはね、意外にそれは、社会にとってはすごい悪人ですな。要するにですね、あれですよ、『裸の王様』、王様見て「裸だ」って言った子供がですね、果たして純粋でいい子なんだろうか、っていう。子供だから言えるっていう、「おネエちゃんブスだね」って言っちゃいけないときもあるわけだよ(笑)。要するに、子供の純粋さがですね、いかに大人を傷つけるかっていうのが判ってない。子供は正直だ、っていうのはいいんだ。子供は正直だ、だけど正直さというのは磨かれた短剣だというのを判ってないとね。子供は正直だ――「ウチの子は正直なんですよ、ほらおネエちゃんきれいだろ」ったら「ブス」っつったらね、確かに当たってます(笑)。当たってるんだけど、その女の人にとってはね、ブスと言われることで心臓が抉られるショックがあるわけですよ。
タカ:ふだんはみんなが気にして誰も言わないことですからね。
たけし:だから、放送禁止用語も言ってしまうわけだよ、子供は。それが果たしていいことなのかって言うとですね、やっぱり子供にはですね、大人になるに従って、そういうことを言ってしまってはいけないとか、もうちょっと相手に対して愛情を持たなきゃいけない、言ってはいけないことは言わないんだということで大人になって行くわけで、「子供らしさが死んだとき、その死体を大人と呼ぶ」という、その"死体"という表現が異常に間違いだと思うね。子供らしさと、純粋に相手を気遣う心があったときに完璧に大人になる、というような言い方をしないとね、合ってないと私は思ってますよねえ。
タカ:言葉の機微だけ取ってみると、何かその場で言ったときに、「あァ」って――。
たけし:「子供らしさが死んだとき、その死体を大人と呼ぶ」、これはまァ、中学生、高校生にとっては非常にいい言葉でしょ。大人になりたくない。いつまでも子供らしく純粋に生きたい。子供らしく純粋に生きることが、周りの人たちにどれだけの迷惑をかけるとか、精神的なショックを与えるか、っていうのをよく判ってない、っていうね。子供というのは確かに純粋で正直だけれども、その純粋な、正直な、鋭利な刃物が大人の心臓を抉り取るかっていうのを、判ってないわけですよ。だから、大人というのはやっぱり、子供らしさを常に根底に持ってて、その短剣を鞘に入れるように、その鞘を持ち合わせた、ちゃんとした騎士と言うかね。騎士ってヨーロッパで何て言うの?
タカ:ナイト?
たけし:ナイトでなくてはいけないわけです。ナイトってのは、常に純粋な子供らしき精神を持っているけども、その短剣をしまい込む鞘も持っているということがナイトである証拠であるわけでね。ただ剥き出しの刀を持って、相手にいきなり斬りつけることは、これは蛮人であって、蛮人すなわち子供であるということを判ってないとですね、こういう言葉は理解できない。
タカ:すべてを理解した上でその刀の使い方までもちゃんとできるという。
たけし:刀の抜き方も判っててやらないと、座頭市になってしまうという(笑)。
タカ:ときには峰討ちも使わなきゃいけない(笑)。
たけし:そう、時にはちゃんと峰討ちを使って、竹光も使わなきゃいけないんですよ。それは、相手に対して完全に心臓を抉るようなショックな言葉を誰でも用意してあるはずだけど、それを使っていいか悪いかっていうのは、いろんな人生を踏んで来た人たちの意見であって、子供の意見ではないわけだよ。子供に「おまえこれ撃て」って、ピストルで子供撃ったら、撃つことは正しい、って、正しくはないんだよ、絶対に。ね。ちゃんと「おまえ、相手は悪い奴なんだからおまえ撃て」と言ってしまってはいけなくて、そのピストルを撃つ方の価値判断は大人でなくてはいけない。だけども、要するに子供らしき純粋さを持ってピストルも持ってるし、短剣も持ってなきゃいけないわけ。その使い方、そしてそのしまい方をわきまえてない奴は良くないわけですよ。この言葉を鵜呑みにしてだなァ、「子供らしさが死んだとき、その死体を大人と呼ぶ」――じゃあ大人は子供の死体なのか、ロクなもんじゃない、と思ってしまってはいけないですよ。やっぱり、大人というのはこの言葉のように、あらゆることを判ってて、使っていいか悪いかっていうのを判断して、なおかつ相手を傷つけないようにその武器を使うということがですね、大人であって、いきなり後頭部を針で刺すようなことをするのが「子供が純粋」か――確かに純粋だけど、それは大して素晴らしいことでも何でもないということを判っていただきたい。今日はいいな、人生論!ずっと行こうか、ひとつこのまま。はい、"ワン・ナイト・スタンド"、ウイング。
(曲、CM)
たけし:はい、というわけでございまして、今日はちょっと面白いですねえ。人生論大会。これはすごいよ。よくこれはいわれるなァ。これいいでしょ。ルース・ゴードン。女優さん。
「勇気を持つことはとても大事です。勇気は筋肉と同じで、使うことによって鍛えられます」
勇気は使うことによって鍛えられるというね。使うことによっていけ図々しくなるタレントもいますけどね。そんなこと言っちゃいけないって、いちいち(笑)。言っちゃいけないのにじゃんじゃんじゃんじゃん言うことによってそれに鈍感になってね、じゃんじゃんじゃんじゃんエスカレートしてしまうってのはありますね。でも、勇気というのがね、ちょっと問題でございましてね。
ダンカン:勇気って、一回でも勇気出しちゃったら、それは次の日から――。
たけし:次のときから勇気じゃないですなァ。どうなんでしょうか、客観的に見て、あの人はあんなこと言って、あれは勇気があることだ、と思うけれども、本人にちっとも勇気じゃない、って場合もありますよ。
ダンカン:ああー。
タカ:そういう場合があるんですね。
たけし:うん。ヤクザの殺し屋が相手をピッと撃ち殺したときに、「すごい勇気がありますね、あの人はすごいですね」って言っても、本人にとっては生きる術だっていうこともありますからね。飽くまでも客観的なことで、勇気があったって言うんだけど、勇気というのはやっぱり客観的なもんですな。
タカ:自分の内面で自分が感じるものでしょうね。
