

『BROTHER』cam_sin評
「取捨の哲理」
cam_sin
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「パス!パス!!」
夢中でバスケットボールを追う男たち。
とても無邪気で、無垢なシーン。
そしてその無邪気さの反対側で、無垢な邪気を爆発させる男たち。
男たちはその無垢を守るため暴力で武装する。
仁義をとおすためだったら指だって、腹だってつめる。
肉体の痛みや恐怖(=死)を捨ててまでも守るものはなに?
山本はなにも語らない。
ただその左眉頭をぴくぴくと、無表情でサングラス越しにこちらを見据えるだけ。
しかし、その気配の雄弁さたるや、とても言語といった手段では現し尽くせないものの内在を感じさせる。
山本の内在しているもの。
それは山本の存在の基本原理である取捨の哲理。
己の精神性を得るがため、肉体を捨てることをいとわない構造原理。
なにかを得るために、なにかを捨てなくてはならないとき、自分はなにを得、なにを捨てるのか?
哲理にまで高められた精神性の前では、朽ちてゆくだけの肉体は哀れみこそすれ、
少しも執着に値するものではないことに気づくだろう。
そして哀れみは他者にこそすれ、自分で自分を哀れんだときから精神は肉体同様朽ち果てる。
そんな肉体の脆弱さを知る精神の強靭さが、山本の人間的な魅力の幅を形作っているのだ。
強さゆえの優しさであり、厳しさゆえの冷酷さであり、孤独ゆえの無邪気さ…だ。
山本は自らに課した己の存在の場所を求め、孤高の原野をさまよう。
それはたとえ日本であろうと、ロサンジェルスであろうと、ダウンタウンであろうと、荒涼たる砂漠であろうと。
彼の精神世界に広がる場所である限り…いとわない。
山本の生に対する禁欲主義(STOICISM)は普遍だ。
理性に従うことはすでに本能であり、欲情にも環境にも支配されずに仁義としての道理を貫こうと
するその姿勢の厳格さを感じる。
日本の文化は気配をよむところにある。
なにひとつ語らない山本の発する、その気配を、その存在という肉体をとおして感じさせることの皮肉。
ゆえに必要最小限の表現にとどめたとしても、そのあまりにも深遠な精神性を醸し出す気配に観るものは痛みを感じる。
この孤高な魂に近づくことも叶わぬためか、その孤独な横顔を想って心を痛める。
気づいた者だけ、感じられた者だけが得られる共通感覚。
しかしその共通は共有にあらず。
全てを捨て去った者が得る感覚であり、それぞれの内在に照らし合わせて感じられるものなのだから…。
FIN
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