たけし:うーん、自分がやろうと思った瞬間にそれは勇気じゃないよね、それは結論だから。人が見てそれは「勇気のある行為」だと言うんだけども、自分自身は別に、やりたいことをやったとか――サンフランシスコに堀江青年がヨットで渡ったときに、人は勇気と言うんだよな。でも本人は「やむにやまれず」だと思うよ。だから要するに、自分で結論を出して、ちゃんと行っちゃうわけでしょ。ちっちゃなヨットで。それは、自分なりにいろんな計算をして、合理的に考えた挙句、絶対に渡れるんだ、って結論に達したときにやってるはずで、闇雲な勇気ってのはただ自殺を招くっていう。こないだのアドバルーンみたいなもんで(笑)。偏西風に乗ってアメリカに行こうとした馬鹿野郎がいたでしょ。高度一万メートルじゃなきゃジェット気流なんてないのに、五千メートルぐらいで寒くなって帰って来ちゃって、その五千メーターってのはマイナス四十何度のとこなのに、スキーウェアしか着てなかったり、いかに研究してないかという結果がだね、無謀な勇気になって。無謀な勇気というのは、それはバカなんだよ。で、勇気というのは、本人にとっては計算し尽くされた、冒険というよりもひとつの行為であってね、それを何も知らない人たちで客観的に見た人たちが、それを勇気と例えるだけであってね。やっぱり、そんな大したもんじゃないんだ、本人にとっては。でも、あらゆる偉業を成し遂げた人が偉いと思うわけじゃなくて、それを見た人たちがその人を奉るというのが、やっぱり偉業だとか勇気だとか、そういうことであってね。やっぱり、長嶋さんが天覧ホーマーを打ったとき、すごいってみんな思うけど、本人は一生懸命打っただけだという。山登ったらそこに山があっただけだというようなね、あるわけだろ。メスナーなんてのは無酸素で登ったりなんてしてるけど、やむにやまれず思っただけであって、別に、でも、「準備はいっぱいしました」って言うと、「すごいなメスナーって人は、天才だ」とか「巨人だ」とかいろんなこと言われてるけど、本人はそんな気持ちはないわけですよ。だから、ひとつのやった行為に対して、周りの意見を取り上げれば勇気だとか言うけれども、本人にとっては、非常に計算し尽くされた行為の結果であるという。「たけちゃん天才!」――何を言ってる、オレは普通にやってるだけだ、ってこういうことなわけだよ。「ビートたけしさん偉いな、どうしてああいうことやれんだろうか」って、それは、ちゃんと計算して一生懸命やった結果がああいう風になった――周りの何も考えてない奴が偉いと言うだけ。それが、私にこう、帰結するわけだな。どうだ参ったか。
タカ:ある人の偉業であったり、その人の失敗をうまくフォローするためにある言葉ですよね。
たけし:そうだよ、勇気というのはね。要するに、やる奴にとっては、勇気があるから、って言ってしまってはいけないんで。勇気なんてのは、人が言うべきもんで、本人がやる行為自体は勇気じゃない。それは、計算された行動であって、もしそれが失敗した場合は馬鹿者になるし、成功した場合は勇気とか偉業とかそういうことを言われることであったらだよ、失敗したことを考えて馬鹿野郎と言われないようにできるだけ準備期間をちゃんと取ってちゃんとした計画でやって行くべきであってだね、無謀なことをすると、やっぱり失敗したら馬鹿野郎で、成功したら英雄になるというようなですね、そういうようなことというのはよくあったんだけども。要するに、リンドバーグが、フライト・トウ・ニューヨーク・トゥ・パリスか、ニューヨークからパリへ飛んだときの、あの人もちゃんと計算したわけですよ。要するに飛行機の形も考えて、ガソリンもどうやって入れて――あれはちゃんと横から見てたもんなァ。あんな下から首出して前がちゃんと見られなかったような飛行機で何故飛んで行くかというと、ガソリンをちゃんと羽根いっぱいに入れなきゃダメだとか、いろんな計算してやっと飛び立ったわけで。だから、一生懸命計算して、パリまで飛んで英雄になったけども、それまでいろいろみんな大西洋に落っこってるわけだろ。何故かって言うと、英雄になりたいんだけど大して計算してなかったり、冒険家だったりするからダメだったわけで。何故英雄になったかっていうと、ちゃんとした緻密な計算があったからこそ、成功してなおかつ英雄になったわけだっていうことを判らないと。何も知らずに飛び込んだり、そういうことをしてしまってはいけないと思う今日この頃でございますよ。じゃあひとつCM行きましょうか。
(CM)
たけし:さァ次はですね――今日はいいねえ!今日の二時間はすごいぞ、これは。
タカ:内容濃いですよねえ。
たけし:これをテープに録ってると、かなり、オールナイト聞いて良かったと。で、オレが言ったことは正しいわけじゃないよ。オレ自身が言ってるだけだからね。これを見て、ああそんなことはない、と思わなきゃいけないんだよ、逆に言えばな。その通り鵜呑みにしてしまってはいけない。でも、わりかし当たってることもあるからね。それに対して自分なりに考えてみるってことがあればだね、わりかし頭が良くなったって言うか、いろいろ人生についてちょっと知ったんじゃないかっていうことですねえ。
タカ:「鳴かずなら」っていうウグイスの言葉で三人三様――。
たけし:そうそう。鳴かずなら鳴かせてみせよう、何とかとかね。ホトトギスか。まァ、鳴くまで待とうホトトギス、殺してしまえホトトギス、という、信長と家康と秀吉の、何かあったけどね。今度は面白い!これは、私はわりかし好きですなァ。ジョン・ドス・パソス、作家。
「仕事は選ぶものではなく巻き込まれるものだ」
というねえ、これはいいねえ。これは確かにそうだと思うね。要するに「私は何をしていいか判らない」とかね、どういう仕事に就こうか、とか、そういうことでやるべき仕事が見つからない、そういうこと言う奴がいっぱいいるんだよ。何の人生経験もないし教養もなくて、ただ大学出ただけで「僕の仕事が見つからないんだ」って、それ、見つからないんじゃなくて、どういう仕事に入ってしまったかの結論であって、一生自分の仕事が見つからない奴がいっぱいいるわけですよ。でも、その、巻き込まれるものだ、ってのがいいだろ。何故かそこに入ってしまった、ってことが一番大切なことでね、オレは役者になるんだ、とか、漫才師になるんだ、というような目標を持ってやる奴ってのは、かなり無理があるんだよなァ。初めから子供のときに、野球選手になろうと思って一生懸命やった結果がだよ、相手にならないってのも気がつかない奴がいっぱいいるからね。要するに、自分の最終目標というのは、自分はどういう仕事に就くんだろうかってこと自体が最終の目標でもいいと思ってんだ、オレ。死ぬ前に「オレの仕事はこれだ」って八十のジイさんが思った時点で、その人は幸せだと思うわけさ。一生自分の仕事が見つからない人が多いんだよ。オレはこの仕事、って中学とか高校に決めた奴ってオレはバカだと思うなァ。初めから、自分はこれに行くんだと思ってそれに努力するのも構わないけれども、その仕事に合った才能があるんだろうか、ってのはまた別問題だからな。思い込みだから。で、今もっと悪いのは、自分の子供に対してはね、プロ野球選手になりなさいって言ってるバカ母親がいるわけだよ。子供が才能ある・なしにかかわらず。少年野球の監督に金あげたりして、ウチの子をレギュラーにして下さい、って、それでやって行って、有名な高校野球の高校に行ってさ、一生金使ってレギュラーになれなくて、それでも甲子園出て肩壊して、あと何にも人生ないって奴が今いっぱいいるわけ。そうするとね、仕事というのは――今オレがやってるのが果たして仕事かどうか判らないんだけど、一応仕事だと思ってるけど、これ、あと十年か二十年経ったとき、「あァ、オレの仕事はこれなんだ」って思うことがあるかも知れないわけで、漫才師みたいな仕事が一生のもんだとはちっとも思ってない。だけど今は、この仕事が合ってるかな、と思ってるわけで、もっと合う仕事があったらそっちに行きたいぐらいなわけだろ。そうすると、選ぶもんじゃないんだよな。自分の生きて来た境遇とか環境とかだな、それから自分自身がどうやって高まって行くかと。そのいろんな知識があって、その人がもうちょっとじゃんじゃんじゃんじゃん違うステータスとか違う位置に行ったときに、仕事という部分の中に入り込んでしまうわけだよ。別に、漫才師やってるときに監督やろうとは思ってないわけだ。でもじゃんじゃんじゃんじゃんやってくと、監督の仕事どうですか?ってのが入って来ちゃうわけだ。要するに巻き込まれてしまうわけだ、映画の仕事に。監督がやりたいと思って漫才師やってるわけじゃないんだよ。だけど、自分の仕事がじゃんじゃんじゃんじゃんエスカレートして行くと、自然に監督に巻き込まれてしまったということであってですね、仕事は選ぶものではない、巻き込まれるものだ、ということはね、かなり当たってるんじゃないでしょうかね、これは。初めから自分はコメディアンになりたいと思ってなった奴にロクなもんはいませんよ。しょうがなくてなっちゃった。ヤクザなんてそうだろ?ヤクザになりたくてなったわけじゃない。ヤクザに巻き込まれちゃったわけですよ。それで立派な親分になった奴もいるわけ。それはね、子供のときに「立派なヤクザになるんだ」って言う奴はいないんだから。「オレは立派な犯罪者になろう」なんて、いないっていうね。だけど巻き込まれてしまったというね。犯罪者の中に巻き込まれて犯罪者になってしまったということがあるからですね、今はわりかしその点については、日本のですね、今の刑法とかはですね、変な犯罪については非常に寛容になって来てるわけですよ。死刑は廃止しろとかですね、境遇とか環境がその人をそう変えてしまったんだから、それはですね、その人自体を責めてはなくて、社会の罪だろう、ということでですね、無理な犯罪に対して、一般の人は死刑にしろと言うんだけども、そうじゃないんじゃないかなというようなですね、かなり柔軟な意見が出て来て、逆に言えばそれに対してまた右方向の意見が出て来て、そういうことやるから、こないだの女子高生だとか子供の犯罪とかね――あの、こないだ殺したのあったでしょ?それに対してだね、警察なんかすごい甘いから、結局は殺してしまったんじゃないかと。早くあいつを逮捕しろ、ってのはあったんですよ。こないだなんか、火ィ着けたりして札付きのワルなんだけど、警察も放っといたらついに子供を殺してしまったというね。遊園地で遊んでるところを。だけどもそれは近所の人はみんな「あいつは危ない」って言ってたんだ。何故そのときに逮捕しなかったんだ、ってことで警察やなんかは言ってるけども、要するに、そういう意見の裏にはですね、それをはねのける。やっぱりそういう犯罪に巻き込まれた人なんだ、という、その人の境遇自体がその人の責任じゃなくて社会そのものがその人を駆り立ててしまったんだ、という意見が、最近取り入れられるようになってですね、その人がですね、わりかし野放図にされてしまったという、逆の面もあるという、ね。平均的にちょっとおかしい人が犯罪に走るけど、それはどうして病院に隔離しないんだ、ってことが、裏でその人が子供なんか殺したりすると、もう片っぽで、それはその人の責任じゃなくて、その人の周りの責任だ、っていう意見があるからこそ、ちょっとおかしい人でも外を歩けることになる。でもその人が犯罪を犯したときに、社会はまた逆に、そういう人を野放図に外に出してしまった国が悪いっていうことを言ってしまう。これはもう、何かぐるぐるぐるぐる回ってるもんで、どっちがいい・悪いじゃないんだけども、そういう問題もひとつ孕んでいるという。そういうことを考えた挙句ですね、「仕事は選ぶものではなく巻き込まれるものだ」という――笑っちゃうなオレは、偉い!(ここで一曲)"ひとひら"小川範子。
(曲、CM)
たけし:はい、というわけで今日はすごいね。
タカ:早くも一時間。 (←と以下の文がくっついて一行の文になっていましたので訂正します。)
たけし:今日のこれはね、永久保存版だねえ。これは大したもんだよ。それで、当たってるか当たってないかは判んないよ。三年後にまた同じコーナーをやってみようと思うんだけど、言うこと絶対違うと思うな(笑)。
ダンカン:一時間で違うと思います。
タカ:ははは!
たけし:明日でも変わってるよな。今日、今の時点で私はこう思うという。それに対していろいろ意見があると思いますが、それは自分自身で考えていただいてですね、それに対してオレに何か言って来ないように。何か言って来る馬鹿野郎がいるんだ。よしゃいいのに。
タカ:こんな長い手紙書いて来て。
たけし:それ読むとね、ホント馬鹿野郎なんだよね。馬鹿野郎って気がついてない、その辺が人生の面白いところで。
ダンカン:ありますね。「四年前にたけしさんにこういう風に言われたんだ」って、そんな、人間変わっちゃいますからねえ(笑)。
たけし:そう。だから、人生人生によって考え方変わるんだけど、一生貫いて行くんではないんだけどね。立場立場によって考え方は変わるんだけども、一応今日は基本的な考え方。これはオレが言ってるけじゃないからね。「世界を動かした名言」だから。
タカ:それに対して殿の意見を述べてるわけですね。
たけし:そうそう。でね、今度はですね、何かオレに対して言って来て書いてくれるのはありがたいんだけれども、オレに言わせりゃ笑っちゃうね。バカだな、やっぱりこいつら、と思うね。それをバカだな、とオレが思うのは、相手がオレのことを思うと「あいつはバカだな」と思ってるから、判定のしようがないってとこが、思想の面白いとこだよなァ。どっちが正しいとは誰も言えないわけで。その生活環境から全部ね、バックボーンが違うから。赤いものを見て黒と言う奴もいるし黄色と言う奴もいる。でも、黒と言う背景があれば、その黒というのは正しいと思うよ。黄色というのは、黄色という風に見るような背景がある奴が見るから黄色であって、黄色としか見えない奴に対してこれは黒と教え込むほどの図々しさは、誰もがないわけだからね。そしたら、そういうことを前提としてですね、これはいい!これは我々お笑い界に対してはすごいありがたい台詞ですなァ。
「お腹を抱えて笑う。あの、心からの笑い声は、この世で一番美しいサウンドのひとつ」
ダンカン:はァー。
たけし:これは、お笑い芸人にとっては何と嬉しい台詞でしょうか。一番美しいサウンドのひとつ、っていう、心からの笑い声は。でも我々は、このことのために今までやって来たって感じがするな。お金でも何でもない、名声でも何でもない、ただこの世で一番美しいサウンドではないかな、っていうことでですね、やってもらった。それを、我々の先輩で林家三平師匠なんていうのはですね、金とか名誉とかそういうことじゃないんだ、人に笑われることなら何でもやる、その笑いは、やっぱりこの世で一番美しいサウンドのひとつではないだろうかと気がついた人のひとりでありますねえ。
ダンカン:ベネット・サーフっていう人ですね。
たけし:ベネット・サーフ。括弧して京丸・京平って書いてあったら殴ってやろうかと思いますけどね(笑)。いやァ、だけど、腹を抱えて笑うことがいかに素晴らしいかっていうのをね、日本人もよく判らなきゃいけない。林家三平師匠ってのはいかにすごい人だかっていうのを――「三平」って言って笑う、ってこと自体がすごいことですよ。三平って聞いただけで笑うんだ。三平って聞いただけで、あの人の舞台が蘇るわけですよ、皆さんの頭の中に。あれだけ下らない面白い人だってことが蘇るってことは素晴らしいことで。だから、一般の人たちがオイラとかを指差して笑うってのは、失礼なことではある半面、実に我々は嬉しいことでございますよ。笑ってくれるのはありがたいじゃないかっていうね。ただ、意味もなくバカと言うのはやめていただきたい(笑)。「あっ、バカだ」というのは非常に失礼なことで、おまえらよりは数段頭のいい人たちがやってることでね。指差して笑う奴は、自分がいかにバカだってのをもう少し考えて欲しいという。
ダンカン:こういう格言はいいですねえ。
たけし:CMでございますね。
(CM)
(テープ交換の都合でCM明け数秒が途切れました)
たけし:……仕事だと思ってるからで、我々仕事だと思ってないとこがあるんだよね。それは逆に言えば、さっきの「お腹を抱えて笑う。あの、心からの笑い声は、この世で一番美しいサウンドのひとつ」――そのサウンドのために我々はやってるわけで、それは仕事ではないというね、そういうことが判んない子がいるんだよな、今の子というのは。要するに、会社に行って八時か九時出勤で、五時か六時に帰って来る、それは飽くまでも仕事で、それが終わったらフリータイム、さァカフェ・バー行こうかディスコ行こうか女引っ掛けようか――そのあとのことしか考えてない。実際自分の人生の大半を費やす八時から五時までの時間をどういう風にして過ごすんだろうか。それは"仕事"すなわち、英語で言えばlaborだかworkだか判んないけれども、日本語では"仕事"と言うんだよね。仕事、でカタつくわけさ。でもworkとかlaborとかいろいろあるわけでしよう。jobだとかさ。でも、businessとか、これひとつひとつ意味違うんだよ。要するに、workとかlaborとか、どっちだか判んないけど、たぶんね、workなんてのはたぶん「課せられた仕事」なんだよ。要するに、刑務所で重労働何年とか、課せられた仕事のことをworkと言ったりね、laborって労働という意味であって、businessってのはお金をもらうために何かやるとかね、商業的な意味があったりね。jobってのは仕事、それは仕事内容を別として、あらゆるものを大体jobとかね。それからoccupationっていう、契約みたいな意味ね。occupationとかいっぱいあるわけさ、意味が。英語だとねえ、七個か八個あるんだよ、労働とか仕事とかあらゆる意味が。日本だと"仕事"になっちゃうんだよ。だから、一個一個意味が違うんだよね、英語ってのは。日本だと「ちょっと仕事だから」って言うと、仕事っていう中にね、全部含まれてるわけ。でもアメリカは仕事の内容によっていちいち意味が違うわけ。work,labor,jobだoccupationだ、businessだ、なんて。だからね、それはね、やり遂げようと思えば、それは――要するに「大変ですね、仕事」「オレは仕事でやってるわけじゃない」ってよく言うじゃない。遊んでるんです、っていうさ。大変とか大変じゃないとかいう意味じゃない、オレはそれをやらなきゃ生きられないんです、って言うじゃない。魚を見てだね、この魚は泳ぐことが仕事だと思わないわけさ。魚は泳ぐんだよ。だから英語で"Fish
can swim"とかいうのは、日本語に訳すと「魚は泳ぐことができます」っていうんだけど、そうじゃないんだよ。ホントは訳せば「魚は泳ぎます」なんだよ。"can"っていう言葉の使い方も、やっぱ日本語は違うんだよね。「魚は泳ぐことができる」、当たり前で、泳ぐことができるんじゃなくて魚は泳ぐんだよ。そういうような扱いが判ってないとダメなんでね。だから、大芸術家なんて言ってさ、朝から晩まで寝ないで彫刻彫ったり石に何か――あるだろ、長崎のこんな何とか像とかさ、グランド・キャニオンに、インディアンのこんなのあるだろ?
ダンカン:あの、崖のとこですか?
たけし:崖のとこで、何とかホークだか何だか、こんなインディアンの王者のやつ未だに彫ってる人、いるじゃない?
タカ:でっかい顔のやつ。
たけし:あァ、あれは歴代の大統領のやつだけどそうじゃなくて。今やってるじゃん、まだ終わってないのあるんだよ。こんな風に手を広げてさ、馬の上に乗ってるような彫刻してる家が。山一個つぶしてやってるわけ。それはもう、二代続いててもまだできてない。それは仕事じゃないんだよ、それ。やり遂げようと思うことなんだよ。だから、彫刻家でも「仕事大変ですね」――夜中じゅうこうやってやってる人は、それは芸術なんだよ。仕事じゃないんだよね。茶碗を焼いたりさ、いろんな焼物師が一生懸命やってるわけでしょ。「大変ですよ、そんなに朝から晩までろくろ回して」って、それは仕事じゃないって。それはやりたいと思って、やり遂げたいと思うことなんだよ。だから、何が人間大切かって言うと、仕事と思えなくなるような、やり遂げようと思うことを見つけることが大切なんだよ。だから今の奴は、大してそんな仕事やりたくないんだけれども、それは適当に過ごして、会社終わったら我々のフリーな時間があって、有給も取るし土日も休みだからその間に遊ぶんだ、っていう奴がいる。確かにそれは構わないけれども、だけど人生の大半は九時から五時までの自分の仕事に費やす時間を、どうやって自分の精神的に対処するんだろうかと思うわけ。それを仕事と思ったら、それはworkであって、課せられたことでしょ。それは良くないだろう、っていうんだよ。でも、オレなんか「たけちゃん、明日何時?」「明日八時」「終わりは?」「夜中の二時」「よくそんなに仕事できるね」――それは仕事じゃないって、あんたの言うような"仕事"の意味じゃないわけ。そこにいるのが好きだから、それでお金もらえるんだからこれほどいいことないって。今の若い奴ってのは、そういう風にちゃんと切り替えられるその根性が気に入らないって言ってるわけで、やるんだったら、時間忘れて残業でも何でもやれるような、やってまだなおかつ不思議じゃないようなものに就きなさい。就きなさい、って言うか、さっきの言葉みたいに「巻き込まれなさい」。巻き込まれるためには、どれだけそれに対していろんな感性なり努力をしたか?した奴にとっては巻き込まれるわけさ。縄に巻き込まれるんだって、縄の中に入ってない奴は絶対巻き込まれないんだよ。渦にでも何でも。渦に入らずに、遠くから渦見て、それに巻き込まれたいなァ、ったって、渦は自分のところには来てくれないんだよ。自分が入り込まなきゃいけない。それは努力なんですよ。エフェクトですね。だから、要するにですね、今の奴というのは、実にイヤですね。仕事とプライヴェートの時間を切り離せる奴。仕事もプライヴェートも、人生の生き様だとしたらね、一貫してやりゃあいいんで、「朝から晩まで仕事してるね」って言われたって、「何言ってんだ、オレはそれが好きなんだよ」って。朝から晩まで絵描いてる奴は幸せですよ。それは人から見て「絵描きの仕事ですか?」「ええ、絵描きの仕事ですけどよくやってられますね」って言ったらさ、それは実に失礼なことで、本人は好きだからやってるわけだろ。好きで、朝から晩までやっても退屈のない仕事に、選ぶんじゃなくて巻き込まれるような努力をしなさい、ということでありますよ。ということでございまして、(ここで曲名を言うがよく聞き取れず)。疲れちゃったよもう。
(曲、CM)
たけし:どっちを選ぶ?馬鹿野郎、早く選べ。そういうわけでございまして、弱っちゃうよなァ。よくやったけど、まァいいか。ま、というわけで、次はですね――今日はちょっといいね。
タカ:いやァ、いいですね。
たけし:これ、二時間――。
タカ:ちょっと足りないですね、二時間じゃね。
たけし:二時間で一冊の本にして売ろうか。わりかしいいぜ、これ。これ、あの、こうやって中学生とか高校生とか大学生とか買うだろ。単なる偏屈男になるね。単なる馬鹿野郎で就職できなくなると思うな。
ダンカン:オールナイトお得意のカセット本で。
たけし:今度はすごい!これはさっきのと大体似てますけどね、
「人間の最大の誘惑は、あまりにも小さなことに満足してしまうことである」
これは今の人たちですな。先ほど言ったように、仕事終わったあとのことを考えたり、大して収入もないのに満足するんだよね。何故満足するかと言うと、そういう小市民的なですね、何か適当に暮らしている奴に対してですね、あらゆる雑誌だとか放送文化だとかいろんなものがですね、「あなたたちは幸せなんですよ」っていうようなことを、悪魔のように囁くんだよ。そうするとですね、その言いなりになってしまう。例えばだな、若い夫婦がいてだな、コンビニエンス・ストアの宣伝と同じですよ、要するにふたりで手ェつないでアイスクリーム買ったりなんかして、星空眺めてな。今どきよく考えてみな、貧乏臭えだろおまえ。夫婦がコンビニエンス・ストアにふたりで行って、わけの判んないもの舐めながら星空見てるっていうことがいかに素晴らしいかってことを教え込むと、そのコンビニエンス・ストアにふたりで行くことが意外に文化的じゃないか、今風じゃないかって思って、貧乏臭い奴がそれをいいと思ってしまうっていう怖さ。それから「何とかの部屋」なんて、「白い部屋」とかいうタイトルでだな、六畳一間をどう改造しようかなんていう本が出るわけだ。それは六畳一間にじゅうたんを置いてカーテンをして、変な棚作ってベッドを置いて、観葉植物の一個も置いて、よく考えたら、ガイジンから見たらただ「狭くて貧乏臭え」って言やァおしまいなのに、「まァいいルーム」なんつっちゃうんだよな。「これで彼氏が来ても安心ね」なんて言ってるわけ。「シーツはこんな柄にしましょう」、よく考えたら、もっとでかい部屋を買え、っていうだけで済むことなんだけど、ちっちゃな六畳一間をどうやって改造してそれなりにするかってことばかし、悪魔の囁きのように、「皆さんこれっていいだろ、幸せだろ」って言ってしまうんだよな。それでも構わないと思ってしまう女がいるわけだろ。男でも。そうするとこういうことになってしまう。「人間の最大の誘惑は、あまりにも小さなことに満足してしまうことである」――はっきり、こんなことはイヤだというような根性がなきゃいけないんだよ。やっぱこんな部屋には住みたくない、って。三畳一間でも、いいときはいいんだよ、そりゃ。オレが三畳一間の部屋に住んでるときは「イヤだなこんな部屋」と思って、いろんな雑誌を見るとだな、「じゅうたんをこうすると、三畳一間でもこのようになりますよ。ベッドを押し入れの中に入れてしまいましょう」ってさ、要するに、うなぎみたいにベッドが半分以上――棚があってさ、上が布団で――あるだろ、そういうの。ふすまの中にベッドが半分以上入っちゃってうなぎみたいになっちゃう。本によってそういうやり方もあるんだと。二段ベッドにしましょうとかそういうやり方もあるんだ、ってのがあんだろ?今アパートであるよなァ、階段で、こんな細い階段があって、上で寝るの。何だか上がよォ、刑務所みたいなの。上に寝て、酔っ払ったら絶対落っこっちゃうような細い階段で、下にじゅうたんが引いてあって、下が六畳、上が三畳ぐらいになって、三畳で、上で寝る。
タカ:屋根裏部屋みたいなやつですね。
たけし:それが今はアパートの主流だろ。そういうものをどうやって改造するかって本が出て、それを見て今の女の子は「これがいいんだ」って思ってしまうわけだろ。やっぱり、それがいいんだと思うのは、納得してもいいけど、それは今の収入からいろんな意味で言えばいいんだけども、それがすべてだと思わせるような雑誌がいっぱい出て来るわけだよ。白っぽいシーツとかさ、何かちょっとしたワンポイントの柄のある枕を置いて、ぬいぐるみ置いて変わった置時計置いて、いろいろそれなりに、ステレオはここに置く、冷蔵庫は一番のはじ、冷蔵庫の上は靴箱にしちゃいましょうとかさ。
ダンカン:番号振ってあって、これは東急ハンズで、って――。
たけし:それがさ、いいようにできてるわけだろ、今の雑誌は。でもそれを見てそれがすべてと、それで満足してしまうことが、やっぱり人生の最大の誘惑なわけですよ。それは、住む部屋とかあらゆることに言えることで、自分の生き方もそうで、これでいいんだと思うことが自分の一番の誘惑であって、私はいいんですよこの程度で、っていう。だけど、人間生きている以上、限りない大きな夢を持って突進するのがだな、やっぱり人間であって、やっぱり一瞬でもライオンになりたいんだ、という、子羊じゃないんだ、という、いろいろつながって来るわけで、これはですね、全般を通じて言えること、という。これがまたいいですねえ、この加減が。
タカ:常に今から逃げようとしなきゃいけない。
たけし:そう。やっぱり、あれだな、RCサクセションでも「逃げるんだベイビー」という、「今につかまれないように」という。今につかまれてしまってはいけない。オレは"今"といっしょに走ってるわけじゃないと。"今"から逃げるんだと。逃避するわけじゃない。今をリードするという感覚で世の中を生きないとですね、ダメなんだよやっぱり。ナウい生活、なんて一番良くないんだよ。ナウいんじゃないんだよ。人に何と言われようと、変わった者だと言われてもいいの、それは。それでね、その台詞が出て来る。あとで出て来る。ちょっと探しますんで、ひとつね、一曲行きましょう。"スタディ・アフター・スクール"松岡英明。
(曲、CM)
たけし:これはすごい!これはすごいですね。
「人生は舞台、あなたは主役」ポール牧。
一同:(笑)
たけし:(笑)これはすごいですね。人生は舞台みたいなもので、そして常に人生の中であなたは主役なんだという。ポール牧さんという、これはですね、イギリスの劇作家ですか!?
タカ:"ラッキー・セヴン"って書いてありますよ(笑)。
たけし:(笑)。すごいよ、もうひとつ。
「ドーランの 下に涙の 喜劇人」。
一同:ああーっ。
たけし:喜劇人はドーランの下で泣いてるわけだよ(笑)。ピエロの涙というね、一番典型的ですね。林家ペーさんとか我々とか、やっぱりピエロなんだけども、裏に涙があるんだ、という風にですね、今でもそういう見方は、一般の人たちのロマンですな。ドーランの下に八重歯の喜劇人、という(笑)。
タカ:舌出してる(笑)。
たけし:ドーランの下のアッカンベーという。要するに、我々はそんな悲しくも何ともないというね。結構いろんな奴がだな、「あんだけ人を笑わしといて、裏で哀しいことがあるんだろうか」って言うんだけど、何もないというね。あってどうすんだ、というね。
ペー:ドーランって、動く乱れる方ですね。
たけし:うまい!動乱というね、2・26。すごい。だから結局はだね、これは飽くまでも藤本義一っちゃんとかですね、あの辺の先生方の、ロマンですな、芸人に対する。芸人は人を笑わしながら、裏では泣いてるんだと。そんな性格の奴が喜劇人をやるか、ということでね。我々はさっきの言葉のように、人を笑わせることが人生の最大の喜びであるという奴が集まってるんでございましてね、何も、人を笑わしてその裏で哀しいと思ったことなんかないという。ツライぜ、といいながらもそれを笑いにしてしまうというね。下手すりゃ親の死までも笑いにしても構わない、という人たちで。何故お笑い芸人は親の死に目に逢えないか、親が死んでも関係ないと思ってるから死に目に逢えないだけで。舞台が大切なんじゃなくて、親の死に目に逢いに行かないほどの道楽モンだというとこを判っていただかないと困るんだよな。だから、さっき親が死んだんですけど、って言われたときに、そのあとに舞台出るときに平気でギャグをできる奴が芸人であってですね、それで、親が死んだっていう言葉で頭が動転してですね、客前で何もできなくなるような奴は、芸人にはいないんですよ。それだけのことで、芸人は、親の死に目に逢えないんじゃなくて、逢わなくても構わない奴、そういう奴が芸人になって行くってことを間違いなく思ってくれないと。変なロマンで見て欲しくない。そのロマンは必ず涙がつきもので、一番良くない。非常に大阪的な発想でね、人を笑わせても裏で泣いてるんだ、とか、そういうような、かしましさんみたいなイメージがあるけど(苦笑)、そうじゃない。芸人は何故苦労しなきゃいけないかと言うと、苦労なんかする必要はない。芸人の苦労はしてないんだ、みんな。ただ、芸人さんのドキュメントで、すごい苦労して漫才やったとか、ミヤコ蝶々さんとかいろんなこと言うけど、芸のことに対しては何も苦労してない。かしましさんのお姉さんが昔体を売ってたとか、何か麻薬を打ってたとか、そんなことは芸に何の関係があるかって。要するに、人生の中の哀しさであって、お笑いに対しての態度としては何も泣けるようなことはしてないんだから、お笑いタレントというのはですね、涙をもって見るもんでも何でもないんですね。「昔はずいぶん苦労した」って、苦労したのはお笑いの為に苦労したんじゃなくて、経済的に苦労しただけで。「私は貧乏人の倅でね」って、貧乏人の倅なんだけど、お笑いのために貧乏人になったわけ2カゃない。貧乏人の倅がお笑いを目指したときに、そこに涙があるとしたら大きな間違いで。貧乏人の倅がオレみたいにお笑いになったって、貧乏人の倅がいろんなとこの役所に勤めたって、逆に言えば、同じようなお涙頂戴だったら、お役所に勤めた人の方がお涙頂戴ですよ。何でお笑いと涙と結びつけるか、その強引さがたまらない。それは昔からの日本の劇作家とか先生たちのすごい偏見でございますね。藤本義一さんの『鬼の詩』みたいにね、芸のためにはどうのこうのって言ってるけど、そんな悲惨な思いはしてないっていうね。芸やることは楽しかっただけだっていうことを判ってないと良くない、っていうね。
(閑話休題)
たけし:さァもうひとつですね、先ほどの「人間の最大の誘惑は、あまりにも小さなことに満足してしまうことである」ということとですね、もうひとつですね、さっき(言った)友達がいないとかいろんなことがあるんだけども、ひとつ、
「孤独だということは、人と違う人間だということ。人と違っていると孤独になる」
という、要するにですね、「どうして私は友達もいないし――」、それは人と違って素晴らしいんだと思わなきゃいけないんだよね。「どうして私は友達がいないんだろう、孤独なんだろう」、それはあなたが"選ばれた人"になったと思わないとですね。よく、アレだなァ、オールナイトでも、友達も何もいなくて孤独で、たけしさんのオールナイトだけが唯一のどうのこうの、って、それは逆に自信を持っていい。一般の人たちと私は違うんだ、と思ってですね、生きなきゃいけない。それは、一般の人よりも下がってるんじゃなくて、上にいるんだという。一般の人と違うからこそ、この人のことを判らない。だからこそ孤独になるんだ。孤独だということは、百人いたら一番であるということの感性がないとですね、良くないですよ。孤独っていうことは、幸せなことで、何故幸せか、人より優れてるんだ、ってことを頭に叩き込んで生きれば、実に――友達がいないんだ、って何故一般の人たちに入ろうとするんだ。それはダサイこととか、いい悪い――何故悪い人たちの仲間に入ろうとするかと同じことでね、有象無象といっしょになることが何故そんなにいいことなのかという。要するに、やっぱり「白い部屋」とおんなじでなァ、みんなが貧乏臭い部屋に住んでることを見て、私も何故貧乏になろうと思わなきゃいけないんだ、ってことだよ。私だけはいい部屋に住んで、絶対努力するんだって思った方がいい。そう思うと、せこい部屋に住もうとする奴と違って、それは孤独になるぜ。意見が合わないんだから。それは、意見が合わないってことは、本人が優れてると思わないといけないんだよ。
ダンカン:これ、いる分にはいても構わないんですよね。明日学校に行って「絶交だ」って、そりゃマズイですけどね(笑)。
たけし:(苦笑)別にいいんだよ。別にわざわざ「私はおまえとは違う」って言うことはない。中には「私は神だ」って言う馬鹿野郎もいて。
ダンカン:ははははは!
たけし:そういうのはちょっと危ない。「おまえらとはちがうんだ馬鹿野郎、オレは神だ」って言った奴がいるけどね、神が吉野家の牛丼食ってたことがあるんで、それはちょっと危ないけどね。そうじゃなくて、もし、意識せずに自然に孤独になってたとしたら、それは「どうして自分は孤独なんだろう」って悩む以前に、みんなと違うんだ――どう違うかっつうと、みんなより上なんだ、という風な意識でいた方が実にいいという。
タカ:そういう感性でいられればいいっていうことですね。
たけし:そういう感性で生きていた方が自信を持つし、もしかするとものすごいことをやるかも判らない、という。
タカ:人より上だ、っていうこともあるけども、誰が見ても――。
たけし:下の奴な(笑)。「オレは人と違うんだ」って言いながら鼻垂らしてたりなんかして。
タカ:ははは!
たけし:人前でタマキン出して歩いてる奴はちょっと危ないな、という。
パー子:ははは、ヤダァ!
たけし:それは人より上だとは私は言いませんけども。
ダンカン:みんなと御飯の食べ方が違うとか(笑)。
たけし:(笑)意外に茶碗ごと飲んじゃうとかな。そういうのはちょっと変わりモンだというだけで、違うけども、まァある程度の生活をしてだね、何かみんなと相容れない部分がある――どうしてなんだろうか、と悩む以前に、おまえは違うんだと、私は違うんだという意識があって生きないと、孤独で自殺したりなんかする奴がいるから、それは絶対間違いで、どうして一般の人たちの中に入ろうとするんだろう。じゃ、一般の平均レヴェルにそんなに入りたいのか、っていうことで。人間というのはひとりでも進歩するために資本主義という世の中は競争するべきであってだね、みんな、有象無象とどうして同じレヴェルの世界に入ろうとするんだろうか、というのはある。みんながワンレンとかボディコンを着てるときに、どうして私はワンレンとボディコンを着ないんだろうか、って悩む必要はない。着ない方がいいんだ、そういう人は。それでなおかつ目立つのが素晴らしいんであって、ディスコ行きゃあみんなワンレンとボディコン着て踊ってるけど、単なる絵みたいなもんで、そん中から誰も素晴らしいものは出て来ない。一番凄いのは、映画の女優がワンレンとボディコンを着たら、他を圧倒するほどのスタイルでそこに現れるはずだし、だからワンレンとボディコンが、その、女優にもなれないし、女優というのは、もしそういう格好をしたら他を圧倒するようなスタイルになれてしまうのが女優であってね、だからそういうことを頭に入れて、有象無象の世界に意識して入る必要はない。そんな馬鹿野郎はいないだろ、だって。そういうことを悩む必要は全然ないという。ということでございますねえ。
タカ:悩んでる若者には救いの言葉ですね。
たけし:"ZOO"、チェッカーズ?エコーズ。
(曲、CM)
たけし:はい。さァ。だいぶ、同じようなことだなァ。じゃあひとつ、ノエル・カワード。
「私は生涯を通じて一流か三流で通す。二流には決してならない」
これも同じだな。金持ちか貧乏か、っていうだけで、二流の癖してそれに満足をしないという。はっきりしてるというね、さっきのあれと同じですよ、"誘惑"と同じでね。まァ大体似てる。だけどねえ、これ、面白いよ。出た!リチャード・ニクソン。ウォーターゲートや何かでやめちゃったりして。ニクソンがですねえ、
「人間は負けたときが終わりなのではない。辞めたら終わりなんだ」
っていうね(笑)。
ペー:ははははは!
たけし:この言葉が笑うっていうね。負けたら終わりなんじゃない、辞めたら終わりなんだ、っていうね、竹下さんみたいなことを言ってますなァ。だけどそれに対応して、暗殺されたケネディは、35代大統領、若いときにね、言っとりますなァ。
「やるべきことはやる。自分がどうなろうとも、いかなる障害、圧力があろうとも。これは人間道徳の基本だ」
って、こういうことを言って殺されちゃったんですよ。な、大統領は違うんだよな。それで、今のレーガンはですね、
「英雄たちは普通の人よりずば抜けて勇敢だというわけではない。ただ五分間だけ普通より勇敢なのです」
という、何かレーガンらしいというね。えー、これはちょっとですね、これはちょっと意味がアレだな。それからまた、ニクソンがですね、
「敗北に耐える術を知らなければならない。それこそ人間は〜〜というもの」
という(笑)、やたら何か――。
タカ:この人たち、自分たちの都合のいいことだけそのまま言ってるような気がしますね(笑)。
たけし:妙にニクソンは「負けたら終わりなのではない、辞めたら終わり」という言葉がアレでございますけどね、なかなか笑うな。それから、
「人生は、本当のところは善と悪との戦いではない。悪と最悪との戦いなんだ」
という、ちょっと悲観しておりますけどね。人生は悪と最悪との戦いなんだ、という、オレが昔一時言ってた、所詮人生はダメなんだよ、っていう。ダメなんだということを前提にして生きていたら、逆に言えば、ちょっとした幸せももっと大きな幸せになるんではないか、ということを言ってたんだけど、それにやや似てるというね。それからもうひとつあるんだよな、これはいいな、というね。最終的に私の意見としては、エレノア・ルーズヴェルト。ルーズヴェルトの娘さんなんでしょうかね。セオドア・ルーズヴェルト、何とかって、ルーズヴェルトってふたりいるでしょ。大統領でね。ルーズヴェルトが死んで、トルーマンが第二次世界大戦のときに――ルーズヴェルトの下に原爆なんか作って、マンハッタン計画なんかやってたわけだな。その娘さんだか判りませんけどね。これはまァ、最終的に今のみなさんにひとこと、実によく表した言葉で、実に簡単で、誰でも言うだろうっていう言葉ですけどね、社会運動家ですから。みなさんがこんなことを言いますけど、これは別にまァそういうことだと思いますなァ。皆さん、肝に銘じて生きていただきたい。
「人生は、生きることが大事なのです。いつも好奇心を持ち続けていることです。どんな理由があっても、決して人生に背を向けてはいけません」
というね、誰でも言いそうなんですよね。やっぱ、いろんな本を読むとですね、やっぱりこの言葉が、誰でも言って、誰でも理解できるという。結局はこれに来るんではないかと。やっぱり、人生に背を向けてはいけないということが、一番の結果じゃないでしょうかね。いろいろへそ曲がりが書いてますよ、そりゃァ。ね。バーナード・ショーとかいろいろ書いてますけどね。ブルース・バートン、
「自惚れとは、ちっぽけな人間がもらった、神の贈り物」
という、なかなか粋でございますけどね。
タカ:座布団あげたくなりますね(笑)。
たけし:なかなか粋ですけどね。これはちょっと粋に走り過ぎてる言葉だね。ただ、ちっぽけな人間が自惚れるというね、いいじゃないかという。ちっぽけな人間には神様が自惚れをあげようじゃないかということで。あとこれ、日本でもよく言われるけど、
「発見を妨げる最大の障害は、未知ではなく、知っていると錯覚することである」
というね。要するに、自分は利口だという人は利口ではない、というんだね。いかに自分が馬鹿だということを知っている人ほど利口だというようなことを、よく言っておりますけどね。これはまァ、よくありますなァ。あとですねえ、これはいいですなァ。これは一番、オレにも言えるけど、
「大きくなったら、小さな男の子になりたい」
これいいですなァ。
タカ:子供の真理としてですか?
たけし:いや、だから、大きくなっても小さな男の子のような感性でいたい、というね。ということだと思いますよ。「Then
I want to be a little boy」だからね。大きくなって小さくなったら白木みのるさんになってしまうからね。
パー子:ははは!
たけし:こんなことを喜んでちゃどうするんだろうかという。そうじゃありません。大きくなったら小さな男の子になりたい、というのはですね、感性の問題でございましてね、だからそれはやっぱり、いくら大きくなってもですね、小さな男の子のような感性でいたいということではないかと、私は思ってますんで。ひとつ一曲行きましょう。ブラザー・ビヨンド"ライバルを消せ"。
(曲、CM)
たけし:もういよいよ終わりでございますけどね、来週からは募集しましょう。何を募集するかと言うと、これ名言集ですからね、名言集でもいろいろあります。この本に"勝負師"というのがあって、ボクサーでもいろんなことを言っておりますなァ。例えばですね、カシアス・クレイ――モハメッド・アリね。モハメッド・アリがフロイド・パターソン戦について。1965年にですね、フロイド・パターソンに対してカシアス・クレイが、モハメッド・アリがひとこと、
「あいつをこてんぱんに殴ってやる。帽子を被るのに靴べらが要るようにな」
という名言を言っとりますね。
ダンカン:名言ですねえ、いいなァこりゃ。
たけし:それから、ゴルフについて聞かれて、モハメッド・アリ、
「オレが一番うまい。だけどまだ始めてないんだ」
って(笑)。これも笑うなァ。それから、ジャック・デンプシーがジーン・ターニー戦に負けて、1962年に。ジーン・ターニーってのはすごいボクサーでね。"ハニー"ってのはカミサンのことだね。
「ハニー、交わすのを忘れちまったんだ」
っていうね。こういうことを言ってて。
タカ:いいですよね、こりゃァね。
たけし:だからこれ、シュガー・レイ・ロビンソン、
「オレの仕事は人間を痛めつけることさ」
って言ってる。何かこういうのは判りませんけどね。それから、J・C・オーツ、
「ノックアウトされてる者は、見てるほどじゃない。ボクサーは起き上がらなくてもいいんだからね」
というね、ちょっと皮肉ですけどもね。まァこんなことが書いてありますなァ。だからこれからはですね、ガッツ石松さんにインタヴューしたらこう答えたとかね、ガッツ石松の名言とかね。
ダンカン:ああ、「あいつをめちゃくちゃに殴ってやる、帽子を被るのに爪切りが要るように」とか(笑)。
たけし:変わんねえじゃねえか(苦笑)。
タカ:何か気が利いたの欲しいですね。
たけし:だから、「あいつのパンチであいつの方が多かった」とか何とか、あんだろ。「ただタマを蹴るのを忘れたんだ」とかさ。
ダンカン:ボクシングのルールを忘れたんだ、とか(笑)。
たけし:オレはボーッとして殴るの忘れたんだ、とか。
タカ:あいつの方が丼一杯、飯を多く食った、とか(笑)。
たけし:ゴングを聞いたあとあいつのパンチを食らってボクシングを忘れたんだよ、って、そういうような名言を募集したりとかね。そういうのはなかなかいいんじゃないかと。今日はやっぱりこれだな。最終的には、いろんな意見がありましたけどね、「人生に背を向けるな」が一番ポピュラーで正しいだろう、って。それからもうひとつ、ヘレン・ケラーがありますよ。
「五才の子供に向かって、決して俯いては駄目。頭はいつも上げていなさい。目でしっかりとまっすぐ世界を見るのです」
という、なかなか泣かせる台詞。それから、
「人生は生きることが大事。いつも好奇心を持ちつづけること。どんなことがあっても決して人生に背を向けてはいけません」
やっぱり、何だかんだいろんな人生の名言とか教訓があるけども、やっぱり一番ポピュラーなね、誰でも言うような言葉が一番胸を打つというのが、今日の結論でございますなァ。他には何もない。やっぱり、へそ曲がりはいろんなこと言ってますけどね。チャンスは後ろ髪がない――チャンスというものは禿げている、っていうんだよね(笑)。前からはつかめるけどうしろからはつかめない、とかね。要するにそんなような名言もありますんで、単なる比喩でございましてですねえ、結局はこの程度が一番いい。決して背を向けないことだ、というのがね。
タカ:どういう人がどういうときに言ったのかがね。
たけし:でも、こういうことを言ってる奴ってのは大した生活してないと思いますよ。こういうことを言うために生きてるということもあるからね。鵜呑みにはできませんけど、だけどやっぱり、冷静に考えるとなかなかいいことを言ってると。私もこんなこと言ってるけどね、私も全然考えてないというのが結論でございますけどね。まァこの通り生きたいなとは思うけれども、人生そういう具合にうまく行かないだろうというのも、また結論だけども。一般の中学生、高校生の人たちにとってはですね、やっぱり「絶対背を向けてはいけない」とかですな、「大きくなったら小さな男の子になりたい」さかね、「子供らしさが死んだときその死体を大人と呼ぶ」とかね、「孤独だということは、人と違う人間だということ。人と違っていると孤独になる」とかですねえ、「瞬間を愛しなさい」、これがいいんだなァ。
「瞬間を愛しなさい、その瞬間のエネルギーはどんな障害も乗り越えて広がります」
というね、情熱ですねえ!こういうことをよく頭に叩き込んで、これからの人生を生きて欲しい。そして来週からはですね、名言集を募集しとりますんで。名言集一個のために、これだけ長い間、一冊の本をやってしまいましたですなァ。この本はですね、J・B・シンプソン――あっ、何と講談社でございますな!何でオレは講談社を宣伝してしまったんでしょうか、よく判りませんが。なかなか、これは、シャレで読んでみるのもなかなかいいという。そういうわけでございまして、さァCMです。
(CM)
たけし:言っときますが、下ネタには走らないように。
タカ:やめて欲しいですね。
たけし:百回のオナニーよりも一発のコーマンの方が、とかそういうことを言わないように(笑)。危ないからな。人生はコーマンみたいだ、大きく広げれば広げるほどどんなものでも入れ込める、とかそういうことを言わないように、ひとつよろしくお願いします。
(BGMに"ハイサイおじさん"が流れて)
たけし:『たけしのオールナイト・ニッポン』、この番組は――。
松尾伴内:ポニー・キャニオン、ブルボン、角川書店グループ、ポッカ・コーポレーション、白泉社、モード学園、日本コロムビア、アメリカ屋靴店、東京スクール・オブ・ビジネス、東京観光専門学校、日本通運、パイオニア、以上各社の協賛で、東京千代田区有楽町ニッポン放送から、全国32局を結んでお送りいたしました。
たけし:さ、来週からはですね、軍団の各自の名言集とかですね、その人生論に走りたい、このように思っております。せーの、バイビー!と。
(エンディング・テーマ"東京子守唄")
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